風の音楽メモ 2004

モーツァルト『ハ短調大ミサ』


2004.9.5

風の音楽メモ●モーツァルト『ハ短調大ミサ』
 
	「私は恐れるのだが、天上の神が喜んできくのは、バッハではなくて、たぶん
	モーツァルトの音楽だろう」といったのは、神学者のカール・バルトだった。
	心が乾燥している時はモーツァルトへの手がかりはない。音は空しく耳の傍を
	掛けていってしまう。しかし、彼をきく用意が、私の知らない何かの機微によ
	って心のどこかで整っている時は、こんなに素晴らしい音楽はない。その<心
	の耳>が、いつどこでどういうふうに、開かれたり、閉ざされたりするのか。
	それは、私たち自身にも、よくわからないことだ。
	(吉田秀和『モーツァルトへの旅』/「吉田秀和全集1」白水社所収P137)
 
モーツァルトをきく「耳」はいつも突然のようにやってくる。
いつもモーツァルトがきけるわけではない。
しかしモーツァルトをきく「耳」が訪れる、まさに音連れると、
モーツァルトはぼくを占領してしまうことになる。
モーツァルトの音への渇きとでもいおうか。
そんな状態がしばらくのあいだ続く。
けれどそれがすぎると、今度はモーツァルトをきく「耳」は
はるか遠い楽園のようになってしまう。
そしてそれが今度はいつ訪れるのかは定かではない。
 
しかしそれを
「天上の神が喜んできくのは、バッハではなくて、たぶんモーツァルトの音楽だろう」
というふうに言ってしまうのは止しにしよう。
問題は「天上の神」がいったい何を意味するのかなのだから。
さまざまな「神」がいる。
神学者の語る「神」だけが「神」なのではない。
 
先日ひさしぶりに突然のようにその「耳」が訪れたので、
モーツァルトの音楽だけではなく
それについてのさまざまな文章などもいろいろ読んでみることにした。
手元にあるものだけでもたくさんある。
そういえば小林秀雄の「モオツアルト」もまだ読んでいなかった。
 
たとえば谷川俊太郎には『モーツァルトを聴く人』という詩集がある。
 
	モーツァルトの音楽を信じすぎてはいけない
	なにかにつけてきみはそう言った
	酒に酔って言ったこともあるしらふで言ったこともある
	だがぼくにはその意味が分からなかった
	ついこの間まで
	(「つまりきみは」より)
 
「モーツァルトの音楽を信じすぎてはいけない」。
それはたしかだ。
ところで音楽を信じるということはどういうことなのだろう。
アウシュビッツのなかでさえも奏でられたモーツァルト。
その皮肉な響きのことさえもよく考えておかなければならないだろう。
とはいうものの音楽を道徳で判断するのは興ざめである。
政治の道具とするのも悲しい。
また今やほとんど経済活動のなかで生産されることの多い
そんな道具としての音楽の質については
麻痺してはならないと思う。
 
ところで、今度訪れたモーツァルトをきく「耳」のために、
これまできいたことのなかったモーツァルトをきいてみることにした。
未完成の『ハ短調大ミサ』である。
意外なことにこのミサ曲については
今回吉田秀和のモーツァルトに関する文章を読んではじめて知ることになった。
 
	この未完成の『ハ短調大ミサ』と未完成の『ロ短調交響曲』は、二人の短命な
	天才の、数ある傑作の中でも、また最近二百年の音楽史上でも、第一級の作品
	である。
	バッハの『ロ短調ミサ』(1733年に完成していた)とベートーヴェンの『ミ
	サ・ソレムニス ニ長調』(1818年に着手され、24年にペテルスブルクで
	全曲初演が行なわれた)との間には、約一世紀がある。
	「たとえ、巨大なトルソに終わっているにせよ、このミサは、バッハの『ロ短
	調ミサ』ととベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』の間に聳える唯一の作品
	である。バッハを知ることによって生じたモーツァルトの危機、その危機の克
	服ばなければ、このミサはとうていかかれなかっただろう」(アインシュタイ
	ン『モーツァルト』)
 
ちなみに、未完成の『ロ短調交響曲』はシューベルトによるもので、
引用のなかの引用の「アインシュタイン」というのは
モーツァルトの研究家のアルフレート・アインシュタインである。
 
