ルドルフ・シュタイナー

「精神科学と医学」第一講●解説

 

 全体概要


人類進化の経過にともなう医学的見解の変遷。病気と健康。スタールの生気説とその克服。モルガーニ以来の病理学的な解剖学の登場とその意味。体液病理学と細胞病理学。病気のプロセスと自然のプロセス。比較解剖学の意味。形式の力。筋肉の生理学。トロクスラーの病気概念。 

 第1講・第1回

最初は、医学者を対象とした「精神科学と医学」の連続講演をはじめるにあたっての前置きの部分になっています。いわゆる唯物論的な方向性をもった現代医学のあり方への批判的視点が提示され、これまでのそうした見方から自由になることの必要性を語っています。

 おそらくほとんどの皆さんが、医療生活の未来に期待しておられるであろうことのうち、ほんのわずかな部分しかこの講習で触れることができないのは当然のことかもしれません。と申しますのも、この点については皆さんにもご同意いただけると思いますが、医学の分野における、真の、将来確実な活動は、医学的研究そのものの改革に関わっていると言えるからです。一回の講習で伝えられることだけで、せいぜい何人かの人々にこのような医学的研究の改革に参画しようとする衝動を起こさせるぐらいでは、こういう改革を促進するにはほど遠いのです。とはいえ、今日でも医学の分野で論義されていることは、そのもう一方の極、背景に、医学的活動が解剖学、生理学、及び生理学全般によって準備されるという方法を有していて、こうした準備を通して医師たちの考え方は最初から特定の方向に導かれております。何よりもまず、こうした方向から離れることこそが必要なのです。

 

さらに、シュタイナーは、今回の連続講演をはじめるにあたって、そのプログラムを提示しています。その内容は4つに分類されているといいます。 

1)病気の本質を把握することを阻んでいる事柄について

2)医学活動の基盤としての人間認識の方向性について

3)治療の可能性について

4)参加者からの質疑応答

 

 今回の連続講演でお話したいことに行き着くために、考察すべきことを以下のような一種のプログラムに分類したいと思います。まず第一に私が皆さんに、今日一般に行われている研究において、真に事実に即した病気の本質そのものを把握することを阻んでいる事柄をいくつか提示したいと思います。続いて私は、医学的活動の真の基盤となり得る人間の認識を、どのような方向に求め得るか、示したいと思います。第三に、人間とその他の世界の関係を認識することによる、合理的な治療の可能性を指摘したいと思います。そしてこの時に、治療というのはそもそも可能であるのか、考えられるのか、という問いに答えたいと思います。さらに四番目に、−−ひょっとするとこれが考察の一番重要な部分かもしれませんが、これは他の三つの観点と組み合わされねばなりません−−参加者の皆さんひとりひとりに、ご自分の希望、すなわち聞いてみたいこと、この講習で話してほしいことを、明日か明後日までに紙片に書き込んでいただきたいのです。どのようなご希望でも結構です。 

このプログラムの第4の部分などから、シュタイナーの基本的姿勢がうかがい知れるのではないでしょうか。抽象的な内容を話すのではなく、あくまでも、医学を実践されている方のもっともアクチュアルな問題に答えていくことで、机上の空論ではなく、実践を前提とした内容にしていこうとする意気込みです。なんとしてでもこの講演を意義あるものにしていこうとしているわけです。

 私はプログラムのこの第四の部分によって、これは先ほど申しましたように他の三つの部分にも取り入れられねばなりませんが、皆さんが、聞きたいことが全然きけなかった、と感じつつこの講習からお帰りにならなくてすむようにしたいのです。ですから、皆さんが質問、希望として書かれたこと全てが消化されるようにこの講習を構成するつもりです。それで明日か、でなければ明後日のこの時間までに、皆さんのご希望を記入していただきたいのです。そうすればこの講習を実施する枠内である種完璧にするのに一番良いと思います。 

この講演は、精神科学的な見地から医学に提示できる視点を結集して医学者の方々に提示しようとするものです。ですから、既成の医学講習のような枠の中での講演内容ではなく、医学、医師にとって欠かすことのできない重要な内容を考察しようとするものであることが提示されています。

