ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第1講-1

ドルナハ  1916/10/8

 ただ今より、一連の再生を、ある芸術期のスライドを上映していきます、この時代の進展のなかに、芸術的なものに関して、人間の状況、つまり私たちが人間の歴史を内的霊的な衝動の写しとして観察するとき、人間の歴史の外的経過のなかに観察しうる最も切実なもののひとつである状況が、生を全うしているのが見られるがゆえに、人間の感覚は常に立ち帰ってこの芸術期を観察するでしょうが、そういう芸術期のスライドです。

 まず最初にチマブエの絵をいくつかご覧いただきます。チマブエの名のもとに、数々の、非常に多数の絵画が出回っております--と言うより、出回っておりました--が、私たちの、私たちの今日の世界観とはまったくかけ離れた世界観に由来する教会絵画を想像しなければなりません。チマブエ、あるいはチマブエという名を冠されたあの絵画上の流派という意味で活動していた人々、--つまりチマブエが絵を描いていた時代は、ほぼダンテが生まれた頃でした。芸術の発展ということに関連して、これより前の時代にあるものは、外的に歴史を観るだけではかなり闇に覆われています。遺されているものにおいて、チマブエの業績は、これより以前には歴史的にまず西洋にはどんな先行者もいないと言えるようなしかたで登場します。けれども今日これから見ていくものを手がかりにしますと、このチマブエの方向性というのはまた、ヨーロッパの芸術発展のなかでいかなる後継者も見出さなかったこともおわかりいただけると思います。

 チマブエにおいて私たちに立ち現れてくるもののなかに入り込んで感じ取ろうとすれば、私たちにはむしろ、オリエントに由来する影響が示されるでしょう、そこで私は長い歴史をいわば短縮して特徴づけたいと思います。このように短縮して特徴づける場合、まさにこの短縮した特徴づけにつきもののあらゆる不正確さは申すまでもありませんが。私たちが忘れてならないことは、キリスト教が成立した時代、そしてそれに続く最初の数千年が経過し、次の二千年の始まり、この時期にまさにチマブエは描いていたわけですが、この次の二千年の始まりまでの時代、人間の活動のあらゆる領域へとキリスト教が次第に馴染み入り込んでいったこの時代とは、人間の精神の能力[Geistesfaehigkeiten]が、地上を超えたものへと、霊的ー宇宙的なもの[das Geistig-Kosmische]へと向けられた時代であった、ということです。そして人間のあらゆる感覚は、高次の霊威[hoehere geistige Maechte]がいかにして地上の生へと入り込んだのか、ということについて観照を得ることにまず向けられました。当時人間の魂のなかに生きていたものをありありと表現したい、それを芸術のなかに導入したいと思ったら、何らかのしかたで自然を直接模倣すること、つまり自然をありのままに描いたりどんなふうにであれ自然に忠実に芸術的活動をするなどということはまったく問題になりませんでした。むしろ、ファンタジーの力であれ、いわば地上を超えたものを感覚的に見えるようにすることのできる力を人間のなかに呼び起こすことが重視されたのです。そしてこのファンタジーの力は、実際ヨーロッパの人類にとって、真に形成されたものを作り出すことができるほどに意のままにはなりませんでした。私がこの地で行いました講演において、ローマ人は《ファンタジー無き》[phantasielos]民族だったと描写いたしました。そしてローマ人のファンタジーの欠如のなかへと、まず東方からキリスト教が広がっていったわけです。キリスト教はもとよりオリエントによって実り豊かにされていましたが、それらすべてと同時にオリエントの生きたファンタジーによって豊穣になって入ってきました、それで、より内的霊的な観照がキリスト教の表象として持たれたものに結びつけられたのです。

