ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第3講-1

中欧ー北方の芸術衝動を理解するための基礎
中欧ー北方の芸術と南方の芸術の対立と関係

デューラー及びホルバインに至るドイツの彫刻と絵画
ラファエロ

1916/11/8


 デューラーとホルバインがその発展に加わるあの時代までの中部ヨーロッパにおける芸術の発展が意味しているのは、美術史の最も錯綜した問題のひとつです。と申しますのも、デューラーにおいて-- とりわけデューラーにおいて-- 頂点に達するすべてのものを研究する場合、多層的に重なり合い入り混じった芸術衝動の全系列を扱うことになるからです。さらに困難な問題は、第2講でその頂点を考察したイタリアルネサンス及びその巨匠たちと、この芸術衝動との関係です。

 ヨーロッパの芸術の発展とはそもそもどういうものであるか理解したいと思うなら--きょうはむろんいくつかの視点を強調することしかできませんが--、とりわけ中部ヨーロッパから発した、そうですね、ザクセン、チューリンゲンから海、つまり大西洋までと考えることのできるあのヨーロッパから発した特殊な性質のファンタジー衝動[Phantasieimpulse]の存在に注目しなければなりません、つまりそこから発して、ファンタジー衝動としてはかなり古い時代に遡り、南部でキリスト教が広まった時にはいずれにせよ何らかのしかたですでに効力を発していたファンタジー衝動です。これらのファンタジー衝動は、南方特有の性質を持つあのファンタジー衝動とまったき対照をなしています。このふたつのファンタジー衝動の違いを特徴づけるのは容易ではありません。たとえばこのように言うことができます、南方のファンタジー衝動は、ある種の静謐なフォルム把握に根ざしている、つまり、この静謐なフォルムと、さらには現れ出る色彩が、開示(現れ[Offenbarung])と言いたいけれどもある意味で直接知覚できるものの背後、物質的なものの背後にある開示、そういう開示を源泉として発してくるしかたに根ざしている、と。したがってこの南方のファンタジーは、芸術的に再現すべきものを個人的なものから引き出して際立たせること、個人的なものを、典型的なもの、普遍的なものに高めること、その領域では特に地上的なもの、特に人間的なものは消え去ってしまうような、そういうものへと高めることを目指します。事物の背後にあるものが、いかに事物の色彩とフォルムのなかに入り込んで作用するかを示そうと苦心するのです。そしてこのファンタジー衝動と結びついて、構成的なものの静謐さ、並置すること、相互に関係をもたらすこと、その構成的な力はその後ほかならぬラファエロにおいてその頂点を獲得するのですが、これらに根ざすものがあるのです。

 中部ヨーロッパのファンタジー衝動はまったく別種のものです。私たちが最も古い時代まで振り返ってみるならば、この衝動はまずそもそもフォルム把握あるいは静謐にして構成的なものの把握を直接的に目指してはおりません、この衝動が目指すのは、主として出来事、魂的な衝動から発するものの表出です、人間の意志するものがいかに身振り、動きのなかに現れるか、人間の意志するものが、内部に魂が活きている記号(しるし[Zeichen])を通じて-- 人間の本質そのものにふさわしいフォルムを通して以上に-- いかに表現されるか、それを目指しているのです。そして、魂が自らをその記号のなかにあるものとして表現しようと欲すること、北方のファンタジー衝動はこの点にあります。こういう事柄に対して感受性のあるひとは、古代のルーネ文字の効力とでも申し上げたいものを通して、このファンタジー衝動のいたるところに、木の棒などがその一致のなかに何かを表現するためにどこに投げ集められるかを感じ取るのです。記号と、記号のなかの生命の存在、これがこの種のファンタジーの根底にあるものです。したがって、この種のファンタジーは、魂的なものの個人的な表現であるもの、魂的なものの直接の意志表現から現れてくるものといっそう結びつくことができるのです。広まっていくキリスト教によって、造形芸術そのものにおいてはまったくそうでないにしても、人間の生と世界連関についての観照という点では、根絶やしにされてしまったもの、文字通り根こそぎにされてしまったものの多くが保存されているとしたら、つまり古代の異教が有していたもの、むろん完成された造形芸術作品というかたちではないにせよ、人々が世界と生について考えたことの、記号による-- 私は、象徴的な[symbolisch]、とは言いたくありません-- 表出として古代の異教が有していたものの多くが存在しているとしたら、北方においては、もっと内から、意志衝動から-- 観照の衝動からではなく-- 働くファンタジーが本質的なものである、ということについての強い感情を、外的な世界においても得ることができるでしょう。この意志衝動から働くファンタジー、私たちはこのファンタジーを、いわば文化において北から南へと広がっていったものすべての基調と見なさなければなりません。考えられている以上にこういうしかたで広がっていったのです。北方から来る衝動というかたちでほかならぬルネサンス芸術のなかに実際あらゆるものを注ぎ込んでいるものが、一度解きほぐされてはじめて、今日目の前にある完成された芸術作品に、北方のものでも南方あるいはスペインのものでもなく、本来衝動であるもの、合流した衝動であるものが見出されるのがわかるでしょう。そしてたとえばミラノにあるレオナルドの《晩餐》のなかに何が生きているかを研究すれば、初期のもっと南方的な精神から生まれた数々の《晩餐》に比べて、そこでは人物の関連のなかにいかに劇的な生、劇的な動きが入り込んできているか、そして、いかにその面差しから個人的ー魂的なものが語りかけているかを研究すれば、そこには秘密に満ちたしかたで、南方へと広がっていく北方の衝動が働いているのがはっきりとわかるにちがいありません。これは、相応に弱められてではあるにせよ、純粋に南方のファンタジーのなかに、その後シェイクスピアといったまったく別の領域かにまた見出せるものをも注ぎ込んだのです、シェイクスピアの人物たちはまさに北方の精神から生み出されました、なぜなら、彼らは人間そのものに立脚した本質を現しているので、もはや彼らのうちには、ひとつの手段のように人間の形姿と人間の行いを通じてのみ、超感覚的なものから現れ出てくるように生まれ出るもの、そういうものは含まれないからです。

