note02:人智学的幾何学と対極性

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間の根底に理念的に存在しているもの、それは立方体の硬い形態は直交する三つの
方向と結びついてはいません。近代幾何学は、空間を形成するものの内へ、生成する空
間の理念の内へ入り込んでいきます。その空間理念の内には、霊的自然認識へ向かうた
めの重要な意味があるのです。自然を霊的に認識するためには、形成されたものにだけ
ではなく、まさに生成しつつあるものにこそ目を向けねばなりません。
 そのためには、まずは完成された空間の呪縛から解き放たれなければなりません。し
かし空間的なものをすべて退けてしまうなら、その課題も果たされることはないでしょ
う。認識の架け橋が必要です ー 空間のなかへ生成ー消滅していくものに対する科学、
内的本質と空間現象とのあいだのいきいきとした移行に関する科学の架け橋が。そのよ
うな架け橋は、ある領域から、アントロポゾフィーの認識によって深められた新しい幾
何学として差し出されています。(P.11)
 この幾何学は(…)対極性(分極性)を起点にしています。そしてこの対極性のなか
では、空間の物質的な相は空間の一面を示しているにすぎません。物質的な空間に対し
て対極的な相にある、エーテル的な空間が存在します。物質空間とエーテル空間とを対
比しつつ述べることによって、そう。天と地あるいは太陽と地球ということばを語るこ
とによって、この幾何学の理念的根源が、霊的かつ現実的に把握されることになるので
す。(P.11)
 本書では、立方体に象徴される地球空間の完成された形態に先行する、空間の根源的
な相とかかわることになります。この空間のそのような相には、第一に“内と外”という
ことばをあてがうことができます。(P.11)

<note02>

◎私たちは、通常、この物質空間を縦・横・高さの三次元空間としてとらえているが、
「空間の根底に理念的に存在しているもの」はそうした三次元空間としてとらえることはできない。
◎もちろん、空間的なものをまったく外して理解しようとするのではなく、
重要なのはその縦・横・高さの三次元空間、「立方体に象徴される地球空間」という
認識の呪縛から自由になることが重要である。
◎空間の理念をとらえようとするならば、「生成しつつあるもの」、
「空間のなかへ生成ー消滅していくものに対する科学」に目を向ける必要がある。
◎そして、そうすることで、「霊的自然認識」へと向かうことができる。
◎人智学的な認識によって深化させられた幾何学は、
通常の空間認識と空間の内的本質を結ぶための「認識の架け橋」となり得る。
◎人智学的な幾何学は、「対極性(分極性)」を起点としている。
◎その「対極性」とは、エーテル空間と物質空間、天と地、太陽と地球、内と外といった対極によって把握される。
◎そうすることで、「空間の根源的な相」と関わることができる。
◎しかし、こうした人智学的な幾何学認識に向かうということは、
通常の対象認識とは大きく異なった認識が必要となるため、
理解の難しいところが多々でてくるのは避けられないのではないかと思われる。
対象のないものを理念的に把握しようというのだから、
きわめて素朴に、あらかじめ私たちにプログラムさえているような物質ー空間認識ではまったく理解できなくなる。
少なくともシュタイナーのいう、いわゆる「対象のない思考」が不可欠となる。
◎私たちは、小学校とかでもすでに算数の時間で、
「線に太さはない」ということを教えられたはずだが、そのときそれが理解できていたかは疑問である。
先生もおそらくはそれがどこまで理念的に理解していたとは限らない。
◎富松保文『アリストテレス/はじめての形而上学』(NHK出版/2012.6.30)でも、
最初に「線をめぐる問い」からはじまっている。
「太さがまったくないのだから、それは描くこともできなければ見ることもできない。
線だけではない。面に厚みはないし、点にはどんな広がりもないという。ーーほんとうだろうか。」と。
◎その著書で、ユークリッドの『原論』は、いきなり23個の「定義」が列挙されているそうだ。
その最初の6つは、次の通り。
 1 点とは、部分をもたないものである。 2 線とは、幅のない長さである。 
3 線の端は点である。 4 面とは、長さと幅のみをもつものである。 6 面の端は線である。
 立体と面の関係についても、次のように定義されているという。
 1 立体とは長さと幅と高さをもつものである。 2 立体の端は面である。
◎富松保文の著書の第三章は「線とウーシア~アリストテレスは点・線・面をどう考えたか」であり、
上記の問題について、アリストテレスの見解が紹介されていて、興味深い。
ちなみに、「ウーシア」というのは、
「もはや他のいかなる基体〔主語〕の述語ともなりえない究極の基体〔個物〕」であり、
「形」である「型」のこと。
◎アリストテレスの見解について、詳しくここで説明することはできないが、ポイントだけをいっておくと、
アリストテレスは、点、線、面について「可能態」と「現実態」を区別する。
つまり、立方体のなかにはあらゆる形態が「ある」がそこにはまだ実際の形としては「ない」。
具体的な形として現実的に存在したときにそれは現実化するということ。
また、アリストテレスは、点、線、面は時間における「今」と同じようなものだという。
ある種の区切りのようなもの。では、時間とはいったい?という問いにもつながっていくのだけれど、それは省略。
◎このように、幾何学的認識というのは、
目の前にあるかないかというだけで理解することはできないが、
だからといって通常の空間認識をまったく取り払って考えていくわけにもいかない。
最初にもあったように、通常の空間認識と空間の内的本質を結ぶための
「認識の架け橋」として人智学的幾何学を位置づける必要がある。