 あちらのギリシアでは、ゴルゴタの秘蹟とその作用に関連する形姿をいかに描き出すべきかについての観照が育まれました。そしておそらく、造形において、救世主そのひと自身に関わる造形の発達において、そして聖母(マドンナ)やそれに関わる地上を超えた天使界の姿、地上を超えたものに魅せられた使徒たちや聖人たちの姿などを通して、つまりこれらすべてを手がかりに最もよくわかるのは、キリスト教がヨーロッパに馴染み入り込んでいく際、非常にファンタジー豊かに東方から到来したものが、いわばいかにローマ的なファンタジー欠如によってとらえられたか、ということなのです。私たちがよく知っていますように、キリスト教表現の初期においては、救世主の姿そのものが、キリスト・イエスおよび彼に結びついているその他の姿が、まだギリシア的ファンタジーに貫かれていました。救世主そのひとをアポロそっくりに表現している彫刻もあります。私たちは、キリスト教発展の最初の数世紀の頃に、奇妙な論争が繰り広げられたことも知っています、救世主を醜く表現し、その醜い容貌を通じて、内なる魂の生を、人類のために引き起こされた法外な出来事を、表現するべきなのかどうか、という論争です。こういう救世主のタイプと、ゴルゴタの秘蹟に関わるほかの人物の同様なタイプは、ヨーロッパ東部とギリシアの内部で発達しました。それに対して、西方のイタリアにおいてはむしろ、救世主の姿とそれに関わるすべてをなんとしても美しく描かねばならないという見解が優勢でした。けれどもこういう議論は、ギリシアが外的に征服され、ローマ文化[Roemertum]の影響のもと、ギリシア文化[Griechenyum]の直接的な影響下で具現された美を描き出す能力がもはや失われた時代にまで、奇妙なしかたで続きます、ギリシアは外的に征服されましたが、実際はローマ文化もギリシア文化によって霊的に征服されたのです、ギリシア文化はファンタジー無きローマ文化のもとで衰弱しはしましたが。美を描き出す能力は、続く数世紀において失われていきました。

 このように、ゴルゴタの秘蹟を通じて実り豊かにされた新たな世界衝動を表現すべく実際ファンタジーによって創造されたもの、これは伝統的に東方からもたらされたのです。次いで、オリエントのファンタジーによって実り豊かにされた芸術性[Kuenstlertum]が芸術的にイタリアへと移植されて入ってきました。そして、ダンテが生まれた時代においてやはりこの衝動となったものを、それ以前のものがすべて多かれ少なかれ没落し、もはやなくなってしまった後でも、私たちはひとつの終末現象、もう西洋によって影響されている終末現象のなかに見出します、つまりチマブエという名のもとに知られている創作のなかにです。チマブエの絵画は壁画であり、本来壁画そのものと理解されねばなりません。それらは、そこに描かれている人物が、私たちにはまったく不自然に見えるような、より感情に即して考えられた輪郭で大きな平面に拡がっている、と申し上げたいような、平面的に考えられ、非常に表現力豊かな、しかし今日ではそもそももはや見ることのできない画法で平面を考え尽くされたように見える、という具合に人物が描き出された絵画です。チマブエを見ることができるところでも、その画法はもはや見ることができません、と申しますのも、チマブエの絵画作品はそのほとんどの部分が後から上塗りされているからです。彩色におけるまったく生き生きとしたものも彩色における平面的に考えられたものも、総じてもう見ることはできないでしょう。ですから、チマブエの絵が失うところがもっとも少ないのは、それがスライドとして上映される場合なのです。この独特な、申しましたようにより感情に即して考えられた輪郭で描き出された人物たちの完全な特徴を見きわめることができます、何か巨大なもの[etwas Kolossalisches]を有する、少なくとも巨大なものと考えられ、巨大な作用として考えられた人物たち、そしてそれ以上に、この人物たちは、別世界から地上世界を見ている、なぜなら彼らは地上世界そのものから跳び去ったからだ、と言えるような、そのように考えられた人物たちの特徴をです。聖母像もそうですし、地上世界に見入る救世主そのひとの描出も、聖人たちや天使たちその他の描出もそうです。ここで描かれているものは、なおもヴィジョン的な生ーーキリスト教の衝動は、地上に疎遠な世界からやってきたものであるから、この地上に疎遠な世界を自然主義的に描き出そうとはしない、と洞察することのできたヴィジョン的な生ーーを背景に有したファンタジーに根ざしていることを、私たちははっきりと理解しておかなくてはなりません。

 これからチマブエの絵画がいくつか上映されます。チマブエのこれらの絵画は、一部はアッシジの地下聖堂で実際に見ることができますし、一部はパリで、そしてフィレンツェでも見ることができます。上映できるものはわずかしかありませんが、

