「ぼくの歌・みんなの歌」メモ
2◎ 空気に抵抗できること(2009.3.3)
  9・11の直後、犠牲者のための追悼ライブがニューヨークで開催された
 とき、他のミュージシャンたちが揃ってアメリカを称える歌を披露する中で、
 ニール・ヤングはあえて自作の歌を歌わず、その頃アメリカで放送禁止歌に
 なりかけているという噂の「イマジン」を歌った。
 (「ライク・ア・ハリケーン」森達也『ぼくの歌・みんなの歌』より/ P.37)

9・11の直後、ミュージシャンたちが
「アメリカを称える歌」を歌ったことを責めようとは思わないが、
「思考停止」になりさえしなければ、
少しはそのことに抵抗感を感じるはずではないかという気はする。

ニール・ヤングが独自であり続けているのは、
みんなが歩調を合わせたとき、みんなが諾と頷くときに
それにそのまま合わせてしまうことを拒んでいるからかもしれない。
それがいつも素晴らしいとはいわないけれど、
どこかおかしいと思ったときに、
そのことに対する批難や譴責がなされるかもしれないにもかかわらず、
それを率直に表現できることは素晴らしいと思う。

はだかの王様見をて「王様ははだかだ」という子供も
大人になって保身を考えるようになるとそうは言い難くなる。
子供だって、言わないほうがいいことくらいはそのほとんどがわかっている。
ひょっとしたらたんにそうしたことを考えたことがないだけかもしれない。
でも、大人になって、状況を理解した上で、
あえて「王様ははだかだ」といえる人もいて、
そういう人がいると、まだまだ人間には可能性があるという気にもなる。
しかもそれをただのプロテストとしてではなく、
芸術的に表現できるとなれば、ただただ尊敬してしまう。

森達也は本章の最後にこう書いている。

 「何かさ、ニール・ヤングの言っていることって、ちょっと似ているよな」
 「誰に?」
 「おまえに」
  友人が真顔で言う。似て当たり前。三十年間憧れ続けてきたのだから。
 でも嬉しかった。
 (P.39)