ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第13講-1

芸術上の描写におけるキリストの捉え方の変化

初期キリスト教の絵画とモザイク
イタリアの巨匠たち
デューラー

1917/10/29   ドルナハ


 きょうはみなさんに、キリストの捉え方の変化について、しばらくの間ある観点からいくつか述べたいと思います。ある意味では、人間のあらゆる文化領域へのゴルゴタの秘蹟の影響というものについて語ることができますし、できるだけ個々の文化領域に左右されることなくこのゴルゴタの衝動の一撃[Einschlag]を考察するならば、ゴルゴタの秘蹟によって地球進化のなかに引き起こされたものについて、いっそう正確なイメージを得ることができます。

 さて人類の普遍的な歩みのなかにゴルゴタの秘蹟という一撃が与えられ、重要な変化を呼び起こしたことについては、実際に芸術進化においても語ることができます。けれども、個々の芸術の進化における、芸術進化のある種の内密さ[Intimitaeten]、とでも申し上げたいものに着目しないなら、こういう思想を適切に扱うことはできないでしょう。

 ヨーロッパの人々がキリスト像[Christus-Figur]を描写し始めたのはいつか、ということを調査してみると、繰り返し行き着くことは、そもそもキリストの形姿[Christus-Gestalt]を芸術的に描写しようという試みがはじめて行われたのは、世界史の進化におけるある瞬間を始まりとして、つまり、福音書解釈、すなわちキリスト教の文献的解釈が一定の完結をみたと言えるとき、福音書の基準、福音書の伝統から、キリスト教会の措置により、ある種の知らせ、当時黙示録的とみなされた知らせが除外されたとき、そういう時期であったということです。福音書文献の根幹部分が完結し、福音書のなかにあるものが、人々の心情のなかにもある程度浸透したとき、このときに、ヨーロッパにおいて、福音書のなかに見出される場面や人物たちを、描写したい、芸術的に描写したいという憧れが生じ始めたのです。

これはいずれにせよ、見失ってはならないことです。福音書が完結し、キリスト教徒と自称する人々の心情のなかにそれがある統一性をもって移行していく前には、描写という点では、ここにスライドでごらんになるようなしるしによって現出させられるもの、つまりキリストのモノグラムに限定されていました。

710   キリストのモノグラム

 ごらんのように中央に、X と P 、つまりヒー[Chi]{ギリシア字母の第22字=Ch}とロー[Rho]{ギリシア字母の第17字=R}、同時にこれは、ローをともなった斜めの十字架となっていますね。

あるいはごらんのように同様のフォルムで、

712   キリストのモノグラム

あるいは何らかの動物図形と組み合わされて、

713   鳩の間にあるキリストのモノグラム

あるいはこのように変形されて

711   キリストのモノグラム

 福音書の資料群が統一され、徐々に人々の心情のなかへと浸透していった時代においては、{描写は}こういうものに限られていたのです。したがって聖なる歴史のほんとうに造形的な描写というものについては、二、三世紀以降ようやく語ることができるのです。

 さてこの地での芸術考察の流れのなかですでに強調してきたことがいくつかありますが、きょうは別の関連でそれを参照してくださるよう繰り返し示唆しなければなりません。私が強調したのは、行われた最初の描写は、かつての、古代の、異教的な芸術進化のフォルムのなかでまだまったく揺れ動いていたということでした。異教文化が芸術のフォルムにおいて発展させたものが、キリスト教的な発展の内容のなかに単に転用されたのです。これは非常に重要なことです。そしてこう言うことができるでしょう、三世紀初頭に至るまで、異教的なもの、つまり造形的なものを描写する異教的なしかたを、このように福音書の場面に転用すること以外には、西洋の文化発展においてまだ何も完成されてはいなかったのだ、と。ここで私たちが見出すのは、キリスト教的なイメージの結びついている人物たちが、異教の神話の人物たちが通常描写されるのと同じように描写されていることです。

