■GA1 ゲーテの自然科学論序説〜並びに、精神科学(人智学)の基礎〜 |
■GA2 ゲーテ的世界観の認識論要綱 |
■GA3 真理と科学〜自由の哲学の序章として〜 |
■GA4 自由の哲学 〜近代の世界観の概要−自然科学的方法による魂の観察結果〜 |
■GA4a 「自由の哲学」に関する記録 |
■GA5 フリードリッヒ・ニーチェ、同時代との闘争者 |
■GA6 ゲーテの世界観 |
■GA7 近代の精神生活のはじまりにおける神秘主義とその現代の世界観への関係 |
■GA8 神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀 |
■GA9 神智学〜超感覚的世界の認識と人間の使命への手引き |
■GA10 いかにしてより高次の世界の認識を得るか? |
■GA11 アーカーシャ年代記から |
■GA12 より高次の認識の諸段階 |
■GA13 神秘学概論 |
■GA14 4つの神秘劇 |
■GA15 人間と人類の霊的導き〜人類の進化に関する精神科学の成果 |
■GA16 人間の自己認識への道〜八つのメディテーション |
■GA17 霊界の境域〜アフォリズム的な詳論 |
■GA18 哲学の謎〜哲学史概説 |
■GA19(大戦の間の思索)→GA24に編入 |
■GA20 人間の謎について |
■GA21 魂の謎について |
■GA22 ゲーテの精神様式 |
■GA23 社会問題の核心〜現代と未来を生きるのに必要な |
■GA24 社会有機体三分節化及び1915〜1921年の時代状況に関する諸論文 |
■GA25 宇宙論、宗教、哲学 |
■GA26 人智学指導原則/人智学の認識の道/ミカエルの秘儀 |
■GA27 精神科学的認識に向かう医学を拡充させるための基礎となること |
■GA28 わが人生の歩み |
Einleitung zu Goethes Naturwissenschaftlichen Schriften
Zugleich eine Grundlegung der Geisteswissennschaft(Anthroposophie)
ルドルフ・シュタイナーが1884年から1897年にかけて、キュルシュナーの「ドイツ国民文学」のゲーテの自然科学論集のために書いたもの。ゲーテの世界観の方法について書かれているこの論集は、シュタイナーの認識論の出発点となっていて、その全営為を展開させることになるものです。
シュタイナーは、この著作に見られるように、アカデミックには、ゲーテ全集のなかの自然科学論集の担当として、その註釈などを行うことから出発しています。この業績に関しては、現在でも、ゲーテの自然科学論を参照する際にはもっとも基本となる資料です。最近、色彩論や形態学など、ゲーテの自然科学の業績が、見直されていますが、ここにシュタイナーの原点があるということは、再認識が必要だと思われます。
シュタイナーといえば、日本では、「シュタイナー教育」ばかりが、その形だけ紹介されているといっても過言ではないですが、やはり、そうした一面性のみでシュタイナーの思想を理解することはあまり実り多いものではないといえるのではないでしょうか。シュタイナー教育は、ある意味ではシュタイナーの神秘学実践の集大成でもあると思うのですが、だからこそ、形骸化した一面的な理解に基づいた紹介のされ方は、望ましいとは思われません。
Grundlinien einer Erkenntnistheorie der Goehteschen Weltanschauung,mit besonderer Ruecksicht auf Schiller (1886)
Zugleich eine Zugabe zu Goethes <Nuturwissenschaftlichen Schriften>in Kuerschner<Deutsche National-Literatur>
*邦訳
●ルドルフ・シュタイナー「ゲーテ的世界観の認識論要綱」
(浅田豊訳/筑摩書房/1991.6.10初版第一刷発行)
シュタイナーは1879年にウィーン工科大学自然科学の勉強をはじめたのですが、ゲーテ研究家として知られていたカール・ユリウス・シュレーアーの推薦で1882年にキュルシュナー「ドイツ国民文学叢書」の中のゲーテ自然科学論集の編集発行の委託を受けました。その過程のなかから生まれてきたのが本書であるといっていいと思います。ちなみに、本書は1886年に出版されています。
この論考は、その後、シュタイナーの哲学的主著である「自由の哲学」として発展していくわけですが、ここには、すでに「人智学」の理念的基礎があります。
ちなみに、神秘学としての主著である「神秘学概論」でも、この本に次のように言及されています。
精神科学の伝達をとおして感覚性から自由な思考へと導く道は、まったく確かなものである。もうひとつ確かで、なによりも正確な道があるが、その道は多くの人にとって難しいものである。その道は『ゲーテ的世界観の認識論要綱』と『自由の哲学』に述べられているものである。これらの本には、思考が物質的−感覚的外界の印象に没頭するのではなく、ただ思考そのものであるときに、人間の思考が獲得しうるものが述べられている。感覚的なものの思い出に耽るのではなく、純粋思考が生命的な存在のように活動する。これらの著作には、精神科学の伝達はなにも含まれていない。純粋な、みずからのなかで活動する思考が、世界と人生と人間について解明しうることが示されている。これらの著作は、感覚界の認識と霊的世界の認識の、非常に重要な中間段階にあるものである。思考が感覚的観察を越えていきつつ、まだ霊探求に入っていくことを避けているときに、思考が獲得しうるものを提供している。これらの書物を魂全体に作用させる者は、すでに霊的世界のなかに立っている。ただ、霊的世界が思考世界として現れるのである。このような中間段階を自分の中に作用させる者は、確かな道を歩んでいる。そして、そうすることによって、高次の世界に対する感情を獲得することができる。その感情は、以後ずっと、すばらしい成果をもたらすであろう。
(ルドルフ ・シュタイナー「神秘学概論」
西川隆範訳/イザラ書房/1992.10.30初版発行/P322-323)
興味深いのは、訳書の「ゲーテ的世界観の認識論要綱」の巻末にある「訳者あとがき」で、浅田豊が西田幾多郎とシュタイナーの「純粋経験」を比較していることです。興味のある方は、ぜひお読みいただければと思います。
Wahrheit und Wissenschaft
Vorspiel einer <Philosophie der Freiheit>
最初1892年に「真理と学問」というタイトルで認識論に関する学位論文として書かれたものにシュタイナーは「自由の哲学の序章として」と副題をつけました。というのは、後の著作の中心的な問題がここには核として含まれているからです。
●主な内容/
・カントの認識論の根本問題
・認識論の出発点
・認識と真理
・前提条件のない認識論とフィヒテの科学論
・認識論と実践的な推論考察
シュタイナーの認識論に関しては、邦訳では次の著作を参考にされるといいかと思います。
●高橋巌「シュタイナー哲学入門」(角川選書/平成3年5月31日初版発行)
この本は次のような章で構成されています。
1.神秘学と哲学
2.カントとフィヒテ
3.ドイツ・ロマン派
4.ヘーゲルとその学派
5.思想家ゲーテ
6.ブレンターノとシュタイナー
7.シュタイナーの哲学
Die Philosophie der Freiheit
Grundzuege einer modernen Weltanschauung
- Seelische Beobachtungsresultate nach naturwissenschaftlicher Methode
*邦訳/
●ルドルフ・シュタイナー「自由の哲学」(高橋巌訳/イザラ書房)
1894年に出されたシュタイナーの哲学的主著であって、同時に人智学的な精神科学の基礎でもあります。 この著でシュタイナーは、認識プロセスと倫理の根本問題を論じています。
人間がその本性を完全に展開しようとするならば、善と名づけられるものは、人間がそうすべきものではなく、そう意志するものなのである。(本文より)
シュタイナーは後年、自分の他の著書がすたれても、この本だけは残るだろうと言ったということですが、それほどの重要な著作であることは間違いないと思います。
●主な内容(目次)/
自由の科学
・意識的な人間の行動
・科学への根本衝動
・世界理解のために使われる思考
・知覚としての世界
・人間の個性
・認識の限界はあるか?