 今日のところは、前置き、方向づけのための考察にとどめておきたいと思います。出発点としたいのは、私は主として、いわば精神科学的な考察から医師のかたがたに与えることのできる全てを結集するよう努めているということです。私の試みが、そういうものであろう一つの医学的な講習と混同されることは望みませんが、あらゆる点から医師にとって重要と言えることを主として考慮しようと思います。と言いますのも、真の医学あるいは医術というものは、こう言ってよければ、やはり、暗示しました意味で問題になるあらゆる事柄が、そのような医学あるいは医術の構築のために真に考慮されることによってのみ達成されるからです。

  


 第1講・第2回

 

この第1講はこの連続講演を方向づけるための考察を主な内容としているということが明示されていますが、その方向づけに関して基本的なところからシュタイナーははじめています。

通常は、「病気とは何か」「病気とは何か」ということについて、病気というのは「正常な生命プロセスからの逸脱」であり、それによって機能的な障害が起こる、というような病気の否定的な規定」だけがなされるのが現状です。しかし、いくらそういう規定をしたところで、「病気と関わる時に何らかの助け」にはなりません。 

シュタイナーがこの講演で意図しているのは、そういう否定的なあり方ではなく、「病気と関わる時に助けとなり得る実際的なこと」です。そのために、シュタイナーは「時代の流れのなかで成立してきた病気に関する見解」に注目し、それによって方向づけをしようとしています。

 今日はいくつかの方向づけのための考察から始めるだけにしておきましょう。医師としての皆さんに課題として提示されているものについてお考えになったなら、おそらく皆さんは、「いったい病気とは、病人とはそもそも何なのか?」という疑問に一度ならず遭遇されたことと思います。実際のところ、病気や病人について、あれこれの一見客観的な挿入句で覆われていたとしても、次のような説明以外のものはめったに見いだせません、すなわち、病気のプロセスは、正常な生命プロセスからの逸脱である、人間に作用し、正常な生命プロセスにある人間にはまずもって適合しないある種の事実によって、正常な生命プロセスと生体組織に変化が引き起こされる、そして病気とは、肉体部分の、これらの変化に結びついた、機能的な侵害である、といった説明です。けれどもこれは、病気の否定的な規定以外の何物でもないということは認めざるをえないでしょう。病気と関わる時に何らかの助けになるようなことではありません。そして私がここで何にも増して目指したいのは、まさしくこの、病気と関わる時に助けとなり得る実際的なことなのです。この分野で標準になるものに行き着くためにはやはり、時代の流れのなかで成立してきた病気に関する見解に注目するのが良いと思われます。それは、これが現代において病気という現象を把握するのに必要だと思うからというよりも、病気についてのより古い見解、とはいえこの見解は現代のそれにまで通じているのですが、この古い見解を考慮すれば、方向付けがより容易になるからです。 

通常、医学の歴史は古代ギリシアのヒポクラテスからはじまるとされていますが、シュタイナーはヒポクラテスの医学は、古代の医学の終焉だと言っています。古代の医学的見解は、「隔世遺伝的な観照法」によって獲得されたもので、ヒポクラテスの医学でそういう「隔世遺伝的な観照法」が終わったというわけです。そして、ヒポクラテスの医学的見解としてあらわれ、体液病理学として続くようなそういう「西洋における本質的な医学」とされている流れこそが、根本的な誤謬であり、病気の本質についての洞察を妨げているのだというのです。 

ヒポクラテス派の医学では、「人間の生体組織において共に作用している体液の適正でない混合のなかに、あらゆる病気の本質を探究」し、「正常な有機体において体液はある一定の比率を保っていなければならず、病んだ肉体においては、体液にこの混合比率からのずれが生じる」としていました。 

また、自然存在を構成しているものを土、水、空気、火の4つだとし、生体組織においても、その4つの要素が、黒胆汁、黄胆汁、粘液、血液として特徴づけられていて、そうした体液の適正な混合を「クラーシス(Krasis)」、不適正な混合を「ディスクラーシス(Diskrasis)」と呼んでいました。そして、体液が不適正な混合である場合、それに働きかけるのが治療だったわけです。

