ルドルフ・シュタイナー

内的霊的衝動の写しとしての美術史

 GA292

yucca訳


第9講 -1

アトランティス後第四時代の芸術の第五時代における再体験
ギリシア彫刻とローマ彫刻
ルネサンス彫刻

1917/1/24  ドルナハ 


 私は、ゲーテがイタリアにおいてギリシア芸術の本質の余韻を感じ取ったときに発した言葉をしばしば引用してきました。そして本日、私たちはみなさんにギリシア彫刻の模刻作品をいくつかお見せするつもりですが、このゲーテの言葉を思い起こすことが許されるでしょう。ゲーテがイタリアからヴァイマールの友人に書き送ったところによると、イタリアで見たり少なくとも予感したりすることのできたもののなかで熟知するようになったギリシア芸術を目のあたりにして、ゲーテはこう確信するに至ったというのです、つまり、ギリシア人は芸術作品の制作の際に、自然自身がそれに従い、そしてゲーテが追い求めている法則、その同じ法則に従って制作をおこなっている、という確信です。

 この言葉は私にとって常に深い意味のあるものに思えました。当時ゲーテは、ギリシア人の中には、宇宙の法則と緊密なつながりを持つ何かが生きていると予感していました。ゲーテはすでにイタリア旅行の前に、何より彼のメタモルフォーゼ論によって宇宙の生成の法則性を熟知しようと、あれこれと努力を重ねていましたが、このメタモルフォーゼ論によって彼は、さまざまな自然のフォルム(形、形態[Form])が、いかにある特定の典型的な根本フォルムに源を発しているか、事物の背後にある霊的(精神的)な法則性はこの根本フォルムに発現しているのですが、この根本フォルムに源を発しているかを追求したのです。彼が出発点としたのは、みなさんご存じの通り、植物学、植物の学ですが、彼は、植物の成長において、彼が葉の中にその根本フォルムを見出したひとつの器官が、常に変化し、メタモルフォーゼしていくありさまを、すべての器官はひとつの器官の変形したものであることを、見ようとしたのです。そしてこれを出発点として彼はさらに、あらゆる植物は、ただひとつの原形[Urform]の、原植物[Urpflanze]の顕現であることを認識しようとしました。

 同様なしかたで彼は、動物界を貫く法則的な糸を見つけ出そうとしました。私たちはゲーテのこの努力についてはしばしば語ってきましたが、たいていの場合、彼が意図したことは十分に生き生きと思い描かれておりません。今日ものごとをそのように表象することが通例となっているように、具体的にではなく、抽象的に表象されるのです。ゲーテは、こう表現してよいなら、生命あるものの生命を、その法則的なメタモルフォーゼのなかにいたるところで生き生きと捉えようとしました。そうすることで彼は実際のところ、ギリシア人が把握してその芸術のなかにもたらしたものがアトランティス後第四時代に特徴的であるのと同じ意味で、アトランティス後第五時代の認識にとって特徴的であるもの、そういうものを目指したのです。