自由の現実性
・生の諸事実
・自由の理念
・自由の哲学と一元論
・世界の目的と生の目的
(人間の行方)
・倫理的想像力
(ダーウィン主義と道徳)
・生の価値
(厭世主義と楽観主義)
・個性と種類
究極の問いかけ
・一元論の既決
・第一の補遺
・第二の補遺
〜1918年の再版に関する自筆書き込み付の1894年初版の複製と別の資料〜
Dokumente zur <<Philosophie der Freiheit>>
Faksimile der Erstausgabe 1984 mit den handschriftlichen Eintragen
fuer die Neuausgabe 1918 und weitere Materialien
この巻には、シュタイナーの遺稿管理局の書庫からの「自由の哲学」に関する全資料が収められています。
Friedlich Nietzsche,ein Kaempfer gegen seine Zeit (1895)
*邦訳/
●ニーチェ〜同時代との闘争者〜(樋口純明訳/人智学出版社/1981.7.15発行)
日本では、おそらくシュタイナーがニーチェを読み込んでいたというイメージはあまりもたれていないのではないでしょうか。このニーチェに関する研究書は、発行年代をみればわかるように、ニーチェ(1844-1900)の存命中に発行されたもので、ニーチェの研究書としてはかなり早い時期にだされたものです。
シュタイナーは、ニーチェ著作集の最初の編集者であるフリッツ・ケーゲルと共にニーチェ文庫に出入りしながら、自由に資料を参照しながらこの本を書き進めていたようです。
この本の主な内容を目次からご紹介しておくことにします。
第一部 ニーチェ −−同時代との闘争者−−
1 特質
2 超人
3 ニーチェの発展の歩み
第二部 1900年の3つのニーチェ論と『私の生涯の歩み』からの一章
精神病理学的問題としてのニーチェ哲学
ニーチェの人格と精神病理学
ニーチェの人格 −−追悼公演−−
『私の生涯の歩み』第18章より
上記の目次をみればわかるように、1895年に出されたのはこの第一部の部分です。
さて、せっかくのシュタイナーのニーチェ論ですから、邦訳の「訳者あとがき」から、シュタイナーのニーチェ観に関する部分を少し。
シュタイナーの解釈によれば、ニーチェは同時代を席巻しつつあった自然科学の唯物論を、己の観念的思考法の内に取り込み、そのため生じた矛盾に大いに苦しんだあげく、進化論からは「超人」思想を、そしてエネルギー総和の一定説からは「永劫回帰」の思想を生み出さざるをえなかった「同時代との闘争者」なのである。これがニーチェの創造の悲劇であり、「かつて幻想の中や理想的世界の中に獲得したと思っていた」観念を、「現実自体の中から取り出そう」とした矛盾による苦悩が、ニーチェの「現存在の苦悩」なのだと、シュタイナーは考えたのだ。シュタイナーが排した永劫回帰の「神秘主義的」解釈の方向は、後の実存主義的解釈の流れに向かうものであるともいえる。論理の明確な一貫性があれば、ヘッケルの唯物論のごとき正反対の思想をも、同じ土俵上の好敵手として迎える彼であるが、逆に比喩や逆説の多義的な広がりを擁した「神秘主義」は容れることができなかったのであろう。これは彼自身の「神秘思想」が、彼にとって観念ではなく事実に基づいていることの表れでもあるようだ。また彼のこの「神秘主義」の拒絶は、『私の生涯の歩み』を読めば明らかのように、ニーチェの魂の状態の霊視もその根拠の一つになっている。
シュタイナーがなぜ神秘主義に批判的だったかということ、そして神秘主義を神秘学と混同される向きに対しては、繰り返しその誤解は、無理解からきているものであることを強調しています。
そうした話題はさておいて、とにかくここでは、シュタイナーが同時代の思想に対して敏感でありつつ、若き時代からみずからの歩みを着実に歩んでいたということをここでは確認しておきたいと思います。
余談ですが、ニーチェは音楽に造詣が深くて、歌曲なんかもつくっています。フィッシャー・ディスカウの歌っているニーチェ歌曲集のCDが発売になっっていたりもしていて、懐かしさと好奇心から買って聴きましたが、けっこう面白かったです。興味のある方は、ツァラツストラはかく語りき、など読みながらでもどうぞ。
■ニーチェ:歌曲とピアノ作品/フィッシャー・ディスカウ(PHCP-5349)
Goethes anschauung (1897)
*邦訳/
●ゲーテの世界観(溝井高志訳/晃洋書房/1995.3.31発行)
この書物で私が試みたゲーテの世界観の叙述は、長年にわたって私がゲーテの精神生活をきた結果得られたものを1897年にまとめたものである。
この本で私が表明している考えは、私がゲーテの世界観において観察してきた基礎を確認するものであるはずである。長年にわたって、私は繰り返しこの世界観像を考察してきた。自然が、その本質と法則について、ゲーテの鋭敏な感覚と精神の器官に対して明らかにしてきたことを見てみることは、私にとって刺激的なことであった。
ゲーテの文学の完全な内容を理解しようとするならば、彼が自然の現象から受けとっていた印象を知らなければならない。彼が創造の本質と生成から聞き取っていた秘密は彼の芸術的な創作の中にも生きており、それは詩人が自然について語っていることに耳を傾ける者にのみ明らかになる。ゲーテの自然観察に無知なものには、ゲーテの芸術の深みに入り込んでいくことはできない。
シュタイナーが「ゲーテの世界観」をどのようにとらえていたかを知るのに格好の本であって、邦訳もとてもきちんとしたものなので信用がおけます。
