さてここで、言うなればローマ的傾向が中世的な衝動と合体する時代からまず出発点をとりたいと思いますので、ナウムブルクの大聖堂、ドイツのナウムブルクの大聖堂に見出せる人物像を見ていきます、当時の人々を表現している彫刻作品です。
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まさにこのような仕事(353)には、この面差しにまで流れ込んだ魂的なものをみごとに見て取ることができます。
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典型的なものはどうにも流れ込みようのないまさに個人的で魂的な表現が、南方的なものから来るフォルム付与という点での高度な技術的完成と、ここで一体となっています。
さてここで、もっとゴシック的な思考、ゴシック的な把握から生まれたものを私たちに作用させてみましょう、シュトラースブルクの大聖堂の彫刻です。
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この人物像はほかの像よりもずっと建築全体に適合しています。
こう言ってよいかもしれません、ここでは表現は徹底して内から形作られている、しかし人物の形成全体は、さらに西方に進むともっと多数観察できるとおり、建築フォルムに呼応して引き出されている、と。
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この時代のとくに特徴的な傾向というのは、教会が打ち負かす者として表現され、そのためいたるところに、これらの打ち負かされた悪魔やその他のモティーフが見られることです。
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これはつまり、こういう女性像によってシュトラースブルク大聖堂《教会》、キリスト教会が表現されているのです。
さてここでは、目隠しされた驚くべき身振りのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が教会に対置されています。
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単に頭と独特の表情だけでなく、身振り全体を心に刻みつけていただくようお願いします。《教会》と《シナゴーグ》がいかにすばらしく魂的に対照されているかみなさんが比較できるように、もう一度《教会》全体を見てみましょう。
さて、南方的なものと中部ヨーロッパ的なものの共同作用のさらなる例として、今度はケルンの芸術からいくつかの実例をごらんいただきましょう。よく知られていない《ケルンのマイスター(親方)》--しばしば彼はマイスター・ヴィルヘルムと呼ばれます--は、まったくもって動きから生み出されたフォルムとともにこの下の人物をごらんになれば、このなかになおも見出せます通り、きわめて精妙な記号付与およびフォルム付与を、表現の親密さと高度に一致させています。
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名高いマリア像、《豆の花を持つ聖母》が同じマイスターの同じ源泉に由来するということはよく知られていますね。
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これより、以下のどの絵画においても、これらのマイスターたちが、単に面差しやその他の身振りのなかだけでなく、とりわけ手の形成全体のなかにも、魂的なものを、真に魂的なものを、形作り仕上げることをかなりの程度愛好しているということに注意していただきたいのです。つまりこの時代は、ほかの時代よりもずっと、手を魂的に形成し仕上げることに取り組んでいます。こういうことを申しますのは、まさにこの傾向がデューラーにおいて特別な高みに到達するという理由からですが、彼は真の喜びとともに、魂的に手のなかに表現されうるすべてを表現するのです。私たちはこのケルンのマイスターに、南方的なフォルム要素の、中部ヨーロッパ的な魂的なもの、心情に親密なものの要素によるきわめて純粋な浸透というものを実際見出し、そしてすぐこれに続いて、コンスタンツからケルンに来たマイスター、シュテファン・ロホナーにおいて、ほかならぬこのマイスターはちょうどこのふたつの実例に示されているものについてきわめて多くを学んでいるにもかかわらず、ここでもまた表現要素がフォルム要素に反抗しているのを見ます。
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シュテファン・ロホナーは、表現の芸術のなかにしっかりと根ざすことで、ある種の革命的な抵抗をもって、ケルンにおいてほかの人々やその弟子たちから彼が学び得たものにぴったり寄り添うとでも申し上げたい人です。
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つまりこれは、前に示されたものにつながるものです、ぴったりと寄り添うにも関わらず、まさにこの新たなきっかけを、内からの創造を有しているロホナーです。これは1420年だということだけ述べておきたいと思います、このときロホナーはケルンに行くのです。そこで多かれ少なかれロホナーにとって教師となった人、彼を先ほど《ヴェロニカ》と《スイートピーの花を持つ聖母》(238)で示しましたが、彼は1410年頃に死にます。その後1420年にロホナーがケルンに行くのです。
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さてここで、西から、フランドルから刺激を受け取ったあるマイスターからいくつか実例を示したいと思います、西方の刺激をありありと示している彼、つまりショーンガウアーは、1450年から1491年まで生きましたが、みなさんは彼のなかにも同じ芸術傾向--ただしフランドルからの西方的影響をともなった--を観察することができるでしょう。
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これによってずっと写実的な要素が付け加わっていくのにご注意ください。
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キリストの誕生 |
聖アントニウスの誘惑 |
非常に写実的に捉えられた、徹底して個人的な、本質的なものにおいてヴィジョン的な絵、銅販画です。
これは同時にまた、きわめて正確に働きかけるイマジネーションであり、このような芸術家が、まさに誘惑の内容を形成する人間的情熱をこのようにまったく具体的に具現化し、また真に人間的な姿と並んで、誘惑が私たちにやってくるとき、事実アストラル体のなかにリアルに生きているものを{絵のなかに}置くことを可能にするのです。
さて続いてよく知られていない《上部ラインのマイスター》です。
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これもまた聖アントニウスの誘惑です、これは1470年からおよそ1528年まで生きたグリューネヴァルトの方法に従うものですが、グリューネヴァルトにおいてみなさんは、今までの努力のなかに合流するものの頂点、つまり最高度の力量、技術をともなった真に個人的な表現、これは多くの点でショーンガウアーよりも南方のファンタジーに影響されているのですが、そういう表現に驚かれることでしょう。両方の《誘惑》を互いに比較してみるのはとても興味深いことです。両者はもちろん同じものを描出しているのですが、一貫して次のように見ることもできるかもしれません、つまり先の絵(244){253?}は、一日のうちに誘惑として現れるもの、と私は言いたいのですが、そういうものとして捉えられ、こちらの絵(245){254?}は、その翌日に誘惑として現れるものとして捉えられる、と。けれどもここで重要なのはまったくモティーフではなく、グリューネヴァルトに近いところにいるこの芸術家が、前者よりもよりさらに高い完成度を真に示している芸術的なものそのものなのです。
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十字架を担うキリスト |
磔刑 |
コルマールの名高いイーゼンハイム祭壇の中央部の絵です。表現から出て最も小さな細部に至るまで入り込んでいく特徴づけに注意してください。動物さえも姿勢全体に関与しています。魂が手のなかに流れ込んでいるのをじっくりとごらんください。
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聖アントニウスの誘惑 |
イーゼンハイム祭壇の一方の翼の絵です。これはまた別の《聖アントニウスの誘惑》です。
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荒野のアントニウスとパウロ |
イーゼンハイム祭壇のもう一方の翼の絵です。
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イーゼンハイム祭壇の飾り台、つまり下の部分です。これらの絵は、きわめて完成された人物(の特徴)描写の芸術作品です。
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これもイーゼンハイム祭壇の一部です。
つまりグリューネヴァルトは、十三世紀から十五世紀を経て十六世紀に至るまで徐々に発展しながら到来するのを私たちが見るもの、そういうものの頂点をある意味で示している人かもしれません。