アトランティス後第四時代の芸術の第五時代における再体験
ギリシア彫刻とローマ彫刻
ルネサンス彫刻
1917/1/24 ドルナハ
そしてみなさんにお願いしたいのは、ミュロンにおいて -- ここで私たちはもう最盛期とみなされうる時代に入っているのですが -- 、身体の扱いがまったく異なったものになっていること、ミュロンはもはや四肢性のなかに埋没することなく、埋没はこの作品(575)においてすら見られるのですが、彼は体全体を四肢との関連で扱うすべを知っていることに注意していただきたいのです。
575 円盤を投げる人 ミュロン原作による |
これで私たちは五世紀なかばに立ち、このような形姿のなかに、まさに私たちが特徴づけようとした方向における高度な完成を本当に見出すのです。続いてパルテノンのアテナのコピーです。
578 アテナ・パルテノスの頭部 |
579 アテナ・パルテノス、横から見た頭部 |
そして今私たちは、つまりすでにそのさなかにいるわけですが、ペリクレスの時代に入ります。フェイディアスの時代、彼については残念ながら実物はほとんど残されていませんが、この時代から、いわゆるレムニアのアテナ、
576 アテナ・レムニア |
577 アテナ・レムニア、横顔 |
の大理石コピーがドレスデンにあります。
今度は有名なパルテノンからいくつかのサンプルです。みなさんはどんな美術史においても、このパルテノンの彫像群についての興味深い物語をお読みになることができます。そのなかのもっとも本質的なものはおそらく失われてしまっているでしょうが、フランス人カレーによって、まだそれらがヴェネツィア人によって破壊される前に、十七世紀の終わり頃に素描されたものによって、想像することはできます。
580 パルテノンフリーズ |
さらにその名残は十八世紀世紀末にエルギン卿によって発見されました。
581 女神群像 |
これはパルテノンの東側破風のいわゆる《タウの姉妹》ですが、下降する天賦の才能によってアテナの誕生が彼女らに伝えられたのです。
続いて西側破風から
582 馬上の若者たち |
おそらくこれらの作品は大部分、フェイディアスの立ち会いのもとに、弟子たちによって仕上げられたと推定されています。
583 神々の群像 |
フェイディアスとともに、実際のところギリシア芸術の典型的なものすべてが与えられます、芸術によって表現されるべ身体性のしるしとして、刻印として押されたもののすべてです。ですから、フェイディアスとその弟子たちが見出した方法は、その後模範として生き、ずっと長い間、模範として生き続けました。顔の輪郭、四肢などの動き、衣装のゆらぎは、芸術のこの理想の時代に仕上げられたようでなければならない、と言われました。そしてそれはあらゆる伝統を通じて伝わり、ギリシア芸術の最盛期には活気をもって生きていてその後残念ながらその核心は損なわれてしまったものが、単に外面的なしかたで模倣されることしかできなくなった時代にすら伝わっているのです。フェイディアスのまさしくもっとも偉大な、世に抜きん出た傑作について、観照を通して表象を得ることは今日不可能です。そして非常に重要なことは、十八世紀の時代に、このときヴィンケルマンに刺激されてゲーテらがギリシア芸術の本質に沈潜したのですが、彼らは基本的に、粗悪なイミテーションによって、後世に作られたイミテーションによって究めることができたということです。当時これらのイミテーションによって芸術の本質を究めるというのは、偉大な予感能力のひとつでした。こういう事柄について真実を感じ取ろうと努力するひとは、このように言わなければなりません、若きゲーテがイタリアに旅した時代には、その後の十九世紀さらには二十世紀におけるのとはまったく異なった、芸術への本能的な感情移入[Sich-Hineinfuehlen]というものがまだあったのだ、と。こういう感情移入によってのみ、ヴィンケルマンやゲーテから輝き出たあのギリシア芸術理解が、あの後世の模造品から生じることができたのだ、と。
たとえばこの彫刻作品をよくごらんください、これはローマで見ることのできるゼウスの頭部、いわゆるオトリコリのゼウスですが
584 オトリコリのゼウス |
みなさんはここに、フェイディアスの時代にすでに創造されていた典型(タイプ)[Typus]の継続をそのなかに見ることのできるものを見出されるでしょう、この典型はもちろん後世の模刻のなかにあるのですが、ここではまだある種の偉大さすら備えて模刻されています。-- 続いて、ポリュクレイトスがヘラタイプとして仕上げたものが模刻されましたが、偉大さにおいて劣っています。そして、空疎さとでも申し上げますか、皮相な模刻にまでなっていて、たとえばいささかモード雑誌を思い起こさせるほどですが、次はこうした形姿のなかに立っているパラス・アテナ、名高いジュスティニアーニのアテナです。
