■キース・ジャレット:レイディアンス〜ソロ 大阪/東京 ECM UCCE-1060/1 05.4.27 2002年10月の大阪・東京公演の 即興ソロコンサートが収められている新譜。 キース・ジャレットの即興によるソロコンサートというと、 最初に演奏されるメロディをどうも期待してしまうところがある。 ケルン・コンサートの感動をもう一度、というわけである。 でも、そういうのってどうなんだろう。 という思いは、どこかであったりもした。 即興はなぜ即興でなくてはならないのだろうという問いかけでもある。 最初に感動的なメロディがあるからといって それが即興ではないということにはならないのだけれど、 そういうのってどうなのかなとふと思ってしまうわけである。 そういえば、なぜかキース・ジャレットをよく聴いていた時期があり、 その後、次第にその頻度が少なくなってきていた。 そして活動休止になった時期があり、 再び活動できるようになったときに出された ピアノソロのスタンダードナンバー 「ザ・メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」と スティル・ライブのCDのふたつだけがi-Podに入ってる。 即興のソロコンサートは今のところ入れる気にはなっていない。 なぜだろうかとあらためて思う。 この「レディアンス」では、キースが「この音楽について」で 「演奏の始めの部分にメロディの要素がーそれどころか、 モチーフとなる要素さえもがー欠落していることに(少なくとも) 一瞬戸惑うかもしれない」 と記しているように、 これまでの即興のソロコンサートとは 今回のものはかなり異なっている印象がある。 今までの私は、演奏する度にエネルギーを新しいものへと 変換することに主眼を置いていたが、今度はエネルギーだ けではなく、実際の音楽形式も、新しいものに変換される 素材の仲に含めてしまおうと思ったのだ。 即興といいながら、ある種の形式と素材の枠を用意していたのを 今回は、まさにカオスの海のなかから自己生成するものを 形式と素材をひっくるめて展開させようとしたということか。 テーマも形式も決めないで即興詩を書いているようなものだろう。 書きながらその書かれたことが次の言葉を生み そこにさまざまなリンクが張られながら展開しつつまた消えていく。 最初にメロディやモチーフが提示されてそこから展開するのではなく、 逆に書かれることで自己組織化していく言葉たち。 そのように演奏される音とそしてその音が次々とつれてくる音たち。 そう、音連れ(訪れ)。 そういえば、聴き始めながら、 これまでになく耳を遊戯させていることに気づいた。 さまざまな可能性の予感にアンテナのように耳を向けている自分がいる。 「レイディアンス Radiance」というアルバムタイトルは「輝き」を意味しているが、 即興によって耳を遊戯させている行為そのものの「輝き」なのかもしれないと ふと思った。 聴いているときのぼくの耳は、耳とリンクしているさまざまな感覚は、魂は、 そのとき輝いていたのかもしれない…。 |
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