風のトポスノート669

 

必要不可欠な劣等機能


2008.10.11

 

トポスノート669◎必要不可欠な劣等機能(2008.10.11)

  劣等機能は必要不可欠な最も弱い機能であって、われわれは
  弱さや不可能であることを通じてのみ無意識やより低次の本
  能的世界や自分の仲間たちと結びつくのです。長所だけがわ
  れわれに独立を可能にするのです。そこでは誰をも必要とせ
  ず、自分自身が王様なのです。われわれは劣等性によってわ
  れわれの本能的な世界と同様、人類と結びついているのです。
  すべての機能を完全にすることは有益でさえありません。と
  いうのは、こうした状態は欠点のないまったくの無関心にも
  匹敵するのです。私は決して完全狂ではありません。私の原
  則は、「完全を期そうなどと考えては駄目です。しかし、そ
  れがどんなことであっても、まっとうしようとは努めなさい」
  ということです。
  (C.G.ユング『分析心理学』みすず書房/P.152)

ここで「劣等機能」といわれているのは、
思考ー感情、感覚ー直観という4つの心理機能において、
思考と感情がどちらも優勢であるとか、
感覚と直観がどちらも優勢であるというように
すべてを同じように分化させることはできず、
思考か感情でいえば、どちらかが優勢でどちらかが劣勢、
感覚と直観でいえば、どちらかが優勢でどちらかが優勢である、
という意味での「劣等機能」ということである。

ここで気をつけなければならないのは、
ユングは感情よりも思考が合理的で高次であるとかいうのではなく、
感情と思考はどちらも同等でありかつ合理的であるといっていることである。
その意味で、感情も低次の分化していない機能の場合も、
また非常に分化を遂げたいわば高次の機能を発揮する場合もある。
思考についても同様である。

さて、人は自分の優勢である心理機能に関しては、非常に「独立的」であるが、
逆に劣勢である心理機能に関しては、その低次のものと結びついている。
いわば、影や無意識の世界と深いつながりをもっているのである。
そしてその世界を克服しようとする努力のなかで、
みずからの「個性化」をはかる道を歩むことが可能となる。
その逆説的にも見えることは、思いのほか大きな意味をもっているように思える。

このことは、なぜ私たちがこの地上に生まれてくるか、という
その意味にも深く関わってくるからである。
もし私たちが「完全」であるとすれば、
この地上において「世界」や他の人たちと結びつく必要はなくなる。
私たちはそれぞれの劣等機能を通じて
「世界」や他の人たちと結びつくことができるのである。

その意味で、私たちが「個」であるということは、
「完全」であるということを意味しない。
「個」としての「自我」をあえて屹立する進化プロセスを歩んでい
るのは、
実際のところ、完全や全体からの分離を意味することになるわけだが、
その分離というのは、みずからの劣等機能とともに生きることでもあり、
またその劣等機能を克服しようとする努力に向けてのベクトルでもある。
そしてそれゆえにこそ「自由」と「愛」が可能となる。

しかし、決して完全であることはできないからといって、
その劣等機能を放置し、影から、無意識からの攻撃を受け続けるのでは、
人間の成長はない。
「それがどんなことであっても、まっとうしようと」「努め」ることが
きわめて重要な態度なのである。

そうした、分離と統合という矛盾するもののなかを
こうして生きるということが、人間であることなのではないか。
そんなことを強く感じる昨今である。