ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第2講-5

ルネサンスの三人の巨匠

レオナルド ミケランジェロ ラファエロ

ドルナハ  1916/11/1


 さて、ラファエロに移りましょう。

ラファエロ

 

177 自画像

 ここで、すでに一度お話ししたものを示しましょう。これをもう一度私たちの魂の前に 導いてみたいと思います、《婚礼》です。

75 ペルジーノ  マリアの結婚(婚礼)

178 ラファエロ  マリアの結婚

 ペルジーノのモティーフ、それと並べてラファエロによるマリアの結婚です。まさにこの絵から、ラファエロが師であるペルジーノの流派から育ってきて、大きな進歩を示していることがおわかりでしょう。同時にペルジーノの絵(75)に、この芸術に特徴的であるものすべてを、つまり、ラファエロがそこから出てきた水平面、独特の、今日私たちに言わせれば、健康で感傷的な顔、独特の足の置き方、ここでひとつの特徴づけを目指しているすべてをごらんになるでしょう。けれども、この特徴的なものすべては、前に私が特徴づけを試みましたように、ある種のアウラ[Aura]をまとっており、これはその後ラファエロにおいて、いわば輝かしく変容されたようにふたたび現れ、別のフォルムをとって構成的なもののなかにまったくもって高められています。ごらんのようにペルジーノにおいても構成が出てきていますが、ただすべてを比較してみると、ラファエロにおいては鋭いと同時に柔らかく捉えられており、硬いとらえ方は減っています。

 さて続いて傷痕のあるキリストです。

179   祝福を与えるキリスト

180 騎士の夢
      

 絵全体が夢の世界と解されます。ふつう《騎士の夢》と呼ばれているものです。

 さてこれから一連の聖母像と聖人伝説からの絵を私たちに作用させてみたいと思います。これらは、とりわけ聖母像は、ラファエロの名声を最初に世にもたらした絵画です。

181 聖ゲオルク

182 テラノーヴァの聖母

 幼子イエスとと共にいる聖母です。

183   テンピの聖母

184 緑衣の聖母

185 五色鶸(ひわ)の聖母
      

 これらの絵画のいたるところに、特徴ある古くからの配置、特徴ある姿勢を見て取ることができますが、これらはラファエロがまさしく彼の故郷からおもに携えてきたものです。

186 カニジャーニの聖家族

187   羊のいる聖家族

188   聖母(《美しき女庭師》)
      

 今見ましたこれらの聖母は、ラファエロの進歩をとくに顕著に示していますね。

 さて彼がローマに赴く時代へとさらに追っていきましょう。いつ彼がローマに行ったのか、歴史上はよく知られておりません。おそらくは、ある特定の年にだけローマに行った---通常1508年とされていますが--- というのではなく、それまでにも何度もローマに行き、またフィレンツェにもっどって、その後1508 年からローマで継続して制作したのでしょう。さて彼をローマまで追いかけ、ユリウス法王の委託でローマで制作された絵画に移りましょう。

197 《ディスプータ》(論議)
     

 有名なこの絵ですが--- これについてももうお話ししましたが---、多くの素描があり、この絵は実際、法王に委託されて制作されたものです、さきほどみなさんにお話ししましたように、ローマを精神的に偉大なものにしたいという憧憬を持っていた法王です。けれども心に留めておかなければならないのは、この絵のモティーフのいくつかは、ラファエロにおいてすでに非常に早く、ペルージア時代の絵画のなかに現れているということです。

201  三位一体

 まさにこの理念を、この場面を描いている、あるいはもっと良い言い方をすれば、この場面のモティーフを描いているこの絵が示しているのは、この理念が当時生き生きとしたものであったということです、それはすでにこの独特の東方的な角度のなかに、この中部イタリアの風景のなかにとりわけ完成されることができたほどに生き生きとしたものでした。

