ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第12講

都市文化の時代に金・宝石細工芸術と合体し、アトランティス後第五時代においても作用を及ぼし続ける、
アトランティス後第三および第四時代の三つの主な衝動の余韻:

初期キリスト教の彫刻
石棺とレリーフ(浮き彫り)
ヒルデスハイムのベルンヴァルト

1917/10/22   ドルナハ


 きょうはいくつかの考察を加えていきます、これはきょうぜひ行いたい考察で、ここ数週間続けてきた議論とゆるく関連してくると思われるものです。ただ、これからお話しするようなアフォリズム的な形式をとるとはいえ、きょう私が申しますことは、継続的な考察の一片であり、次回、まだ講義を行うことが可能であれば、そのときにこれらの考察で示されたいくつかのことに立ち返るつもりです。その後、クライマックスに、ひとつの世界観絵図(タブロー)に到達します、それは現在少なくともそれが可能なところでは、人間の前にぜひとも置かれねばならないと私は思っておりますが、そういう世界観絵図です。
 きょうはまずいくつかの画像によって、続いて、画像が手に入らないのでこちらは画像による助けを借りることはできませんが、いくつかの考察によって、生成の経過のなかで、つまり、いわばこの二千年から三千年に至るヨーロッパの進化の経過のなかで、きわめて多様な衝動が、とりわけ三つの種類の衝動が共に作用してきたようすを示したいと思います。もちろん実際には数え切れないほど多くの衝動があるのですが、現実の特定の要素のためにはごく身近な衝動に注目するだけで十分でしょう。
 私たちはアトランティス後第五時代に生きています。私たちはこのアトランティス後第五時代のなかでも、対立抗争、闘争衝動をきっかけにこの時代に現れてくるであろう多くのことが外部にはっきりと打ち出される時期、そういう時期に立っているのです。私たちはまた、起こることに対してますますいっそう目覚めているようにと必ずや人類を戒めるであろうの多くのもののなかで生きています。と申しますのも、追跡されうる限りの世界史上の進化において、これほど覚醒を促された時代はまずないと言えるからです。けれどもこの現代におけるほど人類が寝ぼけていることが暴露された時代もありません。このアトランティス後第五時代には、私たちがアントロポゾフィー(人智学)的な考察から一部をよく知っているまったく特殊な衝動とともに、アトランティス後第四時代の余韻、さらには、アトランティス後第三時代の余韻も入り込んできています。今、私たちは現在の出来事のなかに沸き立っているあらゆるもののうちに、さまざまなものを区別することができるのですが、きょうのところは、アトランティス後第三と第四の時代の余韻であり、ある観点からすれば現在作用しているアトランティス後第五時代の衝動もある三つの主要な衝動、これだけに限定することにしましょう。
 アトランティス後第四時代において実際まったく独特であったことは -- 私たちのこの考察は芸術上の発展に関わるものですから -- 、つまり芸術上の発展という分野において特殊であったのは、人間が自己自身のうちに見出しうるものの描写ということでした。ギリシア人とそれに続くローマ人は、人間が全き人間として自己自身において体験するものを、空間と時間のなかで描写しようと苦心しました。なぜそうなのかはご存じの通りで、再三お話ししてきたことですね。これはアトランティス後第四時代、ギリシア・ラテン時代の別の文化形態においても現れてくるのですが、とくに顕著に姿を見せるのは芸術の場合です。したがってこの時代においてギリシア芸術のなかでは、人間の描写、理想化された、典型とされた人間の描写がとくに秀でているのです。こう言うことができるでしょう、感覚世界がもたらすことのできる最高のもの、感覚世界が自らのうちから生み出すことのできる最高のもの、つまり美しい人間、空間のなかで美しいフォルムで身を伸ばし、時間のなかで動く、言葉のもっとも広い意味での美しい動きのなかにある美しい人間、ギリシア文化はこれを描写しようとしていたのだ、と。地球進化におけるほかのどの時代も、このようなものを目指して努力することはできません、地球進化におけるどの時代にも固有の衝動があるからです。
 さて、けれどもこのアトランティス後第四時代における美しい人間性の描写のなかにも絶えることなく、アトランティス後第三時代の余韻であるものが入り込んできています。これはある特定の領域に限られるのではなく、アトランティス後第四時代の文化世界全般に広がっています。したがってこう言うことができるでしょう、アトランティス後第三時代に特に効力を発するようになったものは、アトランティス後第四時代においても有効であり続け、さらには、かすかな響きのみであるにしても、アトランティス後第五時代においてなおも影響し続けている、と。
 キリスト教、キリスト衝動は、広まっていくときに、この要因を、諸衝動のこのような入り混じった働きを、考慮に入れておかなければなりませんでした。芸術においてアトランティス後第三時代は、物質界に見出される衝動を、アトランティス後第四時代のようには、展開させることができませんでした。と申しますのも、ほかならぬアトランティス後第四時代にとって、物質世界が美しい人間のなかに生み出すもの、人間の美のなかに生み出すものを形作ることが、とりわけ喜ばしいことだからです。アトランティス後第三時代は、先祖返り的であるにしても、もっと内面化された衝動を発揮しなければなりませんでした。けれどもそのために、ある意味でキリスト教は、アトランティス後第三時代のこの衝動を引っ張り出してこなくてはならなかったのです。こうして、キリスト教が世界に広まっていくとき、人間の美の描写が芸術的に後退し、アトランティス後第三時代の衝動の一種の更新のような何かが打ち出されてくるのが見られます。
 と申しますのも、芸術においてまさにこれほどの精華をもたらしたこのギリシア文化、まったきアトランティス後第四時代の様式と意味において、このギリシア文化は、もっぱら、生長するすべてのもの、花開くすべてのもの、成熟するすべてのものを描写することに限定されなければならなかったからです。ギリシア人たちの場合、美とは決して飾りではありませんでした。ギリシア人は装飾する[Schmuecken]という概念を知らなかったのです。装飾の概念の代わりにギリシア人が持っていたのは、生命的なものの、豊穣からの成育[Herauswachsen des Lebendigen aus dem Gedeihen]、という概念です。ある物事を飾り立てるために何かを取り付けうるといったことは、のちになってはじめて、つまり文化の発展の経過を通じて、世に広まったことなのです。ギリシア文化から可能な限り隔たっていた概念は、《洗練された(エレガントな)》[elegant]という言葉に含まれる概念です。ギリシア人たちはエレガンスを知りませんでした。外に向かって《輝かせる》[scheinen]ために生命的なものを装飾物で覆うといったエレガンスを、彼らは知らなかったのです。ギリシア人たちが知っていたのは、フォルムのみ、生命的なものそのものから生じてくる表現のみでした。
 ギリシア文化がもっぱら、成熟するもの、生長するもの、生命を促進するものを置いたこの世界のなかに、キリスト教はその衝動をもって死というものを置かなければなりませんでした。ゴルゴタの十字架がアポロに対置されねばなりませんでした。そうです、これは人類の大いなる営み、人類の大いなる芸術的ないとなみだったのです、ギリシア文化がこの世を感覚主義的な理想の最高の精華に仕上げた後に、死、すなわちあの世が与えうるものを対抗させる、ということは。
 このことは、芸術的に現れてくるものの共存においても明らかになります。これは、美しく、生長し、花開き、若々しく、成熟してゆく人間を形作る上での芸術的な技量がいかに現れてくるかを見ると、明らかになるのです。実際この点で、ギリシア・ラテン時代の芸術的技量はとくに成功を収めました。初期のキリスト教芸術の創造活動のなかにはまだギリシア的なものが入り込み、けれどもまた同時に、この芸術的な創造活動が、感覚世界に呪縛され得ないものを芸術的に克服すべく格闘しているようすも見られます。したがって、若々しさ、生命性、成長の描写における完全さが、まだぎごちない死の表現、永遠、無限を内包し、そこに至る門である死の表現と並置されているのが見られるのです。
 キリスト紀元初期の初期キリスト教芸術からふたつのモティーフを組み合わせて、私が意味するところをみなさんにはっきりとごらんに入れたいと思います。最初は《善い羊飼い》の描写で、