585 ジュスティニアーニのアテナ ローマ |
これも後世の模刻のアテナタイプを示していますが、こうした後世の模刻がいかに偉大な作品に遡るか、これによって予感できるのみです。ゼウスの頭部(584)に、フェイディアスのなかに受け継がれていたものを見ることができるように、次のヘラの頭部には、ポリュクレイトスがヘラの理想として制作したものが見られますが、その関連でそれをさっそくお見せします。
586 ルドヴィシのジュノー(ユーノー) |
587 ルドヴィシのジュノー、横顔 |
ここでもう一度オリンピアの西側破風の画像にもどりましょう、この構成はほんとうに壮大なものですね。
588 ケンタウロス族とラピタイ族の闘い、中央群像 部分:略奪された花嫁 |
今度は同じものから別の群像です。
589 ケンタウロス族とラピタイ族の闘い 中心人物:アポロン |
そしてこれはフェイディアス派によるオルフェウスのレリーフです。
590 オルフェウス・レリーフ |
私たちがここで思い出すのは、フェイディアスは、黄金と象牙で仕上げられたアテネ立像から黄金を盗んだと同胞人から咎められたのですね、そしてそのために彼は《好意的な》同胞によって囚われの身になったのです。
591 ペリクレスの胸像 |
肖像的なものをはるかに凌駕して、この人物を徹底して理想的に捉えています。
そしてこれはおそらくフェイディアスの若い頃の作品で
592 アマゾン |
ここでポリュクレイトスを挿入することができます、これはおそらくポリュクレイトスによるアマゾンでしょう。
594 アマゾン |
ミュロンとフェイディアスに -- むろんその弟子たちにも -- 私たちはおそらくギリシア芸術の最高の精華たる芸術家たちの個性を見ることができますが、ギリシア芸術の伝統の彫刻家たちも見ることができます。
最初のアマゾンの繰り返しをこの箇所に入れていただきたいです。
593 アマゾン |
さてここで、およそこの時代においていくらかジャンル的なものもよく現れてきたことを示すために、これをお見せしますが
595 棘を抜く人 |
かかとから棘を抜いている少年です。
さてここで私たちが徐々に入り込んでいく時代は、把握全体がより人間的なものへと下降してくる、と申し上げることで先ほど注意を向けていただこうとした時代です、人間的といっても次のようにまだ神的な姿なのですが。
596 クニドスのアフロディテ |
これより前の芸術家たちのまったく高められたものは、より人間的なものに下降してきています。これはプラクシテレス(596)においてすでに観察することができます。
これで私たちはすでに(紀元前)四世紀にいます。そしてこの関連でこのデメテルをお見せしたいのですが、
597 クニドスのデメテル |
これは同じ精神を呼吸しています。
さらにプラクシテレスのオリンポスのヘルメスです。
598 ヘルメス |
これは子どもの姿のディオニュソスを左手に乗せています。
今度はやはりプラクシテレスのサテュロスです。
599 サテュロス |
有名な《ニオベ群像》、ニオベはアポロの復讐によって子どもをすべて失うのですが、これもこの時代のものです。
600 逃げるニオベ |
さらに(紀元前)四世紀に入り込んでいくことで、私たちはもう徐々にアレクサンダーの時代へ、その頃アレクサンダー、つまりアレクサンダー大王に直接仕えていたリュシポスにまで至ります。
601 アレクサンダーの柱像 |
続いて
602 ヘルメス |
続いて
603 少年 |
天に向かって敬虔に両手をさし上げている少年です。-- そして
604 メドゥーサの頭部 |
続いて彫像です。
605 アレクサンダー大王 |
私たちはまさに、芸術が今や典型的なものからいくらか個人的なものへと下降してくるのを見ていますけれども、ギリシア的なもの、ギリシア芸術においてはどこであれ、のちの時代におけるほど下降してはいないのです。-- そして
606 ソフォクレス像 |
これはまったくもって、最古の時代、前世時代の、最良のもっとも理想的な伝統に達し、それを思い起こさせるものです。同様にこう言えるかもしれません、詩人その人が描写されている、そのことは故意に添えられた巻物、書巻によって暗示されている、と。
