風の音楽メモ 2004-2005

ルネッサンスの音楽/安土城御前演奏会


2004.12.12

2ヶ月以上まえのことになるが、
ちょっとおもしろいルネッサンス音楽関連のアルバムを見つけた。
 
■平尾雅子
 「王のパヴァーヌ
  〜空想 安土城御前演奏会〜信長公所望の音楽」
 MH-1170 Musica Humana 04.9.24
 
信長の時代、つまり1550年から1580年代に
イタリアやスペインなどのヨーロッパ各地で流行していた音楽を
集めたアルバムである。
つまり、織田信長の御前で演奏会が開かれていた・・・
かもしれない音楽が1枚のアルバムに集められている。
 
構成は、ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏の平尾雅子、
そのほかに、カウンターテナーの上杉清仁も参加している。
この上杉清仁は、ぼくが個人的に演奏会のチラシ制作などに協力している
「高知バッハカンタータフェライン」のコンサートマスターなどもしていた方で、
その頃はリコーダーを演奏していたのが、
指揮兼バスの小原浄二氏(かつてバッハコレギウムジャパンにも所属)の影響か、
カウンターテナーを務めるようになって、
現在バッハコレギウムジャパンにも参加している。
この上杉氏はもともと音楽畑ではなく、高知大学の文学部および大学院に所属後、
芸大の大学院古楽課に進み、現在博士課程に在学しているとのこと。
純粋な音楽畑ではないというところがむしろ豊かなバックボーンを
可能にするというところもあるのかもしれない。
 
さて、本題に戻るとしよう。
信長の前でどんな音楽が演奏されたのかは
ほとんど何もわかっていないそうで、
このアルバムは「当時の『日本の皇帝』とも言うべき信長公の御前でも
演奏されたとしたら・・・」という想像力で
当時のヒットソングを中心に構成されたということ。
 
アルバムのライナー・ノートの最初にこうある。
 
	時は1582年、ここ安土城の大広間において、
	信長公御所望の南蛮音楽を、踊りも交えて披露する宴が催された。
	南蛮文化にお詳しい信長様の御前演奏とあって、選りすぐりの南蛮人奏者が、
	ヨーロッパ中で知られた名曲を揃えてこの名誉ある場に臨んだ。
	能舞のお得意な信長様は、特にイタリーの踊りに大変ご興味を示され、
	その振りをまねしてごらんになるほどであった。
	戦国の世、つかの間のやすらぎ。
 
ところで、遅ればせながらこのアルバムを紹介しようと思ったのは、
ちょうど先日、新星堂からオリジナル企画で発売されている
「ルネサンスへの旅」という5枚組のCDを見つけてきいているところなのと
そこに収められているミサ曲などは、クリスマスも近づいた今の季節の気分に
比較的フィットしているかもしれないと思ったことからである。
 
その5枚組は、統一した演奏者によるものというのではなく、
ヘレヴェッヘやルネ・ヤーコプス、ドミニク・ヴィスなどによる
さまざまなルネッサンス関連の演奏アルバムから「いいとこどり」したもの。
最初に「ルネサンスのミサ曲」があり、続いて2枚目が「ルネサンス・モテットの頂点」、
続いて「ルネサンスの器楽曲」、そして「ポリフォニック・シャンソンの時代」、
最後に「マドリガーレの黄金時代」というように、
14世紀から16世紀にかけてのルネサンス音楽が一望(一聴)できるようになっている。
演奏もなかなか良質である。
 
ルネサンスという時代は、その時代をどのように規定するかということは別として、
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの絵画はポピュラーな部分があるが
こうしたルネサンス音楽については美術ほどにはとりあげられないように思える。
やはりその時代を理解するためには、さまざまな方面からの視点が必要になり、
そうすることで、現代を理解するためのある種の示唆も得られるのではないかと思う。
たとえば、現代を理解するために、(すでに現代ではないかもしれないが)
ピカソの絵を後生の人が持ち出してきているにもかかわらず、
ビートルズの音楽を知らないでいる視点がどこかアンバランスであるように
やはりある時代をとらえるためには、できるだけ多視点的である必要がある。
それは現代において同時代を見る視点をどう持ち得るかということにも関連してくる。
 
たとえば、メディチ家というのは、ルネサンス芸術最大のパトロンだといえるが、
コジモ、ロレンツォ、教皇レオ10世といったメディチ家の当主たちは
美術だけのパトロンなのではなく、もちろん音楽の強力なパトロンでもあったわけである。
それに関しては、米田潔弘『メディチ家と音楽家たち』(音楽之友社/2002.2.5)にも詳しい。
また、ルネサンスの有名な音楽家についてまとまって参照するには
今谷和徳『ルネサンスの音楽家たち』(I・II)(東京書籍/1993.1.29/1996.12.2)などが
参考になり、音楽とその背景を知るのは格好のガイドとなる。
 
時代を芸術という視点から見てみる機会をもつというのは
たいへん重要なことなのだろうと思う。
先にも述べたように、今この同時代をビジュアルの芸術から
また音楽という窓から見てみると、
ただの政治や経済という視点などとは
また別の光景が見えてくるのではないかと思う。
その際、できうるならば、建築などの造形的な側面から
美術、音楽、そして言葉の芸術といった幅広い視点からとらえながら、
それらの総合において見ようとしたほうが、よりスリリングなのではないかと思う。
そしてそれらはまた逆の方向からも政治や経済などとも深くリンクしている。
 
おそらく政治や経済などにおいて顕在化してくるずっと前の
潜在的な兆候も芸術的な側面においてより先鋭的に
とらえることができるはずである。
そんな芸術に出会える機会が持てるとするならば
こんなにうれしいことはない。
 
おそらく今ルネサンス音楽として今にのこっている音楽たちは
その時代のそうした先鋭的なもののひとつだったのかもしれないと思うと
またひとつその時代を見る目を新たにすることもできるのではないだろうか。
 
 


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