●ルドルフ・シュタイナー

 「シュタイナー教育の基本要素」を読む

  第四章/「素質・才能・教育」その1


■人間が輪廻転生していく存在であるということを前提にしてはじめて、素質、才能、教育についての問いに答えることができる。しかし、精神科学は、遺伝や周囲から受け取られるもののことを考慮にいれないわけではない。言語習得に関しても次のことが言える。

言語のなかに含まれた精神的−心魂的な内容は、人間の内面から出てくるもの、素質に付随しているもの、あるいは七歳ごろにおのずと永久歯が生えるように、精神的−心魂的な周囲の影響なしに得られるものではない。人間は努力をして言語を習得してくのである。 

言語は、脳を形成する彫塑家のようなものであり、「精神的−心魂的なものとして人間の周囲の語彙のなかにあったもの」が最初に脳を作ったということができる。

■人間の内的体験は外的な物質的組織を将来の精神的−心魂的生活のための道具として形成するものである。たとえば、幼年期の豊かな体験は忘れ去られるが、それらがわたしたちの心魂を形成し、魂の気分としてわたしたちのなかに留まる。それらは、後になって受け取った体験よりもずっと大きく作用することになる。幼年期に体験した印象がどのようなものであったかが、記憶から意識下に沈み、わたしたちの心魂のなかで形成的、造形的に創造し、それらが気分、感情、意志衝動として現れる。 

わたしたちが忘れた事物がわたしたちから作り上げられたものが、わたしたち自身なのです。人間がいかに喜び、勇敢になりうるかが、具体的に人間そのものなのです。人間を抽象的にではなく、具体的に注視すると、「人間とは、その人物の諸特性が織り合わさったものである。人間は、意識の深い層を流れるものによって制約されている」と、いわねばなりません。 

こうして精神的−心魂的に深い層に沈んでいくものは、死後さらに深く沈み、そうした深い層に沈んだ素質をもって再受肉する。

■動物の身体組織は遺伝によって決定されるが、教育などを通じて外界から受け取るものはわずかである。それに対して人間は、身体組織の微妙な形勢に外界を必要とする。だから、特に人間の場合、成長する子供を個体として考察し、その個々人を「神聖な謎」として解いていくというのが、子供に向かい合う正しい姿勢である。

■人間の精神的−心魂的な核が新たなものを構築するにあたって、父の特性と母の特性は違った方法で利用される。それを見ていく場合、人間の心魂のなかでは二つのものが活動するのを見なければならない。まず、知性。イメージ、表象を用いた思考もこの知性に入れて考える。そしてもうひとつが意志、感情、情動といった周囲に感じる興味という方向である。前者の知的な部分を母親から受け継ぎ、後者の感情や意志の部分を父親から受け継ぐ。

人間の欲望がどのように形成されるか、人間が器用に育つか不器用に育つか、つまり、魂が外界に対して有する興味のありかたという、もっとも重要な要素が父から遺伝されるのです。父親から遺伝された興味が、わたしたちが器官を用いることを可能にします。心魂は特性をみずからの内で形成しうる、ふさわしい要素を父親から受け取るのです。それに対して、知的な活発さ、空想力の活動、イメージの豊かな表象、発明の才を、生まれる子どもは母親から遺伝された特性として受け取ります。

しかし、さらに別の面で、べつのことをいうことができます。事物に対してどのような態度を取るか、事物に対してどのような興味、欲求を持つか、どのように要求し、望み、意志するか、勇気をもって人生の状況に取り組む人間か、小心に退却するか、こせこせした人間か、太っ腹な人間かというありかたとして父親のなかに生きているもの、つまり意志衝動に関連する特性を、わたしたちはある意味で父親から受け継いでいるのです。それに対して、心魂の活動、知性の活動を、わたしたちは母親から譲り受けたのです。 

こうしたことに関しては、男の子と女の子では大きな相違がある。

男の子は、父親からは人間と外界との交流に関するものを受け継ぎ、母親からは精神生活のありよう全体を受け継ぐ。

女の子の場合、父親からは外界との交流に関するものが心魂的なものに高められて受け取られる。つまり父親に外的に現れていた特性が内面化して現れる。 

父親の性格の特性は、娘のなかに生き続ける。母親の魂の特性、精神の活動、

才能、能力は息子のなかに生きつづける。

●ルドルフ・シュタイナー

 「シュタイナー教育の基本要素」を読む

  第四章/「素質・才能・教育」その2


■人間全体をみるとき、心魂および身体的−心魂的組織は単純ではないということを理解しなければならない。心魂は単一的な存在ではなく、感受魂、悟性魂、意識魂というふうに三つの部分に分けられる。 