この邦訳は、かなりマイナーな出版社からでているためか、あまり知られていないように思いますが、もっと注目されていい本だと思います。
どうしても「神秘学」というイメージからは、オカルティックなものばかりに目が行きがちなのですが、シュタイナーの神秘学に近づくためには、物事をきちんと観察し考える力を身につけておく必要があるのではないかと思います。そういう意味でも、「自由の哲学」や本書などを読み込んでいくことはかなり大きな力になるのではないでしょうか。
●内容(目次)
西洋の思想史におけるゲーテの位置づけ
・ゲーテとシラー
・プラトン的な世界観
・プラトン的な世界観の帰結
・ゲーテとプラトン的世界観
・人格と世界観
・世界現象のメタモルフォーゼ(変態)
自然と生物の発展についての見解
・変態論
色彩世界の考察
・色彩世界の現象
地球の発展史と大気現象についての思想
・地球の発展史についての思想
・大気現象についての思想
ゲーテとヘーゲル
・ゲーテとヘーゲル
Die Mystik im Aufgange des neuzeitlichen Gesiteslebens
und ihr Verhaeltnis zur modernen Weltanschauung (1901)
*邦訳/
「神秘主義と現代の世界観」
(西川隆範訳/白馬書房/1989.8.10発行--現在は「水声社」で発行)
本書は、1900年10月6日から翌年の4月27日にかけて、ベルリンの神智学文庫で行われた27回の公演の内容をベースに、1901年9月に単行本として出版されたものです。
こうした活動を始める前のシュタイナーは、ゲーテ研究家、哲学者、文芸・演劇評論家として活躍していたのですが、霊的な事柄について語る場を持ちませんでした。神智学文庫という場を見出したシュタイナーは、ようやくそこで霊的な問題を語り始めたわけです。そういう意味で、この本は、自由の哲学の観点を前提としながらいわゆる神秘主義はどうとらえられるのかということを考えるためにはかなり重要な著作であると思われます。
「初版へのまえがき」にシュタイナーは次のように述べています。
本書のなかで私は、自然科学的世界観の信奉者も、神秘主義の正しい理解に導く魂へと向かう道を探求しうることを示そうとした。さらに進んで、「真の神秘主義の意味において精神を認識した者だけが、自然のなかの事実を完全に理解できる」と、私はいおう。ただ、真の神秘主義を、「奇跡信仰」に混乱した頭脳と混同すべきではない。いかに神秘主義が迷路に迷い込みうるかは、『自由の哲学』第八章「人生の諸要因」に書いた。
神秘主義から抜け出る道を知るためにも、格好の書だといえます。
●主な内容/
マイスター・エックハルト
神の友
ニコラウス・クザーヌス
アグリッパ・フォン・ネッテスハイムとパラケルスス
ヴァレンティン・ヴァイゲルとヤーコプ・ベーメ
ジョルダーノ・ブルーノとアンゲルス・シレジウス
Die Mystik im Aufgange des neuzeitlichen Gesiteslebens
und ihr Verhaeltnis zur modernen Weltanschauung (1902)
*邦訳/
「神秘的事実としてのキリスト教と古代密議」
(石井良訳/人智学出版社/1981.3.30発行)
本書は、1901年から1902年にかけてベルリンで行われた公演をシュタイナー自身がまとめて刊行したものです。
訳者あとがきにある次のような記述が、適切な紹介になっていると思われますので、それを紹介することにします。
『神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀』は、『自由の哲学』(1894)と並んで、シュタイナーの世界観の基礎となる著作である。『自由の哲学』が「以後の著作の哲学的基礎づけ」であるとすれば、本書はキリスト教ないしキリストについてのシュタイナーの思想の不可欠の前提をなすものであるといってよいだろう。(中略)シュタイナーは、ここで、音楽の精神からする悲劇の誕生ならざる密儀の伝統よりするキリスト教の誕生という視覚から、きわめて客観的(但し、主・客対立の二元論的意味ではない)にキリスト教の成立を精神的次元であとづけている。キリスト教を神秘的事実として把握することと同時に、その事実を神秘的ないしは精神(霊)的次元で捉えることが本書の特徴をなしており、この認識方法についても本書は、のちの精神科学的認識方法の先駆をなしている点で重要である。
この紹介にあるとおり、シュタイナーの思想の重要な部分として、キリスト論というのは欠かすことができないものです。シュタイナー教育について云々する場合でも、それは同様です。キリスト教及びキリスト論に関するシュタイナーの講義はたくさんあって、福音書や黙示録などのものなども有名なのですが、そうしたものの出発点を見る意味でも、この著作を読んでおくことはシュタイナーの思想を理解するための基礎になってくれると思います。
なお、訳者のシュタイナー理解は適切で、訳も偏らないで、しかもバランスの良いかなり良質なものだと思いますので、日本語でも安心して読むことができます。
●主な内容/
・第一章 異なる観点
・第二章 密儀と密儀的智
・第三章 プラトン以前のギリシアの賢者
−−密儀的智に照らして−−
・第四章 神秘化プラトン
・第五章 密儀的智と神話
・第六章 エジプトの密儀的智
・第七章 福音書
・第八章 ラザロスの奇跡
・第九章 ヨハンネスの黙示
・第十章 イエススとイエススの歴史的背景
・第十一章 キリスト教の本質
・第十二章 キリスト教と異教的智
・第十三章 アウグスチヌスと教会
・第十四章 若干の覚え書き
Theosophie.