 私たちがシスティナ礼拝堂でミケランジェロのすばらしい短縮法を観察するときでさえ、-- 今日逆説的に思えるにしても--こうした運動の要素が、ミケランジェロにおいても、北方の衝動からやってくる衝撃にまったく適合していることをはっきりと理解しておかなくてはなりません、ただ、この北方の衝動も南方の衝動に覆い尽くされてしまうのですが。そして、南方の衝動によって北方のそれが覆い尽くされる特殊な例を、私たちは次のことに見出すことができます、つまり、ウムブリアの山々の孤独のなかで育まれた多かれ少なかれ南方的であり続けたラファエロのファンタジーは、北方的なものが入り込んで働きかけていたレオナルドやミケランジェロに彼が見出し得たすべてを、円くし[runden]、ふたたび構成的なもののなかへと、言うなればロマン化した[romanisieren]したのです。

 これは奥深い諸問題についての二三の抽象的な示唆ですが、この問題が克服されない限り、中世の芸術全般を理解することはできません。つまり、きわめて古いものを保持している中世の芸術においては、ほかの場におけるよりもずっと、言葉が《記号[Zeichen]》によって表すものが、自然に即したしかたで造形芸術と結びついている、ということなのです。ヨーロッパで制作された聖書作品のなかには、活字の芸術的成形のまったく自然なものから絵画的な細密芸術作品に至る直接的な感情が見られます。キリスト教文化の比較的古い時代において、中部ヨーロッパの衝動のすべてを受け取っていた修道士たちが、自分たちのミサ典書やその他の本を、活字をいわば細密(ミニアチュール)画へと花咲かせるように形作るとき、それは単に何か外的なものにとどまらず、記号と造形的描出との内なる連関という感情、感覚に由来していました。記号がいわば造形的な描出へと滑り込んでいったのです。そしてそこでは記号が人間の意志の、人間の魂的なものの表現となりますので、言葉の関連のなかに現れるものから、細密画のなかに流れ込むものへの自然に即した移行が、言葉の関連のなかに表現されるものと書物の表紙を装飾する古い象牙細工のなかに含まれるものとの間にさえ、見られます。中部ヨーロッパの芸術にとってもはや存在しないものがひとつの花となって、実際そこに表現されたわけです。そして細密画のなかに表現されるものはいたるところで、内部からの、魂的なものからの創造を示していますが、それは、南方においてこれほど大きなもの、つまりフォルムのなかに生きるもの、これは人間の本質に固有のフォルムであって、内部から、魂的なものから引き起こされた動き及び活動性や個人的ー魂的なものの表現はフォルムの本質の内に流れ込むことないのですが、そういうフォルムのなかに生きるもの、そういうものの再現におけるある種の素朴さといわば対になっています。古い福音書を取り上げてみると、細密画が描出しているもののなかに、--なるほど聖書的に伝承された人物像を拠り所としてはいますけれども--、いたるところで、その人自身が魂的に経験したことを表現しようとするようすが見られます。良心の咎めやその他似たような魂的な内部経験、それらが古い中部ヨーロッパの細密絵画のなかにすばらしく表現されています。実際のフォルム付与という点で、つまりその人自身がその個を通じて付け加えることは何もなく、事物の背後にある神的ー霊的なものとでも申し上げたいものがそこに開示されている、そういうフォルム付与という点において、これらは大いなる素朴さと対になっているのです。けれども、私が特徴づけしましたこの衝動は、いわば常に中部ヨーロッパから発していくのですが、発しながらも、南方から広がってきたもののなかで失われてしまいます。この衝動は広がってくるキリスト教のなかへと消え去ります、広がってくるローマ主義その他のなかへと消え去るのです。けれども同時に、このとき中部ヨーロッパから広がってゆくものは、南方によって再び豊かにされ、その結果、フォルムの克服および霊的にして自然に即したものか現れ出る色彩の克服という点で南方から得られたものが、今や北方の衝動の精華であるものに習熟していきます。このように入り組んで発展し、層を成し、織りなされているのです。

