風のトポスノート405 

 

批判と共感を超えて


2002.5.14

 

先日放送された「NHKスペシャル『奇跡の詩人』」は、
共感とともに批判もたくさんとびだしたようで、
番組のなかでもその取材風景が紹介されていた
日木流奈『ひとが否定されないルール』(講談社)も
最初の版などはあっという間に店頭からは姿を消し、
これまでにだされていた著書なども手に入らない状態になっているらしい。
 
批判の類は案の定の反応という感じでもあり、
その批判に対するコメントともいえるようなところは
新刊のなかにもちゃんと用意周到に書かれてあったりもして、
すごいな、とか思ったりもしているのだけれど、
やはり、気になるのは、
こうしたメッセージ性の強い番組や著書などが
持たざるを得ない性格なんだろうなと思う。
 
まず、今回出たような判で押したような批判は、
「賛成の反対」のようなもので、
日木流奈という存在とそのかなりはっきりしたメッセージに
強い「共感」が集まれば集まるほどに
どうしても出てきてしまう性格をもっているといえる。
 
そのメッセージは、ある意味で、
ちゃんと物事を考えることができる人であれば、
必然的にそう考えることになるであろう内容で、
それ以上でも以下でもないと思うのだけれど、
そうした内容が日木流奈という特別な状態にある存在からでてくるとき、
それはある種の色合いをもたざるをえないことになる。
しかも、それはかなり強い道徳性をもったメッセージなので、
そのメッセージは宗教的な磁力をもってしまい、
それへの依存のようなものが起こりやすくなる。
 
メッセージ内容をちゃんと読めば、
そういうことへの注意のようなものもちゃんと書かれてあって、
誤解しなければ済むのは確かなのだけれど、
依存的なタイプというのは、
自分でちゃんと考えないからこその依存であって、
誤解するのは手慣れたものなのでそれはなかなかに避けがたいだろう。
 
こうして、全国版のテレビに登場して、
マスコミという「世間」の風評にさらされてしまうことで、
そうしたいろんなタイプの「共感」と
それに対応して起こるであろう「反感」との間で
これからさまざまな現象が起きてくるのだろうという気がして、
ちょっと気が重くなってしまう。
 
ところで、日木流奈のメッセージというのは、
いわば光明思想の典型のような感じがしている。
だから、そこには闇のさまざまはほとんど姿を見せない。
闇が「否定」されているというのでもないのだけれど、
(今回の著書のタイトルは『ひとが否定されないルール』)
光と闇とが織りなす陰影はそこに姿を見せにくい。
そこが気になるところだといえばいえる。
おそらくそのメッセージとそれに対する反応を見ていく際に、
この観点は重要になってくるのではないだろうか。
 
しかし、日木流奈は自分を「サンプル」というように、
現代ではさまざまな典型的な「サンプル」がたくさんあって、
実際のところ、「心の教え」的なものは飽和状態の感がある。
飽和状態だからといって有効ではないというのではないのだけれど、
できればそろそろ「心の教え」的なものの繰り返しではなくて、
もう少し多様な広がりのほうを楽しめたらという気がしている。


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