 皆さんがご存知のように、通常、医学の歴史が考察される際、5世紀と6世紀の古代ギリシアにおける医学の成立が指摘され、ヒポクラテスが指摘されます。そして少なくともその際、ヒポクラテスにおいて見解として現れ、その後いわゆる体液病理学へと続き、根本的には19世紀に入ってもなおある程度重視されていたものによって、あたかも西洋における本質的な医学が展開され始めたかのように感じさせられると言うことができます。しかしながら、このことがすでに、人々の犯す最初の根本的な誤謬であり、これは実際根本においてあとあとまで影響を残し、今日においてなお、病気の本質についてとらわれのない見解に至るのを妨げているのです。この根本的な誤謬をまずは取り除かねばなりません。他ならぬこのヒポクラテスの見解を捕らわれなく見る人にとって、

−−この見解はひょっとするとすでに皆さんお気づきかもしれませんが、ロキタンスキーに至っても、つまり19世紀に入ってもある程度重視されているのですが、このヒポクラテスの見解は単なる始まりではなく、同時に、しかもたいへん重要な程度において、古くからの医学的見解の終わりなのです。いわばヒポクラテスから始まるものにおいて、私たちは太古の医学的見解の、最後の濾過された残滓に出会うのです。これら太古の見解は、今日私たちが探究する方法、つまり解剖学的方法によっては獲得されず、古代の隔世遺伝的な観照法によって獲得されたものなのです。ヒポクラテスの医学の位置づけをまず抽象的に特徴づけようとすると、実際、ヒポクラテス医学をもって、古代の隔世遺伝的な観照法に基づく医学が終わりを遂げた、というのが一番良いでしょう。外的に言って、もっとも外的にしか言われていないのですが、ヒポクラテス派は、人間の生体組織において共に作用している体液の適正でない混合のなかに、あらゆる病気の本質を探究していたと言えるでしょう。彼らが指摘したのは、正常な有機体において体液はある一定の比率を保っていなければならず、病んだ肉体においては、体液にこの混合比率からのずれが生じるということでした。適正な混合がクラーシス(Krasis)、不適正な混合がディスクラーシス(Dis-krasis)と呼ばれました。さて、それから当然、再び適正な混合にもどるように、不適正な混合に働きかけようとする試みがなされました。外界において、あらゆる自然存在を構成しているとみなされた四つの構成要素は、土、水、空気、火ですーー火といっても、これは今日私たちがもっぱら熱とよんでいるものなのですが。人間の生体組織においては、(動物の有機体においても)これらの四要素は、黒胆汁、黄胆汁、粘液、血液として特徴づけられていると見なされました。そして、適正に混合された血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から、人間の生体組織は機能しなければならないと考えられたのです。

参考までに、手元にある

■小川鼎三「医学の歴史」(中公新書39/1964.4.30)

から、ヒポクラテスに関してどういう紹介がなされているかを見てみることにしたいと思います。

ヒポクラテスはBC460−450年にエーゲ海の一島コスCosに生まれた。父はヘラクレイデスという医者であった。コスには前に述べたアスクレピオスの大きい神殿があり、ギリシャ医学の中心地であった。若いヒポクラテスは初め父からコス派の医術を学び、それからギリシャ国内を巡歴して遠くエジプトの北部まで足をのばし、いたる所で他の流儀をも学び、豊かな経験を身につけた。遊歴する医者Periodeutとして生涯を送ったが、アテネやコスには比較的ながく住んだらしい。晩年にはテッサリアにゆき、BCおよそ370年にラリッサにおいて没した。

(中略)

ヒポクラテスの偉さ、もっと正確にいえば『ヒポクラテス全集』の偉さは、健康と病気を自然の現象として科学的に観察し、医術を魔法からひき離していることである。病人は決して神の罰をうけた罪人ではない。罪人こそ一種の病人である。(中略)病気は一種ではなくいろいろの種類があることが説かれ、われわれの体には健康に復そうとする自然の力Physisがあり、医者はそれを助けるのが任務である。病気の原因は四種の体液、すなわち血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の量的な釣り合いが乱れることにあるとした。

  (中略)

治療法はわりあい簡単であって、食事を適当にし新鮮な空気を吸い生活を整えて、睡眠、休息、運動を規則正しくさせる。薬としては汗吐下、利尿、発泡剤などを単純な形で用いた。マッサージ、水浴などの理学療法も好んで用いた。当時は薬物の知識も少なく、解剖学は開けず外科が幼稚であったので、ヒポクラテスの主義のごとく一切の障害をさけて自然の治癒を待つというのがひじょうによかったのである。後にローマ時代になるとテリアカというような複雑な処方の薬が人気を博したりして、医術は邪道にすすんでいく。