 このように、進化というのは本来持続的に起こるのではなく、多かれ少なかれぶつかりながら起こることがわかります。それでいつもこういう感情が持たれます、ぶつかり合う進化ではなく、持続的な進化が起こるとすれば、いったいどのようになっただろう、と。--たとえばこのような感情を持つかもしれません、もし北方で直線的に--もちろん仮説は意味がありませんが、こういう感情を持つことはできるでしょう--、つまり、カロリング時代{751 年メロヴィング朝を倒したカロリング朝はカール大帝時代に最盛期を迎える}やオットー帝{10世紀末からドイツに君臨したザクセン家の皇帝}時代に、細密画や、書物の表紙を飾る象牙細工のなかに最初含まれていたものが、もし北方で直線的に偉大な芸術へと発展することができたとしたら、どうなっていただろう、と--。けれども、ローマ的要素としてキリスト教の波に乗ってもたらされたものすべてが、今やそこに流れ込んでいきます。そしてこのローマ的要素が、建築のなかに、彫刻のなかに、私がお話ししましたまさにあの衝動、南方的なフォルム衝動をもたらすのです。ここで、北方的な動きへの衝動、表現衝動と、南方的なフォルム衝動、色彩衝動との結婚がなされます、ただし色彩衝動といっても、私が特徴づけましたような、つまり色彩は、個人的な表現の開示[Offenbarung]ではなく、自然に即した霊的(精神的)表現であるものの開示であるという色彩衝動ですが。

 さて、けれどもさらに別のものがこれに結びついています。ローマ的衝動が入り込み、ローヌ河およびライン河の支流に貫かれるすべての地域に広がっていく最初の北方的衝動は、オットー帝時代が過ぎ去るとともに途絶える、と言うことができます。とりわけこのなかへと、けれどもさらにこれを超えて広がっていくのですが、ローマ的衝動が広がり、両衝動の完全な合体が達成--まずは成長すると言いましょう--されます、これは十二、十三世紀頃までに頂点に達し、そこで別の衝動、このとき入ってくるのですけれどもすでにそこで準備されていた衝動が、西から姿を現します。本来南方の衝動である観照の衝動が、中部ヨーロッパ的ーローマ的芸術のなかで、運動の衝動、つまり根本的に意志の要素から発すると私が特徴づけましたようなあの運動衝動と結びつく、と言うことができます。

