note03:
太陽的(エーテル的)なものと
地球的(物質的)なものとのあいだにある対極性

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 太陽的ーエーテル的なものと地球的ー物質的なものとのあいだにある対極性は、今日
でもなお、生きている自然界でも(…)“死に至った”鉱物界でも作用しています。ここ
で述べられている“太陽”は、現在の太陽のように宇宙空間にひとつの“位置”を占めてい
る天体ではなく、星々の光に満ちた天球全体を意味しています。(…)
 太陽的なものと地球的=物質的なものとのあいだにあるこの対極性を、私たちは自身
の存在の内に担っています。私たちはこの対極性を、幾何学的思考のなかで自然なかた
ちで体験しています。このことこそが、近代幾何学の基礎をなす基本的な体験なのです。
(P.12)

<note03>

◎この『エーテル空間』でもっとも重要なポイントになるのは、
「太陽的ーエーテル的なものと地球的ー物質的なものとのあいだにある対極性」。
◎ここで注意が必要なのは、ここでいう「太陽」は空で光を放っている
太陽系の中心である恒星の太陽のことではないということ。
◎それは「天球全体」、つまりは「天」「天空」のことで、
ただ空の太陽とこの地球の対極をイメージすると、物質的な太陽ー地球ということになってしまい、
ここでいう「対極性」のことがわからなくなってしまう。
◎さらに重要なのは、この「太陽的(エーテル的)なもの」と「地球的(物質的)なもの」の対極は、
私たちの外にある世界の対極だというだけではなく、
私たちの内的な意味での「対極」でもあるということを理解するということ。
◎そして、そのいわば内在する対極性を私たちは幾何学的思考のなかで体験している。
マクロコスモスにおける対極性は、ミクロコスモスにおける対極性に照応しているということなのだと思う。
◎こうした視点で重要なのは、素朴に私たちのまわりに物質世界がひろがっていて、
ここに地球が惑星としてあって、それが物質としての恒星である太陽のまわりをまわっている・・・
というイメージから自由になることである。
地球、太陽を物質的世界観から切り離して理解する必要がある。
◎「エーテル空間」の「エーテル」ということにしても、
通常の物質的世界観においては位置づけられない次元のものであり、
通常の科学主義的な発想のなかではまったく考慮されないもので、
生命的な次元が物質的な次元からしか見られなくなってしまう。
ある意味、人智学的=精神科学的な視点を理解するにあたっては、
通常の科学的視点を踏まえながら、それを拡張できるような、
そして場合によっては通常の科学(主義)的な視点に問いをなげかけ、
視点の変更を行うとうことがとても重要になってくる。
◎シュタイナーのいう土星紀、太陽紀、月紀、地球紀・・・という
地球の転生やそれにともなった物質、エーテル体、アストラル体、自我の変容、進化といったことを
理解するにあたっては、自分が思い込んでしまっている世界観をいちど根底から見直してみる必要に迫られる。
実際、私たちは現在常識として持っている世界観=宇宙観がどれほどの根拠をもっているかを問い直すだけで、
新たな世界観=宇宙観に対する許容度は大きく拡がってくると思う。
実際、まさに世界観=宇宙観を根本的なところから見直すということがなによりも重要なことである。