ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第13講-2


 さて、キリスト・タイプがとった形姿を、ほかならぬ十三世紀にもう一度留めてみましょう。

720a 7   チマブエ   十字架上のキリスト

 ここでは、チマブエにおいて、それまでの全世紀をただちにみなさんの魂の前に経過させる、とでも申し上げたいものがごらんになれます。ごらんのように、オリエントからギリシア的なもののなかにもたらされたものが、ここにはまだ生きています。この絵においては、地が天と結びつけられ、地が活動するのと同様に、天もその本質において活動しているのがわかりますね。けれども十字架にかけられたキリストにおいてさえ、みなさんにお話ししたあのふたつの潮流がまだ混り合っているのがわかります。

 芸術においてこれが、自身では芸術的独創性豊かというわけにはいかず、ファンタジーのための刺激を東から受け入れる世界のなかに置かれたのです。

 お見せする次の絵は、すでにジオットによるものです。

720b 36   ジオット(?)   磔刑   アッシジ、聖フランチェスコ教会 

 フォルム的には、このジオットの絵は前の絵(720a、7)から成長してきているのがおわかりですね。天がその存在たちとともにさらにいっそう働きかけているのがごらんになれるでしょう。世界の普遍主義的なものから地上的なもののなかへ形成されるはずであったものは、さらにいっそう、完全に引き下ろされないままです。けれども私たちが見るのは、すでに地上的なものが、まだまったくはにかみつつ恥じらいに満ちて、ギリシア的なサテュロスおよびファウヌス・タイプのなかで脈打っているこの地上的なものが、上昇し、その支配を広げ、自らを理想化し、人間的なものに力を発揮させるようすです。と申しますのも、ここで出てこようとしていたものは、それがキリストに貫かれた[durchchristen]ときにはじめて、世界がそれを提示することを許されたからです。

 三つに区別される、と言うことができるかもしれません。第一に、そのなかに宇宙的な魂性が生きているあのフォルム、これを私たちは古代芸術のなかに見出します。その後私たちは、このフォルムを、キリスト教芸術が最初に登場するにあたっての、人間的ー魂的なものとの闘いのなかに見出します。これを私たちはまだ常に、私たちの前にあるこのような造形における闘いのなかに見出します。宇宙的なものはまだいたるところにあって -- 私が言っているのは、スピリチュアルな宇宙的なもののことで、コペルニクス的物質的な宇宙的なものではなく、スピリチュアルな宇宙的なもののことです -- 、いたるところでかすかな光を発し、けれども同時に下から人間固有の魂的なものを手に入れようと努めています。魂から身体にそのフォルムを与えるもの、これは上昇していこうとします。つまりこれが、私が強調すべき第二のものでしょう、そこでは両者 が互いに闘い、人間的ー魂的なものが、宇宙的ー魂的なものに対峙しています。そしてたぶん、私たちは、ほかのいかなる芸術家においても、まさにこのジオットの場合ほどの強度においてこの闘いを見ることはないでしょう。ですから何と言っても、まさにジオットにおいてこの闘いを見るのは興味深いのです。ジオットは一面からすれば、すでにまったく本質的にモデルを求めて努力します。ジオットの内には強い自然主義的な血が流れていたのです。しかし彼の内にはなおも、普遍的な、霊的世界から受け取られたとでも申し上げたいフォルム、まだ完全にチマブエに特有のものであったフォルムがありました。

 次の絵です。ここでごらんになるのはジオットの別の《磔刑》です。

721a 35   ジオット  磔刑   パドゥア  アレナ礼拝堂 

 前の絵は純粋なジオットではなく、もしかするとほかの人の手によるものかもしれません。ここでごらんになるのは、もっとも純粋な意味でのジオットです。ここではごらんの通り、天は維持され、まったくもってまだともに作用しています。けれどもすでに、今や救世主の形姿 -- これが今日とりわけ私たちの興味を引くわけですが -- のなかにまで、身体つきのなかまで、魂の苦悩のいくばくかをもたらすものが入り込んでいるのをごらんになれるでしょう。アポロの形姿においてはまだまったく見られない人間的なものが、すでにここでは入り込んでいるのがわかります。