 この時代、西では別のものが準備されていました、これはその後発展し、私がたった今ローヌ河、ライン河流域の峡谷に広がっていくと特徴づけましたものに、十二、十三世紀から完全に浸透されるようになります。このとき西方で準備されるものもまた、それ自身二つの衝動の合流しているものです。そしてこの二つの衝動の合流が、崇高なゴシックのフォルムのなかに具現されています。今やここでまた実際に二つの衝動が合流するのです、もともと北方からもたらされたひとつの衝動、生の実践、理知、賢明さ、生の写実主義(レアリスムス)とでも申し上げたいものを内包する衝動、これは文化的にノルマン人たちがヨーロッパへと運び来る波に乗ってヨーロッパに到来します。これに、スペインとりわけ南フランスから作用するものが結びつきます。北方から到来するのは、知的なもの、実践的なもの、写実的なもの--写実的なものといっても、後の時代の写実的なものと混同してはいけません、まったくもってなおも世界知[Weltverstand]に由来し、地上的なものを天的なものとの連関のなかで考えようとする写実的なものです--であり、南方から、南フランスではよりいわば凝集されて、神秘的な要素、つまり地上的なものから天を希求する神秘的な要素、と呼びうるものがやってくるのです。この二つの要素、この両者が合体して成長します。そしてゴシック的なものの独自性とはまさに、この二つの要素、神秘的な要素と理知的な要素が合体して成長するということなのです。ゴシック様式[die Gotik]のなかに神秘的な要素を見出すことのできないひとはゴシック様式を理解できません、一方では南フランスに凝集されたかのように現れ、九、十、十一世紀にとりわけ発達し、ゴシック様式のなかに下方から上方へと秘密に満ちて希求するものをもたらしていく神秘的要素を。--けれどもここでゴシック的なものには別の要素がむすびついています、手工業的知性、合理性といったものが流れ込んでいるのです。ゴシックのフォルムが希求するしかた、これは何か神秘的なものを持っていますが、それらのフォルムが組み合わされ、つながれ結びつけられるしかた、それは、神秘的なものにきわめて手工業的なものを結びつける、と申し上げたいのです。ゴシック様式においては、独特のしかたで、一方の面が他の面に結びついています。そしてこのゴシックに流れ込んだもの、これがその後十二、十三世紀にとりわけ西方から流れ込み、中部ヨーロッパの芸術創造をも浸透していくのです。この場合常にはっきりと理解しておかなければならないのは、たしかに文化の経過につれて、これらの出来事が相互に織りなされ、重なり合い--すべてが広がっていこうとするわけですから--、その結果ローマ的なフォルム付与のなかに、ゴシック的なものに由来する作品が混ざり込む傾向があるということです。しかしこれもひとつの傾向にすぎません。

 中部ヨーロッパには常に、反抗する[revoltierend]要素、反抗する衝動があり続け、これはとりわけ芸術のなかに顕著に認められ、常に意志の要素、動きの要素、表現の要素を強く形作ることを目指しているのですが、そのため、南から入ってくるものも西からも入ってくるものも、多かれ少なかれ何度も押し戻されるという結果になっています。中部ヨーロッパにおいてひとは、ローマ的なものも、後にはゴシック的なものでさえも、何か疎遠なものと感じるのです。

 何を疎遠な要素と感じるのでしょうか。個人的なものを何らかのしかたで否定しようとするものをです。ローマ的なものを個人的なものの敵と感じ、後にはゴシック的なものさえも、個人的なものをその下で呻吟させるものと感じるのです。別の分野に--宗教改革のなかに--現れてきた気分、タウラー{1300頃ー1361}あるいはヴァレンティン・ヴァイゲル{1533-1588}といったような精神のなかにすでに現れていた気分が、芸術的なもののなかにまったく特別に存在しているのです。これらすべてから明かになるのは--いかにゴシックが、ローマ主義が、中部ヨーロッパの本質のなかに滑り込み、完全にそれを覆いつくすかを見るなら--、実際デューラーの数世紀前に、中部ヨーロッパ的本質そのものは、ある意味でそれ自身の衝動においては衰え、回復することができないということです、抜け出すことができず、ほかのものに完全に覆いつくされたように。けれどもそれは生き続けます。思考のなかに、感覚のなかに、感情のなかに、それは生き続けているのです。それは常にあります、それをことさらに表現する芸術家はいないかもしれませんが、それは常に存在しているのです。それは、のちの自然観照、天と地を理知的に結びつけ、すなわち地上にも見出される法則を通してほかのあらゆるものを捉えようとする自然観照から語りかける要素と同じ要素です。

 けれどもこの内部にはさらにまったく別のものもはたらいています、そして、そこにはたらくものは、ゲーテが語り、書き留めた言葉のなかに見事に表現されうる、と言うことができます。書斎のなかのファウストを考えてみてください、その書斎はおそらくゴシック的に想定されているはずですね。けれども彼はローマ主義とみなされねばならないものすべても研究しました。これに彼は人間の個[Individualitaet]を対置します、純粋に自己に立脚する[auf sich gestellt]人間の個です。けれどもこの人間の個というもの、かれはこれをどのように対置するのでしょうか?

