風のトポスノート626

 

かるみ


2007.6.28

 

   芭蕉の死から三百年後、病苦にあえぐ子規は「悟りといふは如何
  なる場合にも平気で生きて居る事であった」と書いた。子規を支え
  たこの「平気で生きて居る事」という悟りは実は晩年の芭蕉が唱え
  た「かるみ」のことだった。子規自身は気がついていたかどうか。
  それは「俳句分類」という作業を通じて江戸俳諧から子規へとたし
  かに受け継がれたものだった。
  (長谷川櫂『俳句的生活』中公新書  2004.1.25発行/P.245)

「平気で生きて居る事」というのはすごいことだ。
しかも、「如何なる場合にも」なのだ。
平気で死んでいけるというのは、
ある意味、そんなにむずかしいことではない。

死んだらおしまいだと思っているのなら、おしまいにすればいいし、
おしまいでないとしたら、またあらたな展開がそこにあることになる。
死ぬときに味わう苦しみがあるとしても、
それは死の苦しみではなく、まだ生きている苦しみなのである。
それよりも、こうして生きていることのほうがずっとむずかしい。

「平気で生きて居る事」というのは
楽天的になにも考えないで生きているということではない。
むしろそこには、人生の悲しみが底流にある。

芭蕉の「かるみ」は、まさにその「平気で生きて居る事」だというのである。

   芭蕉の心の「かるみ」とはこのことだった。「かるみ」の発見と
  は嘆きから笑いへの人生観の転換だった。『おくのほそ道』の旅の
  途中、芭蕉が見出した言葉の「かるみ」はこうした心の「かるみ」
  に根ざし、そこから生まれたものだった。
   俳諧はもともと滑稽の道、笑いの道なのだ。とすれば、「かるみ」
  とは俳句の滑稽の精神を徹底させることでもある。そして、芭蕉の
  見出した「かるみ」はその後も時代を超え、言葉を変えて俳人たち
  によって脈々と受け継がれてゆく。
  (長谷川櫂『「奥の細道」を読む』ちくま新書 2007.6.10発行/P.29-30)

その「かるみ」への道程をたどるべく、
『奥の細道』を先日から読み返している。
ちょうど朗読テープ(寺田濃)をもっていたので
毎日、朝夕にじっくり聞きかえしてもみた。

すでに芭蕉が奥の細道紀行に出かけた歳を
ぼくは超えてしまっていることになるが、
(正岡子規などは、ほんとうに若くして亡くなっているが)
時代の違いは別としても、
やはり、歳を経ることでしか味わうことのできないような
なにかがあるのだということをこのところ感じることが多くなっている。

そのひとつが、この「かるみ」であるらしい。
「かるみ」の「滑稽」「笑い」は、
テレビのお笑い番組の逆のようなものではないだろう。
それは、「平気で生きて居る事」へ向かう道であるとはいえないだろうから。

この世は悲しいまでに美しい。
ようやくときにはそう思えるようになった。
その美しさを見出すために
ぼくはこの生まれて今までの数十年を費やしてしまったといえるかもしれない。
というのも生きることはあまりにも悲しかったから
その悲しみこそが美しさの根拠だということに気づくまでに
それだけの時間が必要だったというわけである。

真剣であるがゆえのユーモア、笑いもまたしかり。
そして、愛もまた。

禅者が雲からでる月を見て呵々大笑するように、
神秘学徒は、人生そのもののなかで笑いを絶やしてはならないだろう。
愛を絶やしてはならないように。
その笑いは、そして愛は、
あらゆる認識を深めることを通じてでてこなくてはならない。
あらゆるものの重さをの底をぶち抜いて
それを「かるみ」にしてしまうものでなければらない。

深刻さはどんな悲惨な状況においても「かるみ」を生むことはない。
もっとも深みのあるときこそ「かるみ」が必要となる。
そして、夢は枯野をかけめぐり、
また笑いも枯野をかけめぐることになる。

ちょうど偶然のように、石原吉郎のこんな言葉を見つけた。

   僕らは詩に対して真剣であり、同時にまたきわめて無造作で不
  まじめでありうる。そういうきわどい態度が成立しうるのは賭け
  としての詩作が、同時にこの二つの要素を持つからである。おそ
  らく熱心な賭博者ほど、無造作に賭けるだろう。人間が真剣でな
  ければならない時こそ、もっともユーモアを必要とする時だから
  である。
  (『海を流れる河』/『続・石原吉郎詩集』思潮社 所収 P.124-125)

ぼくのことばは、まだ「かるみ」を持ち得ていないのだろう。
そのことで、ときにぼくのなかでことばが氾濫を起こす。
「平気で生きて居る事」といえるほどに
「平気で言葉を使う事」ができるようでありたい。
「かるみ」への道程を辿るためのぼくなりの「奥の細道」に
出かける時期にもきているのかもしれない。