661   小彫像 善い羊飼い

ラテラノ{ローマにある1308年までの教皇宮殿、現在は博物館}にある彫刻です。生長するもの、花開くもの、成熟するものを描写する芸術的な能力、つまり生命的なもののことですが、これがキリスト教芸術のなかに入り込んで生長していくさまを、みなさんはこの作品にごらんになることができるでしょう。《善い羊飼い》によって実はイエスの姿が意味されているにしてもです。ギリシア芸術は生命に捧げられました。感覚世界から生命の最高段階である人間へと仕上げられたものにギリシア芸術は捧げられたのですが、人間はしかし死において、無限、永遠への、超感覚的なものへの入り口を唯一与えてくれる意識を手に入れます。かつては、ただアポロ、パラス・アテーナー、アフロディテを描写していたもの、まさに若々しく花咲き、生長し、成熟するものを描写していたものが、適応しようとしているようす、このかつてのものが別のもののなかに入り込んで生長していこうとしているようす、さらには、死を芸術的に克服することにより、そのような姿をとる無限のもの、超感覚的なものを求めるものをも捉えようとしているようす、そうしたことを私たちは見るのです。これは、感覚性から発動し、アトランティス後第四時代にとりわけ花開いた芸術の余韻なのです。
 さて今度は、同じ時代に由来する別の彫刻 -- これは木彫りですが -- に注目してみましょう、ゴルゴタの十字架の描写です。

662   磔刑 レリーフ、木  サンタ・サビーナ聖堂の扉 ローマ

 ふたりの盗賊の間の、十字架上のキリストです。最初のもの(661)と並べてみると、これがいかにぎごちなく見えるかよく見てみましょう。キリスト教の秘蹟として入ってきたものは、まだ芸術的に克服されておらず、この後一世紀にわたる骨折りを要します。キリスト教のもっとも初期においてまず私たちに姿を現すのは、キリスト教の核心である秘蹟のこのようにぎごちない描写なのです。
 こういう事柄を、誤った苦行あるいは誤った感覚性嫌悪の意味で捉えてはならないにしても、このように言うことができるでしょう、キリスト教初期の時代のまなざし、魂のまなざしは、ゴルゴタの秘蹟の認識によってその超感覚的な効力が顕現するという死の秘密に向けられていたのだ、と。ゴルゴタの秘蹟と結ばれていると信じることによって、人間の魂の永遠の営みに向かう死の門の背後を見るために感じ取らねばならないもの、そういうもののなかに入り込んでいくのだということも信じられたのです。したがって、きわめて多様な文化形式と領域において、死の祭式というものが、キリスト教初期の数世紀に感受性の強いキリスト教徒たちのあいだにとくに顕著に観察できるのも、不思議ではありません。ですから、私が善い羊飼い(661)を、この《ゴルゴタの秘蹟の描写》(662)と隣り合わせに置いてお見せすることで言い表そうとした描写の特徴[Duktus]、これを、私たちはこのように見るのです。キリスト教初期の数世紀において、とくに私たちが石棺に見出すレリーフや彫刻術全般においても、芸術制作のこういう筆法が見られます。石棺のなかに込められた、死者たち、死者たちの名残、死者たちの思い出に、ゴルゴタの秘蹟と関連するものを添えること、これは、感受性の強い初期キリスト教徒たちが切に求めたことでした。新約と旧約のなかに聖書の記す秘密、これはとくに石棺の側面に好んで表現されたものでした。とくにキリスト教初期数世紀の石棺芸術を研究することは、そもそも、キリスト教が行ったことに深く沈潜することなのです、いわば死の秘蹟というものを、死が現実に明らかになる場所、すなわち石棺という場においても芸術的に表現するために、この死の秘蹟を、永遠の生命の知らせ、啓示とされているものと、つまり聖書の秘密と関係づけるために、キリスト教が行ったことにです。
 それではここで例として初期キリスト教芸術の石棺をひとつ見てみましょう。