 私たちはこのモティーフを時代のなかに生き生きと思い描かねばなりません、下方の人々は主として神学者たちです、人間の理性[Vernunft]が見出すものすべてはまさに、トマス・アクィナスが《プラエアムブラ・フィデイ》[Praeambula fidei]と呼んだところのものに関係していて、霊的世界からインスピレーションとしてやってくるものによって貫かれねばならないということを、同時に知っている神学者たちです。このなかに、人間の生成の偉大なキリスト教的、前キリスト教的な形態の成果が混ざり込み、三位一体の秘密はこれによって理解されます、この秘密は、下方のいわば神学者たちの論議中に、彼らの論議のなかに流れ込むと思い描くことのできます。この絵は、キリスト教的なものすべてを根底からローマ的なものに結びつけよう意志、ユリウス2世が再建せんとする荒廃していたペテロ教会の建立を通じて、ローマを新たにキリスト教の中心にしようという意志から描かれたということを、今や、ありありと思い描くことができます。けれどもこれらの理念が、ローマからキリスト教を新たにまったく特別に偉大なものとするという法王の影響を通じて、ラファエロにおいて三位一体の秘密の根本理念と会するということ、これも、この絵をいわば《ひだ飾りで飾ること[Verbraemisierung]》の根底にあると申し上げたいところです。と申しますのも、この絵を通して表明されているのは--- のちにペテロ教会に登場してくるものが建築モティーフのなかにさえ見出されます--- 、つまりこの絵を通して言われているのはいわば、三位一体の秘密をローマから新たに世界に教えよう、世界にもたらそう、ということなのだ、と言うことができるであろうからです。この絵のための素描は数多く見られ、それらは、ラファエロがこの最終的構成を少しずつ実現させたことを示していますが、同様によく示しているのは、インスピレーションについて、三位一体の理念について考えるこの考え方全体が、彼のなかで長い間生きていたこと、そしていずれにせよ、この絵の場合、法王が単に、私のために絵を描いてくれ!と言った、という状況ではなく、法王が、お前のなかには長い間どんな理念が生きていたのか、と問い、彼らはいわば共同で、署名の間[Camera della Segnatura]の大壁面に描かれたものを実現させた、ということです。

202 《アテネの学堂》
  

 さてこの絵は、ご存じのように《アテネの学堂》という名称で有名ですが、それはことに中央のふたりの人物がプラトンとアリストテレスだと信じられているからです。ここで唯一正しいのは、このふたりはまったくプラトンとアリストテレスなどではないということです。ここではまったく--- この絵についてはもうお話ししましたが---、これについて述べられた別の見解に固執しようというのではありませんが、中央のふたりの人物がプラトンとアリストテレスでないのは確かです。なるほど古代の哲学者たちの姿についてはさまざまに知られているでしょう。けれども、この絵の場合はそういうすべては問題ではなく、インスピレーションであるものに対して、ラファエロは、人間が超感覚的なものに向けられた理性を通して有しているものをも描かねばならなかった--- 超感覚的なものへと向けられた理性を、事物の原因を究明するために用いるとき、人間はどのようにふるまうかを描かねばならなかったということなのです。人間のこのさまざまなふるまい方は、さまざまな人物たちのなかに表現されています。ラファエロは、あれやこれやを用いようといつも試みていたように、なるほどこのように伝統的な古代の哲学者たちの姿を取り入れました。けれども、彼にとってそれが問題なのではなく、重要なのは超感覚的なインスピレーション、つまり人間のなかへの、超感覚的なもののインスピレーションとしての下降と、超感覚的なものに向けられた理性を用いて事物の原因の認識を獲得することとを対比させることでした。すると中央の人物たちについては、一方の姿はまだ若い男で、人生経験に乏しく、したがって地球の周囲を見て、この周囲から事物の原因であるものを見て取る誰かのように語る傾向があり、そのかたわらの白髪の老人は、自らのうちでもう多くを消化し、地上的なもののなかに見られるものを天的なものに適用することをすでに心得ている--- ある者は熟考により、ある者は数学的、幾何学的なものその他により、あるいはまた福音書などつまり文献の解読により、人間の理性の適用によって事物の原因を発見しようとしているほかの人物たちのかたわらで--- というふうに把握されねばなりません。私が思いますに、私たちはこの絵のコントラストを、これがピタゴラスかどうか、あれがプラトンとアリストテレスかどうか、などと思案するような無意味なこと--- これは芸術的なものに対してはいずれにせよ単に無意味なことです---を行わないで解することができます。個々の人物の解明のために、つまりこの絵に対しては必要のないことのために、鋭い洞察がさまざまに行われています。むしろ、人間の理性が到達しうるものを求める上での多様性、この多様性にこそもっと価値を置かなければならないでしょう。