 これからお話しする事実に即したことについて、どうか気を悪くしないでいただきたいのです。これからお話しすることを、この時期に述べるのは気が進まないのですが{第一次大戦中で、おそらく聴衆には交戦国を含めさまざまな国の人々がいたため}、事実に即したことをお話しすることでみなさんがひどく気を悪くなさると私が思い込むとしたら、みなさんを誤解することになるでしょう。真実に即した研究はつまり、何かまったく特別なものを生み出します。ジオットの絵のような、こういう絵において、古い伝統のなかに、新たな要素、つまり、ギリシア人たちが理想化することなくファウヌスやサテュロスのなかにのみ表現できたものを理想化すること、人間的なものを高めて理想化すること、そういう新たな要素が入り込んでいるのを見るとき、ジオットにおいてそれを感じ取るとき、私たちはほかならぬジオットを、これほど根本的に、彼の師にして親方であるチマブエ、彼のローマ精神は相変わらずオリエントを通じて豊かにされていたのですが、このチマブエの対極に置くことが許されるでしょう。さて、何かまったく新たなものは、どのようにして事物のなかに入ってくるのでしょう? -- 申しましたように、今お話ししにくいことが、まさにここで出てきます。本来中部ヨーロッパにその起源を持つもの、中部ヨーロッパに由来するのをすでにたびたび私たちが見たもの、つまり、個人的ー人間的なものを魂的に造形しようとする衝動、そういう新たな衝動が、ヨーロッパの外側の地点、外側の地域を越えて、広がっていくのです。古代ローマ人の血は、たとえば今日のイタリア人たちのなかにはほとんど流れていません、実際ほとんど流れていないのです。このとき非常に多くのものが流れ込みました -- 外的な文献にのっとって研究される歴史を研究するだけでも -- 、中部ヨーロッパの血であった多くのものがここで流れ込んだのです。こうして実りがもたらされました。ジオットのなかで、自然主義的な原理、魂的ー自然主義的な原理として生きているもの、これは、ローマ文化、ファンタジー無きローマ文化が、中部ヨーロッパから流れ出たものによって受胎することによって、生まれ出たわけです。ローマ文化は本来、抽象化された宇宙論[Kosmologie]という意味での社会機構を形成することにいそしむ理念においてのみ、偉大なのです。本来《国家》[Staat]と呼ばれうるものは特に、実際ローマ的な産物であり、ローマ的な精神性から形成されたものです。成立するいたるところで広がっていこうとする国家、これは、ローマ人の頭からそのもっとも独自なものとして発生してこざるを得なかったもののコピーなのです。

 次の絵に進みましょう、これもジオットです。

721b 32   ジオット   玉座につくキリスト 

 ここにはキリストが見えますね。これを選んだのは、この絵においてジオットは、オリエントから古いタイプを引き継ぐことにおそらくもっとも熱中しているからです。とは言え、この顔をよくごらんください、ジオットが個人的なものをどれほど持ち込んでいることか!挙げられた右手の指の一本一本をよくごらんください、この絵においてどれほど彼が個人的ー魂的なものを持ち込み、最良の意味においてスピリチュアルで自然主義的なもの[Spirituell-Naturalistisches]がこの絵のなかにどれほど生きていることか!ここで徐々に南の芸術のなかに、オリエント的な本質と、宇宙論的ーオリエント的な本質と結合してゆくものが登場してきます。中部ヨーロッパにおいて -- 私たちはいくつかの絵を見ましたね -- その純粋さのなかにそれ自身で生じるもの、宇宙論的な本質なしに、単に人間的・魂的なものから生じるものが登場するのです。