663   ある夫婦の石棺   ラテラノ博物館、4世紀

 中央の上部には、この石棺を捧げられた夫婦の肖像が取り付けられています。そして上下二列に、旧約聖書と新約聖書の場面が見られます。ごらんのように、これは左上のラザロの甦生から始まっています。それから続いて、丸い貝殻の右に、イサクの犠牲がごらんになれますね。さらに続いて、ペテロの裏切りも見て取ることができます。さらにたとえば下の右の方には -- これらは旧約聖書と新約聖書の登場人物ばかりです -- モーゼの泉の奇跡がごらんになれますね。このように聖書の登場人物ばかりで -- 残念ながら少し小さすぎますが -- 、聖書から取られた上下の場面です。ギリシア芸術が完成の域まで創造したもの、つまり自由に立っている人間の姿が、現実であるもの、ただしこの世とあの世を相互に結びつける現実であるもののなかに、ここでは押し込まれざるを得ないということがわかります。人物たちがいわば並べられているわけです。当然のことながらそうすることによって自由な造形は損なわれていますね。この損なわれた構成的なもの、これこそ私たちがとくに着目したいものなのです。そして、石棺の仕上げ、素材のフォルムへの完成を示すまさにこの例に、構成全体が中へ押し込まれている例を私たちは見るわけです。つまり、このことをよく理解してください、構成全体が、人物像形成のなかに、押し込まれ、造形されていくということです。いたるところに人間の造形が見られます、モーゼ、ペテロ、主なる神自身、甦(よみがえ)らされたラザロ、中心にはヨナスです。つまりこの構成では、空間形成が可能な限り後退し、幾何学的・図形的なものが人間の形姿の仕上げに対して退いているのです。とくにこの点に注意を払ってくださるようお願いします、次の石棺の場合は、まったく別のものが加わってくるのが見られるでしょうから。すでにこの石棺においても、すべてが構成上人物像形成のなかにいわば押し込められ、単に順番に並べられているというわけではなく、下の中心のヨナスの場面では、すでに構成が強く現れ出てきているのをごらんになれるでしょう。

664   石棺   ラヴェンナ、 大聖堂

 中心の人物はキリストです。ふたりの別の人物がこのように置かれているのに注意してください、そしてその背後両側の植物モティーフに。
 私がここドルナハで行った最初の講義を思い出していただきたいのですが、その際私が示そうとしたことは、アカンサスの葉のモティーフ{1914年6月7日の講義参照。『新しい建築様式への道』(GA286)の第1講}が、自然の模倣から出てきたのではなく、幾何学的なフォルムから、輪郭の理解から生じたものであり、私が示しましたように、のちになってはじめて自然主義的なアカンサスの葉に合わせられたのだ、ということでした。ここでは(667)このように、線と、線の関係が一種の主要事となっていて、彫塑的なもの、ギリシア文化がそこに最高の精華をもたらしたものはいわば後退し、構成的なもののなかにいわば引き込まれているのがわかりますね。こう言うことができるでしょう、ここでは外側に垂直な線が、それから互いに傾斜した二本の斜線、そして中心がある、と。これらの線を描いてみると、空間思考が得られるでしょう。

 それからこれらの線のなかに、ふたつの植物モティーフと、ふたりのいわば恭しく中心に向かって流れ込むような姿を置いてみましょう。

 ごらんのように、ここではこう言うことができるかもしれません、象徴的なしるし(記号)[Zeichen]が、ただ自然主義的に模倣されうるものに結びついている、なぜなら自然主義のなかにも理想的なものが隠されているからだ、と。つまり、人間の姿あるいは有機的・本質的なもの一般と、しるし(記号)が結びついていて、それは完全に区別することはほとんどできないほど、ここでは組み合わさっているのです。別の石棺モティーフ、たとえば第三の石棺モティーフでは、さらに別の、まったく別のものが私たちに姿を現すでしょう。

666   石棺   ラヴェンナ

 ここにはもう何か別のものがありますね。ここでもやはり植物モティーフは見られますが、同じ線が -- 今度は人間的存在ではなく -- 動物存在に占められていますね。中心モティーフがありますが、この中心モティーフそのものが象徴的ですね、中心モティーフはしるし、キリストのモノグラム(組み合わせ文字)で、Chi(X) {[ヒー]ギリシア字母の第22字}と Rho(P){[ロー]ギリシア字母の第17字) 、つまりキリスト[Christus]で、生命の輪とみなされて中心に置かれています。本来、空間的、構成的には、この石棺モティーフは先行するものと同じです。中心のキリスト像の代わりにキリストのモノグラム、恭しく近づくふたりの人物の代わりに動物が見られます。両側には植物モティーフもあります。けれども奇妙なことに、ごらんのとおりここではしるしがさらに完全に発達させられているのです。

 このようなモノグラム表現の根底にはつねに古い観照があります、もちろん今日それを表明すれば、いくらかグロテスクに思われるとはいえ、やはりそういう観照が根底にあるのです。みなさんにはっきりと理解していただかねばならないのは、かつてはまさに先祖返り的なグノーシス的な叡智から知られていたことがあったということです、それは実際一八世紀になってようやくすっかり滅び、一九世紀に滅びたものさえあったのです。この表現(666)をごらんになると、みなさんは容易に発見なさるでしょう、もちろん図案のなかに、芸術作品のなかに入り込んでいるにもかかわらず、まず石そのものー物質的、左右の植物モティーフーエーテル的、動物モティーフーアストラル的、そして円のなかのキリストのモノグラムー自我のなかのキリストの宿り、こういったことが見られるのです。