 この観点でしばしば注意を促してきたことですが、ギリシア芸術の最盛期、とりわけ私たちに残されている限りのギリシア彫刻の最盛期においては、後の時代とはまったく異なる条件から芸術的な創造がなされていたのがわかります。ギリシア人は -- 私たちの具体的なやりかたでこれを表現すれば、このように言わざるを得ないのですが -- ある感情を持っていました、いかにエーテル体がその生きた力の本性と運動性をもって、物質体のフォルムと運動の基になっているか、物質体のフォルムのなかでいかにエーテル体が形作られ、開示されているか、エーテル体のなかで力動しているものがいかに物質体の運動のなかに現れているか、これについての感情です。ギリシアの体操術、運動競技は、人間の可視的なもののなかに見えることなく生きているものについての感情を、それに参加する人々に実際にもたらすということに基づいていました。同様にギリシア人はその彫刻においても、自分自身のなかで体験したものを模造しようとしたのです。これは -- すでに示唆しましたように -- のちには変わります。後になって、目に見えるもの、目の前にあるものを形作るようになったのです。ギリシア人は自らのうちに感じていたものを形作りました。ギリシア人は、多かれ少なかれ明白か明白でないかとは関係なく、のちにモデルに似せて制作されたのと同じ意味ではモデルによって制作しませんでした。このモデルに似せた制作[Nach-Modell-Arbeiten]というのは、アトランティス後第五時代になってはじめて出てくる独自のものなのです。けれどもアトランティス後第五時代には、自然の観照というものが養成されなければならず、それはまさにゲーテのメタモルフォーゼ論のなかに生き生きとした端緒を見せています。とは言え今日、このような見解にはなおも重大な障害物が立ちはだかっています。今日この分野においても唯物論の先入見が、存在するものを健全に見ることに対して立ちはだかるのです。存在物を健全に見るこのような見解が、この障害の克服とともに養成されなければなりません。現代において私たちは、まださほど気づかれていないにしても、まさに芸術的なものの野蛮化という結果につながっていくような努力と傾向がまかり通っている、と言いうるような体験をしているわけですから。ゲーテは非常に見事に、認識における真実と、可能性における真実との間を関連を芸術のなかに見出しましたが、それは彼にとって認識とはまさに精神における生きた生命であったからです。

 この分野における障害物には、私たちの文化のあらゆる進歩の衝動と私たちの文化のあらゆる遅延の衝動の奥深くを覗き込んでみれば、今日通常スポーツとみなされている、私たちの文化のあの猿化、猿のようになっていくということもあります。スポーツは唯物論的な世界観の結果であり、これは、人間の自然科学的な見方の別の極を示すとも言えるものです。一方においては、人間を単に完全な猿とみなそうとする働きがあり、他方では、多くの点でスポーツにまつわる努力とみなされる努力によって、人間を肉食の猿にしようとする働きがあります。これら二つの事柄はまったく平行して同時進行しているのです。今日スポーツにまつわる努力においてはもちろん大きな進歩がみとめられますし、しばしばその努力のなかに古代ギリシア文化の復活が見られることさえあるにしても、やはりこうしたスポーツにまつわる努力というのはその本質において、人類の猿化という理想を目指す営みにほかならないのです。そして、スポーツという道において人間から徐々に生じてくるもの、それはまさに猿化した人間であり、ほんとうの猿は菜食なのに、この猿化した人間はまさに肉食の猿となる、という点で、ほんとうの猿とは本質的に区別される猿化した人間なのです。

 今日私たちの文化を阻むものとして目の前にある事柄を時にグロテスクに表現せざるを得ないことがあります、さもないと、今日の人間に少し理解できるために十分なほど強く示すことができないのです。一方において理論的に人間を完全な猿として把握することを目指し、他方で人間の猿らしさ[Affenhaftigkeit]の現実的な養成を目指す、というのは現代のあらゆる傾向に実際非常によく合致していますね。理想とされ極端なスポーツ運動を支えているあの人間について、実際のところどんな自然研究者も、その人間は本質的に猿らしさの副産物であるということ以外には何も言うことができないのです。そもそもギリシア芸術最盛期の基礎となっている人間性の高貴なフォルムについていくらか理解したいと思うなら、こういう事柄すべてについて正しく考えなければなりません。とは言え人間は、アトランティス後第五時代においていわば霊的(精神的)なものにおける生命から抜け出さなければなりませんでした。ギリシア人はまだ霊的なもののなかで生きていました。ギリシア人が手を動かすとき、彼は、霊的なもの、すなわちエーテル体が動いているということを知っていました。ですからギリシア人は創造的な芸術家としても、彼が物質的な素材に伝えたもののなかで、自らのうちでエーテル体の運動として感じたもののための表現を生み出そうと苦心したのです。観照という回り道で、有機的なものにおけるエーテル的なものの活動の生きたイマジネーションと結びつき -- これを目指してまさにゲーテはそのメタモルフォーゼ論において基本的に努力を重ねたわけですが -- 、この回り道を通って、より高次の段階、アトランティス後第五時代にふさわしい段階、認識に貫かれた古代ギリシア段階が復活するところまでいかなくてはなりません。