  1−4 チマブエ  聖母(マドンナ)と天使たち、預言者たち

1

2

 みなさんはいたるところで、たとえば人間の眼というものがいかに描かれているかをごらんになるでしょう、つまり、眼は写生されているのではなく、眼の有機的な刻印に加わっていると信じられた力、そういう力を感じ深く共感することによって特徴を表現されている、とわかるように描かれているのです。それは、追感され、これらのものがそこから形成されてくる眼の内的な活動であり、可塑的に考えられ、精神において平面へと投影されている、とでも言いたいものです。この場合常に--これらの絵画にも、なお見られることですが--、西洋よりもオリエントの生活のなかにずっと多く見られ、続く時代に見出された概念、つまり力強さ、豊穣さを通じてはるかな世界から作用してくるものという概念が存在しています。当時、これらの絵画をその黄金の下地とともに自らに作用させると、とりわけ、強大なもの、人間を圧倒するものが、はるかな世界から作用してくる、という感情が持たれたでしょう、--地上で人間の乱世として起こっているものは本来、このようにして実現された、地球外の現実からやってきた衝動によって照らされるためにのみあるのだ、という感情が。

  3   チマブエ  聖母

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 これは2と同じ絵ですが、彩色される前のものです。

 次の聖母像、

  4   チマブエ  聖母 「聖母」の部分

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 これは、チマブエからとったものです。さらに聖母像がもうひとつあります、

  5   ドゥッチオ  ルチェライの聖母

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 さてこれから、外的な歴史考察の流れにおいていわばチマブエの後継者である芸術家の考察に移ります。 

  9   ジオット  聖フランチェスコへの忠誠

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 チマブエが羊飼いの少年であったジオットを見出した、という伝説もありますね、羊飼いの少年が、動物たちやほかの自然の被造物に見たものを、野において素朴なしかたで石に描いていたのを見て、チマブエはジオットのなかに顕著な才能を発見し、彼を父親から引き離して、画家に育て上げた、と。--こういう伝説は、外的な歴史的事実よりも真なるものです。これらの伝説は、芸術発展において今やもっとも重要なひとりとしてチマブエに続く者、つまりジオットが、その内的な芸術上の魂生活に関して、世界全体によって鼓舞されたことを示しています、チマブエという名のもとに包括される者たちに創造されたものを通してジオットが置かれた世界、ジオットはその全世界によって当然ながら鼓舞されたのです。けれどもたとえ私たちが、いわば地上を超えた全世界が、あらゆる方面からジオットに働きかけた--これらすべては、後ほど申し上げたい理由から今日もはや存在しないのですが--、と考えなければならないとしても、この全世界、つまり地上を超えたものを写すこの世界が、ジオットに働きかけた、と考えなければならないとしても、それでも私たちが決して見失ってはならないことは、ジオットとともに、まったく新たな芸術上の世界把握が西洋に登場したということ、そしてジオットは、芸術に関わる分野において、もっとも純粋な意味で新たなアトランティス後第五の時代の到来を芸術分野において示す人物と呼ばれなければならないということです。絵画に関しては、チマブエとともにアトランティス後第四時代が没してゆき、ジオットとともに第五時代の幕が開く、ということができるでしょう。たいへん根拠ある伝統によりジオット作とされているものすべてが、ジオット自身によって描かれたかどうかということは顧慮しないでおきたいと思います、それは問題ではありません。とは言え、ジオット自身が描いたときのそれと同じ精神において描かれた多くのものも、ジオットという名のもとに一緒にされています。以下、私はそのことには関わらず、伝統によってジオットの作品であるもの、ジオット作とされているものにも関わっていきます。

 ダンテとジオットが実際個人的にぶつかり合うような時代に、近代人類はいったい何に習熟するのでしょう。--人類が習熟するのは、私がいつもアトランティス後第五時代の根本特性として描いているもの、つまり、地上的ー物質的現実内部の生活です。これをマテリアリスム(物質主義[Materialismus])の否定的な批判と捉えてはなりません、そうではなく、人類は一度、地上の現実に習熟しなければならなかったということ、チマブエにおいてはまだ絵画においてその残照を示していた超地上的なものを仰ぎ見ることに、いわば一度別れを告げなければならなかったということを、はっきりと理解しておかなければならないのです。