 このようなしるしに注目してみると、そして、彫塑的なもの、自然主義的・彫塑的なものにこのようなしるしとして現れているものに注目してみると、このアトランティス後第四時代のなかにアトランティス後第三時代から入り込んで働きかけているものが得られます。アトランティス後第三時代のきわめて奥深い特徴あるものとは、いったい何だったのでしょうか。このアトランティス後第三時代がこのようにその衝動を通じて正しく作用するところでは、この時代は主に、しるしを見出すこと、魔術[Zauber]を作用させるしるしを見出すことを目指していたのです。これをよく理解してください、魔術を作用させるしるしです。しるしとは文字を生み出すものでもあります。エジプト文化のなかでは、神官がヘルメス神自身を通じて、上から下へと啓示されるものとして、字母を、言葉を、受け取るのだということを思い起こしてください。しるしとは、それを通して超感覚的なものが感覚的なもののなかに入り込んでくるものなのです。しるしは、キリスト衝動が到来するときに、超感覚的なものから感覚世界のなかに入り込んで働きかけるものとして、再び現れなければなりません。と申しますのも、キリスト衝動そのものは、単に外的に形成されたものについてのみ語ってはならないからです。キリスト衝動は、単にアポロの化身ようなキリスト像を置くことはできません、キリスト衝動は、《最初に言葉、すなわち天の高みからしるしのなかに降りてきたものがあった》、《そしてその言葉は肉となった》と言えるように、キリストを置かなければならないのです。
 このように、アトランティス後第四時代のなかになおも入り込んでいるアトランティス後第三時代の衝動としてしるしのなかに生きているものが、キリスト衝動と結びつかなければならないのです。私たちがエジプトのなかに、比較的早い時代に、しるしが文字に変形されたことを発見するように、北方の国々でもルーン(ルーネ)文字{古代のゲルマン文字}においてしるしがまだその魔術に繋ぎ止められているのがわかります、ルーンを投げるルーンの祭司は、しるしが明かすものを、霊的な高みから啓示されるものを、認識しようとするのです。ここで私たちは、北方においてもアトランティス後第三時代が活動しているのを見、はるかに遡ってキリスト教より前のあらゆる世紀にルーン文字を発見することでしょう。キリスト教は伝播していき、ギリシア文化由来の、自然によってすでに霊化された美しい人間の自然主義的な描写のなかに与えられたものと合流します。ふたつのものが合流するのです。そしてこのモティーフ(666)のなかでこれらが合流しているのを見ることができます。アトランティス後第三時代と第四時代のこの重なり合い、この合流というのは意味深いことです。

 次のモティーフ、《王たちの捧げもの》をよくごらんになれば、

667   石棺  666の反対側の面  ラヴェンナ 大聖堂

自然主義的・現実的なものの描写とならんでここでは線の仕上げも生きているのがおわかりでしょう。

 さて次の石棺モティーフを考察してみましょう。

668   石棺   ローマ、ラテラノ博物館

 ここではまた別のものが見られます。これもまた主に聖書の場面を私たちに見せてくれるこれらの人物たちの並びのなかに、つまり、ここでも人物たちがずらりと並べられているのですが、人物たちの動きのなかに、線的なもの、空間的なものをも表現しようという試みが見られますね。つまりこれは(664とは)また別のものなのです。

 次のモティーフは、ガラ・プラキディア[Galla Placidia]の墓にある石棺のものです。

669   石棺   ラヴェンナ、廟堂

 ここではまた空間的なものがより強く刻印されているのをごらんください、ただ、すでにしばしば私たちの前に登場したもの(664、666)、つまり五重性の秘密、この秘密が、今回は中央に、いわば子羊の仲間たちに支えられて、子羊が置かれ、これもまた外に向かう植物モティーフで終わることによって、表現されているのがおわかりでしょう。きわめてさまざまなしかたで、アトランティス後第三時代の空間記号(しるし)の芸術は、キリスト教に奉仕し、キリスト教の支えとなるべく再度介入してこなければなりませんでした。そしてこれはすべて石棺芸術として入ってきたのです。
 キリスト教がなぜしるしであるものを流れ込ませたのか、その理由を真に心に留めておいていただきたいのですが、それはしるしには秘密が封じ込められて[hineingeheimnisst]いるからです。ここでは五重性が見られますね、この中央に三角形があり、さらにしるしがあります。それに加えて、以前私が述べたようなかたちで、線があります。キリスト教はなぜしるしを流入させたのか。 -- しるしのなかに、魔術を見たからです、単に自然主義的なもののなかで流れ去るものによってのみ起こるのではない作用、超感覚的なものがしるしのなかに現れてくることによって超感覚的に働きかける魔術的作用を見たからです。人間は、単に外的に自然主義的なフォルムでは表現できないものを、しるしのなかに降ろしてきたのです。
 次のモティーフです。

670   石棺   ラヴェンナ、聖アポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

 ここでもしるしがまったく独特に自然主義的なものと混ざり合っているのをごらんください、中央にキリストのモノグラム、両側に、前にもすでにごらんになった動物の姿がありますね。それから、植物モティーフがどういうふうに仕上げられ、多様化されているかをごらんください、そして上部にはしるしが使われているのがおわかりですね。ごらんのようにしるしと自然主義的な描写が互いに混ざり合っているのです、魔術としてのしるし、意味深く描写されれば、死者が死の門を通って入っていく世界からやってくるしるしです。おおむねこう感じられていたのです、死者が死の門を通って入っていく世界からしるしはやってきて、それから文字へと変形されるのだ、と。けれども、人間が誕生と死の間に生きる場所には、自然主義的なものが生きています。
 次のモティーフは、パンを増やす奇跡です。

