福山雅治:The Golden Oldies


2002.7.13

■福山雅治/FUKUYAMA ENGINEERING GOLDEN CLUB BAND
 The Golden Oldies
 UUCH-1055 02.6.26
 
FMから流れてきたチューリップの「青春の影」が流れてきて、
思わず聴き惚れて、
「あれ、チューリップにしてはうますぎるぞ!」。
で、それが福山雅治の声。
 
これまで福山雅治のアルバムとか聴こうとも思ってなかったのだけれど、
The Golden Oldiesというアルバムがあるのを
行きつけのCDショップの店長から教えてもらって
その曲目をみると、遠藤賢治やサディスティックミカバンド、
大沢善志幸などまでカヴァーしている。
それから、どうも今でもたまにふと口をついてでてくる
ケンとメリー〜愛と風のように〜まである。
ということで、少し食傷気味のカヴァー・ブームだけれど、
そのなかではかなりイケルのではないか。
 
カヴァーについて、このアルバムのライナー・ノーツでの
次の文章(萩原健太)がけっこうよかったので、ご紹介してみる。
 
         もう何十年も、ずいぶん長いことポップス音楽を聞き続けてきて、
        ぼくなりに確信したポップスの鉄則のようなものがいくつかある。
        そのひとつが「オリジナル・ヴァージョンを超えるカヴァーなど、
        ほとんどない」ということだ。いや、福山雅治が自然体で作り上げ
        てくれたカヴァー・アルバムのライナー・ノーツ冒頭、いきなり乱
        暴なことを言うようだが、申し訳ない。ぼくは経験則上、本気でそ
        う確信しているのだから。
         たぶんそう思っているのはぼくだけじゃないはずだ。アーティス
        ト、パフォーマーを含めたポッポス音楽愛好家のほとんどが、意識
        的にせよ、無意識のうちにせよ、そのことは確信しているだろうと
        思う。瞬間瞬間の空気に触発されて、瞬間瞬間の思うを吐き散らす。
        時代を超えることなんか二の次、今この時代をどれだけパワフルに、
        太く表現できるかという課題を背負っているのがポップ・ミュージ
        ックなのだから。アーティストやスタッフの熱気やヤマっ気や……
        その楽曲が作られた瞬間に渦巻く様々な思いが真空パックされたオ
        リジナル・ヴァージョンを他人が後追いで超えることなんて、まさ
        に離れ業だ。
         にもかかわらず、多くのアーティストが今なお積極的にカヴァー・
        ヴァージョンに挑む。オリジナルを超えるとか超えないとか、そう
        いう美学とはまた別のところで、カヴァーという作業には何かとて
        つもない魅力が潜んでいるということだろう。
         もちろん、一口にカバーといってもいろいろある。ひとつは、消
        極的なカヴァーだ。この人にまかせればヒット間違いない!という
        頼もしい職業作家も少なくなった昨今、当たるかどうかわからない
        新曲を作るより、過去に実績を持つおなじみのメロディに頼ったほ
        うが……といったノリで、昔のヒット曲を今の最新サウンドでお気
        軽にリメイクする、みたいな。当然、この種のカヴァーにはあまり
        刺激的なものはない。5年、10年して振り返って、笑われる危険
        性が高いパターンだ。
         が、一方積極的なカヴァーもある。自分のルーツを表明するため
        のカヴァー。自分が深く影響を受けた対象に向かって真摯に挑む場
        合だ。あるいは、誰もがふと忘れかけていたような、ある特定の往
        年のメロディが、しかし実は今の時代にも有効に機能することを感
        知し、それを新たなフォーマットで甦らせる場合とか。このパター
        ンは面白い。この場合はオリジナルを超える、超えないはあまり関
        係ない。うまくいけば、元の楽曲が持っていた別の魅力さえ聞き手
        に教えてくれることさえある。多くの意識的なアーティストがあえ
        て挑むカヴァーというのは、こうしたものだ。そしてそんな刺激的
        なカヴァー・アルバムのひとつとして、今回の福山雅治を楽しもう。
        間違いなく、本盤はそうした「意識的な」カヴァー・アルバムのひ
        とつに仕上がっているのだから。
 
この「カヴァー」ということは、
こうしたポップ・ミュージックだけではなく、
もちろん、音楽以外のどんな世界にもあてはまることなのだろう。
おそらく、人は最初「カヴァー」以前の「模倣」から出発する。
教えられる、というのではなく、
すごくヨカッタ、感動した、がゆえに、
それをマネッコしてみたいという自発的な衝動。
もうそれを抑えられなくなって、模倣的なものを繰り返すうちに、
そのなかからなにか自分なりの新たなものを発見したりつくりだしたり。
 
こうした「カヴァー」というのは、
最初に自分が受けた圧倒的な影響を
あらためて受けとめ直してみるという意味でいえば、
けっこう面白いのではないかとあらためて考えてみた。
だれにでもある「The Golden Oldies」をふりかえってみること。
おそらく「伝統の継承」ということもそういうことなのだろう。
守ー破ー離のなかの「守」の再認識。
 
ともあれ、これはすごく楽しめるアルバム。
ところで、こういうカヴァーアルバムも
オリジナル曲をくちずさめる人と
まったくの新曲としてしか聴けない人とでは、
受け取り方とかまるで違うんだろうなということもあらためて思った。
チューリップの「青春の影」とか、ケンとメリー〜愛と風のように〜とか。
「プカプカ」とかも聴いたことない人って多いんだろうか。
そういえば、ぼくがいちばん最初に「プカプカ」を聴いたのは
高校生の頃、ラジオの深夜番組とかで原田芳雄が歌ってたのだったな。
原田芳雄のあの味のある歌ってとっても好きだな。
ところで、エルトンジョンのあの30年以上前のユア・ソングを
新曲だと思っていた人もいたっけ。
シュタイナー教育とかいうのでも、シュタイナーと無関係に
受容したりする伝統がすでにあったりするけれど、
そこらへんの受け取り方の違いなんかにも近いのかも。
 
 


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