外界に向かい合い、外界から色と音の印象を受け、わたしたちが通常は意のままにしていないもの、つまりわたしたちの衝動、欲望、情熱を手中に収めることによって、感受魂は活動します。知覚などをとおして受け取ったものをわたしたちのなかで消化し、外界をとおしてわたしたちのなかで刺激されたものを感情へと変化させると、わたしたちは第二の心魂の構成部分である悟性魂(心情魂)のなかに生きていることになります。そして、わたしたちが思考を自分で導き、なにものかに引きずり回されないと、わたしたちは意識魂のなかに生きます。 

■生まれてから7歳頃までの子供は、感受魂集中的に内面から形成させようとする。このときに意見や理論、理念はほとんど作用しない。子供は、自分が見たことを真似し、外界との関連に適合するようにみずからを形成しようとする。だから、この時期には、大人は子供が真似してもよいことを行い、子供の個的本質全体のための土台を築かなければならない。 

大人は子どもから、子どもの周囲ではどのように振る舞うべきかを学ぶべきである、と精神科学は要求します。子どもの周囲ではどのような言葉を語りどのような心の持ち方をし、どのような考えを持つべきかを学ぶべきなのです。 

7歳から14歳までは、子どもが大人のなかに、信頼できる人間を感じることが重要で、「権威」というものが考慮されるようになる。これは、道徳原則から説教するのではなく、「この人がおこなっていることはいいことだ。この人がやらないことは、わたしはやめなければならない」と、悟性魂(心情魂)で感じることができるようにしなければならない。

その後、14歳、16歳になると、人間を孤立させ、自分を内的に閉じられた存在と感じさせる意識魂に働きかける可能性が生まれる。つまり、意見、概念、理念に働きかけることができるようになる。しかし、その意見、概念、理念は確固とした地盤をもっていなければならない。そうでなければ、浅薄になり、身体組織の奴隷になってしまう。後になっても柔軟で活発で、新しい状況のなかで行動できるようになるには、そうした地盤をしっかりと築き、教育を通して自由な発展を導き出さなければならないのである。

 

■人間が信じ、信奉するものは、論理や理解といったことから発するものではなく、意志、心情などの人間全体から発するものなので、「自分はこんなにはっきりわかっているのだから、わたしはみんなにも確信させることができる」という論理的な証明の努力はなかなか受け入れられない。思考というのは、人間の素質のなかでもっとも後になって現れたもので、それは「他者への通路」がもっとも見いだせないのである。それに対して、心情や意志のようにもっと深い部分で把握すれば、多くのことができ、その場合、身体組織にも介入できる。 

唯物論的な環境で育ち、物質しか認めないと、成長期に、それに見合った身体と脳を彫塑的に形成する心情衝動と意志衝動の総体が形成されます。のちになって非常に論理的な思考を身につけても、その思考はもはや脳の塑性に影響を与えることができません。論理的思考は、人間の心魂のなかでもっとも無力なものです。ですから、他者への通路を、論理のなかだけではなく、心魂のなかに見いださねばなりません。 

精神的−心魂的なものを健全に発達させるためには、教育可能な年齢においてどのように身体的−心魂的なものに働きかけなければならないかが理解される。純粋な論理よりも、偏愛のほうがものの見方の形成に大きく関与することになるのである。優れた人でも、人格の深みにあるものを発展させることができていないならば、そうした偏愛などを通用させることになってしまう。 

わたしたちはどのように、人間に対して振る舞わねばならないのでしょうか。人間がまだ彫塑的に形成されるべき段階にあって、抽象的な概念と理念がわずかしか作用を及ぼさない時期には、抽象的な概念と理念ではなく、イメージ豊かな理念をもって接するようにするのです。イメージ、形態、輪郭をもったものからなるべく離れない、イメージ豊かな、いきいきとしてものを概念のなかに入れることを、わたしは強調しているのです。イメージとして、形態として、ファンタジーの形態として受け入れられるものは、わたしたちの身体組織に介入する大きな力を持っているからです。形態のなかでわたしたちに向かい合うイメージ豊かなものが身体組織に作用するのです。 


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