風のトポスノート682

 

エッジ


2008.12.24

 

  エッジについてお話ししたいと思います。エッジとは、知覚に対するフィ
 ルター、障壁です。それを越えたらもう自分ではなくなる、それ以上は自分
 には不可能だと思う限界を示しています。また、それは、ある瞬間における
 特定のチャンネル内での能力を示しています。
  エッジは自分一人でワークする際の核になります。なぜなら、エッジにさ
 しかかると自分の知覚を見失うことになるからです。みなさんはそこに何ら
 かのシグナルや感覚があるような気がするかもしれませんし、それについて
 なんとなく知ってさえいるでしょうが、何らかの理由でそれを受け入れられ
 ません。そこで私たちは混乱することになるのです。私たちはどこに何かが
 あることを知っているのですが、そのすべてに気づいているわけではありま
 せん。エッジでは、ものを忘れ、困惑し、混乱するのです。
 (・・・)
  あなたの身体症状はすべて、アイデンティティ間の拮抗状態の場で生じま
 す。それはエッジにまつわる現象の一部なのです。ところで、もしあなたが
 身体症状を創り出したいと思うならば、エッジに近づき、それを越えないよ
 うにするすることです。もしあなたが試してみたければの話ですが、これが
 病気になるいちばんの近道です。もちろん、私たちはいつもこれをやってい
 るのですが!
  病気になるためのプログラムを理解していれば、病気から回復する方法も
 わかるはずです。基本的には、そのプログラムをひっくり返せばいいのです。
 エッジにとどまり続けるのではなく、それを越えてみるのはどうでしょうか。
  エッジを越える方法はたくさんあります。もしエッジを橋のようなものと
 して考えるなら、その橋を越える方法の一つは、その橋を渡ることを想像し
 たり、夢見たりすることです。しかし夢みるだけでは必ずしもうまくいくと
 はかぎりません。というのも、夢というのは一種の変成意識状態での現象だ
 からです。自覚を保ちながら視覚化するほうが、方法としてはいいでしょう。
 (アーノルド&エイミー・ミンデル『うしろ向きに馬に乗る』春秋社/P.50-55)

自分が自分であることをある程度意識化できる知覚と
意識化できないでいる知覚の境目というのがあって、
その境目というか峠を越えてしまうと
見たくないものを見させられてしまう。
だから、見ない、見たくない。
つまり、それが自分だとわかってしまうと
自分が自分ではなくなってしまう、という恐れがある。

もちろん、なんでも超えればいいというものではなくて、
見ない、見たくないというのには、
それなりの理由があってそうなっているわけだから、
境目をむりやり壊してしまうと、
その人がその人であることをやめてしまうかもしれないわけである。
だから、その人が自分でその境目をなんとかしようと思ってそうする、
というのがいちばんいいけだけれど、
いつまでもそれを待っているわけにもいかないわけで、
だから、病気になってみたり、さまざまな問題が起こってみたりもして、
その強固な境目の壁を壊そうとしてみたりもする。
(おそらく壊そうとしているのは、意識化できないでいる自分の一部)

おそらく生きているうちに
そうした、自分なりの境目を超える作業ができると
その部分のマイナスのカルマ的連関はクリアされることになるのだろうが、
境目を超えない部分があると、
それはマイナスのカルマとなって、
(その後の転生も含め)生きているうちにクリアできるまで、
繰り返し繰り返し、さまざまな問題として
まるで外から襲ってくるように起こってくることになるのだろう。

だから、少しでも、なにか、
現在起こっている問題を解きほぐそうとするならば、
その問題がいつもひっかかっている部分をなんとか見出して、
その壁を超えるためにはどうすればよいかを検討したほうがいい。
もちろん、見たくないからこそ、そうなっているわけで、
見たくないものを見ようとするのは、相当におそろしいことだけれど、
自分のほんとうの顔をまっすぐな鏡に映してみて、
それなりにその現実を見据えてみることでしかなにもはじまらないのは確かであ
る。
つまり、自分が苦手である、というのには、それなりの理由があって、
それがまったく自分にとってどうでもいいことであればいいが、
それにこわだって、そのことを考えようとするだけで、
さまざまなマイナスの感情やコンプレックスが刺激されるのであれば、
やはりそれをそのまま放置しておくと、それは
マイナスの思いがつくりだしたエレメンタルをも吸収し、
雪だるま式に肥大化しかねないのである。

ひとからそうした
ぼく自身が見たくないものを指摘されるというのは
たいへんに辛いことだし、
それに感情的に反発してしまうことになるのは必定で、
だからこそ、さまざまな問題が起きてくれているのだと理解し
それをきっかけにして、自分で気づくことができるほうがいい。
その意味で、ミンデルのワークというのは、大変に有効であるように思う。