 ファウストがいかに人間の個を、彼がこのときそのなかに置かれているものに対置するかを理解したいと思うなら、次のことを考慮しなければなりません、つまり私が申し上げたいのは、今日中部ヨーロッパにはほとんど気づかれることなく、中部ヨーロッパを壮大なしかたで東方に結びつけるもの、真に壮大なしかたで東方に結びつけるもの何かがはたらき続けている、ということです。古ペルシア文明においていかに光と闇が、オルムズドーアーリマンが役割を演じていたか、今日読んだり聞いたりされるとき、それはあまりに抽象的に受け取られています。かつての時代の人々がいかに具体的なもの、リアルなもののさなかに立っていたか、考えてもみないのです。相互に働きかける真の光と真の闇というのは、ほんとうにかつての時代の人々の体験だったのです、そしてこの体験は、南方の並置するフォルム衝動、構成的な衝動よりは、運動、表現の契機、衝動に近しいものでした。光と闇が世界の活動のなかに織り交ぜられるさま、人間や動物としてこの地上を歩むものへと光と闇がその作用を投げかけるさま、それが生み出すのは、まさに光と闇のなかに感じ取られ、さらに光と闇から色彩へと上昇しつつ受け取られる関係です、人間のなかの魂的な表現であり動きのなかへと流れ込むものと、南方の芸術が表現にもたらしうるものよりは、この天的ー霊的なものの動きの衝動とでも申し上げたいものに近しいもの、この両者の関係が生み出されるのです。人間は歩んでいき、人間は頭をめぐらせます。一歩あゆむたびに、頭をめぐらすたびに、異なった光ー影の衝動が現れるのです。運動と光との関係を観照することのなかにはいわば、地上的自然を元素的(エレメンタル)なものへと繋ぐ何かがあります。そして、元素的なものと、直接に地上的なものとのこの交錯のさなかに、中部ヨーロッパの人間のファンタジーは、彼がファンタジーへと上昇発展してゆくことができれば、とりわけ強く生きていたのです。

 したがって、これは今日までほとんど気づかれていないことですが、中部ヨーロッパにおける色彩も、南方における色彩とはまったくちがったしかたで生じるのです。南方における色彩は、自然本質の内部から浮かび出てきた色彩、表面へと浮き出てきた色彩です。けれども中部ヨーロッパでファンタジーのために生じた色彩は、明ー暗[Hell-Dunkel]から投げかけられた色彩、表面へと投じられた色彩、表面で戯れる色彩なのです。色彩付与において生じるこの違いを理解し、色彩がいかに表面へと”投げかけられる”か、あるいは色彩がいかに対象そのもの”から出て”、対象の内部から表面へとやってくるか、これはその後南方の芸術的な色彩となった色彩ですが、こういうことを見通してはじめて、今日まだよく理解されていない多くのことが理解できるようになるのです。投げかけられた色彩、明暗から生じた色彩、うねり波打つ明暗からきらめき出る色彩、これが中部ヨーロッパの色彩なのです。このように物事はいたるところで入り組み交錯し、多層的に重なり合っているため、この衝動は非常に観察されにくいのですが、こういう衝動はまったくたしかに存在します。

 よろしいですか、中部ヨーロッパにおいてこれはさらに魔術的な要素と申し上げたいものと結びついています、ちょうどペルシア文化そのもののなかで、明暗、光と闇が、ペルシア的マギ文化[Magiertum]と結びついていたように。魂的ー霊的存在の秘密に満ちた表出、これは同時に人間のなかでも、明暗の元素的な働きとうねりのなかでも戯れ、人間を取り巻いて漂い共に働きかけ、一方その内面は、明暗として、そして明暗からきらめき出る色彩存在としてその回りを戯れるものとの隠れた親和性に入っていくのですが、これは、自らのうちに常に意志の要素を秘めているものであり、魂が感じ取るものを魔術的なものに結びつけるものです。けれどもこれによって人間は、エレメンタルな(元素的な)存在たち、最初は元素的なもののなかに顕現するあの存在たちと関係を持つようになります。ですからファウストは、南方からやってくる哲学的、医学的、法学的、神学的要素と縁を切ってから、魔術に没頭するのです。けれども彼は自己自身に立脚しなければなりません、個人性[Persoenlichkeit]に立脚することによってひとが置かれるものを前にして、怖じ気づくことは許されないのです。彼は地獄と悪魔を前にしても恐れてはならず、明と暗を通過して歩んでいかなければなりません。けれども彼自身が--考えてもごらんなさい、なんとすばらしく!ーー息づく曙光のなかで躍動しているではありませんか。この明ー暗がファウスト独白のなかに入り込んでいるさま、これは実に驚くべきものです。けれどもこれはまさに、中部ヨーロッパの衝動と親密に関わり合っているものであり、中部ヨーロッパの本質から描かれまた詩作されたとでも申し上げたいものなのです。