 きょうの考察ではキリストそのものの形姿に限定しておきましょう。そしてこの関連で、キリストが描写され始めた初期の時代に、私たちがきわめて頻繁に見出すのは、古代において、前キリスト教的な時代において、きわめてさまざまな形式で表現されていた善い羊飼いの像です。この像は -- 数多くの《善い羊飼い》の描写のうちのひとつとして選ばれたものですが -- 、

714   モザイク  善い羊飼い

動物たちの間に描写されたダヴィデの姿を彷彿とさせますね。別の、ギリシア的な描写を思い起こさせるのです。そしてきょう私たちがとくに、キリスト像に限定するなら、キリスト像は、この絵では、純然たる古代的な表現をとっています。私たちが見るのは、この造形的な表現のなかにある努力、このような古い時代における慣例どおり、柔和で高貴な顔、ひげのない、髪にまだ分け目もつけられていない、若々しく優美な、そういう顔を与えようとする努力です。それは、このような描写すべてのなかに生きていた努力でした。私たちはまさにこれらの描写において、キリスト教的ー造形的なものが、異教的ー造形的なものに入り込んでいるのを見ます、実際こういう絵においては、まだすべてが、異教的ー造形的だからです。

 今、まさにこのような描写に対して問いが生じます、芸術的なものにおいてはいったいどこに -- 今私は純粋に芸術的な観点から述べています -- 異教的なものがあるのか、と。芸術についてどれほど多く書かれようと語られようと、こういう表現を用いてよいなら、芸術表現には異教的なものというこの本来の神髄があるのです、それが強調されることはなかったのですが。みなさんが -- まだ現存しているもののなかからそうできる限りで -- ギリシア芸術を研究されるなら、これらのギリシア的な人物たちは、今日(こんにち)私たちが写実的[realistisch]ということについて語るような意味で写実的ではなかった、ということの正しさがますますいっそうおわかりになるでしょう。人間の生体のフォルムは、ギリシア人によって、何らかのモデルとの直接的な肖像画的類似に沿って描写されたのではなく、そもそも地上を動き回っている人間の体の単なる模写となるように描写されたのではありません。ギリシア人たちはすでに感覚のなかに理想の身体[Ideal-Leib]というものを持っていたからです。そしてこの理想の身体のなかに、彼らは実際、人間の目がモデルに見ることができるものとはまったく別のものを体現させていました。ギリシア的な身体フォルム、芸術的な身体フォルムのもっとも重要なものを正しく理解するためには、目がモデルのフォルムに見るものを度外視しなければならず、私が昨年ここですでに強調した、ギリシア人は本来、体のなかに有する内部感情[Innengefuehl]にしたがって造形していた、ということをしっかりと心にとどめておかなくてはなりません。ギリシア人は筋肉を、目がそれを見るようにフォルムにしたがって造形したのではなく、それを感じたままに、内なる感情が、筋肉の運動、張り、緊張とともに動いたままに、造形しました。ギリシア人は芸術の素材のなかに、その身体性が有していたこの内なる感情を表現したのです。

 何によってこういうことができたのでしょうか。-- そう、これができたのは、ギリシア人が、思考を人間の身体性に向けるときに、その造形的作品の最大多数において、人間の個人的・魂的なものを度外視していたということによってのみでした。ギリシア人はこれを度外視したのです。ギリシア人は人間の身体を造形しつつ、まさに身体的なもののみを見ました。けれども、ギリシア人が身体的なものを見たというのは、この身体的なものを、全宇宙の成果、全宇宙のスピリチュアルな成果と見なしていたということなのです。ゼウスの形姿、パラス・アテナの形姿、アポロの形姿、アフロディテの形姿をごらんになれば、みなさんはそのなかに魂を見出すでしょう。けれどもこれらの形姿のなかにみなさんが見出すこの魂は、個人的人間的な魂ではなく、全宇宙の成果として生きている魂、人間の姿をとった宇宙魂[Weltseele]なのです。こう言うことができるでしょう、ギリシア人がこの領域で魂とみなしていたもの、これをギリシア人は、宇宙万有の成果として人間のまったく外部に探し求め、宇宙万有の諸力が、その形成力の至宝、その創造力の至宝である人間の生体を生み出すべく結集するさまを思い描いたのだ、と。全宇宙万有の創造的な諸力が集中するように、そのようにギリシア人は人間の生体を造形しました。私が数え上げたような形姿におけるギリシア的生体のなかに私たちが見出すのは、全文化によって、さらには精神全体によって法則形成しつつ働きかけ、宇宙の創造的なものを人間に集中する、そういうものの集中された表現なのです。

