ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第4講-1

イタリアのルネサンス芸術と並ぶ北方の芸術創造の独自の傑作
ドイツとオランダの彫刻作品
ミケランジェロ

ドルナハ 1916/11/15


  芸術作品についての私たちの考察を進めるにあたって、きょうはみなさんに、先週ここで上映したものをいくらか補足していきます、そうすれば、同じ理由から、私の意図したものも基本的に、中部ヨーロッパおよび北方の芸術と南方の芸術との関係と対照について私が述べようとすることを補足するものになるでしょう。みなさんも覚えていらっしゃるでしょうが、私が示そうとしましたのは、特別に芸術的な要素が、北方と南方の特性によっていかに影響されたか、けれども他方において、南方の衝動と中部ヨーロッパの衝動は絶えず重なり合いながら起こったために、共に作用している物事を正しく認識することが今日でもなおいかに困難であるか、というまさにそのことでした。精神科学的な研究は、こうした事柄に、少しずつ、そしてますますいっそう、光を当てていくでしょう。

 きょうはこの対照に別の観点から注意していただきたいと思います。みなさんも覚えておいでのように、私が強調しましたのは、中部ヨーロッパの精神生活のある種の衝動から、意志表現さらには悟性表現の芸術と名づけられうるものが出現する、ということでした、動的、魂的な要素を持つ芸術です。動きのなかにある魂、---これが中部ヨーロッパの衝動の目指すものなのです。他方、南方の衝動、とはいえこれはごく初期の頃から中部ヨーロッパのそれに影響されていたのですが、南方の衝動が目指すものは、もっと直観のなかに入り込んでくるもの、世界の精神的ー神的要素から直観のなかへと働きかけるもの、つまり、人間的なものを超えて超人的なものへと入り込んでいく表現のなかに、そして構成的な要素のなかにも特徴づけられるものです。さて、これは今日の時代の悪癖とも申し上げたいことなのですが、芸術が一方では、造形芸術の場合でさえもそうですが、実に短編小説的な内容によって判断されすぎ、芸術のなかに本来現れているものの特殊さについてはあまりにも理解されないのです。

 けれどももうひとつの悪癖は、今日芸術はさまざまに、いわば個人生活の要素のように、文化生活全体から切り離されているということです。これはまったくもって無意味なことです。特別に芸術的なものに対する、フォルムと色彩、構成その他のなかに働いているものに対する感情と感受性と理解さえ得られれば即座に、つまり、象徴的解釈、あるいはその他別のしかたで解釈しようとする衝動でもなく、つまり例えば、デューラーの《聖ヒエロニムス》のような絵画、あるいは《メランコリー》と名づけられたいくつかの絵の場合、光の塊が秘密に満ちてうねり織りなすなかに、何か象徴的に解釈するよりも無限に深いものがあるということ、そういうことについて理解されれば即座に、次のようなこともまた見通すことができるでしょう、つまり、ここに現れているこの特別に芸術的なものは、普遍的な文化生活のなかにも生きていること、芸術家はその時代の普遍的感情から、ほかならぬフォルムを与えるもの、色彩を与えるもの、表現をもたらすもののなかに働きかけること、芸術家の魂を通じて時代が働きかけること、そして時代の文化全体は、真に特徴を表す芸術作品のなかに現れる、ということをです。