Einfuehrung in uebersinnliche Welterkenntnis und Menschenbestimmung
(1904)
*邦訳/
「神智学----超感覚的世界の認識と人間の本質への導き」
(高橋巌訳/イザラ書房)
シュタイナーの神秘学を見ていくにあたって、「神秘学概論」「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」とならんで、もっとも基本となる本だといえます。
参考までに、シュタイナーの本を読むときの読み方について、訳書の「第三版へのまえがき」に述べられていますので、ご紹介したいと思います。
もちろん、これは、シュタイナーの他の本を読まれる場合にも、あてはまるものだと思います。また、「神智学」と「自由の哲学」との関係に関しても、その前後に示唆されてますので、それも併せてご紹介しておきます。
本書は今日一般に行われているような読書の仕方で読まれるようには、書かれていない。どの頁も、個々の文章が読者自身の精神的作業によって読み解かれるのを待っている。意識的にそう書かれている。なぜなら、この本はそうしてこそはじめて、読者のものとなることができるからである。ただ通読するだけの読書は本書を全然読まなかったに等しい。その真実の内容は体験されなければならない。霊学はこの意味においてのみ、価値をもつ。(中略)別の道を通って、ここに述べた諸事実を求めようと思うなら、私の『自由の哲学』の中にそのような道が見いだせる。本書と『自由の哲学』とは異なる仕方で同一の目標を目指している。その一方を理解するのに他方を必要とすることはないにしても、或る人々にとって両方の道を通ることは極めて有益な筈である。
●主な内容/
人間の本質
・人間の体の本性
・人間の魂の本性
・人間の霊の本性
・体、魂、霊
霊の再生と運命
三つの世界
・魂の世界
・魂の世界における死後の魂
・霊界
・死後の霊界における霊
・物質界、並びに魂界、霊界とこの物質界との結びつき
・思考形態と人間のオーラ
認識の小道
Wie erlangt man Erkenntnisse der hoeheren Welten? (1904/05)
*邦訳/
「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」(高橋巌訳/イザラ書房)
この本の内容は、最初は、「ルチフェル=グノーシス」という雑誌に1904年5月号から1905年9月号にかけれ連載されたもので、それが1907年に特別号として一冊にまとめられ、さらに1909年に単行本として出版されました。
この本の内容は、それまで秘密にされてきた霊的認識の方法を一般に公開したものとして非常に画期的なものだといえますし、この内容はおそらくは現代でもこれほどの適切な内容が体系的かつ具体的に詳述されたものはないのではないかと思います。
さて、この本の内容に関しては、読書会のほうをご覧いただいて、理解を深めていただくこととして、ここでは、「第八版のあとがき」から本書の理解を深めるために役立つであろう箇所を補足的に引用しておきます。
本書は人間全体を完全に変化させるための指導書であるかに見える。しかし正しく読めば、超感覚的世界に関わろうとする人にとって、どのような魂の在り方が必要であるか、ということ以外の何も語ろうとしていないことに気づくであろう。この魂の在り方を、人は第二の本性として自分の中に育成する。一方これまでの健全な本性もまた従来通りの仕方で生活し続ける。修行者は二種類の本性を意識的に区別し、両者を相互に正しい仕方で作用させ合うことができる。そのようにして修行者はこの世の生活を無意味なものにしたり、人生に対する興味や能力を失ったり、「一日中神秘道の修行者」であったりする危険性から護られている。勿論超感覚的世界の体験によって得た認識の光は、その輝きをその人の存在全体に投げかけるであろう。しかしそれは人を人生航路からそらせるような仕方で為されるのではなく、もっと有能な、もっと生産的な存在にするような仕方で為される。
●主な内容/
条件
内的平静
霊界参入の三段階
準備
開悟−思考と感情の統御
霊界参入
実践的観点
神秘修行の諸条件
霊界参入が与える諸影響
神秘修行者の夢に現れる変化
意識の持続性の獲得
神秘修行における人格の分裂
境域の守護霊
生と死----境域の大守護霊
Aus der Akasha-Chronik (1904-08)
*邦訳/「アーカーシャ年代記から」
(深澤英隆訳/人智学出版社・高橋巌訳/国書刊行会)
この本も「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」と同じく、シュタイナーが、雑誌「ルチフェル・グノーシス」に連載していたものですが、これがまとめられて一冊の本になったのは、シュタイナーの死後、1939年のことでした。
神秘学においては「アカシック・レコード」というのはかなり有名ですが、タイトル通り、そこから取り出してきた記録が本書の内容だということです。この内容は、シュタイナーの宇宙論の基本となるところを提示したものとしてもシュタイナーの神秘学を学ぶ上では決して欠かすことのできない本です。
さて、本書の内容は、常識的な見方からすれば、まさに荒唐無稽な内容であるかもしれませんが、そういう内容であるからこそ、そうした見方がなぜ出てくるのかというあたりを検討してみるというのもひとつの真摯な姿勢ではないでしょうか。
ということで、そこらへんのことを適切に示唆していると思われるところが人智学出版社からでている分の「訳者あとがき」にありますので、少し長めになりますが、重要な箇所なのでそれをご紹介しておきたいと思います。
シュタイナーの人智学者としての業績が広汎な分野で再発見され、再評価されようとしている現在でも、シュタイナーの宇宙論は、ある意味でいわば語られざる部分として残されているかに見える。このことはその特異な内容を見れば故無しとしない、それが妥当であるかどうかは問題である。人智学において宇宙学や人間学や教育学などの全分野や分かちがたく結びつけられていることを考えるならば、その一部を無視し、基礎づけを欠いた形で、人智学の特定分野におけるいくつかの理念や概念を、一種の流通通過の如く用いて合法化しようとすることは、少なくとも人智学の本意に適ったものだとは言えないであろう。
----こうしたことを考慮する時、シュタイナー理解ないし受容において可能な二つの姿勢が考えられる。すなわちシュタイナーが事実命題として提示したものを、そのありのままの事実命題として受けとめ、検討してゆくという姿勢とそれらを思想史ないし宗教史の一齣として、すなわちシュタイナーの「思想」という形に還元しつつ論ずるという姿勢である。前者に後者と重なる部分が出てくることは予想されるが、もし端的に後者の姿勢に立つとすれば、前者の姿勢は問題外であろう。こうした後者の立場を動機づけるものはもちろん、人智学が自然科学に抵触するのではないかという憶測である。ここで我々は、自然科学の終局的根拠である感覚与件と、人智学がその認識根拠としている超感覚的与件とが、さしあたり認識的ないし現象的には全く別の系をなしており、従ってそれらの対象界も別の事実の系であると考えうるということを想起せなばならない。シュタイナーのいわゆる超感覚的認識が実際に、経験的に可能なるものであるということは、心理学や超心理学の客観的平行資料からも確認しうる。
