note07:
エーテル空間
内包的なものを外延的に、外延的なものを内包的に体験すること(点と平面)

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 かつてルドルフ・シュタイナーが語ったように、私たちは内包的なものを外延的に、
外延的なものを内包的に体験することができなければなりません。ここではこのことこ
そが重要なのです。外延的なものを内包的に体験すること、それは平面を一元的な全体
として体験することです。また、内包的なものを外延的に体験すること、それは構成さ
れているものとしての点を体験することです。(P.16)
 点を構成する要素とは何なのでしょうか?それは点を通り抜けていくすべての平面で
す。平面が点に分割することができるように、点もまた平面に分節することができます。
平面が無数の点から成る無限の有機体として現れるように、(…)空間のなかのひとつ
の点は、無数の平面から成るひとつの有機体として現れます。(P.16-25)
 物質的な空間意識は、“全体は部分よりも大きい”と主張します。これはたとえば、平
面は点に分割される、ということに当たります。しかしエーテル的な世界では、これと
まったく反対のことが言えるのです。
 つまりそこでは、全体はその部分に対して最大のものではなく、反対に最小のものな
のです。(P.16)

<note07>

◎「エーテル空間」においては、「内包的なものを外延的に、外延的なものを内包的に体験」しなければならない。
◎「内包」「外延」というのは、 論理学の用語。「外延」は、ある記号・概念の示す具体的な対象ないし、その集合。
別の言い方をすれば、ある概念を類とみたとき、それに含まれる種のすべてのこと。
また、「内包」は、ある記号・概念の対象を規定する性質であり、種に共通する性質。
外延的な説明と内包的な説明を比較するならば、
たとえば、「集合 A は {2, 4, 6, 8, 10} からなる」というのは、外延的説明であるのに対して、
「集合 A は 10 以下の偶数である」というのは、内包的説明である。
◎「内包的なものを外延的に、外延的なものを内包的に体験」すると、部分と全体の関係が変化してくる。
部分が全体になり、また全体が部分になる体験となる。つまり、全体が最小となり、部分が最大となる。
◎従って、外延的な「平面」の構成要素の集合は、内包的に「一元的な全体として体験」され、
内包的な「点」は逆に「構成されているものとして」とらえられなければならない。
◎そして外延的にとらえられた「点」を構成する要素は、「点を通り抜けていくすべての平面」である。
◎つまり、「平面が点に分割」できるように、「点もまた平面に分節」できる。
◎そして、「ひとつの点」は、「無数の平面から成るひとつの有機体として現れ」る。
◎「物質的な空間意識」では、「平面は点に分割される」が、「エーテル的な世界」では、点は平面に分節される。