 さて、すでに前回見ましたように、中部ヨーロッパ的要素はいわば多かれ少なかれ独自に達成されるのですが、けれども同時に、教会と、キリスト教を通じてローマ的な側からもたらされるものと婚姻しているのです。そして、十二世紀、十三世紀に入るまで、中部ヨーロッパにおいてはほかに比べようのないしかたで、ひとつの芸術生活が形成されるわけですね、人間の魂の動きを、人間の魂のなかで活動しつつ生きているものを個人的に形作ることと、ローマ的なものとを婚姻させる芸術生活です。十二世紀、十三世紀まで、実際何が起こっていたのか、理解できます-- それに続く時代と今日に至るまでのキリスト教の伝播について知り得たことを考慮するだけでは、このことを正しく理解することはできません。キリスト教の伝播はまったく別のものになったのです、かつてのあの数世紀においては実際事情はまったく異なっていました。硬直したドグマ的なもの、排他的にしてドグマ的なものすべては、実際ずっと後になって出てきたものなのです、むろん十二世紀までのあの数世紀にも、すでにキリスト教は可能な限りあらゆる広がりを見せていましたけれども。そして中部ヨーロッパにおいて、体系づけるもの、つまりローマ的な要素の形式的なものは、そのなかで常に異物のように感じられていたにしても、キリスト教的な衝動とのみごとな融和は、中部ヨーロッパにおける魂生活の、より下意識的な、感情的な要素のなかへと入り込んでいます。形成を求めてやまぬ芸術のなかにとりわけ現れているのが、このキリスト教との融和[Sich-Einleben des Christentums]です。ここで、ふたつの命題によって特徴づけられるものを指摘してよいかもしれません、射程の長い、途方もなく射程の長いふたつの命題です。つまりこう問いかけることができるのです、南方的なものの場合、芸術はそもそもいったい何に語りかけているのか、と。古代において芸術は何に語りかけていたのでしょうか、没落していたときに、初期ルネサンスから後期ルネサンスにかけて再び上昇したときに、南方では芸術はそもそも何に語りかけていたのでしょうか、南方の地域において芸術は何に語りかけるのでしょうか。--芸術はファンタジーに語りかけるのです。そしてこの命題のなかには実際限りない射程の長さがあります。芸術はファンタジーに語りかけます、この南方の人間の魂のなかで、こういう事柄についてある種多血質の気味[Anflug]--気味、と私は言います--を帯びて生きているファンタジーにです。そして、おわかりのように、この南方の地域では、キリスト教的な表象及びとりわけキリスト教的な理念が、ファンタジー生活のなかに滑り込み、そしてファンタジーによって芸術的に生み出されます。このような命題を押しつけることはむろん許されず、これ自体を芸術的に理解しなければならないと申し上げたいのです。ただそれだけで次のような事態さえ招いたわけです、ルネサンスの時代に芸術的ファンタジーは、芸術進化における目の眩むような高みに至り、その際道徳的なものは、ルネサンスについてここで行った講義で述べましたように、最初はアッシジのフランチェスコによる攻撃に、次いでサヴォナローラの燃えるような攻撃に示されているような状況に至りました。サヴォナローラのむなしく燃える攻撃を、ドナテッロ、ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド、その他多くの彫刻にキリスト教的観照が限りなく豊かに生かされている様子を対比してみれば、状況全体は私たちの目にも明かですね。

 北方においては、芸術は別のしかたで別の魂要素に語りかけます、心情の魂要素に、感情の魂要素に語りかけるのです。この場合もこういうことを押しつけるのは許されませんが、このような命題によって、時代全体、時代全体の現れを理解するための導線が与えられるということは知っておかなくてはなりません。このように言うことができます、キリスト教のなかに、特別な魂的、道徳的ー宗教的な衝動が生きていると思うなら、それはファンタジー衝動のなかには入り込んでいかなかった、ルネサンスにあれほど目の眩むような高みに達した南方の芸術のなかには入り込んでいかなかった、と言わなければならない、と。けれども十二世紀までの数世紀においては、十三世紀初頭においてさえ、その衝動は前進しつつ、芸術上の格闘のなかにあっても、心情と感情へのキリスト教の語りかけを私たちに見せてくれると言うことができます、芸術創造のなかで、キリスト教との融和を、とりわけキリスト教の悲劇的な要素との融和を見せてくれるのです。ルネサンス芸術が、そうですね、キリストの面差しそのものをできる限りみごとに形作ろう-- これはルネサンス芸術の本来の要素ですね--と苦心する一方、おわかりのように、私が示唆しました数世紀は、中部ヨーロッパにおいて、受難の物語、苦難の物語を、その悲劇的、ドラマ的な要素のすべてとともに理解しようとする努力に費やされ、その努力は自らの魂のなかで、自らの心のなかでこの受難の物語をわがものとするまでになるのです。そして、カロリング朝の統治時代においてさえ、中部ヨーロッパではなおいたるところで、中部ヨーロッパ的ー異教的要素が心情生活のなかに出現する、と言える一方、カロリング時代については、私が示しました境の時期まで、中部ヨーロッパ特有の魂から現れるように、人間生活のすべてをキリスト教の立場で理解するということが活発化するのがおわかりですね。これは独特のことです。そして奇妙なことは、十三世紀以降、十三世紀から、ある種の下降も認められ--このことも前回特徴づけしましたが-- 、しかしさらにまた別のものが勃興したこの時代においてさえ、自ら習得したものを静寂な魂生活のなかで加工しようという苦心が見られます。そして実際何と言っても、ここで起こっていること、最良の魂に起こっていることは、十三世紀から、十五、十六世紀まで持続する営みなのです。