今回手に入れたのは、アーノンクール指揮による
モーツァルト宗教音楽全集のなかの1枚(WPCS11249)。
この未完成の『ハ短調大ミサ』は、1783年に書かれ、作品番号はK423。
父親に反対されながらも結婚したコンスタンツェを伴って
新作のミサ曲を携えて故郷のザルツブルグを訪れ教会に奉献しよう・・・
という個人的な誓願からの成立事情があったということである。
そして、吉田秀和によると、モーツァルトは、「バッハとの対決を敢行」したのだと
いう。
たしかにここには、バッハとモーツァルトが交錯しているところがある。
そのスリリングなところが、いままできいたことのあるモーツァルトとは
どこか違った部分をきかせてくれる。
とはいえ、これもやはり正真正銘のモーツァルトである。
 
CDのノートにもこうあるように、この作品があってはじめて
その後の成熟したモーツァルトの作品群があることがわかる。
 
	ドイツ・バロックの対位法的音楽の偉大さを初めて正当に認識したあの<バッハ
体験>の直後、すなわち自らの芸術が考え得る限りの外的影響を残りなく取り込
	んで初めて十全な成熟を遂げた時期
 
さて、バッハに関連したエピソードで気に入ったものがあるので、
最後に少し長めになるけれど吉田秀和『モーツァルトーー出現・成就・創造ーー』
(「吉田秀和全集1」白水社所収P46-47)から引用しておくことにしたい。
 
	1789年リヒノフスキー伯に同道してベルリンに赴いた折のことである。途中
ライプツィヒに立ち寄った彼は、大バッハの勤務していたトマス教会のオルガン
	を演奏して、かつての大カントルの弟子で当時ここでオルガニスト兼合唱長をつ
とめていたドーレスをして、「師の蘇りを目の当たりにみるようだ」と感嘆させ
	た。そのあとドーレスの指揮で、バッハのモテットをはじめてきいたモーツァル
トは、「ここにはまだなお学ぶべきものがある」と嘆じながら、さっそく楽譜を
	とりよせて、総譜さえ揃っていない折とて、各部のパートを膝や手やあたり一面
の椅子の上にならべたてて、くわしく調べ出した。これは有名な話であるが、そ
	の後でモーツァルトが出発しようとすると、ドーレスは心から悲しそうに、「ま
たいつ会えるでしょうか。ぜひ一行でも二行でも書き残してくれませんか」とい
	った。モーツァルトは何か書くよりもむしろ眠かったので最初は返事をしなかっ
たが、ついに「それじゃ、パパ、紙を一枚」といって、紙をもらうと、それを二
	枚に破いて、再び腰を下ろして、五、六分書いた。それからその半分をドーレス
に、残り半分をその子供に渡した。最初の部分には、三声のカノンが二分音符で
	かいてあったが、皆で歌ってみると、それは素晴らしいカノンで悲しみの表情に
あふれていた。二番目の半分にもやはり三声のカノンが、今度は四分音符で書い
	てあったが、前と同じくこれにも歌詞がない。歌ってみると、これまた素晴らし
い出来だが、ひどく滑稽なものだった。ところが愉快なことにこの二つが一緒に
	歌えることがわかった。「さあ、これが歌詞だ」とモーツァルトはいって、最初
のには「さよなら、また会うよ」と書き、次のには「ばあさんみたいに、吠えな
	さんな」と書いた。それで改めて一同がこの二つを一緒に歌ってみると、実に何
ともいえない滑稽な、しかも深いーーほとんど崇高なくらい喜劇的な効果をもっ
	た曲が生まれてきた。これをきいて、みんなと同じようにひどく感動していたら
しかったモーツァルトは、歌が終わると、大声で「じゃ皆さん、さよなら」とい
	って飛び出して行ってしまった。
 
この「じゃ皆さん、さよなら」というのが、
なかなかモーツァルトらしくていいではないですか。
 
ところで、最初にあった神学者のカール・バルトの
「私は恐れるのだが、天上の神が喜んできくのは、
バッハではなくて、たぶんモーツァルトの音楽だろう」だけれども、
その意味を深み読みするとしたら
魔的なものさえも天上に交錯させるようなところこそが
「神が喜んできく」ということであれば面白いのだけれど、
バルトはたとえば「魔笛」のなかにあるフリーメーソン的要素などさえ
認めようとはしなかったように
残念ながらそういう意味ではないのだろうという気がする。
 
 


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