細川俊夫『ヒロシマ・声なき声』


2002.8.4

■細川俊夫作品集 音宇宙VIII
 『ヒロシマ・声なき声』
 FOCD3491 2002.6.21
 
広島で3年目の夏を迎えることになる。
そして明後日、6日は広島に原爆が投下された日。
広島で迎えるその日は、
それまでとは異なった感慨をぼくにももたらしているようだ。
 
それは、たとえば広島の原爆について最初に意識するきっかけになった
大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」を対岸の事件としてではなく、
今自分の住んでいる街の事件として
とらえてみるということでもあるのは確かなのだが、
広島市の人々の「原爆」に対する反応は決して一様なものではない。
原爆のない広島のアイデンティティの行方を問い直す声もそこには確実に存在する。
 
今年、市長は、昨年9月11日のニューヨークでのテロ事件を踏まえながら、
記念式典に臨むことになるそうである。
暴力に対して暴力で応える愚に対して、
ヒロシマが世界で最初の被爆地としてできることは何か。
ヒロシマの声は、戦後57年目を迎えることになる今も
小さなものであってはならないことは確かである。
語り継いでいかなければならない声がそこにはある。
しかしおそらくその「声」は、
新たなものに向かっていかなかればならないのも確かなのだろうと思う。
 
そうしたことを思いながら、
ちょうど細川俊夫の新譜『ヒロシマ・声なき声』を聴くことになった。
 
細川俊夫は1955年広島生まれだが、
ヒロシマの原爆について意識するようになったのは、
ドイツに留学中のことだったという。
そして、1989年、ベルリンの壁が落ちた年に
『ヒロシマ・レクイエム』を書く。
細川俊夫のほとんど唯一の表題音楽作品である。
 
これは、音宇宙4に収められているその『ヒロシマ・レクイエム』の
I楽章『前奏曲・夜』、II楽章『死と再生』に、
III楽章『冬の声』、IV楽章『春のきざし』、V楽章『梵声の声』の
3つの楽章を書き加えたもの。
 
聴いているうちに、静かだけれど、
ぼくの内になにか熱のある何かがこみ上げてくる。
決して声高ではないが、声高でないからこそ、
確かな響きがそこになにかの形を生み出してゆく印象がある。
これが「声なき声」の形を生み出す響きなのだろうか。
 
そういえば、細川俊夫自身の「楽曲解説」のなかにこうある。
 
        スコアの最初のページに次の言葉を引用させてもらった。
        『東洋文化の根底には、形なきものの形を見、声なきものの
        声を聞くといったものがひそんでいるのではないだろうか。
        我々の心はかくのごときものを求めてやまない』
                  西田幾多郎『働くものから見るものへ』の序文より
 
以下、石井誠士によるライナーノーツより。
 
         ナチス・ドイツの「安楽死計画」に関わり、のちに、行ったことを
        問われて、「私は考えてはならない、私は考えてはならない」と言い
        続けた医師があった。「ヒロシマ」の場合も、投下を命じた政治家も、
        投下を実行した飛行機の乗組員も、最後のところでは、同じ言葉を発
        するに違いない。のみならず、被災者たちも、細川の両親がそうであ
        ったように、そのことに固く口を閉ざそうとするし、原爆の記憶をも
        たない戦後世代の市民は、この町のそうした過去のことを考えまいと
        する。
         だとすると、「ヒロシマ」は、起こしたとき誰も考えられなかった
        し、起こったあとも誰も考えることをしない、それを前にして誰もが
        言葉を失う出来事なのである。だが、人類の自己破壊行為の「過ち」
        は繰り返される。人はやはり考えることをしなければならない。
 
        (…)
 
         細川の作品では、楽音ばかりではなく、噪音、それから静寂ないし
        沈黙も重要な意味をもっている。ケージの『4分33秒』では、静寂
        の中になおさまざまな音が聴かれた。しかし、細川では、音と沈黙は
        相関的である。楽音はもちろん、原爆の大炸裂音や、呼吸やそよ風の
        音も、沈黙から生じ、沈黙に帰る。
         しかし、徹底的に聞くという立場からは、あらゆる音が沈黙そのも
        の表現をなす、とも、逆に、すべての音が沈黙を蔵するとも言うべき
        なのであろう。鐘を沈めて月も照らない真っ暗な海。それはニヒリズ
        ムの象徴だが、そこに「声なき声」を聴く細川のこの曲は、一つの転
        換点に立つ、聴くことの新しい課題を示した作品である。
 


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