従って、最初から感覚的与件の系に基づいてなされた陳述に適用さるべき規準に従って真偽判断を下してしまうのではなく、人智学の伝達内容がシュタイナーによって実際に経験され、また誠実な解釈的操作を経たものであるという事実を念頭に置いた上で、それらの内容に対するべきでろう。伝達内容そのものの真偽を云々するためには、伝達者と同様の基盤に、すなわち人智学の基礎づけた高次認識に参与してゆかねばならない。シュタイナー自身、後年の諸講義において、アーカーシャ年代記がそうした認識過程の中でいかに認識されてゆくかをしばしば語っているが、本書のみならず、人智学一般を、無条件な受容や一方的否定に陥ることなく検討しようという際には、こうした点を再確認しておくことが必要であろう。
●主な内容/
精神科学の鏡に映し出された現代文化
アーカーシャ年代記より
アトランティスの祖先たち
第四根源人種から第五根源人種への推移
レムリア人種
性の分離
性の分離直前の諸器官
極北人期と極地人期
現在の地球の始まり 太陽の離出
月の離出
幾つかの必須の考察
地球の起源について
地球とその将来
土星の生活
太陽の生活
月での生活
地球での生活
地球の四重の人間
質疑応答
科学と称するものから生じる偏見
Die Stufen der hoeheren Erkenntnis (1905-08)
*邦訳/
「霊的認識の階梯」
(「霊界の境域」西川隆範訳/風の薔薇・1986.11.10発行所収/P107-172)
この論文の内容は、「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」を詳しく解説したもので、イマジネーション、インスピレーション、イントゥイションといった通常の感覚よりも高次の認識領域について詳述してあるものです。
この本は、「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」の連載の終了した翌月の1905年10月から1908年5月に渡り「弟子と導師」という副題をつけて、「ルツィフェル=グノーシス」誌29、30、32、34、35号に連載され、1908年に特別号として一冊にまとめられたものですが、本書が単行本化されたのは、シュタイナーの死後1931年のことです。
シュタイナーは、「いか超」の第5版のまえがきに「この第一部には第二部が続く筈である。第二部では、人間を高次の諸世界の体験へ導く魂の状態について、より以上の詳述がなされるはずである」と述べていますが、その第二部にあたる内容が、本書の内容になっているようですので、これは「いか超」に続いて読むのに適しているといえます。
●主な内容/
霊的認識の階梯
イマジネーション認識
インスピレーション認識
インスピレーション認識とイントゥイション認識
Die Geheimwissenschaft (1910)
*邦訳/「神秘学概論」
(西川隆範訳・イザラ書房/石井良+樋口純明訳・人智学出版社)
シュタイナーの代表的な著作といえば、「神智学」「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」と並んで挙げられるのがこの「神秘学概論」ですが、シュタイナーのなかで一冊だけ代表作を挙げよといわれれば、やはりこの本だろうと思います。
訳者の西川隆範も「訳者あとがき」に述べているように、「本書『神秘学概論』はまさしくアントロポゾフィー(人智学的精神科学)の中心に聳え立つ高峰であり、シュタイナーの代表作であるだけでなく、全神秘学を集大成したマグヌス・オプスである。逆にいえば、人間論、宇宙論、修行論のすべてを現代の意識にふさわしいかたちで叙述した本書1冊があれば、全神秘学を再構築することができるのである。混沌とした現代の精神的-霊的状況のなかで、真正な光に向かって努力しようとする者に確固とした指標を与えるものとして、本書はきわめて貴重である。」
ぼくにしても、もう何度かこの本を読み返していることになりますが、何度読んでも汲み尽くしきれない泉のようなイメージがしますし、おそらくこれから生涯に渡って何度も読み返すべき本なのだと思います。シュタイナーには、こうした著作のほかに、数多くの講演録がありますが、それらは、この「神秘学概論」の解説だといることもできるでしょうし、また、「神秘学概論」を大樹の幹だとすると、そこからさまざまに張り出した枝枝がさまざまに展開しているのだともいえます。
●主な内容/
神秘学の性格
人間の本質
眠りと死
宇宙の進化と人間
高次の世界の認識−−秘儀参入について
宇宙と人類の進化の現在と未来
Vier Mysteriendramen (1910-1913)
I. Die Pforte der Einweihung(Initiation). (1910)
Ein Rosenkreuzermysterium
II. Die Pruefung der Seele. (1911)
Szenisches Lebensbild als Nachspiel zur<<Pforte der Einweihung>>
III.Der Hueter der Schwelle. (1912)
Seelenvorgaenge in szenischen Bildern
IV. Der Seelen Erwachsen. (1913)
Seekische und Geistige Vorgaenge in szenischen Bildern
*邦訳/
「神秘劇I」
(新田義之訳/人智学出版社/1982.8.15発行)
*残念ながら、邦訳のあるのは、4つの神秘劇のうち最初の2つだけです。
この「神秘劇」四部作は、シュタイナーによって創られた舞台作品で、1910年に第一部が上演されてから、毎年1作ずつ書かれました。第5部の製作・上演も予定されていたようですが、第一次大戦が起こったことで中断されてしまいました。
「訳者あとがき」には、この神秘劇についてこう述べられています。
ゲーテによって観照された世界を、そこに辿りつく人類の歩みを背景にしながら、個人の体験を中心にすえて描き出す試みが、この「神秘劇」の創作であったと言ってよいであろう。「神秘劇」とは本来キリストの秘蹟を描く宗教劇のことである。シュタイナーはこの伝統的な名称を自作の四部作に与えることによって、キリストに至る新しい道を掲示しようとしたのであろう。
Die geistige Fuehrung des Menschen unde der Menschheit (1911)
Geisteswissenschaftliche Ergebnisse ueber die Menschheits-Entwickelung
*邦訳/
「個人と人類を導く霊の働き