 こう言ってよいかもしれません、ギリシア人は身体を次のようなしかたで造形しました。たしかにそれは奇異に見えるかもしれません、けれども、私がこれから申し上げることは、考えられているよりずっと正確なのです。眠りに落ちていく人間を思い浮かべていただくと、魂、すなわち自我とアストラル体は、身体の外部にあり、そして今や眠っている身体は普遍魂的なもの[Universal-Seelische]に浸透され、宇宙の一部である魂的なものに占拠されます、この魂的なものは、地球進化期の間に個人魂的なものが人間に入り込んでいったために追い出されたのですが、その後、私が引き合いに出したような形姿の場合にギリシア人に霊感を与え、特殊な人間フォルムを刻印するように導いたのです。けれどもあたかもギリシア人が個人魂的なもの[das Individuell-Seelische]について理解していなかったように、ということではありません。ギリシア人はこの個人魂的なものを、まだ人間のフォルムに浸透していないものと見ていたのです。ギリシア人にとって人間のフォルムとは、まだ何か普遍的にして個人主義的なもの[etwas Universell-Individualistisches]でした。そしてじゅうぶん奇妙なことに、個人魂的なもの、人間固有の魂的なもの[das spezifisch Menschlich-Seelische]というのは、ギリシア人が、高次の発展を遂げたギリシア芸術にとって典型的である形姿を描写しないときにのみ、ギリシア芸術のなかに登場するのです。アポロあるいはゼウス、パラス・アテナあるいはヘラ、アフロディテを描写するときには、ギリシア人は何か典型的なものを描写します。これらを描写しないとき、{アポロやゼウスなどでなく}サテュロス[Satyr]{快楽を好む山野の精。ヤギの足をもち、デュオニソスの従者}やファウヌス[Faun]{上半身は人間、下半身はヤギの森の神。牧羊神}を描写するとき、ギリシア人は、個人的ー人間的なものに帰せられるもの、目覚めとともに身体のなかに入り込み入眠とともに身体から出て行く個々の魂に帰せられるものを描写するのです。

 よろしいですか、これが、ギリシアにおいてその最高の洗練を見せた異教的芸術進化の特性です。芸術フォルムが理想のタイプを示すとき、人間固有の魂は、まだ芸術フォルムの内部にはないのです。これに対して、人間の魂として作用するもの、情動として衝動のなかで人間の魂を貫くものは、まだこういう姿、つまりサテュロスやファウヌスの姿、言うなれば、より動物的なものを想起させる姿のなかにとくに好んで置かれていました。ギリシア人がアポロを描写したとき、アポロのなかにはまだ超人間的、超個人的な魂がアポロという芸術的な形姿をとって生きていました。人間的なものへの転向は、ギリシア人がメルクリウス・タイプ、ヘルメス・タイプを描写するときに、ようやく見出すことができます。このタイプでは非常に多くが -- みなさんはヘルメス・タイプにおいてこのことを研究することができるでしょう -- 、ファウヌス・タイプ、サテュロス・タイプに依拠していることがわかります。こう言ってよいかもしれません、ギリシア芸術の信条とは、人間の魂はその進化において、人間の身体をその完全な美において現そうとするときに、魂自身の諸力を人間の身体のなかに描写することを許されるところまではまだ到達していない、ということであった、と。

 さて、私たちがギリシア芸術よりさらに前に遡り、オリエント的な芸術フォルムのなかに入っていくと、完全に宇宙的ー普遍的なものがフォルムのなかに現れているのがわかります。つまりギリシア芸術というのは、人間のフォルムのなかでそして人間のフォルムによって克服しようと試みられた、この宇宙的普遍主義的なものの最後の開花なのです。このことに注目するのはきわめて重要なことです。