671   石棺   アルル、博物館

 これはまた別種のもので(663、668)、建築的なものが単にしるしのなかに置かれています。
 さて、次のモティーフは石棺モティーフではなく、象牙彫刻です。

672   象牙レリーフ ビザンティン皇帝

 これによってとくにはっきりとお見せしたかったのは、これがアトランティス後第第四時代の芸術であり続けるようなしかたで、素材から浮き彫りにされているようすです。キリスト教初期の世紀の象牙彫刻のレリーフ芸術において、これが素材から浮き彫りにされているように、これは、アトランティス後第四時代の自然主義を、芸術的な自然主義を、表現することができるのです。
 次のモティーフも同様に象牙彫刻です。

673   象牙レリーフ 幼子を抱くマリア

 ここでは、図形的なもの、彫塑的なものが、線を埋める(充填する)ために用いられているとしても、このなかにはまた、しるしを多くごらんになれますね。けれども、そこに図形が引き込まれ、組み込まれているものを、いわばどのように埋めることができたか、これを幾何学的な図形によってどのように埋めることができたかを、十分はっきりとごらんになれるでしょう。
 これらは、キリスト教がアトランティス後第三時代の記号(しるし)芸術から引き出し、いたるところにその現れが見られる基本骨格とでも申し上げたいものです。
 ラヴェンナの大聖堂からの例がもうひとつありますが、

665   石棺   664 の狭い方の面

 この例でみなさんに示すことができるのは、今や完全にモティーフがしるしの使用へと移行させられているということです。ここでも左上にキリストのモノグラムがあり、下の左と右にも幾何学的で図形的なモティーフがあって、上には同様にキリストのモノグラム、左右対称の単純なモティーフがあります。みなさんが少しばかりファンタジーの助けを借りれば、第一のモティーフから第二のモティーフへと実際に進化が起こっていることを、このなかに見出すことができるでしょう。左上の円弧のなかに、単純化されたキリストのモノグラム、Chi(X)とRho(P)を思い浮かべ、Chi の二つの梁が単純化されたと考えてみてください、するとこの右上の中心のモティーフ、つまり十字架型のモノグラムが得られるでしょう。左上のモノグラム取り巻いているもの、花輪が、単純な植物モティーフ、葉のついた蔓と合体すると想定してください、すると、右上の、左右の動物モティーフが得られるでしょう。いわば上右のモティーフを、左のモティーフから始まって、単純化され、けれども高められて仕上がった形態として、はっきりと思い描くことができるでしょう。左下ではモノグラムの棕櫚(しゅろ)の葉がこのようにモノグラムを取り巻いて絡み合った状態に形作られていると想定してください。ここでも、ひとつの柱頭のモティーフが別の柱頭モティーフから成長してくるこのゲーテアヌムの建築の場合と同様に、左のモティーフが成長していくと考えてみてください、単純化された幾何学的フォルムがより有機的に形作られたと考えてみてください、そうすると、左のモティーフから発展する右のモティーフが得られるでしょう。
 アトランティス後第三時代の秘蹟へと遡ると、ヨーロッパ中のいたるところに、北上してアメリカにまで至る範囲に分散して見出されるのは -- と申しますのも、スカンジナヴィアとアメリカとの間には常につながりがあったからです。ただそれは、アメリカがスペインによって発見される前の数世紀に失われてしまいました。かつて人々は常時スカンジナヴィアからアメリカまで航海していたのですが、十三世紀になって短期間でこのつながりは失われ、その後コロンブスによって再発見されることになるわけです -- 、南ヨーロッパ、北アフリカ、アジアのよく知られた部分、つまりアジアの近東地域へと広がって、アトランティス後第三時代においていたるところに、秘儀、のちには秘儀の末裔が見出されます、つまり、かつての純然たるアトランティス後第三時代の秘儀の土地です。当時はとりわけしるしの魔術について語られていました。エジプト神話が神官とヘルメスの関係について語ることは、秘儀においてしるしの魔術について秘教的に(エソテリック)に教えられ、北の国々でルーン文字の魔術について教えられていたことの、単に外的で顕教的(エクソテリック)な余韻にすぎません。それは、ひとつの側から、霊的な側からそこにやってきた魔術でした。しるしを形づくり[formen]、純粋に霊的なものからしるしを形づくり、いわば人間の意のままにしるしを空間のなかに移動させた、まさに特定のしるしを作ることによって、超感覚的なものの力がしるしの内部に注ぎ込むように移動させたのですが、このようにして引き起こそうと試みられた魔術だったのです。
 けれども、これは魔術が求められたただひとつの場ではありませんでした。そして魔術が一面において、超-自然主義的な[uebernaturalistisch]ものとでも申し上げたいもののなかに求められたということは、非常に重要なことです。よろしいですか、ギリシア芸術において、ギリシア的なものとは自然主義的なもの[das Naturalistische]であり、これは同時に精神主義的[spiritualistisch]であったのです。超自然主義的なしるしのなかには、しるしのなかにのみある魔術が求められました。けれども魔術というものは、下-自然主義的にも[unternaturalistisch]求められたのです。古代においてルーン文字について、しるしについて語っていた秘儀のほかに、また別の謎について語っていた別の秘儀がありました。下-自然主義的な魔術、主として地表の下に見出されうるまったく特殊な産物、こういう産物に注目するときに発見される魔術、こういう魔術について語っていた秘儀です。上昇すれば、しるしの意味を与えてくれる高みの神々に迎えられます、そのなかで超感覚的なものが魔術として作用しているので、超感覚的なものは感覚的なものを捉え、芸術的に感覚的なものとひとつになることができるのですが、そういうしるしの意味を与えてくれる神々です。けれども、下-自然主義的なもののなかに、地球の内部に降りていくと、そこで魔術を有しているものを見出すのです。
 さまざまな魔術のなかでも、とりわけ二つの謎を認識しようと試みられました。今日私たちがこうした二つの謎について語りたいと思えば、こう言わざるを得ないでしょう、隠された秘儀においてはとりわけ、大地の鉱脈のなかに見出される金(黄金)の謎、そして宝石の謎が保たれていた、と。奇妙に聞こえようとも、これは真の歴史的事実と合致しているのです。しるしの魔術は特に教会が手中にしていました。教会はアトランティス後第三時代の秘儀から、しるしの魔術を引き継ごうとしたのです。金の魔術 -- つまり、そこでは自然のなかに存在するものが特殊な物質[Materie]に作り上げられます -- 、そして宝石の魔術、そこでは、いつもは空間を暗く満たしているものが明るく輝き、物質的なものの内部、物質的なもののなかで通常闇として支配するもののなかで光となるのですが、そういう魔術に没頭したのは、今や聖職者たちではなく、世俗の人々、教会の外にいる人々でした。
 そしてこういう事態になりました、ある非常に古い衝動から -- 私が最近述べたようなしかたで、自由都市文化の基礎が築かれたとき、いたるところに自由都市の建設が起こったとき、これらの自由都市建設において表面化してきたのは -- 、精神生活の雲を貫いてくるように表面化してきたのは、宝石に寄せる喜び、金に寄せる喜び、金の加工に寄せる喜び、宝石の使用に寄せる喜びだったということです。教会が天の高みからしるしを降ろしてこようとしたように、後に自由都市文化となるものは、大地の深みから、金の秘密、宝石の秘密を取ってこようとしたのです。これは単なる偶然ではなく、深い歴史的必然なのですが、都市文化から、金細工芸術が、そしてこう申し上げてよければ、単に金細工芸術に付随するようなかたちで、ほかの金属の芸術が発展し、都市文化からさらに、宝石を用いようとする憧れも生じてきました。なぜなら金と宝石は魔力を秘めていたからです、感覚の前に広がる下方の自然主義的なものから、魔力を奪いたいと思われたのです。
 金と宝石を用いた、このような都市の仕事の余韻は、今日なお、ベルンヴァルト司教がヒルデスハイムで打ち立てた芸術のなかに、みごとに見て取ることができます。中部ヨーロッパの北方の中心であるヒルデスハイムには、宝石が繊細な金属芸術作品に嵌め込まれているこのような芸術作品 -- そのほかにどんな作品があったとしても、ここではこれらが特に集中されています -- を数多く見ることができます。