  (P11-13) 

*注/ロキタンスキー

   Karl Freiherr von Rokitansky,1804-1878

   病理解剖学者

 


 第1講・第3回

 

今回からは、翻訳引用部分を読みやすく段落分けすることにしました。原文では、1ページほど段落分けのない場合がしばしばなので、そのまま訳すと読みにくいのを考慮して、適宜そうさせていただきます。そもそもこれは著作ではなく、講演集なので、理解しやすい形にするのが望ましいのではないかとも思ったからです。 

さて、ヒポクラテスのいう「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」を、「単に化学的反応によって確認できる特性」としてとらえるのが現代の科学的な観点での医学なのだといえるのですけど、そうではなく、そのなかで「黒胆汁」だけがその要素を持つのであって、それ以外のものは「地球の外部からやって来る諸力に浸透されている」というふうに考えられていたということを認識する必要があります。 

 さて、今日の人間が、そうできる限り科学的に準備してこのようなことに近づくなら、まずもって次のように考えるでしょう、つまり、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁が混ざり合うというのは、これらに特性として内在しているもの、多かれ少なかれ、低次あるいは高次の化学により特性としての配列を確認できるものに従って混ざり合っているのだ、と。あたかもヒポクラテス派もこういう方法でのみ血液、粘液その他を見ていたかのような、こういう光のなかで、体液病理学が端を発したと本来思われているのです。

 しかし、そうではありません。そうではなく、ただ一つの要素、今日の観察者にとって実際最もヒポクラテス的だと思われる黒胆汁についてのみ、通常の化学的特性が他のものに作用すると考えられたのです。他の全てのもの、白胆汁や黄胆汁、粘液、血液に関しては、単に化学的反応によって確認できる特性のことが考えられていたわけではなく、人間の生体組織のこの液体的要素の場合−−常に人間の生体組織に限定し、動物の生体組織についてはさし当たり考慮しませんが−−、これらの液体は、私たち地上的な存在の外部にある諸力の、それぞれの液体に内在する特性を有している、と考えられたのです。つまるところ、水、空気、熱が地球外の宇宙の諸力に依存していると考えられたように、人間の生体組織のこれらの要素も地球の外部からやって来る諸力に浸透されていると考えられたのです。

 「地球の外部からやって来る諸力」という視点は、現代科学ではほとんど失われてしまっています。ですから、15世紀以前の医学的文献を理解することは困難になっているといえます。しかし、古代においては、生体組織内の液体的要素を通じて、宇宙に由来する諸力の作用がもたらされると考えられていたことをここでは理解していく必要があります。

 このような地球の外部からやって来る諸力への視点は、西洋の科学の発展にともなって全く失われてしまいました。ですから、今日の科学者が、水は単に化学的に検証できるものとして与えられた特性のみではなく、それが人間の生体組織のなかに働きかけることによって、地球外の宇宙に属するものとしての特性も持っているのだと考えることを要求されたなら、彼らにとって、それは全く奇妙なことと思われるでしょう。つまり、人間の生体組織の中にある液体要素を通じて、古代の人々の見解によれば、この生体組織の中へと、宇宙そのものに由来する諸力の作用がもたらされるのです。この、宇宙そのものに由来する諸力の作用こそ、次第にかえりみられなくなったものなのです。とは言え、15世紀までは、医学的思考はまだ、私たちがヒポクラテスにおいて出会う濾過された見解の、いわば残滓の部分に基づいていました。従って、今日の科学者にとって、そもそも15世紀以前の医学的古文献を理解することは困難なのです。なぜなら、当時それを書いた人々の大多数は、自分の書いたものを彼ら自身秩序立てて理解してなどいなかったと言わねばならないからです。

「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」といった人間の生体組織の四つの基本要素などはヒポクラテス以降失われてしまった古代の智慧へと遡ることのできるもので、そういう智慧はまだ15世紀頃までは影響を及ぼしていたのです。