 さて、こう言ってもよいかもしれません、キリストが、人類のその他の諸力の展開に関して救済者となったように、こうした芸術観ということに関しても、キリストは救済者となったのだ、と。ある優れた精神の持ち主がこういう問いを立てると想像してほしいのです、それによって何か芸術に即したものも表現されるように、何か精神的なものが表現されるように、何か人間的なものが表現されるように、どのようにして理想へと高めることができるのか、かつては、今挙げた理想タイプからの逸脱のなかに、つまりファウヌスやサテュロスその他のなかにあえて描写するしかなかったものを、どのようにして理想へと高めることができるのか、と。人間固有のものは、フォルムに関してどのように救済されうるのか、古代においては理想化しようとされることはなく、神人的なもの[das Goettlich-Menschliche]のまさに反対物のなかに、あまりに人間的なもの[das Allzumenschliche]として置かれたもの、そういうものはどのように救済されうるのか、と。 -- むろんこのような問いは、物質界においては決して発せられませんでした。けれどもこの問いは、芸術進化のさらなる歩みによって答えを与えられました。この問いは結局人類の歴史によっても答えを与えられたわけです。

 次のことは常に、非常に興味深い事実のひとつでしょう、自分自身の運命において、いわば救済者の運命の予兆とも見えるほどに深く、ギリシアにおいてギリシア的生活に入り込んでいた男、つまりソクラテスが、伝統的にギリシア文化の理想タイプではなく、むしろいくらかサテュロスやファウヌスを具現していることは。

 これはあたかも、世界史そのものがはじめて、人間固有のものを、人間より下のもの[das Untermenchliche]から押し上げてこようとしているかのようです。

715   ソクラテス  ロンドン、大英博物館

 さてこうしてわかるのは、フォルム形成における進展とは、ギリシアの対抗芸術[Gegenkunst]、つまりサテュロスおよびファウヌス芸術ではまだ理想の人間的なものとしては出現していないものが、人間の形姿としてのみ宇宙から獲得しようとされてきたものを掌握して、自らに突破口を開こうとすることなのです。宇宙から得られたスピリチュアルな線およびフォルムの適合性のなかにのみ造形されていたもののなかに、個人的ー人間的なものが侵入するのです。オリエント的なフォルムを、まったくもって私たちはまだ宇宙的なもののなかに探さなければならず、西洋のフォルムは個人的ー人間的なもののなかに探さなければなりません。

 このように、異教的なものを克服しようとする瞬間に、ほかならぬキリスト・タイプが変容するのがわかります、そして、こう申し上げたいのですが、人間固有のものが、この宇宙的・典型的・普遍的なもの[Kosmisch-Typisch-Allgemeine]のなかに、いわば入り込んでいくのです。どうかこれが徐々に普遍的なもののなかに入り込んでいくようすを観察してください。

 これは、

716   カタコンベ(地下墓所)の絵画  キリストの描写

初期キリスト教芸術よりいくらか後の時代のもので、すでに髭を生やした顔ですが、一方、最初の数世紀のキリスト描写の多くには髭はありません。けれども、私たちにわかるのは、単に宇宙的なものを形姿のなかに体現しようとする努力はここにはもはやまったくなく、この宇宙的なものが、よじ登ってくる個人的なものと争っているようすです。ここではまだ宇宙的なものが優勢ですが、実際には伝統としてのみ優勢なだけです。オリエント的ーギリシア的なものから引き継がれたものがまだ優勢なのです。そしてこれはまだ長い間優勢を保ちます。固有のもの、個人的ー人間的なものがこれらのフォルムのなかに入り込んでくるということは、徐々にのみ起こります。このように、これがまったく徐々に起こっているのがわかるのです。