 今しがた特徴づけました十三世紀までのこのキリスト教との融和、私たちはこれを見ることができますが、十三世紀にかけてますますいっそう深まっていく劇の類の表現にふれることができたら、もっと多く見ることができるでしょう。私たちが今日発掘している、のちのクリスマス劇、復活祭劇、三王の劇となるものは、古代の日付でありキリスト教の世界観の宇宙的な習得さえ目指す劇、そういう数々の劇の弱々しい残照にすぎません。すでに十二世紀に成立した《反(アンチ)キリストについて》という劇、これはテーゲルン湖で発見されましたが、あるいは後の《十人の乙女》-- これらは、かつていたるところで上演されていた、聖なる物語と伝説的な物語とを劇的な関係のなかに示していた劇の弱々しい余韻にすぎないのです。そして、きょうこれからまた--前回を補足しつつ--見ていきますように、キリスト教的世界観のこの全体的把握のなかから、ひとつひとつの星のように、彫刻作品も上昇してきます。

 けれどもそれは、魂生活を深め、それを芸術的に形作っていくなかでの静かなゆっくりとした営み、とでも申し上げたいものです。そしてこれがその真の表現を見出すのが-- みなさんに後ほど上映してお見せできるなら、私もある程度満足できるでしょうが-- 、デューラーが明らかにしたような《受難の物語》であり、そしてとりわけデューラーその他の人々によって生み出されたキリストの面差しにおいてなのです。これについてはまだ画像がありませんが、いずれ手に入れたいものです。キリストの面差しの芸術的克服をデューラーその他まで進めて研究しますと、芸術上の創造のあらゆる分野で研究しますと、実際中部ヨーロッパにおいてこの時代に、魂的な表現におけるひとつの成熟が実際に達成されるのがわかるでしょう、魂的な表現におけるとほうもない成熟です。このようになった事の次第はすべて、中部及び北ヨーロッパの生活と南方の生活との詳細にわたる差異に関連しています。私たちがここで思い出しておかなければならないのは-- さもないとこのことをまったく理解できませんから-- 、南方の生活との大きな違いということです、アトランティス後第四時代の最終段階を育成する-- ルネサンスにおいてアトランティス後第五時代の光が射し込んでいるとはいっても-- とでも申し上げたいこの南方の生活は、きわめて親密な感情のなかでアトランティス後第四時代の最終段階を育成し、他方、中部ヨーロッパ、北方ではアトランティス後第五時代が準備され、後に個人的なものつまり人間の魂の運動性の表現、人間の魂の生きた動きの表現になっていくものが、暗い魂の奥底から身を起こしてくるのです。この両地域の生活全体については、この場合その違いという点にぜひとも注目しなければなりません。ただ思い出していただきたいのは、南方の芸術においては、霊的な領域から感覚的なもののなかに入り込んでくるものについて、まだ生き生きとした先祖返り的な観照が得られたわけですが、南方の芸術においてはこのこととの関わりがどんなに多いか、ということです。それは、ビザンティン的芸術形式と呼ばれるものすべてのなかに保持され、示唆的な形態に貫かれているあらゆるもの、チマブエおよびチマブエの名前に結びつけられるあらゆるものに見られる、モザイク芸術においてそのように示唆的に作用するあらゆるもののなかに保持されてきたわけです。そこではキリストが、キリストの形姿がよりいっそう働きかけています。中部ヨーロッパにとって描写されるものとなるのは、イエスの生涯です、直接に魂的なものから芸術的な形姿が描写されるからです。後にデューラーが作り上げるキリストタイプは、ビザンティン的なキリストタイプのように超人間的(人間を超越する)[uebermenschlich]でもあり、人間内在的(人間に内在する)[innermenschlich]でもあります。

 この遅れ咲きの花と咲いたアトランティス後第四時代には、したがってやはり何か、超人的ー典型的なもの、超人的ー種属魂的なものを仰ぎ見るようなもの、つまり個人的ー人間的なものを払拭したものを仰ぎ見るようなものがあるのです。そして南方の民族は、ずっと高度に-- こういう事柄がいったん正確に理解されれば、これが正しいということがわかるでしょう-- 古代的なもの、古風なもの、超人的ー種属魂的なものをその芸術のなかに甦らそうとしましたが、北欧の芸術、北方の芸術に私たちが見るのは、断固として個人的に作り出すこと、あらゆる人間の魂ひとつひとつから作り出していくことなのです。

