風のメモワール107

天使の歩廊


2008.12.4

第20回日本ファンタジーノベル大賞受賞作
中村弦『天使の歩廊/ある建築家をめぐる物語』(新潮社)から、
「建築」ということについて思いをめぐらしている。

 時は明治・大正の御世。
 孤独な建築家・笠井泉二は、
 依頼者が望んだ以上の建物を造る
 不思議な力を持っていた。
 老子爵夫人は亡き夫と過ごせる部屋を、
 へんくつな探偵作家には永遠に住める家を。
 そこに一歩足を踏み入れた者はみな、
 建物がまとう異様な空気に
 戸惑いながら酔いしれていく……。

この物語は、こういう話(扉での紹介)だが、
読み始めるとその世界にすっと入ってしまい
そこから出られないまま、次々とページをめくり、
そして読み終えても、不思議な余韻が支配している。
文章も構成も登場人物も、物語全体が
不思議な生きた建築物になっていて、
まるでそこに歩み行っていくような、そんな感じである。
「選考会開始直後に受賞(ほぼ)即決!」とあるが、
たしかに、こんな話を読まされたら文句なしだろうと思う。

日本ファンタジーノベル大賞というのは、
(「ファンタジー」という名称はちょっと抵抗もあるけれど)
たとえば、第1回が酒見賢一だし、
佐藤亜紀もその夫の佐藤哲也もこの賞の出身だし、
池上永一、宇月原晴明、森見登美彦などもそう。
恩田陸も候補になっていたりしたように、
けっこう面白い作家がでているんだなあとあらためて思う。

で、最初にも書いたように、この物語は読んでいるときも、
読み終えても、「建築」ということについて
さまざまに思いをめぐらしてしまうような作品である。
それを見越してか、本の最後には、
新潮社からでている建築に関する本が紹介されていて
そのなかの中村好文『意中の建築』というのに目がとまる。
(同じ「中村」というのが面白い)

これは、

 私の気持ちをくすぐり、瞼に焼き付いている「意中の建築」を
 訪ね歩き、その印象や魅力について思いつくままに綴ったもの

だということで、読んでみると、ちょっとやみつきになりそうな
そんな魅力にとりつかれそうな気持ちになる。

そういえば、ずっと以前は、
建築ということに興味をもったことはあまりなかったように思うが、
シュタイナーの建築に関する示唆あたりから
ぼくのなかで建築の持つ不思議な力についての関心が
少しずつ大きくなってきているように感じている。
そして、建築と音楽(というよりも幾何学的な響きだろうか)
ということについても、ぼくのなかのファンタジーが
開き初めているようにも感じることがある。
ユングが自分で建てた建物は
ユングのまさに魂の曼荼羅だったりもするように、
ぼくの魂の曼荼羅を形にするとしたならば、
いったいどんな形になるのかとかも考えてしまうし、
ぼくという存在がある種の変容を遂げるために必要な
外的な形(建築物や自然などのさまざまな形)などについても
思いをめぐらしてしまう。

今、バッハのオルガン(リヒターによる演奏)を聴きながら、
これを書いているのだけれど、
(オルガンの響きというのは、どこか建築的なイメージがある)
そんな、ぼくの深いところで響いている音楽が
建築の形をとって表現されたら、どんな感じになるのか
今夜、夢にでもでてくればいいが、とか思ったりしている。

ところで、まったくの余談だけれど、
建築といえば、不思議に思い出すドラマがある。
田村正和・木村拓哉・宮沢りえ主演の『協奏曲』。
そこででてくる建築のイメージがぼくにはとても魅力的に思えた。
その主題歌、バネッサ・ウィリアムズの『アルフィー』も
それ以来、ときおり聴きたくなる曲のひとつになっている。