 次の画像でみなさんにお見せしなければならないのは、

717   カタコンベの絵画   使徒たちに囲まれたキリスト

ここでももうごらんのように -- これも最初の数世紀のものです -- 宇宙に由来する線を、全体秩序のなかにとどめようとするなどの努力はたしかにまだ見られますが、人間固有のものが入り込んでいます。まさにこれによって、実際この初期の数世紀には特別な意味を持つこの奇妙な論争が生じるのです、この古くからの論争、キリストをどのように描写すべきか、キリストがアポロ的な美に合うように描写すべきなのか、あるいは、キリストを個人的ー人間的ー魂的に描写することが許されるのか、という論争{第1講参照}です。キリストを個人的ー人間的ー魂的に描写すること、こういう努力がなされるようになります。そしてよろしいですか、これが今や独特なことなのです。つまりここで、私たちが先日別の分野で知るに至ったあの激変{1917年10月26、27、28日のドルナハでの講義参照。GA177 『外的世界のスピリチュアルな背景。闇の霊たちの失墜』所収}、個人的ー人間的なものを描写する、かつては固く禁じられていたものをともかく引き上げる、という激変が起こるわけです。これはまさに最高度に、ギリシア的潮流のなかで進展します -- 一方西では、ラテン語文化においては、かつてまさしく東方的であったものが継続されました、つまり特定の宇宙的なタイプを仕上げることです。これは西の芸術展開が終わりに近づき、もはや正しく描写することができなくなった時代のことでした。

 こうして、キリストのフォルムそのものの描写においては、東方的な、オリエント的な、ビザンティン的なタイプが勝利を得て、個人的なキリストは取り上げられないということになりました。けれども当時、芸術進化は下降に向かっていたために、このタイプは退化していったと言うことができます。このタイプは、オリエントが与えようとした崇高な品位を保ってはおらず、言うなれば、人類的なものを下に追いやるような何かを得てしまったのです。このように、このタイプは、人間的なものの特性を一種の退化に追いやったものを獲得したのです。髪には分け目がつけられ、髭は独特の形をとり、顔の表情は、見るからに、超人間的・宇宙的なものを克服しよう、まさに人間的なものによって克服しようというのがわかるようなものになりました。けれども、この人間的なものを、一種の理想タイプへと真に高めて造形するにはまだ至っていないのです。

 さらに別のキリスト像を私たちに作用させてみると、このことがわかります。たとえばこの非常に美しいモザイクでさえそうなのですが、

718   モザイク   キリスト像   ラヴェンナのサン・ヴィターレ寺院

私たちはここになるほどまだ壮大な美、宇宙的・普遍的なものを見出しますが、人間的なものを持ち込もうとする試みがすでになされています。

 このことはさらにはっきりと、きわめて表現豊かな絵画のひとつ、モンレアーレ{イタリア、シチリア州パレルモ郊外のモザイク美術で有名な町}の絵{モザイク壁画}において、私たちに立ち現れてきます。

719   モザイク  キリスト

 これは、モザイクのすばらしい作用力によって、考えうる最大の印象をもたらす絵です。けれどもほかならぬこの絵にも、みなさんにお話ししたあの両者の闘いが見られます。そしてまさにこの闘いによって、これは、現存するもっとも興味深いものに含まれるのです。