 次の絵もまたジオットです。

722a 21   ジオット   キリストの洗礼

 ここでもまだ天が地に入り込んできているのがごらんになれますね。けれどもキリストの形姿そのものに注目していただくと、ジオットが、魂的なものを神的な形姿のなかに、単に顔だけでなく、姿全体のなかに、頭の位置と手の身振りのなかに、表現しようと苦心しているのがおわかりでしょう。

 これもまたジオットによるもので、晩餐です。

722b 34   ジオット   晩餐

 画面左のキリストですが、一部はまったくギリシア的なキリスト・タイプの影が現れてきているにしても、魂的ー個人的なものをやはりここでも高めようとする試みがごらんになれるでしょう。いたるところに私たちはこの一撃を見ますが、奇妙なものを見ているのです、つまりきわめて優れた意味において芸術的な潮流、つまりオリエント的な潮流と、まだ古代ペルシア的文化衝動に依存している中部ヨーロッパ的衝動が、本来芸術的でなく、単に国家機構に関してのみ才能を見せるファンタジー無き土地で、ランデヴー(会合)している[ein Rendezvous geben]、とでも申し上げたいものです。

 さらにジオットですが、

723a 40   ジオット   エルサレムへの入場

 これを選んだのは、同じ現象をみなさんの目の前にお見せするためです。これらのさまざまな聖書の場面におけるキリストに注目すると、ジオットが魂的なものを個人的に表現しようと苦心しているのがわかります。

723b 33   ジオット   茨の戴冠

 ほかならぬこのキリスト形姿そのものの変化を、これらの数世紀を通してきょうはみなさんにお目にかけたかったのです。

 ここで、私たちが初期キリスト教芸術のなかに見た手探り状態の最初の試みを思い出してください。なるほど多くが素材に依存していますが、素材を用いたということ、まさにこの理念のために素材を使用できるようにしたということ、これもまたそこに見られる特徴的なことなのです。 -- さて、

724a 31   ジオット   復活

 いたるところでみなさんは、この両方の流れの合流について私が述べてきたことの正当性が立証されるのをごらんになるでしょう。けれども同時に、ギリシア的なキリストの理想が作用し続けていますが、その作用の強度もごらんになれますね。と申しますのも、背景として、とでも申し上げたいのですが、芸術家の創造する力のなかに、それはやはりまだいたるところに存在しているからです。

 さてもう少し先に進みましょう。今度は十四世紀から、《世界審判者としてのキリスト》をみなさんに示しているオルカーニャの絵を選びました。

725   オルカーニャ   最後の審判

 これはフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のものです。そしてここではごらんのように、古いタイプがまだ明らかに保持されているとは言え、繊細で魂的なものが際立ち、完全な個人化が目指されていますね。

 この絵とともに、すでに私たちは十四世紀に立っています。人間の文化のさまざまな進化の流れは、さまざまな速度で動きます。単にギリシア的なキリスト・タイプがあいかわらずここまで入り込んでいるのみではなく、オリエント的芸術のなかにある霊感を与える力もいくらか入り込んでいるのがわかります。こう申し上げたいのですが、ローマ的世界支配の教会において、しかも完全な歴史的正当性をもって -- 私が述べていることは批判ではありません、私が引き合いに出していることは単に事実なのです -- ローマ的世界支配権に基づいて、すでに九世紀以来新たな道を開いてきたものは、これらすべての絵のなかにはまだ表現されていません。わずかに中部ヨーロッパ的なものと混ざって、ギリシア文化が芸術のなかに実際まだ生きているのです。