----人類発展史についての霊学による研究成果」
(浅田豊訳・村松書館/1984.9.20 発行)
これは、1911年の5月にコペンハーゲンで開かれた「スカンジナビア神智学協会総会」に続いて行われた講演を記録したものです。
シュタイナー自身が述べているように、ここに述べられている内容は「神智学」や「神秘学概論」の読者を想定しているものだということですが、逆に言えば、それらの本を読まれた後で本書を読むと、よりいっそう理解が深まるということでもありますので、機会がおありの方はぜひ読んでほしい内容になっています。
本書は、「キリスト」の意味を深く認識するという意味でも重要です。ある意味では、シュタイナーの神秘学の基本は、「キリスト衝動」そのものを深く認識することであるともいえるからです。
以下、本文より、いくつか。
人間は自己認識をとおして自分の内の指導者であるキリストを発見する。キリストが地上に生きた時から人間は自分の内で常にキリストを見出すことができるが、それはキリストが常に人間の内にいるからである。
人間が実際のところどういう存在であるかを知るだけでよい。そうすればその認識から、キリストの本質を洞察することができる。そして真に人類を洞察することからキリストの理念にまで達し、人間がキリストを自分自身の内に求めるときにはじめてキリストを最もよく見つけられることを知ったとき、そのとき人類が聖書の記録をふり返ってみるならば聖書ははじめてその重大な意味を得る。
「将来人間の心の中に生きるキリスト理念は、その偉大さにおいて人類が今まで認識したと思っているどのものとも全く比較にならない」。キリストによる最初の衝動として成立し、キリストについての考え方として今日まで生きていたものは、----キリスト原理を最もよく代表した人たちの場合でさえも----キリストの真の認識の準備にすぎない。
Ein Weg zur Selbsterkenntnis des Menschen (1912)
In acht Meditationen
*邦訳/
「自己認識への道」
(佐藤俊夫訳/人智学出版社/1981.5.10 発行)
この本は「人間の本質に関する精神科学(霊学)的な認識を伝えようとする試み」で書かれたもので、「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」を敷衍する一冊でもあります。
「神智学」や「神秘学概論」の表現方法は「描写的であり、その方向は対象そのものから導き出された法則に従って決定され」ているのに対して、この「自己認識への道」は、「ある方法で霊性に至る道を歩み始めた魂が経験し得る事柄」を扱っていて、「魂が経験した事柄の報告書」だともいえます。
この本のなかで、シュタイナーは「自己認識」を深めていくためにはあらかじめ「内的な強さ」「魂の力」が必要であることを繰り返し述べています。高次の世界を認識していくためには、霊性開発という名の下に超能力開発を目指しているような安易さとは対極的に地道でたゆまない自己認識の深化のための訓練が必要だというわけです。
●主な内容/
第一の瞑想 肉体について真の表象を形成する試み
第二の瞑想 エレメンタル体あるいはエーテル体について
真の表象を形成する試み
第三の瞑想 エレメンタル界の霊視的認識について表象を形成する試み
第四の瞑想 「境域の守護霊」について表象を形成する試み
第五の瞑想 「アストラル体」について表象を形成する試み
第六の瞑想 「自我体」あるいは「思念体」について表象を形成する試み
第七の瞑想 超感覚的世界における体験の性質について表象を形成する試み
第八の瞑想 人間の輪廻転生の観察について表象を形成する試み
Die Schwelle der geistigen Welt (1913)
Aphoristische Ausfuerungen
*邦訳/
「霊界の境域」
(西川隆範訳/風の薔薇/1985.11.10 発行「霊界の境域」所収 P11-105)
この本は、シュタイナーが神智学協会から離れて、人智学協会を設立した年に出版されたものです。 訳者の西川隆範はこの論文をこのように紹介しています。
この作品は、人間の構成要素(肉体、エーテル体、アストラル体、自我)と世界(物質界、四大元素界、霊界、超霊界)及び宇宙進化の諸過程(土星紀、太陽紀、月紀、地球紀)との関連を「四大元素界及び霊的世界に参入した霊視的意識が持つ体験を考慮に入れ」た観点から包括的に記述して、小著ながら、人智学の全容を他には見られぬほどの的確さで論述し、瞑想についての本質的な記述をしてゐるため、多くの人智学者の導きの書となってゐる。
●主な内容/
思考への信頼と思考する魂の本質/瞑想
霊界の認識
エーテル体と四大元素界
輪廻転生と業/アストラル体と霊界/アーリマン
アストラル体とルツィフェル/エーテル体の本質
境域の守護霊と超感覚的認識の特徴
自我感覚/魂の愛の能力とその四大元素界への関係
感覚界と超感覚界との境界
霊界の諸存在
霊的宇宙存在
肉体の最初の萌芽
真の自我
本書と「神智学」及び「神秘学概論」
Die Raetsel der Philosophy (1914)
in ihrer Geschichte als Umriss dargestellt
●主な内容/
第一部
ギリシアの思想家から19世紀の反動的な世界観と急進的な世界観までの
哲学思考の発展
第二部
19世紀半ばから20世紀の初めまでの哲学的精神生活と
それを補完する人智学に関する概観
Vom Menschenraetsel (1916)
Ausgesprochenes und Unausgesprochenes im Denken,Scauen,Sinnen
einer Reihe deutscher und oesterreichischer Persoenlichkeiten
●主な内容/
思考世界、人格、民族性
ドイツ観念論の世界観
魂の覚醒としての観念論:フィヒテ
自然及び精神の観照としての観念論:シェリング
思考の観照としてのドイツ観念論:ヘーゲル
ドイツの精神生活における過去の潮流
オーストリアの精神生活からの光景
Vom Seelenraetsel (1917)
Anthropologie und Anthroposophie,Max Dessoir ueber Anthroposophie,
Franz Brentano(Ein Nachruf).Skizzenhafte Erweiterungen
シュタイナーはこの論文で、「人智学から、哲学、心理学、生理学へつなげられなければならないいくつかの科学的な糸」をつなぐことを試み、ここで初めて、後に重要になってくる「人間の有機体組織の三分節化」ということを提示しています。
Goethes Geistesart (1918)
in ihrer Offenbarung durch seinen <<Faust>>
und durch das Maerchen von der Schlange und der Lilie
*邦訳/
「緑の蛇と百合姫のメルヘン」にみられるゲーテの精神様式