 さて、この二枚の絵を、一方はこの建築の内部に全体があり、他方《ディスプータ》(197)においては全世界のなかにこの絵が据えられている、というところまでさらに比較してごらんになれば、世界の建造物全体を自家薬籠中のものとしているインスピレーションと、閉じた人間的空間のなかで起こっているのが観察される人間理性の探求(202)との間の違いが同時に、明らかになるでしょう。

206 枢機卿の三つの徳 Fortitudo Prudentia Temperantia

 さてここにあるのは、人間的なものそのものの内部で到達されたもの、つまりこの人間的なものがなにか超感覚的なものによって影響されることなしに到達されたものです。

208  テオロギア、《ディスプータ》の上部

 これはいわば《ディスプータ》への註釈、つまり《ディスプータ》につながる多分にアレゴリー的な人物のなかに描き出された、神的なものの認識あるいは神的な秘密の認識です。

207  第四の枢機卿の徳としての公正、《枢機卿の三つの徳》の上部

189  アルバの聖母

190  フォリーニョの聖母

211  神殿からのヘリオドロスの追放
     

 さてこれは、ラファエロがユリウス法王の委託により制作したひとまとまりの全体をなす絵画、つまりこれらによって、キリスト教は勝利せねばならない、キリスト教に逆らうものは克服される、という理念の強化を示すことが意図されたわけですが、そういう絵画のひとつです。

212  レオ1世とアッティラの会見

 これは同じ理念の別の側面にすぎません。

 さらに、同じ絵画群に属する《獄中のペテロ》です。

213  牢獄からのペテロの解放

214  四人の巫女

 これらはラファエロの巫女です。ミケランジェロの巫女(138-142)を思い出してごらんになれば、この圧倒的な違い(214)にお気づきでしょう。ラファエロの巫女は--これをちょっと眺めてごらんなさい--- 、全宇宙と関わっている本質を人間の姿のなかに現している巫女です、彼女らのなかに全宇宙が入り込んで働きかけ、そのとき彼女らは宇宙そのものの一片の内部のように宇宙の内部で夢見ていて、完全には意識に達していないのです。彼女たちの間にいるさまざまな超感覚的な存在たち、これらの天使たちが、彼女らに宇宙の秘密を告げ知らせます--- 宇宙連関全体のなかで、これらの巫女は夢のような存在であるのに対し、ミケランジェロは、巫女たちが夢見、夢の意識のなかで発達させた人間的あり個であるもの[das Menschlich-Individuelle]を、個であるものから表現するという運命を有していました、いわば個人的なものにまで行き着いた特徴から創造する、と言ってよいかもしれません。このラファエロの巫女たちは、個を超えて、あるいはまだ個でないもののなかに、生き、浮かんでいるのです。

231  パウロの回心

191  樫の木の下の聖家族

193  システィナの聖母

194  システィナの聖母、部分

192  いわゆる《聖大家族》
      

 続いてこの部屋です、《キリストの変容[Transfiguration]》のある空間です。このキリストの変容をさらに見ていきましょう。

217  キリストの変容

 これは、もしかするとラファエロが完成させなかった絵かもしれません。この絵、キリストの昇天は、彼の死に際して放置されました。ラファエロはその生涯の最後の時期にヴィジョン的な絵画に移行した、と言うひとたちにとって必要なのは次のようなことだけでしょう、このひとりの人物、つまり

219 憑かれた少年、217の部分

 この憑かれた少年がまさしく真にオカルト的ー写実的[okkult-realistisch]な意味で作用して、このような場面がほかの人々にも見えるようになっていること、この人物は、錯乱で意識を失うという霊媒的性質とでも申し上げたいものによってほかの人物に働きかけ、それでほかの人物たちもそのようなものを見ることができるといったことです。