この人物を、今からお見せする多かれ少なかれ肖像的類似性を目指している形姿と比較してごらんになると、すべてをいくらか肖像のようにしようとする努力すらも、理想からなされているのがおわかりになるでしょう。
607 ソクラテス |
同様に次は
608 プラトン |
これらはもちろんモデルに似せて写し取られたものではありませんが、これらを人間的に似たものにしようと試みられています。だからと言ってこれらが実物に似ていると主張しているのではありません。このことはむろん、とりわけ次にお見せするホメロスに関連して言われうることでしょう。
609 ホメロス |
これをもって私たちは徐々に{紀元前}二世紀に近づいています。
610 サモトラケのニケ |
さて今度は有名な
611 ミロのヴィーナスあるいはメロスのアフロディテ |
これはこうした後期のものであるとしても、まったくもって全盛時代の伝統を保持しています。-- これに対して、次の作品では、いかに運動を与えようと試みられているか、ごらんになれるでしょう。
612 眠るアリアドネ |
これはおそらくより後期のものですが、やはりこれをひとつの対照として見ることができます。
そして今私たちはキリスト誕生以前の最後の世紀に向かって、ロードス派に、有名なラオコーン群像に近づきます。
613 ラオコーン群像 |
これについてはみなさんもご存じのとおり、十八世紀のレッシングの有名な《ラオコーン》以来、これに関する多くの美術評論が開始されました。ロードス派の三人の芸術家に由来するこれらのラオコーン群像に関連して、レッシングの論究に入り込んでいくのはきわめて興味深いことです。みなさんもご存じかもしれませんが、レッシングによって試みられたのは、詩人が描写するものを人は眼前に見ることはできず、ファンタジーのなかで生き生きとしたものにするしかないけれども、造形芸術家が描写するものは眼前に見ることができるために、場面を叙述する詩人は、場面をまったく別様に描写する状態にある、ということを示すことでした。したがって、造形芸術家が表現するものは、その内部にはるかに大きな静けさを持っていなければならず、瞬間を、少なくともいわば静止した瞬間として想像されうるように表現しなければならない、とされたのです。
さてこのラオコーン群像については -- ほかならぬレッシングの説明に依拠して -- 多くが語られました。そして興味深いのは、もちろん精神科学について何かを知ることなく、十九世紀の半ばに、美学者ロベルト・ツィマーマンが、明らかに補足されねばならないにしても、あの時代にとって精神科学なしでももっとも正しい解明、なぜならこの解明にはきょう私が述べたことが-- 本能的に示唆されただけにしても -- いくらか含まれているからですが、そういう解明に至っていることです。見ての通り、神官ラオコーンが息子たちとともに、蛇に巻き付かれ死に瀕していますね。さてこの表現においては疑いもなく、まさに身体の独特の造形が顕著になっています。この身体の造形に関してはいろいろと書かれてきました。さて美学者ロベルト・ツィマーマンが正しく注意を促したことは、表現全体が、生命 -- つまり私たちはエーテル体と言うでしょうが -- がもう逃れ去るという瞬間を実際に目の当たりにするようになされている、ということです。実際これは意識喪失の瞬間なのです。ですから芸術家は事態を、ラオコーンの身体が各部分に崩壊するように表現するのです。そしてこの作品において才気に満ちているのは、この、生命がその部分へと分化されていることです。ギリシア芸術のこの後期作品を手がかりに見ることができるのは、ギリシア人はいかにエーテル体を意識していたかということ、生が死へと移行する瞬間に、絡み付く蛇によって表されているショックにより実際にエーテル体が後退する作用を表現することで、ギリシア人はいわばこのエーテル体が物質体から後退する作用、この崩壊、物質体とエーテル体のこの分解を、いかに表現しているかということです。《ラオコーン》において特徴を表しているのはこのことであり、非常にしばしば語られるほかのことではなく、体的なものがこのように分化されることなのです。つまりエーテル体のすでに後退してゆく瞬間が注目されていないなら、断じて体がこのように考えられることはなかったでしょう。
今度はおそらくもっと古い手本による模刻のふたつのサンプルですが、これらはのちの美術鑑賞者にまさに偉大な印象を引き起こしました。名高いベルヴェデーレのアポロですが
614 ベルヴェデーレのアポロ |
一種の戦士として表現されています。続いて
615 ヴェルサイユのアルテミス |
これもかなり古いもので、後世の模刻です。