 このようにゲーテは、その本質のすべてをもって世界における霊的なものの生きた把握を目指すこの奮闘に明け暮れていたために、ギリシア芸術の研究を通して親しみ深くなったものによって、自らを活気づけ力づけようとしました。さてこのギリシア芸術ですが、これをその独自性において、アトランティス後第四時代からのまさに特徴的な出現において理解したいなら、私たちがたった今行ったような表象を出発点としなければならないでしょう。この関連でギリシア芸術がいかなる道を辿るのかを見るのは興味深いことです。そもそもオリジナル作品が残されているのはきわめてまれで、ほとんどが後世の模刻(コピー)として残されているだけなのです。そしてこの後世の模刻から、ヴィンケルマンのような人たちは、すばらしいしかたでギリシア芸術の本質を認識しようと試みたのです。ギリシア芸術のこの本質、ヴィンケルマン、レッシング、そしてゲーテは、まさにギリシア芸術の本質に戻ろうとする試みがなされたこの十八世紀後半に、この本質を言葉のなかに捉えようとしました。ギリシア芸術のこの本質、これは、それが理解されるなら、唯物論の危険に対して救いをもたらすことができるものです。

 さて、きょうはもちろんあまりに先走りすぎてるかもしれませんから、ギリシア芸術の発展について、歴史的に、精神科学的ー歴史的に、ごくおおざっぱに輪郭をなぞるだけにしておきたいと思います。むしろ私たちはまず、現存している限りのもののいくつかを見ていくことにしましょう。ただ、これだけは言っておきたいのですが、紀元前五世紀、さらに六世紀初頭にまで遡るギリシア芸術の名残においてさえ、この時代にはギリシア人は自らのうちで体験したものを素材を通じて表現する能力をまだ持ち合わせていなかったにしても、私がお話ししたものがすでにその根底にあることは明白なのです。より古い不完全なフォルムにおいてさえ、芸術的な創造の根底に、エーテル体の内的な活動についてのまさに生き生きとした感情があることを見て取ることができます。これによってギリシア人は、人間の形姿をあれほど見事に神的な形姿にまで高める道をも見出すことができたのです。ギリシア人は、神々の形姿の根底にはエーテル界における本質的なものがあることを、はっきりと知っていました。そこから多かれ少なかれ本能的に -- この時代にはすべてが多かれ少なかれ本能的であったからですが -- 、神々の世界と、神々の世界に関わるすべてを、外的な形姿が理想化された人間なものであるように表現しようとする欲求が発達してきたのです。けれどもこの理想化された人間的なもの、というのは、もともと重要だったわけではありません。これは、ものごとの深奥をとらえることはなく、外的な形姿を理想化された人間的なものに表現する時代、けれどもこの理想化された人間の形姿によって、まさにエーテル的生命において生き生きと活動しているものを表現するのですが、そういう時代のための表現にすぎないのです。ですから私たちは、最初にお見せするものに見られるであろうある種の硬さから、ギリシア時代においてギリシア人が、外的物質的な身体的なものにおけるエーテル的人間的なものを、真に表現する可能性を発達させていくのを見るでしょう。一番最初の模刻を追求するなら、そこにはまだいくらか硬直したものが含まれているけれども、四肢の形成においてはすでに、この形成がエーテル的に動かされたものの理解から生じていることが認識できる、ということがおわかりになるでしょう。