   ベルンヴァルト・フォン・ヒルデスハイム[Bernward von Hildesheim]

674   ベルンヴァルトの十字架

 

675   ベルンヴァルトの十字架  裏面

 

678   ベルンヴァルトの燭台

 

677   福音書の装丁

 ヒルデスハイムにおいては、こう申し上げてよければ原現象的に[urphaenomenal]意味深く、これが立ち現れてくるのです。けれどもこれは広がっていきました。実際、私がまさに示しました衝動からとりわけ中部ヨーロッパに花開くものが、姿を現し、それからイタリアの諸都市にも現れます。と申しますのも、基本的に、フィレンツェにおいても、金細工芸術、のちの金細工によって仕上げられたもの、そしてレリーフ彫刻や彫塑芸術全般という分野でのちに偉大な芸術となったもの、これらは同じ起源に遡るからです。ものごとは実にきわめてさまざまなしかたで互いに結びついているのです。

 けれども今度は次のようなことを考えてみてください。九世紀において、教会はローマを起点とする教皇制について、まだのちの時代とは異なった理解をしていたので、私はそもそもヨーロッパに何が起こらなくてはならないのかを述べました。ある観点から私は、ヨーロッパにおいていわば下から上へと作用する力、この力が、九世紀以降ローマから、どう組織化されるか、いかにこの力が、霊的世界から獲得された法則のなかに取り込まれねばならなかったか、説明いたしました。そしてここで、一方においてはローマ、つまり南において、上方のしるしの世界の魔術が現れてくるのを見ることができるわけですが、けれどもまなざしを北に向けると、そこでは自由な都市文化が形成され、金の秘密、宝石の秘密に寄せる喜びが成熟しているのです。しかしこの北方は、すでに数々の古い秘儀から、この秘儀に必然的に関わる何か、一方では宝石の秘儀に関連し-- 今日私たちはこれを局外に置きたがっていますが -- 、他方では金(黄金)の秘儀に関連する何かを、あらかじめ形成していました。と申しますのも、キリスト教というのは単にひとつの衝動としてのみ成立したわけではなく、キリスト教に対抗する働きかけもあったからです。南ではしるしの魔術によってキリスト教への対抗がなされたように、北では、中部ヨーロッパと北方の伝説世界のなかに壮大な黄金の秘儀が体現され、顕現されることによって、キリスト教への対抗がなされたのです。
 そして黄金の秘儀に関わっているのは、黄金を略奪し、黄金の悲劇にふれて破滅するジークフリートという人物です。ニーベルンゲンの歌[Nibelungenlied]においてジークフリートという人物に結びつくすべては、黄金の秘儀に関連しています。と申しますのも、ニーベルンゲンの歌の意味を赤い糸のように貫いているのは、魔力を持つ金は、超感覚的な世界のみに属すものであり、感覚的世界に捧げられてはならない、ということだからです。
 これをこのように捉えると、黄金の秘儀が心情にとってもっとも深く捉えられます。いったいジークフリートについての知らせは何を語っているのでしょう?ニーベルンゲンの歌は何を語っているのでしょう?これはどんな偉大な教えを含んでいるのでしょう? -- それはこういうことです、死者たちに黄金を捧げよ!黄金を超感覚の支配する国に捨て置け、それは感覚の支配する国では災いを引き起こすのだから、と。
 これは、北の国々においてキリスト教に先行していた教えでした。これがローマにおいて理解されたのは、九世紀においてローマ的であったものと、もっと北に位置していたヨーロッパ的なものとの間に、偉大な統合が起こった時、そして芸術的にも、一方においてしるしから働きかけることのできたものと、他方において細工された金や宝石をしるしのなかに嵌め込んだものとが、ひとつになった時でした。八、九、十、十一、十二世紀といった時代に、しるしの芸術が、金および宝石芸術と合流するのを見ることができるのは、すばらしいことです。この初期キリスト教芸術の内部にはいたるところにしるしが見られます。もうひとつの衝動がこれと結びつくことによって、細工された金と宝石が、しるしのなかに入り込みなじんでいくのが見られるのです。
 これに到達しようとして実際にローマから組織的な努力がなされていました。けれどもこれはヨーロッパでも準備されていたことでした。と申しますのも、初期において、南からやってくるキリスト教的な伝承は、非具象的なもの、単に言葉によって伝達されるものにおいてさえ、しるしが働き活動する、という形式であったことがわかるからです。異教的なものは北から出迎え、現世的なものを捧げようとします、飾り付けるもの、装飾するもの、下- 自然主義的な魔術を含むものを、しるしに捧げようとするのです。そして南起源の十字架に、古い異教的な秘儀に由来する、北の金や宝石による装飾物が結びつくことで、もちろん十字架というしるしそのものも秘儀から発してゴルゴタの秘蹟のために用いられていたのですが、私たちは三つの衝動が合体しているのを見ます、つまり、アトランティス後第四時代におけるギリシア的な形成力を用いることによる、霊化された自然の自然主義的な描写、続いて別の二つの衝動、つまりしるし、しるしの魔術、{そして}金と宝石のなかの、物質の下にあるものの魔術です。