 これがそうでなければならないということは、九世紀後半からローマを始まりとして非常によく理解されていました。私が一度表現しましたように、東方的な本質が押しとどめられなければならない、ということはよく知られていたのです。西洋は、ヨーロッパの民族生命そのものの根底から高みを目指そうとするものに浸透されねばなりません。私たちはここである心情が湧き上がってくるのを見ます、私はこれを自由な都市文化として特徴づけ、この自由な都市文化が中部ヨーロッパを出発点として、ほかのさまざまな地域へと広がっていったのですが、このようにみなさんに特徴をお話しした心情です。この自由な都市文化は、人間固有の魂的なものを自らのうちに表現しようとする激しい衝動を持っていました。さて九世紀においてローマでは、このヨーロッパ的衝動を考慮しなければならないということが理解され、これは実際考慮されました。けれども今や世界教会という機関を通じて進行したもの、{つまり、}オリエントへと押しとどめられたものとは反対にカトリシズムのとくに西方的なフォルムを完成したもの、こういうものが、芸術、絵画をこれほどまさにカトリック的に制作した芸術家、すばらしいフラ・アンジェリコにおいて、実際はじめて特殊に表現されるに至りました。

724b 65  フラ・アンジェリコ   晩餐

 こういう事柄について私たちに理解があれば、ここではじめて、西方的ーカトリック的なものな要素が芸術に注がれるのが見えます。前の絵(725)とこの絵(724b, 65)との違い、そしてまた、前の晩餐(722b, 34)とこの絵(724b, 65)との違い、この違いは途方もなく大きなものです。と申しますのも、この絵においては、ちょうどこの絵のなかに愛すべき芸術が生きているように、まさにそのように、この絵のなかには西方カトリック的心情が生きているからです。ミサ聖祭[das Messopfer]が行き着いた形式が、ちょうどゴルゴタを前にしての晩餐の記憶と同じくらい巧みに、この絵の構成のなかにひそかに組み込まれているのがおわかりでしょう。みなさんがごらんになるのは、単にゴルゴタを前にしての晩餐のみではなく、この絵の構成における、カトリックのミサ聖祭となったこの晩餐の継続作用です。晩餐というカトリック的感情が、この絵に、とりわけ救世主の姿に、注がれています。ここで初めて、芸術において救世主がヨーロッパの司祭の模範となります。実際にはすでに以前からそうだったのですが、外見上の事実においてのみでした。

 こうして今や、ローマ的世界支配の教会が、芸術の上にも、決定的にその支配権を広げていくのがわかります。ジオットについて私たちはまだ、彼は自由な個人的魂から、アッシジのフランチェスコに芸術的な供犠を捧げた、と言うことができます。ここでフラ・アンジェリコのなかに私たちが見るのは、フィレンツェのサン・マルコ教会でミサを読むのとまったく同じように描く人物です。カトリシズムのアウラ[Aura]がこの絵を貫いています。それはもはや個人的な供儀ではなく、教会がともに描いているのです。

 これに劣らず、フラ・アンジェリコの次の絵においても、このことをごらんになれます。

726a 64   フラ・アンジェリコ   磔刑

 カトリック的なものが芸術のなかでともに描いています。

 ひとつ次の絵をすみずみまでよく見ていただきたいのですが、ここでは、カトリック芸術の本質が、このカトリック的組織化が、真に生きていて、最後の審判においてさえ、カトリック教会の力が、地上を超えた存在たちの世界の内部にまで組織的に働きかけている、とでも申し上げたいほどであるのをごらんになれるでしょう。

726b 68-69   フラ・アンジェリコ   最後の審判

 みなさんに次の絵でお見せしたいもうひとりの助修士においては、これがさらに高まっていますね。

727   フラ・バルトロメオ   キリストと四人の福音史家

 けれどもここで私たちが見るのは、興味深いプロセスの第三の段階とでも申し上げたいものです。ここでは、今甦らされた古代ギリシア文化を通じて、新たに活気づけるものが入り込んでいるのがわかります。ここでまたも古代ギリシア文化が入り込むのです。