217  キリストの変容
      

 さらにこの絵からキリストの姿です。

218  キリスト、217の部分
      

 さて、今よく考えてみてください、ラファエロがこのように描いたもの、今みなさんが追求したものは、二一歳から彼の死ぬ三七歳までの時期にあたります。二一歳のときに彼が描いた絵は、私たちがここで最初のものとして(178)見たもので、ペルジーノの《マリアの婚礼》(75)と対をなす絵です。さてヘルマン・グリムが非常にみごとに算出したことですが、それは、大きな意味では自立した展開、ラファエロのまったく自立的な展開を物語り、ある意味ではわたしが申しましたことへのひとつに外的な証しであるものです、つまりラファエロは、地に運ばれ、世で多くを学んだのは当然のこととはいえ、その若さにも関わらず彼の本性の最も内奥から創造し、まったく合法則的な発展しながら前進したために、中部イタリアのこの中間的な部分、この東部寄りの部分という独自の性格をローマにもたらした、ということの証明です。ヘルマン・グリムの算出によると、この二一歳からさらに進んで常に四年ごとの周期をとると、ラファエロの創造のもっとも主要な頂点が得られます。つまり二一歳の年に《マリアの婚礼》、続いて四年後に、彼にとって非常の特徴あるもの、つまり《埋葬》、まだスライドがないのでここでは上映できませんが、これはとりわけそれに関わる素描によって、それと関連する全体によって、ラファエロにおけるひとつの頂点を現しているものです。

225   埋葬

226   《哀悼》のための下絵、ペン。パリ、ルーヴル

227   《埋葬》のための下絵:主要グループ、ペン

228   同:遺体のスケッチと三人の担い手、ペンと赤チョーク

229   同:友人たちに担がれる若者と二人の婦人、ペン
     

 さらにまた四年後の《署名の間》における作品で頂点がきます。このように四年ごとに前進しながら、いわばまったく個として世界に置かれているように、ラファエロがひとつの進化を成し遂げるのがわかります、--- まさしく彼の受肉にのみ結びつけられた衝動に従い、そしてこの衝動を発展させつつ、まったく合法則的な人類進化のなかで起こるものを世界のなかに据えつつ。

 さて、今、この三人、つまりレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロが、人類進化におけるひとつの頂点、アレクサンデル6世(ボルジア家)、ユリウス2世、レオ10世という一連の法王たちに結びついている頂点として立っているようすを--- これが人間の進化のなかに含まれる悲劇的なもののひとつなのですが---総合的にとらえてください、これらの法王は、芸術的な集中力に関しては第一級の人間に含められはしますが、同時に彼らが支配者として人類進化のなかに介入すべく任命された場に、殺人、偽装、残忍、毒物混入といった支配手段を適用することで当時行われ得たきわめて外的なことをもたらすのに適任な人物たちでした、しかし彼らが芸術において誠意を持っていたことはまったく疑うべくもないことです--- 心情において商人の立場に留まり続けたメディチ家の法王たちに至ってもそうなのです。ユリウス2世は、あらゆる残虐さへの傾向、偽装も躊躇せず、毒をまさに世界史的家庭使用に良い手段のごとく用いる奇妙な人間でしたが、同時に、守れない約束は決してしなかったと言われてしかるべき人間でもありました。彼は決して芸術家たちを拘束せず、彼らに対して約束したものの程度は落としませんでした、彼が特定のしかたで発動させようとしたもののために指名された芸術家たちが、その仕事に携わって奉仕することのできた限りにおいてですが。

 今、この一連の法王たちのかたわらに、これらの作品を創造した偉大な人物たち、わたしたちがきょう魂をかすめていくのを見た三人の偉大な人物たちを思い浮かべ、よく考えてみてください、そのうちのひとり、レオナルドのなかに今日なおも発展に至ってないものが生きていたこと--- ミケランジェロのなかに彼の時代と彼の狭くそして広い祖国の全悲劇生きていたこと--- 、そしてラファエロのなかに、この時代全体を意のままにする可能性が生きていたこと、なるほど彼は敏感ではありましたが、いわば鋭敏さと言ってもよいほどに、時代の波に運ばれるようにその上にのって運ばれたものすべてに対して敏感であり、しかも同時に自らのうちに完結した性質であったことによってその可能性は生きていたのですが、これらのことついてよく考えてみてください。さらによく考えてみてください、レオナルドもミケランジェロも、時代のなかへと作用することのできたものを時代のなかにもたらすことができなかったことを。ミケランジェロは、時代のなかにあったものすべてを人間の個から形作り仕上げることを目指して奮闘していました。彼は結局、その時代が完全に受け入れることのできたものは創造できませんでした。レオナルドにいたってはなおさらできませんでした、なぜなら彼は、彼の時代において受け入れられることのできたものよりずっと偉大なものを、魂のなかに担っていたからです。ラファエロは、若いままにとどまった人間性を発展させました。そして賢明な時代の導きとでも申し上げたいものによって定められたかのように、彼はそのような若さを展開すべく定められていました、彼の衝動から来るものを生み出そうとした時代そのものがまずもって若返ろうとしていたがゆえに、年を取ることのできない、年を取ることを欲さない強度をもって、そのような若さを展開すべく定められていたのです。今や、ラファエロがますます理解されなくなる時代が到来しました、なぜなら時代は、ラファエロが彼の時代に与えることができたものよりも、もう年を取ってしまったからです。