 そうです、歴史的な生成において、のちに現れてくる物事は、長期間準備されるのです。今の時代というのは、すべてが人間に向かってこう叫んでいるとでも申し上げたい時代です、単にぼんやりと現在を眺めることではなく、進化のなかに生きている衝動を真に捉えるすべを学びなさい、さもなければ、現在カオスとなってしまったものを決して克服できないだろうから、と。
きょうはできませんけれども、次の時には、芸術が南から北へとさらに迫っていくことで、あるモティーフがとりわけ強く形成されたことを、たぶんみなさんに示すことができるでしょう。それは、動物的なものと人間的なものの組み合わせです。このように、のちには光と闇の共同作用であるものが、それより前の時代に登場するのです。ミカエルなどによる龍への勝利においても、さらにまた動物的なものと人間的なもののその他の組み合わせにおいても、図像的で暗い動物的なものから、明るい人間的なものが際だっています。これがのちに明暗の芸術[Hell-Dunkel-Kunst]になるのです。これらのことはすべて関連しています。そして、古い時代と新しい時代のこのような入り組んだ働き、異教的な自然主義的な衝動がこのようにキリスト教的な衝動に浸透されること、キリスト教的な衝動はしかし、通用するためには、古い魔術のモティーフを再び更新しなければならず、ただし今のところは、古い異教的な意味における魔術は取り去られ、真のスピリチュアルな世界に高められてということですが、こうしたことがいかに芸術的にも表現されてくるかを示そうとすれば、きわめて多くが語られねばならないでしょう。
このことは、とりわけあの世紀、つまり九、十、十一、十二、十三世紀においてよく知られていました。いにしえの異教的なものが古くなってしまったことを -- その多くはまだ残っていましたが、古くなってしまったのです -- 、当時の人は知っていました、そして若いキリスト教的なものが入り込んでいかなければならないことも、知っていたのです。これは、文学、芸術、伝説形成などいたるところに姿を現してきます。すでにたびたび注意を促してきたことですが、現代の人間からは、霊的なものと外的・現実的なものとの関係が、ほとんどまったく失われてしまっています。唯物論を標榜したアトランティス後第五時代においては、これは実にほとんどまったく失われております。純粋に自然主義的なもの、純粋に物質的なもののなかに、スピリチュアルなもの、意味深いものが流入するいうことを、もはや思い描くことができないのです。ですから今日(こんにち)、ヨーロッパの文化において、異教的なものが徐々に滅びていくことも、キリスト衝動が徐々に生成してくることも、可能な限り抽象的に叙述されるわけです。九、十、十一、十二、十三世紀においてはそうではありませんでした。何かそのようなものを描写したいと思えば、たとえば魂と外的な身体性を、人間の外部においても、歴史的、自然的なできごとのなかに想定し、合わせて考えることができました。目を向けたところがどこであれ、周囲に地理的に横たわるもののなかに、同時に霊的(精神的)なものが刻印されているのを見たのです。そのためこの表象の内部には、多分に預言的なものも含まれていました。
今の時代において、表面的に感じ取ろうとするのではなく、この時代に起こっている途方もないことに対して心ある状態であろうとすれば、今日(こんにち)、ニーベルンゲン伝説のなかにある深く預言的なものに注目せずしてニーベルンゲン伝説のことを考えることはできません。ニーベルンゲン伝説をその深みにおいて理解する人は、恐るべき出来事となって稲妻のように現代を貫くすべてが、そのなかに準備されていると感じます。と申しますのも、黄金の秘儀をもとにそこから考えていたため、ニーベルンゲンの歌のなかに思考を刻み込むように考えることによって、人々はまだ預言的に思考していたからです。ハーゲンが、ニーベルンゲンの宝を、黄金の財宝を、黄金をラインに沈めさせること、これは預言的な表象であり、そしてニーベルンゲン伝説が形成された時代においてこれは、未来へのまなざしをもって、未来に敵対する衝動をきっかけとしてラインがそうなるであろうすべてのものへのまなざしをもって、深く悲劇的に感じ取られるという以外には、決して感じ取られることはありませんでした。その当時はまだ、外的に地理的・自然主義的なものは魂なきものと考えられるのではなく、魂的なものとの関連で、どの風の息吹のなかにも魂的なものが、どの流れのなかにも魂的なものが考えられていたからです。《いにしえのライン》という純粋に物質的な名称にどんな意味があるというのか、と実際人はふつう知りたがるものですね。物質主義の意味ではそもそもラインとは何でしょう? -- それはライン川の水ですね。ここ数日そこを流れているものは、おそらくその次の時にはもうどこかほかのところにあるでしょう。ライン川の水というのはいずれにせよ、いにしえのラインについてのこととして語ることのできるものではないでしょう。単に地面の隙間を埋めるもののこともふつう考えませんね。物質的なものは流れ去り、残りません。古い時代においても、この外的に物質的なもの、それはどのみち単に幻影としてそこにあるのですから、物質的なもののことを考えることはありませんでした。そして外的な出来事を、単に流れ、それは自然主義的なものとみなされましたが、単に流れのなかにさし入れられたものと考えることもありませんでした。外的なものは、同時に、物質的な存在すべてを貫いて活動する魂的なものの表現と考えられたのです。このように、古い異教の文化が新たに登場するキリスト教的衝動から引き離される必要がまだあった時代に -- そしてこれはヨーロッパにおいてはまだのちの世紀においても必要なことだったのですが -- 、とりわけこのような時代に、地理的なものを魂的に考え、地理的なものを、魂に、心に、心情に、納得させようとする試みもされたのです。