(ルドルフ・シュタイナー「メルヘン論」/
高橋弘子訳/風の薔薇・所収/1990.6.10発行)
ゲーテ「緑の蛇と百合姫のメルヘン」
(ルドルフ・シュタイナー「メルヘン論」/
高橋弘子訳/風の薔薇・所収/1990.6.10発行)
「緑の蛇と百合姫のメールヒェンに開示されたゲーテの精神」
(人智学出版社・所収/1983.4.30発行)
ゲーテ「メールヒェン」
(人智学出版社・所収/1983.4.30発行)
●主な内容/
秘教的な世界観の像としてのゲーテの「ファウスト」(1902)
「ファウスト」を通して開示されたゲーテの精神様式(1918)
「緑の蛇と百合姫のメルヘン」を通して開示されたゲーテの精神様式(1899)
Die Kernpunkte der sozialen Frage (1919)
in den Lebensnotwendigkeiten der Gegenwart und Zukunft
*邦訳/
・「現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心」
(高橋巌訳/イザラ書房/1991.4.30発行)
この本は、第一次世界大戦中から戦後にかけて書かれ、1919年の4月に出版されたもので、ここにはシュタイナーの社会思想が凝縮した形で表現されているといえます。シュタイナーの社会論は、この本の他にも「社会の未来」(イザラ書房に邦訳あり)という講演集がありこの2冊を読むことでその概略について知ることができます。
シュタイナーの社会思想の根本には、「社会有機体三分節化」がありその極めて重要な考え方を理解するためにも、本書は必読だといえます。シュタイナーは社会問題を、経済問題、法律問題、精神問題として論じているわけですが、そのなかの精神問題でもあるシュタイナー教育を理解していくためにもぜひ検討されねばならないことが本書には盛られています。
本書の「まえがきと序論」から。
この書物は1919年4月にはじめて出版された。私は当時述べたことの補足を雑誌『社会有機体三分節化』に寄稿した諸論文の中で行った。それらはまとめられ、『社会有機体三分節化の実践』と題した著書としてちょうど出版されたところである。
この二つの著書の中では、社会運動の「目標」よりも、社会生活の歩むべき道が語られている。生活の実践を通して考える人は、個々の目標がさまざまな形をとって現れることを知っている。抽象的な思想の中で生きている人だけに、すべてが明確な形をとって現れる。そのような人は、生活実践的なものをしばしば非難するが、それは明確に「はっきりと」表現されていないと思うからである。自分を実際家、実務家と思っている人の多くは、そのような抽象主義者なのである。そういう人は人生が多様極まりない形態をとって現れるとは思っていない。人生は流動する要素なのだ。その流れを共にする人は自分を思想と感受性においても流動する特徴に合わせなければならない。社会的課題はそう考えることによってのみ把握されうる、人生の観察の中から本書の諸理念は闘い取られた。人生の観察を通して本書を読みとっていただきたい、と願っている。
ここにも述べられているように、シュタイナーの社会論は抽象論ではなく、実際の生活そのものの観察から生まれたものです。社会論だけではなく、シュタイナーが他のテーマで論じているすべても抽象論ではなくきわめて実際的に観察されたなかから生まれたものだといえます。
引用にもあるように、「人生の観察の中から本書の諸理念は闘い取られた」ものでこの諸理念を理解しようとすれば、人生を抽象化するのではなく、「人生の観察の中から」「闘い取られ」ねばなりません。
シュタイナーがこれを論じている時点は、第一次世界大戦の直後ですが、それから70年以上が過ぎた今も、ここで展開されている「諸理念」は、決して古びてはおらず、まさに我々が今人生を観察することを通して「闘い取」ることを求めているように思われます。
霊学、神秘学を学ぶというと、どうしても通常イメージされるようなオカルティックなイメージがつきまとうのですが、そういう稚拙なイメージを払拭するためにも、こうしたまさに神秘学の展開のひとつとしての社会論にふれることは意義深いことではないかと思われます。
●主な内容/
現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心
・代人の生き方から見た社会問題の真相
・社会問題を解決するために生活が求める具体的で必要な試み
・資本主義と社会理念(資本、人間労働)
・社会有機体相互の国際問題
社会有機体三分節化をめぐって
Aufsaetze ueber die Dreiglirderung des sozialen Organismus
und zur Zeitlage 1915-1921
この巻の核となっているのは、シュタイナーが『社会有機体三分節化の実践』というタイトルで刊行した1919から1921年の間の論文集です。
この内容については、#5212で「社会問題の核心」の邦訳として紹介した本の第二部の「社会有機体三分節化をめぐって」や同じく邦訳の「社会の未来」のなかで「付録」として紹介されているもののようですが、これについては手元にこのGA24の原書がないので、正確には確認できていません。けれども、おそらくこのGA23・24の内容に関しては、邦訳の2冊でそれを概観することはできるのではないかと思います。
Kosmologie,Religion und Philosophie (1922)
*邦訳/
・「宇宙論、宗教、哲学」
(「霊界の境域」(西川隆範訳/風の薔薇)所収)
この本は1922年9月6日〜15日に、フランス語圏にいる人智学者対象にシュタイナーが行った「人智学に於ける哲学、宇宙論、宗教」という連続講演のために、通訳のジュール・ザウアーヴァイン用に書かれたものでそれは、同じく1922年の「ゲーテアヌム」誌の6号〜16号に掲載されました。これが単行本として刊行されたのは、シュタイナーの死後、1930年にマリー・シュタイナーによってであり、その際には、「ルドルフ・シュタイナーによって著述された霊学的認識の瞑想過程」という副題がつけられていたといいます。
これについては、邦訳の「訳者あとがき」にある解説が参考になると思われますので、それをご紹介することにします。
連続講演「人智学に於ける哲学、宇宙論、宗教」の聴衆の中には、後にキリスト者共同体の創設者となる人々の姿が見られた。人智学は、徹頭徹尾認識の学であつて、その認識の光によって諸宗教の本質を解明することはあつても、イマジネーション、インスピレーション、イントゥイションとの関連に於いて、シュタイナーが宗教の問題を大きくとりあげたことはあまりなかつた。「人智学に於ける哲学、宇宙論、宗教」に於いてシュタイナーが宗教の問題を重視したのは多くの聴衆にとつて不思議に思はれた。その謎は、この講義講演と平行して、宗教革新運動・キリスト者共同体の最終的な準備が行はれてゐたことが明らかにされたことで解かれた。1922年9月16日、フリードリヒ・リッテルマイアーを中心としてキリスト者共同体が発足し、シュタイナーはこの運動のために、人間聖別式を中心にした7つの秘蹟を与へたのである。