 私たちが、一番最初に物質主義のきっかけをつくった最初のまぎれもない物質主義者とはそもそもいったい誰だったのか、と問うなら、いくらかふつうより高い観点から歴史を考察すれば、私たちはこういう答えを得るでしょう、今日の人間にとっては当然のことながら逆説的に響くでしょうけれども、人類の歴史をもっと深く捉える見地からすればまったく正当な答えです、つまり、私たちは、魂的に物質的な感情を導いた最初の人はアッシジの聖フランチェスコだった、という答えを得るのです。アッシジの聖者フランツィスクスを最初の偉大な唯物主義者と特徴づけることが逆説的なのは言うまでもありません。とは言えやはりそうなのです。人類の進化をまだ地上を超えたものの観点のもとに見ていた最後の観照は、ダンテの『神曲』において私たちに立ち現れてくる、それで私たちは、ダンテの『神曲』を、地上よりも地球外のものに向けられた観照の帰結と見なければならない、ということができます。これに対して、ダンテより前にもう活動していたアッシジのフランツィスクスの場合、地上的なものもののための眼差し、地上的なものへの共感が際立っています。魂的なものは常に、芸術的なものの表現よりいくぶん早く登場します。したがって、ジオットの芸術的なファンタジ --ジオットは1266年頃から1337年まで生きました-- が後になって捉えられたものと同じものが、傾向、衝動に従って、もっと早い時点にアッシジのフランチェスコのなかに魂的に生きていたことこともわかります。アッシジのフランチェスコにおいて私たちが目の前に見るのは、まったくもって外界から出てきた人間、きわめてさまざまな影響の下でローマ文化をしだいに受け入れた外界のあの形態から出てきた人間です。アッシジのフランチェスコは最初、まったく外的なものに向かっていて、外的な栄光と富を楽しみ、生活を快適にするもの、そして自分の心地よさを高めるものすべてを楽しみますが、個人的な体験によって、魂生活においてまさに逆転するのです。彼を外的な生活への没頭から内なるものに向けさせたのは、まず身体上の病気です。そして私たちは、若いときには徹底して外面的な快適な生活に、外的な栄光、外的な礼儀作法にすら向かっていたひとりの人間アッシジのフランチェスコを見、-- 私たちはまた彼が内なる魂生活に純粋に向けられた感情へと改心するのを見るのです。けれども、これは独特に発展して、アッシジのフランチェスコは、ヴィジョン的なファンタジー豊かな古き生に由来するすべてから今やまったく視線を転じた偉大な人物たちのうちの最初の人となります。彼はむしろ、直接地上を歩んでいるものに眼差しを向けます、まず人間に眼差しを向けるのです。アッシジのフランチェスコが人間のなかに経験しようとするものは、人間がただ自己自身によってのみ立つものと見られるときに、人間の魂のなかで人間全体において体験されうるものです。アッシジのフランチェスコは、人間の個々の生など問題にされない、とでも申し上げたいしかたで地上で展開した出来事に取り囲まれていました、以前の芸術のなかで育成され、人間の感情のなかに地上を超えた存在たちを立ち寄らせせたファンタジーのように展開した出来事に。フランチェスコは実際、若い頃、そして後になってからも、ゲルフ党とギベリン党の世界史的な争いに取り囲まれていました。いわば、ひとりひとりの人間が感じること、個々の人間が体験することは問題にされず、人間をただ群のような大多数としてのみ捉える衝動をめぐって、広範囲で争われていたのです。そしてこの生のさなかへと、今やアッシジのフランチェスコとますます増えていくその仲間たちは、人間の内面において関係に即して体験されうるものすべてをもってまさに感情的に、体験的に、どの人間の魂をも貫き通し、照らし出す深い力をもって、ひとりひとりの人間の個[Individualitaet]の権利を行使します。眼差しは、彼らを包む宇宙的ー霊的なものから離れて、個々の人間的ー個人的なものに向けられます。あらゆる人間の個々の魂との共苦、同情、共感、共生、あらゆる人間ひとりひとりが体験することに関心を持つこと。いわば栄光として紡ぎ出された地位や富を離れ、地上を超えたものから地上的なものへと放射されてくる芸術の領域に、オリエント的なファンタジーから人々が形成したいと思ったものから離れ --こうしたすべてから離れて、地上の貧しい人間が体験する苦しみと喜びに目を向けて!今や個々の人間ひとりひとりが主要なこととなり、ひとりひとりがそれ自身の世界となります、そしてあらゆるひとりひとりがひとつの世界となるように生きたいと願うのです。永遠のもの、無限のもの、不死のものを、人間の胸そのもののなかに生み出そう、と。いわば包括する領域としてそれを地球の上方に漂わせることはもはやすまい、と。