 このように、個人化していく魂的なものに捉えられたキリスト・タイプ、今日特に私たちの興味を引くのはこれなのですが、このキリスト・タイプがしばらくの間支配したことがわかります。造形全体を想像してみてください、最初はそのなかで宇宙的な諸力が働き、次いで個人的ー魂的なものを受け入れ、ほかならぬギリシア的な衝動によってますますいっそう形を変えたもの、そういうものによってこのタイプが生成されるようす、このタイプが個人化されてはまた個人化されてきたようすを。愛する友人のみなさん、このキリストはどのようにして個人化されるのでしょう?今や私たちは、古代文化[Antike]が改めて介入し、流れ込むのを見ます、ここではまだほんのわずかではありますが、それはすでになかに入り込んでいます。これもまた、特徴あるものを典型的な美へと完成させることです。これは引き続き感じ取ることができるでしょう。そもそもこれがルネサンスの秘密なのですから。これから最後にお見せするこれらの絵画が、ルネサンスの芸術家たちにとって出発点となったのですが、まさにルネサンスの芸術家たちのなかに、ギリシア文化が、完全に新たにされて再来するのが見られます。けれども個人的なものの造形によって獲得されたもののなかには入っていかないのですが。

 ここでアンドレア・デル・サルトの晩餐をお見せします。

728   アンドレア・デル・サルト   晩餐

 これはフィレンツェにあります。これもまた美しい人物たちです。つまり、ギリシア人がまだ持っていた宇宙的なものの意識がまだいくらか、宇宙的なものの伝統のいくばくかがここでも人物たちのなかに入り込んでいます。ただ、単に伝統からであって、もはやギリシア人の場合にあったような直接的な観照、直接の感知[Erfuehlen]から入り込んでいるのではありません。ここでさらにわかるのは、これが完成され、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとなる、ということです。レオナルドの師であるヴェロッキオのこの絵、この洗礼の絵のなかに、みなさんはその後レオナルド・ダ・ヴィンチにおいて並々ならぬものとなったものをごらんになることでしょう。

729a 92   ヴェロッキオ   キリストの洗礼

 同時代のマゾリーノにも同じモティーフがあります。

729b 50   マゾリーノ   キリストの洗礼

 ここでもう一度、ジオットの《洗礼》の画像を挿入してみましょう。

722a 21   ジオット   キリストの洗礼

 この洗礼をよくごらんになってください、ここではまだ両方の原理の闘いが見られますが、ギリシア的一撃、つまり古代ギリシア的、古典時代的一撃ではなく、新たなギリシア的一撃、キリスト教的な一撃がとりわけ強く現れています。

 ここでもう一度、ほかのふたつの画像を出してみます。

729a 92   ヴェロッキオ   キリストの洗礼

 

729b 50   マゾリーノ   キリストの洗礼

 ルネサンスがどう作用しているか、おわかりですね。そしてヴェロッキオからさらにレオナルドとなっていくのですが、レオナルドはすでにこの絵の制作に参加していたかもしれません。

 さて最後にあとふたつだけ画像をお見せしたいと思います、これらの絵にみなさんは、北から、中部ヨーロッパから出てきて、私が示したほかのすべてと混ざり合ったものをごらんになることができるでしょう。これは純粋に北の産物、デューラーによる受難のキリストです。

730a 303   デューラー   受難のキリスト

 ここに見られるのは、宇宙的な一撃は一切ない懸命さ、つまりキリストのなかの人間です。

 フラ・アンジェリコはその芸術的な作品にカトリック的なものを注ぎましたが、ここで私たちが見るのは、世界支配に対する昂然たる抵抗[Aufbaeumung]です。人間の個からデューラーのキリストを造形しようとするものです。ここでは一枚の絵にただひとりの人間が携わっています。フラ・アンジェリコがフィレンツェのサン・マルコ教会で描いていたとき、カトリックの全心情が彼とともに描いていました。ここではただひとりの人間が自分の聖書的イメージから作り上げています。この時代にはそれはここにとどめられました。その後ルネサンスが始まりましたが、ほかの潮流と混じり合ったものが、南へ移動したのです。