「宇宙論・宗教・哲学」では、イマジネーション認識、インスピレーション認識、イントゥイション認識が「霊的認識の階梯」とは別の視点から述べられ、行が本質的に死後の世界の体験、そして、キリスト体験に結びついてゐることを考へ合はせれば、マリー・シュタイナーが本書を「霊的認識の階梯」「霊界の境域」と並ぶ、瞑想行についての最も重要な著作の一つとみなしたのは当然のことであったといへる。
これで、邦訳の「霊界の境域」(風の薔薇/現在は、水声社から発行)に収められた「霊的認識の階梯」、「霊界の境域」、「宇宙論・宗教・哲学」をご紹介したことになりますが、これは「神秘学概論」をさらに深く理解するためのテキストとしての非常に有効なのではないかと思われますので、機会があれば一度はしっかり読み込んでおきたい本の一冊です。
●主な内容/
人智学の三つの課題
思考・感情・意志に関する魂の修行
イマジネーション認識/インスピレーション認識/イントゥイション認識
認識の行と意志の行
魂の睡眠体験
人類の進化に於ける魂的・霊的存在の感覚的・物質的存在への移行
キリストと人類
キリストとの関連に於ける死
キリストとの関連に於ける自我意識の運命
魂の意志領域の体験
Anthroposophische Leitsaetze (1924/1925)
Der Erkenntnisweg der Anthroposophie -
Das Michael-Mysterium
*邦訳/
・「人智学指導原則」(西川隆範訳/水声社/1992.9.20発行)
シュタイナーは、1923年の一般人智学協会の設立のためのクリスマス会議から、1925年3月の死まで、185の「人智学指導原則」と「人智学協会において行われていること」という経過報告において毎週出されていた「協会員への手紙」とを書きましたが、この巻には、その「人智学指導原則」の全部と、「協会員への手紙」の一部が収められています。「人智学指導原則」に直接関連してはいない部分の「協会員への手紙」については、GA260aに収められています。ちなみに、邦訳は、「人智学指導原則」のみです。
Grundlegendes fuer eine Erweiterung der Heilkunst
nach geisteswissenschaftlichen Erkenntnissen (1925)
Von Dr.Steiner und Dr.Ita Wegman
医師を対象としたこの論文で問題になっているのは、人智学によって豊かになり拡大された治療の本質ということです。
シュタイナーの医学に関する業績に関しては、日本ではほとんど知れれていないということがいえますが、シュタイナーは、この本の共著者でもあるオランダの女医イタ・ヴェークマン博士とともに、スイスのドルナハに新しい、一種の総合医学の基礎を築きました。
シュタイナーの死後、ヴェークマンは、ドルナハの隣町アーレスハイムに移り現在のイタ・ヴェークマン病院で人智学的な医学を実践しました。アーレスハイムには、現在、そのイタ・ヴェークマン病院のほかに、癌の研究で成果をあげているルカス病院、医薬品を製造しているヴェレダ社があります。ヴェレダ社は、ドイツにも工場があって、ドイツにはヴァラ製薬、フィルダー社などもつくられました。
こうした医学の方面でのシュタイナーの神秘学の展開に関しては邦訳にしてもわずかしかなく、なかなか理解されがたい部分ではありますがシュタイナーの神秘学を教育ということだけで部分理解するのではなく広がりをもって理解するためには、こうした医学方面に関しても理解していく必要があるのではないでしょうか。
Mein Lebensgang (1923-1925)
*邦訳/
・「シュタイナー自伝I/わが人生の歩み」
(伊藤勉+中村康二訳/人智学出版社/1982.11.2発行)
・「シュタイナー自伝II/わが人生の歩み」
(伊藤勉+中村康二訳/人智学出版社/1983.3.15発行)
本書は、人智学と社会有機体三分節化運動のための雑誌「ゲーテアヌム」に1923年12月9日から1925年4月5日にかけて、70回連載されたもので、残念ながらこれは、シュタイナーの52歳までの時点で、シュタイナーの死によって未完のままに終わりましたが、死後、夫人のマリー・シュタイナーにより、1925年に出版されました。
邦訳では、全2巻に分けてだされていますが、ひょっとしたら、もう手に入りにくくなっているかもしれません。
本文の最初にあるように、シュタイナー自身としては、こうした自伝を書こうとは思っていなかったようですけど、友人の勧めもあり、また変な憶測を避けるためにも、書くことにしたようです。しかし、こうした記録はたしかに後世、こうしてシュタイナーの神秘学を学んでいくにあたっては、参考になるのは確かですので、読まれていて損はないと思います。
以下、冒頭あたりの部分から、なぜこうした自伝を書くことになったかについて。
私は、自伝を書くというようなことは。自分の柄ではないと告白せざるをえない。というのは、私は自分が言うべきことや為すべきことを、私個人ではなく、問題自体が求めるがままに形成しようと絶えず努めてきたからである。確かに個人的要素は、多くの分野で人間活動に非常に価値ある色彩を賦与するであろう。しかしこの個人的要素は、自分の個性を観察することによってではなく、話し方や挙措を通して現れ出るべきものであろう。自己観察から生ずる事柄は、せいぜい自分で処理すればよい問題である。したがって、私がこのような記録を書くことに決心したのは、一つには、私の人生と私の行動との関連について述べられている多くの偏見を、客観的な記述によって正す義務があると思うからであり、いま一つには、このような偏見がある以上、私に好意的な人々の勧めにも道理があると思われるからである。
「自分の柄ではない」という通り、この自伝はシュタイナーの死によって未完に終わることになりましたが、世の中には、名声を求めるあまりに、早くから自伝を残そうと努める方のなんと多いことでしょうか。それは、みずからの活動を「個人的なこと」であると告白しているようなものです。
また、「私の人生と私の行動との関連について述べられている多くの偏見」に関しては、現代の日本でもそうしたことはわりとあるようで、この自伝から抜き出してきた要素を、さも暴露記事のような在り方で、告発しようとしているような稚拙な在り方を読んだ記憶があります。で、この自伝を読んでいない方がそれを読んで、誤解するというわけです。たとえば、「シュタイナーはフリーメーソンと関係があった!」など自伝のなかでちゃんとそれについてのいきさつなどの説明があるにも関わらずそれをシュタイナーが隠していたかのような書き方などはよくされることです。
シュタイナーに限らず、そうした馬鹿げた書き手と読み手の需給関係によって増殖していく誤解は百害あって一利なしですので、そうした稚拙な需給関係に入る前に^^;こうした自伝を一応読んでおくということも意味のあることだと思います。