 チマブエの絵画は、あたかも雲の上から見られたかのような絵画でした、あたかも人物たちは雲の上から地上に到来したかのようでした。そして、霊的世界というのもそのように考えられ、感じられていました。このような地上を超えたものとともにいかに集中度の高い生が営まれていたか、もはや今日では想像もできません。ですから、今やこのアッシジのフランチェスコが西方の生活を内面化して実行したとき、それが感情におけるどのような変化であったか、たいていの場合、ひとはとりたてて考えてみることもないのです。そして、彼にはどんな重荷もなく、けれどもまたただ人間としての彼であったもの以外どんなものによっても価値を与えられなかったのですが、貧者であったものとともに生きたいと願ったその魂のなかで、人間をまさにその貧しさにおいて感じようとした魂のなかで、このアッシジのフランチェスコは、人間をそのように感じようとし、キリストをも、ただ貧しき人々のためにのみキリストはあると感じようとしたこのアッシジのフランチェスコは、キリスト教の真中から、つまりこの感じられたキリスト教のなかから、すばらしい自然感情[Natur-Fuehlen]を発達させるのです。あらゆるものが彼にとって地上での兄弟姉妹となります。そして今や、単に人間の心ばかりでなく、ひとりひとりの人間ばかりでなく、自然のあらゆる被造物に対しても愛に満ちた関わりが繰り広げられていきます。そしてこの点においてアッシジのフランチェスコは真に現実(写実)主義者(レアリスト[Realist])であり、自然主義者(ナトゥラリスト[Naturalist])なのです。鳥たちは彼の兄弟であり姉妹です、星々、太陽、月は彼の姉妹です、地を這う小さな虫は彼の同胞です。あらゆるものを彼は愛に満ちた関心を持って観察します。道行くとき、踏むつぶすことのないように、虫をつかんでわきへどけます。彼はひばりを讃え、ひばりを姉妹とみなします。限りない内面性、前の時代にはまったく考えられなかった思考生活を、アッシジのフランチェスコは主張するのです。そして、彼の人生についてしばしば外面的に書かれていることよりも、むしろこの点に、このアッシジのフランチェスコの特性を見なければなりません。

 このように、言うなれば内面化されて、眼差しは地上的なものへと注がれ、彼は人類に親しみます、そして彼は芸術的な感情をもこのように次第に自らのものにしていくのです。ダンテはいわば最後のように、偉大な詩作品のなかで人間の生をなおも地上を超えた威力という形象のもとに据えています。ジオットは、彼の同時代人そしておそらくは彼の友人たちもですが、すでに絵画の上では、地上で生き生きと活動しているものに対する直接的な関心を示しています。このように、ジオットの絵画とともに、個人的ー自然的なものの模写、個人的ー人間的なものの模写、というものが入ってくるのがわかります。ジオットと命名された絵画が、アッシジの{聖フランチェスコ聖堂の}上堂において、まさにアッシジのフランチェスコの生涯と関わっていることは偶然ではありません、と申しますのも、ジオットとアッシジのフランチェスコの間には、深い内的な魂の関連があるからです。熱烈な魂的生から、地上の自然物の生成に対する共感を現した宗教的天才、アッシジのフランチェスコと、アッシジのフランチェスコが感じるように、アッシジのフランチェスコが霊性のなかへと、世界の魂的なもののなかへと自らを置くように、まずはフランチェスコを範とするジオットとの間にです。

 そしてこのように実際私たちは、チマブエの硬い線と面的に考えられたものから、ジオットへと流れが入り込んでくるのを見ます、つまり、ジオットにおいて私たちは、自然のもの、個人的なもの、眺められたもの、現実性の模写を見るのです、面から語りかけるものではなく、ますますいっそう空間の真ん中に立っているものを。


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