 続いてもうひとつの画像ですが、

730b 311   デューラー   十字架上のキリスト

 これも同じことをみなさんに示すでしょう。

 これらの事柄から私たちがはっきりと理解しなければならないのは、数世紀を通じてキリストの形姿は変化したということです。私は後の世紀からこのふたつの画像だけをお見せしました。この考察の続きで、続けることが可能になればということですが{おそらく戦争のため、連続講義はこの回で終了した}、キリスト像がどのように進化し続けていくかを、さらにみなさんに示したいと思います。と申しますのも、キリストについて制作された肖像の変遷を記述するだけで、ゴルゴタの秘蹟以来のひとつの世界史を書くことさえできるでしょうから。実際に起こったことはすべて、そこに表現されます、ほんとうにそこに表現されるのです。そして現代にまで到達できるかもしれません。

 現代において試みられたキリスト描写ですが、数年前私は、ある展覧会でクリストゥセン[Christussen]の全コレクションを見たのですが、絵の一枚はほかのものよりぞっとするようなものでした!現代において試みられていることは、現代において起こっていること、現代において私たちがそのさなかに生きているあのカオスに至ったことの写しでもあります。ここで私が先日述べましたように、キリスト像を造り出すという意図からではなく -- 、これらの形姿のなかにあるものを、最初は、最初の試みにおいては、彫塑的に、{そして}絵画的に、ふたたび霊的世界へと携えていくことが試みられるなら、私たちの限られた手段にとっても良いことであり、それはまさに、人類が繰り広げる現実のなかに示されている文化の道筋の、さらなる進展のなかにあるということでもあります。

731   ルドルフ・シュタイナー
第一ゲーテアヌム小ドームに描かれた絵(植物性染料)、ドルナハ、
中央モティーフの部分、アーキトレーブ[Architrav]の一部を含む

 

732   ルドルフ・シュタイナー
第一ゲーテアヌム小ドームに描かれた絵(植物性染料)、ドルナハ、
中央モティーフ、ルツィファーとアーリマンの間の人類の代表者

 

733   ルドルフ・シュタイナー
ルツィファーとアーリマンの間の人類の代表者、
第一ゲーテアヌム小ドームの絵のための下絵、
ドルナハ、パステル

 

      

734   ルドルフ・シュタイナー
第一ゲーテアヌム小ドームに描かれた絵、ドルナハ、部分:
人類の代表者、胸像

      

735   ルドルフ・シュタイナー
人類の代表者の顔、鉛筆によるスケッチ

 

736   ルドルフ・シュタイナー
木彫りによる群像:ルツィファーとアーリマンの間の人類の代表者

 

737   ルドルフ・シュタイナー
木彫りによる群像、部分:人類の代表者

 

738   ルドルフ・シュタイナー
木彫り群像のための原型、石膏模型

      

739   ルドルフ・シュタイナー
木彫りによる群像、部分:人類の代表者の頭部、横顔

 

740   ルドルフ・シュタイナー
木彫りによる群像、部分:人類の代表者の頭部

 

741   ルドルフ・シュタイナー
人類の代表者の頭部の習作、彫塑用粘土

 そして現代において、芸術という文化領域から獲得しうるこのような理念によって、ほんとうに正しく自らを豊かにし、さらにそのとき少しばかり真実に注意を向けようと努めるのはよいことです。と申しますのも、現代においては、少なからぬ偶像が崇拝されていて、そういうものは、単に真実をほんとうに見る能力が人々に欠けているために崇拝されているからです。

 世界の五分の四が五分の一に対して同盟することになる、と言うこともできるこの時期(1917)、このようなことが、それが受け取られるあの無関心さをもって受け取られる時期、こういう時期においては、人類の歴史的生成から取り入れた諸概念を、少しばかり修正するきっかけも少なからずあるのです。