 これによって、人間と、自然主義的、元素的な存在との関連が生じます。そしてこの動向は、キリスト教の伝承とともにちょうど南部からやってくるものの把握のなかにも入り込み、中部ヨーロッパをアジアと関係づけるものは、古いアジア文化にまで入り込んで反抗するのです。これらの物事は入り混じって進行します。そしてこうした展開のなかに--言うなればまったく独自の人物のように--デューラーが置かれるのです、彼は1471年に生まれ、1528年に死にます。

 デューラーを追求したとき、私は彼を次のような人物として理解するほか決して理解することができませんでした、なるほど中部ヨーロッパ文化全体のなかに置かれた個性的な人物ではあるけれども、魂生活を周囲の文化生活に結びつけている数知れない無意識の通路を通じて、ほかならぬこの周囲の文化生活と関係している人物としてです。デューラーがまったく初期の頃、すでに《フュアレーゲリン嬢》の肖像画において、

272   デューラー フュアレーゲリン 嬢 1497

人物の上に彼の流儀でみごとに明と暗のひな型を形作り始めるとき、そのなかに今描写しました衝動の作用を何としても認めざるを得ません。そしてこれはデューラーの全生涯を貫いています。ですからデューラーがとくに偉大なのは、彼がこの共体験から、元素的自然のこのまったく特殊な性質の共体験から表現にもたらすものを、表現しようとするところにおいてなのです。彼はこれを、聖書的に伝承されたものとして受け入れるもののなかにも持ち込みます。それで彼にとっては南方的な要素に適応するのが救い難く困難に、言うなればつらいことになるのです。レオナルドの場合、解剖学的なもの、生理学的なものの研究を受け入れ、それによって、最近みなさんにお話ししましたようにかつてはもっと隠れた[okkult]感知に与えられていたものを観照のなかに獲得するといったことは、彼にとって自然にかなっていると私たちは感じますが、同じ解剖学的なものの研究が、デューラーにとってはかなりつらいものとなることがわかるのです。彼は決してこのやり方に格別に順応するということはないのです、人間の外にあるもの、神的ー霊的なものが人間を通じてそのなかに現れるいわば研究されたフォルムを身につけて、神が創造したものから今度は彼自身で人間のフォルムを作り出すといったことに。これは彼のやり方ではありません。彼のやり方はむしろ、運動性、意志の衝動を、存在するもののなかに追求することです、人間の性質と外部の運動するもの、つまり明ー暗や、明ー暗のなかに生きるものとを直接関係づけるものを追求するのです。これが彼の本領です。ですから彼は、彼の根源的なファンタジーの向けられていた運動性から創造するのです。けれどもこのことによって、この衝動の展開のなかには日常的な人間生活も入り込む、ということが起こってきます。人間のなかに働く神的なもの、人間を超えて典型的なもの[das UebermenschlichTypische]を主に表現しようとする芸術、そういう芸術は、日常生活のなかで職業から、直接の生活経験から人物に刻み込まれるものを、自分自身の衝動を通じて人間のなかに表現するということには、あまり価値を置かないでしょう。けれども中部ヨーロッパの芸術においてはそういう事情であり、この関連で、今日のオランダ地方からさらに特別な衝動が発しています。ここから来るのはとくに実践的な衝動です、直接的地上的現実が人間に押印するものによってファンタジーを貫く、とでも申し上げたいものが、人間を、その身振りのなかで、そのフォルムや表情や骨相のなかでさえ、地上的なものと合体させているのです。

 このような諸衝動が、中部ヨーロッパでさまざまなしかたで合流します。そしてこれらを解きほぐすときにのみ--その際はもちろん、今日私が抽象的な線描で暗示しているものよりずっと多くのことを扱わねばなりませんが--、中部ヨーロッパの芸術のまさに特徴をなすものを理解することができるでしょう。さらにひとつひとつ示唆していきましょう、すべてを語るというわけにはいかず、常に示唆するにとどまりますが。


 ■シュタイナー研究室に戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る