 このように、南方の生活のほうが、いわば人類はまだ常に全体としてあるわけですね。ここで思い出していただきたいのは、ひとりのアテネ人はアテネ人であり、ひとりのスパルタ人はスパルタ人であるというのはどういう意味においてそうだったのか、アリストテレスが人間を《ツォーン・ポリティコン[Zoon politicon]》、政治的動物と呼んだのはいかに正当であったか、そしてその後このツォーン・ポリティコンがいかにしてローマの最上の高みにまで育成されたか、ということです。そこでは人間はいわば、自分の家よりは通りで生活し、自分の魂とともに生きるにしても、自分の魂そのものの外被のなかで生きるよりは、自分を取り巻くもののなかで生きるのです。空間的なものを取り巻くファンタジーはこうしてかき立てられることになります。

 そしてこの、政治的共同生活とでも申し上げたいものから、芸術的なものもまた生まれます。今しがた私が述べましたものは、南方の芸術を、まったくもって共通の特徴のように貫いています。教会が飾られ、広場が飾られますが、いたるところで念頭に置かれているのは、民衆が好んで殺到するということです。その気質によってそこに引きつけられ、そこにしつらえられているものを求めるので、好んで教会に行き、広場に殺到するのです。その魂生活をまっとうするために、民衆は外界におけるこういう生活を必要とするわけです、集合魂的なもの、きわめてすぐれた意味での政治的なものとのこの共同生活を。

 中部ヨーロッパではそうではありません。中部ヨーロッパでは人間は自己のうちに生きています。中部ヨーロッパでは人間は、自分の家のなかに、魂の家のなかに体験を求めます、そして、集合的なものに身を捧げなければならないとしたら、そのひとはまず克服されねばなりません。そのひとはまず呼びかけられねばならないのです。私が今申しましたことのなかには、ゴシック建築の成立衝動の多くも含まれています。ゴシックの建築芸術が築く建物は、人々が駆け込むから建っているのではなく、人々にまず呼びかけねばならないので、秘密に満ちた示唆的な諸関連とでも申し上げたいものを通じて、まず人々を集めなければならないので建っている建物なのです。そしてこれは、ゴシックの建築芸術のフォルムのなかにさえ現れています。個々のものは、集合的なもののために、まずは呼び集められねばならないのです。これは光と闇の用い方全体にも見られますが、それは私が最近特徴づけましたとおりです。光と闇の元素的な生き生きとした揺れ動きのなかに見出さねばならないものは、個人的なものから解き放されたら身を置くところですが、この元素的なものは魂的なものに親和性があるために、個人的なものもそのなかに携えていけるような、そういうものです。こういう事柄すべてのなかに、北欧の芸術を南方の芸術から区別するものがあります。ですから、こういう希求、内面性の表現を目指す北欧の芸術のこうした幸福な希求があるのです。ファン・アイクの肖像画、例えば聖母像を思い出しさえすればよいのです。このまさに人間の魂生活の内面化から取り出された表情の聖母像、身振りと面差しにおける魂的な深まりからのこの語りかけ、こういうものをラファエロは決して描かなかったでしょう。ラファエロは、自分の描くものに、人間的なものを超越させます。ファン・アイクは、人間的なものを、深められた人間的なものへと沈潜させます、人間的な感情と人間的な心情を捉えることができるようにです。これもまた人間の魂の克服です。

 十二、十三世紀まで聖職者たちは、ヨーロッパの人間の魂のこうした特異性をじゅうぶん考慮するすべをこころえていて、民衆の心情と共に働きかけるすべを知っていました。そしてこのとき芸術的な格闘のなかで生まれたものの多くはたしかに、聖職者たちと、先ほど特徴づけたような民衆の心情の生き生きとした動きとの共同作用から実現したのです。理解しておかなければならないのは、芸術的創造のこの北方的な特異性は、ローマ主義に対抗する北方のプロテストする民衆の魂と密接に関わっているということです。ルターはローマにいきましたが、目の眩むようなあらゆる高みについては何も見ることなく、道徳的な腐敗のみを見ました。このことには多くのことが含まれています。ルターはローマの偉大な画家と会うこともできたでしょう-- 実際聖ペテロ教会広場で偉大な画家の何人かと会っています。向き合ってみてもルターにはまったく理解できないものを、まったく別の魂状態から創り出すこういう人々が、ルターに何の関わりがあるでしょう!けれども結局のところ、ルターのラディカルな一面性は、あるものから別の方向へと出てきたわけです、それは今や中部ヨーロッパにおいて彫塑的な表現、造形表現のなかに、いわばその格闘を、最高の格闘を見出し、これもまたひとつの芸術的な高みに達していたものですが、この芸術的な高みはある意味で-- つまらない比較をする必要はありませんね-- イタリアのルネサンス芸術と並んで、まったくもって独立したもの、すばらしく独立的なものを示しています。


 ■シュタイナー研究室に戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る