 最後に、ラファエロが提供した肖像をもう少し。

220   ユリウス2世

221   レオ10世
               

 これらは彼のパトロンであったふたりの法王ですね。

222   女性像

223   バルダッサーレ・カスティリオーネ伯爵
                  

 これで終わりです。

 さて、次回できますなら、これらルネサンスの偉大な巨匠たちの創作活動を補足するために、南ヨーロッパに対する北方における平行現象、つまりホルバイン、デューラーその他ドイツの巨匠たちに注目してみましょう。きょうはほかならぬルネサンスの三人の巨匠を私たちの魂の前に登場させたいと思い、私はみなさんに、まさにこれらの巨匠たちのなかに生きていて彼らをその時代に結びつけたもののいくつかを、特徴づけしようと試みました。まさしくこの三人の巨匠たちのなかへと働きかけていた文化史的なものを、どこかで把握し、人間の歴史の悲劇、一面性において育成されざるを得ないときには避けられない悲劇、つまりとりわけラファエロ、ミケランジェロ、レオナルドが偉大なものとしたフィレンツェの時代において、世界史上の生成がいかに歴史的なものすべての判断にとって教訓的なしかたで起こったかに注目するなら、みなさんは大いに関心をそそられるでしょう。今日、だれかが、あらゆる分野の世界史上の事実への眼差しをもって、そして精神的生活にとっての外的政治的な物事の意味への眼差しをもって、ちょうどこのような1504年から1505年という時期に接近して、後悔するだろうとは思えません、このときフィレンツェには、ミケランジェロ、レオナルド、そしてラファエロ--- ラファエロはまだずっと若く、二人から学んでいたのですが---が同時にいて、このラファエロ以外の二人は互いに競い合いながら、戦闘の絵を描き、政治史に属する行為を賛美していたのです。誰であれ、当時起こったことを自らに作用させてみるなら、そして、外的な出来事であるもののなかに、芸術的なものがいかにその居場所を求めるか、しかし、芸術的でありしかも外的な事件に満ちたものを通して、人間進化の最大の衝動がいかに入り込んで働きかけるか、当時人間の残虐さ---人間の高潔さ、人間の暴虐---、人間の自由への希求がいかに入り組んで絡み合っていたか、当時これらがいかに入り組んで絡み合っていたか、これらの事柄をいずれかの面から自らに作用させてみるなら、そのひとは、自分がそのために使った時間を悔いることはないでしょう、と申しますのも、そのひとは、現代を判断するためにも多くを学ぶでしょうし、もっとも偉大な言葉とは、もっとも偉大な理念のための表現でもあるとか、現代においてもっとも多く自由について語っている人々が、この自由についてしばしば少しばかりのことは理解しているとか信じることを、多くの点で断念することができるでしょうから。けれども現代のほかの関連においても、まさにこの十六世紀初頭のフィレンツェにおける出来事を考察することによって、判断を研ぎすますために得るところは多いでしょう、当時ちょうど処刑されたサヴォナローラの印象のもとにあったあのフィレンツェ、キリスト教が芸術のなかへと滑り込んでゆくための形態、同時に人類の道徳的感情が活発に意義を申し立てた形態、その後まず政治的ー宗教的発展のなかにイエズス会(ジェズイット主義)[Jesuitismus]としてもたらされ、続く数世紀の政治のなかで私たちの時代にいたるまでさまざまに大きな役割を果たしてきたものの形態とは根源的に異なるあの形態、キリスト教がそういう形態をとったイタリアのあの時代の中心にあったあのフィレンツェです。

 これらのことについてもっと多くをお話しするのは現時点では許されません。けれども、私たちがきょうその芸術的な印象を私たちの魂に作用させてみました人間の進化のこの時代、まさにこの時代を注視してみるなら、もっと多くを察知する方もあるいはおられるかもしれません。


 

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