私たちはたとえばオディーリエ山[Odilienberg]を眺めて、そこヴォゲーゼン山脈{フランス中東部、ドイツとの国境に近いアルザス地方のライン左岸に南北につらなる山脈。フランス語でヴォージュ山脈}に、オディーリア{660-720頃 フランス語でオディール。のちにアルザスの守護聖女とされる}によって、キリスト教修道院が建てられたのを見ます。彼女は異教徒の公爵である父に幻惑されていました。異教的な外壁のところにキリスト教修道院が見られます。けれどもこの異教的な外壁は、いにしえの異教の秘儀の遺物にほかなりません。地理上のある地点で、滅びゆく異教文化と台頭してくるキリスト衝動が合流しているのが見られるのです。私たちはこのことが神話のなかに表現されているのを見ます、異教の側、つまり自身の異教的な祖先たちによって覆われたオディーリエの幻惑、けれども彼女はレーゲンスブルクの司祭によって、キリスト衝動によって、内的に霊的な視を開かれるのですが、このオディーリエの幻惑についての神話のなかにです。私たちは、レーゲンスブルクでのちにキリスト教的に花開いたもの、のちにアルベルトゥス・マグヌスのなかに偉大な結実をもたらしたものが、共に作用しているのを見ます。それがそこで花開くのを見るのです。異教的な祖先に幻惑されていたオディーリエの目のなかに、それがキリスト衝動を滴らせるのを見るわけです。私たちは、地理的にこの地点において、キリスト教的な光でありまた古い異教的な闇であるものが、互いに組み合わさっているのを見ます。私たちはこれを、ローマからこう命じられた土地に見るのです、黄金を取れ、ただしその黄金は、超感覚的なものの国である国に捧げよ。十字架をそのしるしとするもののなかに、黄金を嵌め込め!と。-- これに対して現代ではごらんのとおり、黄金の川は、まさしくいにしえの異教的な北方の伝説に表現された意味で捉えられていますね。
私たちが見るとおり、超感覚的な光として黄金に対置されたものに、時代は反対しています。ニーベルンゲン国から黄金を取ってくるために、ジークフリートはイーゼンラント[Isenland]までさまよいました。彼が黄金としてニーベルンゲン国からもたらしたものは、キリスト衝動に捧げられました。このキリスト衝動は否定されてはなりません。このキリスト衝動は、もう異教化されてはならないのです!
おお、この時代のおそるべき意味を正しく言い表すために、人間の言葉よりはるかに烈火のごとき言葉で語ることができるなら!この時代においては、これほど多くのしるしが語っているからです。それなのにこの時代においては、残念ながら人間はほとんど聞く耳を持たないのです。この恐るべきカオスの最初の年がやってきました -- 人々は、そんなものはたちまち過ぎてしまうだろうと思いました -- 。このカオスのなかには根深い力が働いているということに、彼らは耳を貸そうとはしませんでした、二年目も、三年目も、そして今もです。崇拝された黄金が腐食されてはじめて、この時代にぜひとも必要なものは、通常の手段では捉えられないということに、人々は聴く耳を持つようになるでしょう、古い時代から引き継がれた手段では捉えられず、キリスト衝動から流れ出ているけれども、多くの点でまさにそのキリスト衝動としては忘れ去られたもの、ただそういうものの改新によってしか捉えられない、ということに。できる限り多くの人々が、何かを学ぶこと、精神(霊)[Geist]について学ぶことを決断するよりほかに、事態が改善されるのは不可能です。と申しますのも、アトランティス後第五時代の到来以来、ますます精神(霊)の否定が進行しているからです。
とくに、かつて人類は、風向きさえも、単に唯物論的に考えるのではなく、{羅針盤の}羅牌(らはい)[Windrose]に魂が吹き込まれている、と考えるすべを心得ていました。一方にオディーリエ山が、他方にレーゲンスブルクがある地方を、魂が吹き込まれている、と考えるすべもです。そして別の場所についても同様でした。
大地の上には単に空気のみではなく、大地の上には探求されなばならない精神(霊)[Geist]があること、大地の下には、物質的な道具を作るための材料として、取ってくることのできるもののみではなく、下-自然主義的なものとして獲得され、超感覚的なものに捧げられねばならないものがあることを、再び感じ取るすべを人類が学びますように。黄金の秘蹟が存在することを、人類が再び理解しますように!このことを教えるのは、単に精神科学のみならず、真にスピリチュアルな意味で理解された芸術の経過もまた、このことを教えてくれます。おお、現在の人類が日一日と待ち続け、新しいものが理解されねばならないこと、旧来の使い古された観念では前進できないことについて理解しようとはしないのを、ともに眺めているのは恐ろしいことです。これについてはまた別の回にもう少し。