風の音楽メモ 2004 

 

声の魔術/中森明菜/ソングマスター 


2004.1.11

人の声には不思議な力がある。
まして歌声はときにぼくを不思議な世界に連れ去ってしまうことがある。
 
昨年の暮れ、どこかできいたことのある
不思議な魅力をもった歌がFMから流れてきた。
その声は・・・と想像してみると、どこか山口百恵に似ている。
最近は山口百恵の歌っていた曲のカヴァーが流行っているから
それに関連して流しているのだろうと思っていると、
その声は中森明菜だという。
『歌姫3』というアルバムに収められている曲、
「ハリウッド・スキャンダル」。
しかもそれは山口百恵が歌っていたのではなく郷ひろみのもの。
そういえば・・・とかつての郷ひろみの声を思い出したのだが、
中森明菜の歌っているそれのほうがずっと不思議な魅力がある。
 
中森明菜の『歌姫』というアルバムには、3枚あって、
千住明の編曲で、ファーストはオリジナルカヴァー、
セカンドは「女歌」のカヴァー、サードは「男歌」のカヴァーだという。
この「ハリウッド・スキャンダル」は、たしかに「男歌」だ。
 
中森明菜のファンだというのではないし、
その歌声を手放しで誉めたいとも思わないのだけれど、
それらのカヴァーをききながら、
中森明菜の歌声の持っている不思議な魔力のようなものを感じた。
 
「歌姫」という言葉に対応する男性用の形容はあるのだろうか。
「歌王」とか「歌王子」というのは変だ。
「歌若」とかいうのもなんかぴんことこない。
カストラートとかカウンターテナーとかいう言葉はあるけれど、
そういうのとはちょっと違う。
「歌姫」という言葉はちょっと特別な響きがあるような気がする。
 
「男歌」を収めている『歌姫3』の最初に歌われるのは、「傘がない」。
井上陽水以外にはちょっとイメージできないはずだった
1972年のシンボリックな名曲がどこか魔術的に甦っている。
 
「都会では・・・」と歌い出される不思議な歌詞。
それが中森明菜の低めの声で語るように歌い出される。
1972年の「傘がない」と2004年の「傘がない」。
1972年には「自殺する若者が増えている」。
2004年にはおそらく「自殺する中年が増えている」。
そして1972年でも2004年でもあいかわらず
「テレビでは 我が国の将来の問題を
 誰かが深刻な顔をして しゃべってる」
しかしやはり
「だけれども 問題は今日の雨 傘がない」
「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ」
「それはいい事だろう?」
 
ところで、「声」「歌声」というと
必ず思い出すのはオースン・スコット・カードの『ソングマスター』と
その解説に書かれている次のようなことば。
 
                ラジオでかかっていた、ただの古臭いラブ・ソングなんだけどね
                        ーー<オールド・ファッション・ラブ・ソング>
                                                ポール・ウィリアムス
         オースン・スコットカードの名をきくと、なぜかこんな歌を思いだ
        してしまう。この曲がヒットしていたのは、1971年の暮れ。歌っ
        ていたロック・ヴォーカル・グループ、スリー・ドッグ・ナイトも今
        はもういない。すべてがただの古臭いラブ・ソング。でも、忘れてし
        まうことはむずかしい。奇妙なことだ。(小川環)
 
ときに、人の声、歌声にうんざりしてしまうこともあるけれど、
なぜかまたききたくなってしまうのは、
やはり人の声には不思議な魔力があるからだろうか。
 
そういえば、ビートルズの「レット・イット・ビー、ネイキッド」も
発売されて話題をよんでいるが
「傘がない」と同じく30年のタイムスリップの感がある。
1970年代のはじめの頃にきいた、多くメロディアスな名曲が
あらためて浮かび上がってくるのはとても耳に心地よかったりもするが、
この後の「歌」がどうなっていくのかがちょっと気になるところではある。
 
 


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