 すべては人類進化の普遍的な歩みと密に関わり合っています。個人的なものは輪を描くように飛び越えて東へ行き、抽象化していく宇宙的なものが西へやってくるのがわかります。抽象化してゆく宇宙的なものが西へやってくる、と私は言います! -- このことを理解したいなら、ローマ文化のなかに見出されねばならない本質特性、魂的な本質特性のなかにまったく入り込んでいかければなりません。このローマ文化とは何であったのか、よく考えてみましょう。この場合、ほかでもない教養あるひとに今日(こんにち)植え付けられているすべてから自由にならなければなりません、なぜなら、そのひとは学校を通じてローマ文化を受け入れているからであり、そもそも私たちの教養全体がローマ文化に由来しているからです。けれども忘れてはならないのは、ローマ文化の本来の内容、つまり、私たちがローマ文化の最初の偉大な黄金時代を観察してみると、この最初の黄金時代は、ユリウスの家系のもとにローマ文化が花開くまで、二世紀の間ギリシア文化からその内容を得ていたということです。つまり、ゴルゴタの秘蹟以前のおよそ150年から200年と、さらにゴルゴタの秘蹟の後しばらく、ギリシア的教養、ギリシア的文化が、ファンタジー無きローマ文化に引き継がれ、このファンタジー無きローマ文化がギリシア的な内容をわがものとしていくのがわかります。ローマはますます大きくなっていきましたが、それはまさに私がお話ししたあの独特の平板化[Verschleifung]による、抽象化された宇宙的なものの人間的な事柄への転用ということにおいて、大きくなったのです。ローマにおいては、世界支配を正当化する、という特殊な才能が生まれましたが、この世界支配を正当化するという特殊な才能、古代においては -- ここで生じているような平板化、混交がまだ起こっていなかったときには -- アトランティス後第三文化時代のオリエントの大国の特性であったこの才能、これがローマ文化へと移行していきました。世界支配がローマ文化の理想だったわけですね。当時の全文化世界をローマの支配のもとに置くというのが、ローマ皇帝の時代の理想でした。このローマ文化は、個人的なものを造形したいという憧れへと前進していたギリシア文化によって、内容を与えてもらいました。さて、ローマ文化の内部では、個人的なものを造形するというこのギリシア的な憧れは、醜さとさえ感じられました。ですからラテン語文化は、ギリシア的なタイプを受け継ぎはしましたが、最初は抵抗がありました。なぜなら、ラテン語文化は美しいタイプを欲し、ギリシアのタイプは当初ラテン語文化にとって美しいとは思われず、醜く思われたからです。ラテン語を話す人は、かつてのファウヌス・タイプやサテュロス・タイプを思い出し、これをここで最高に人間的なものに高めようとしました。ギリシア的な本質そのものの内部でも、ゼウス、パラス・アテナ、アフロディテといった宇宙的タイプは、いわば衰退に至っていました。そして、かつては醜いものの領域でのみ描写されていたものが、今や洗練された道徳的な美を目指してよみがえってきたのです。

 西においてはローマから始まって、まったく別のキリスト・タイプではなく、まさに異教的なアポロ・タイプを引き継いだ造形のみが発達したこと、これは単に、イタリアにおいてこの数世紀の期間、造形的な着想、独自の造形的着想能力が得られなかった、ローマ文化はその本質において本来ファンタジー無きものなので、そもそもそういう能力全般が得られなかった、という事情に帰せられねばなりません。

 さて私たちはさらに先に進むことができます。よろしいですか、その後、休止の数世紀、つまり、ギリシア的なものの習得、けれども同時にローマ文化のなかでの没落、いうものが見られるのです。希望の時期は、今度はギリシアを経由してキリスト教を取り入れるわけですが、アウグスティヌス{354-430}が現れるときにようやく到来します。そしてまた同じ現象が起こります。ローマ文化は、宗教的な世界支配権の奪取に取りかかるわけですが、またも内容においてはギリシアによって生み出されていたものをわがものにするのです。同じ現象です。

 これはまた同時に、ヒェロニムスが聖書をラテン語に翻訳した時代でもありましたね。続く数世紀において、実際すべてがローマから発展し、ローマを地上的人間的な世界秩序の中心にしようとする努力が続けられました。世界にこの社会的構造を刻印すること、宇宙的なもの、けれども今となっては抽象化された宇宙的なものを刻印すること、これがそのとき発達したことでした。そしてこのことは、は芸術においては -- 当時の芸術について語りうる限りで -- 十三世紀に入るまで、まさに築き上げたかったものを、東からやってきた刺激によって、人々はますますいっそう築き上げた、ということとパラレルに進行しました。こうして私たちが見るのは、その後この時代は、キリスト・イエスそのものの造形的な表現に関しても、新たなものは何らもたらさず、ギリシア的・オリエント的なタイプを西に持ってきた芸術フォルムをもって完結するということです。これは基本的に、私たちがチマブエにおいて表現されているのを見たものですね。