 そして私たちがさらにミュロン[Myron] まで進み、彼から芸術作品を私たちの魂の前に引き出すなら、最初は四肢的なものにおいてのみ表現されているものが、体全体を把握することに移行しているのが見られるでしょう。ミュロンにおいてすでに私たちは、腕を動かすとき、つまり腕が運動において表現されるとき、それが呼吸器官全体、胸のフォルムの形成に対しても何らかの意味を持っているのを見るでしょう。全人間(まるごとの人間)が内的に感じ取られ、内的に感受されているのです。このことはもちろんギリシア芸術の最盛期を示すフェイディアス[Phidias]とその一派、そしてポリュクレイトス[Polyklet]とその一派において最高度にあてはまったにちがいありません。

続いて私たちは、芸術が徐々に、いわばエーテル的なものの高度な感受から下降してくるのを見るのですが、これは芸術がエーテル的なものを度外視するからではなく、自然のフォルムがより忠実に表現されるよう、いわばより人間的に、つまり神的にではなく表現されるよう、しかもやはり体的なものにおけるエーテル的生命的なものの表現であるよう、そのように自然のフォルムを抑制することを試みるからです。個々の作品を見る場合には、ひとりひとりの芸術家を語るよりは、ギリシア芸術が徐々に成長するさまをお見せしていくのが肝要でしょう。美術史において慣例となっているように、最後の諸作品においてギリシア芸術の再下降について論ずるかどうかは、あまり問題ではありません。より古い時代においては、身体性がいわば姿勢という状態で捉えられることが多いために、より古いギリシア芸術にはある種の静けさが注ぎ出しています。運動は、静止に至った運動として捉えられるのです。ですから、私たちがより古いギリシア芸術の形姿を見ると、このような感情を持ちます、芸術家は、身体性というものを、当の人物のとっている姿勢が持続しているように表現しようと努めたのだ、と。のちに芸術家たちは、もっと大きなドラマとでも申し上げたいものをめざして努力します。彼らは、絶え間ない運動のなかに生じる瞬間を固定するようになりました。それによって何かもっと動きのあるものがのちの芸術に入り込んでくるのです。これを衰退と呼ぼうと、単に後の発展段階と呼ぼうと、結局のところそれは人間の恣意に委ねられているにすぎません。

 以上いくつか前置きした上で、今から個々の作品を見ていくことにしましょう。まだ申し上げるべきことは、個々の作品そのものに依拠してお話しすることができるでしょう。

 まずごらんいただくのは、紀元前560年頃の最初期から、このアポロ像、いわゆるテネアのアポロと呼ばれる青年像ですが、

568 テネアのアポロ

この像にみなさんは実際にまだ、身体性の完全な把握とでも申し上げたいもの、四肢性のなかへのエーテル的なものの充溢をごらんになるでしょう。

 この最古のギリシア彫塑芸術のしばしば強調される特徴 -- 口元に浮かぶいわゆる《微笑》 -- は、死んだ人間つまり単なる物質体を表現しようとするのではなく、内的生命を真に捉えようとする努力から生じていることが一度で認識されるでしょう。古い時代にはまだそれをこういう特徴による以外には表現できなかったのです。

 さて今度はみなさんにアイギナにあるドーリス式のアファイア神殿から二つのサンプルをお見せしましょう。

569 瀕死の戦士

 これらの作品はサラミスの闘いの感謝の供物として制作され、本質的に戦闘場面を描写していますが、これから見ていきますように、全体を支配するのはアテネの姿です。この{戦士の}横たわる瀕死の姿は、この神殿に見られる人物像のすばらしいサンプルです。全体が破風彫像群をなしていて、完全なシンメトリーで仕上げられた構成的なものによってとりわけ興味深いもので、人物たちは左右に非常にみごとなシンメトリーで配されています。

 続いてもう一方の破風の対応するグループです。

571 パラス・アテナ
570 フルトヴェングラーによる西側破風の復元

 ここで{紀元前}五世紀初頭となります。

 {紀元前}五世紀へとさらに入っていきましょう。まず最初は

572 青年の頭部

続いて

573  御者

これはデルフォイのものです。そして

574  女性走者

おそらくこれはもう世紀の半ばでしょう。