風の音楽メモ 2004-2005

変化のもとでの井上陽水という現象


2004.12.19

平原綾香の『ザ・ヴォイス』というアルバムをきいていて、
そのなかで井上陽水の「心もよう」がカヴァーされていたので、
(このカヴァーには少しばかり違和感があったりしたのだけれど…)
久しぶりに『氷の世界』という30年前のアルバムを聴いてみた。
レコードではB面の最初にあって、
歌詞カードは井上陽水の自筆のペン書きで書かれてある。
その自筆のペン書きが表しているように
このときの陽水の声は若々しくちょっとした悲しい線を残している。
 
そういえば自筆の歌詞カードでなくなったのはいつからなのだろう。
1980年頃のかなり地味なアルバム
『Every Night』あたりのことかもしれないと思い、
レコードをひっぱりだして確かめてみたところ、
その前のアルバム『スニーカーダンサー』からだった。
その前の『White』まではあの手書きである。
そこにある種の変化があったと想像してみるのも面白い。
 
先日みつとみ俊郎のなにかの著書を立ち読みしていたら
井上陽水と桑田佳祐の違いが書かれてあって記憶に残っていた。
その違いというのは、桑田佳祐が普遍のスタイルでやっているのに対して
(たしかにどれをとっても金太郎飴的なところがあるし、
個人名のアルバムでロックをやっていたりもするが、
基本的に違うことをやろうとはしていない感じがする)
井上陽水は変化し続けているということだったと覚えている。
 
たしかにそうだ。
変化とともにある陽水・・・。
だからぼくは桑田佳祐関係をごくたまにしか聴こうとは思わないのに対して
(とはいえ、『ROCK AND ROLL HIRO』はけっこう好きだったけれど)
井上陽水はことあるごとに気になって聴いてたりするのかもしれない。
アルバムにしても、そういえば全部とはいわないけれども、
ほとんど全部を発売のリアルタイムで聴き続けていたりもする。
とはいえ、すべて気に入っているというわけではなく、
ときにどうにも・・・という感じのものも少なくはないのだけれど、
けれど変化というか新たな領域への侵犯のようなものが陽水だとしたら、
そのある意味での挑戦がしだいに苦しくなってくるのも肯ける。
 
変化する者、変化し続けることを恐れない者の魅力。
その魅力をあらためてふりかえってみようと
陽水の最初の頃からのアルバムをたどってみると
その歴史がぼくが中学生の頃から音楽を聴き始めてからの歴史と
かなり重なっていることに今更ながら気がつく。
「傘がない」の頃から『カシス』『Blue Selection』までの30年以上。
自筆のペン書きの歌詞カードの時代からの変化とか…。
 
そんななかで、ぼくが気になっているアルバムをあえて挙げるとすれば
ほとんど無視されているかもしれない『バレリーナ』あたりだろう。
いちばんよく聴いた思い出のアルバムは『招待状のないショー』とか
『センチメンタル』あたりだけれど、
ベストの1曲を挙げるとすれば、隠れた名曲、
『バレリーナ』のなかの「バレリーナ」なのかもしれない。
ベスト盤などからはほとんど置き去りにされた感のある「バレリーナ」。
ひょっとしたら陽水ファンのなかでも認知度が低いのかもしれないのだろう。
 
最近の陽水の声や曲が好きだとは決していえないけれど、
変化のなかで陽水という氷山が
ときおりみせる、どきりとさせられるような表現があるのが
いまだに陽水を聴き続けている理由なのだろう。
 
個人的な希望をいうとするならば、
あの『バレリーナ』の路線がいつかどこかで
浮上してきとほしいと願っているのだけれど、
変化のもとでの陽水という現象をこれからも
息長く楽しんでいきたいものだと思っている。
 


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