 彼らは、人間の生体組織の四つの基本要素について語りましたが、彼らがこれらの基本要素をあれこれの方法で特徴づけた理由は、本来ヒポクラテスとともに没落してしまった智慧へと遡るものなのです。こうした智慧がのちに及ぼした作用、人間の生体組織を構成する液体の特性についてはなおも語られていました。従って、ガレノスによって成立し、その後15世紀に至るまで影響をおよぼしたものは、基本的に、次第次第に理解不能になっていった古代の遺産の組み合わせなのです。 

ここででてくるガレノス(AD131-200)については、小川鼎三「医学の歴史」(中公新書)でこう解説されています。

ガレヌスGalenusはヒポクラテスと並んで西洋の古代医学で二台巨像とされる。古代の医学を集大成し自らも多くの価値ある実験を行い、著作の量も膨大であり医学を系統だてた。彼は実験生理学の創始者ということができ、その学説は正否とも十数世紀にわたって欧州やアラビヤで金科玉条とされた。(P19) 

しかし、15世紀以降でも、すべてを化学的物理的に確認しうるものとするような体液病理学と闘った偉大な医学者がいました。パラケルススPhilippus Aureolus Paracelsus Theophratus Bombastus von Hohenheim(1493-1541)とファン・ヘルモントJohann Baptist van Helmont(1577-1644)です。

 しかしながら、まさしくそこに在るものから認識することのできた人々が常に少数存在していました。つまり彼らは、化学的に確認しうるものや物理的に確認しうるもの、すなわち純粋に地上的なものに汲み尽くされない何物かを指摘できることを知っていたのです。人間の生体組織においては、化学的に合成するのとは別な仕方でその中の液体的な実質を作用させる何物かが指摘されうる、ということを知っていた人々、つまり世に知られた体液病理学と闘った人々の中に、パラケルススとファン・ヘルモント−−その他の名前を挙げることもできますがーーがいます。

 彼らはちょうど15、16世紀から17世紀への変わり目に、言うならば他の人々がもはや明確に表現しなくなったことを、まさしく明確に表現しようと試みることで、医学的思考の中に新たな動向をもたらしたのです。この表現のなかにはしかし、人々がいくらか霊視的であった時にのみ本来追求し得たものが含まれていました。実際のところパラケルススとファン・ヘルモントが霊視的であったことは明らかです。

 私たちはこうした事柄すべてを明確にしておかねばなりません。さもなければ、今日なお医学用語に定着してはいるけれども、その起源についてはもはや全く知られていないものについて、理解することはできないでしょう。こうしてパラケルススと後に彼の影響を受けた他の人々は、生体組織における作用の基盤としてアルケウス(Archaeus)というものを想定しました。私たちがおおよそ人間のエーテル体について語るように、彼はこのアルケウスを想定したのです。  

 ファン・ヘルモントに関しては資料が手元にないのでよくわかりませんが、パラケルススについては、ふたたび小川鼎三「医学の歴史」(中公新書)から。

ドイツの貴族の出でチューリッヒの近くで1493年に生まれ、長じてフェララで医学をおさめ、その後に欧州の諸地を遍歴して実地医学を身につけた。1527年、バーゼルの教授となり、市医を兼ねたが、ガレヌス、アヴィセンナなどの諸大家の学説に盲従することをはげしく攻撃して、自然の観察と実験にもとづく医学の在り方をとなえた。その言動があまりにも過激だったため大学を追われて諸国をめぐり、診療と著述をなして1541年、ザルツブルグで病没した。

彼の医学思想はすこぶる独創にとみ、化学眼をもって生命現象をみて、新陳代謝を論じている。身体を構成するものとして、硫黄、水銀、塩の3つを挙げたが、硫黄は燃えて消え去るもの、水銀は熱により蒸発するもの、塩は火に滅びず灰となって残るものを意味した。人体に内在して生活現象をおこす力をアルケウスとよび、それはヒポクラテスの自然の力よりも、いっそう具体的なものである。たとえば胃のアルケウスは食物の中から有用なものを無用のものから分離して、有用なものを同化するのであり、肺のアルケウスは空気を一種の栄養物として吸収すると考えた。(P66-67)  

パラケルススは、医学の分野にかぎらず自然科学、神学、哲学などなどを縦横無尽に展開させた、いわばファウストのような人物だといえますから、上記のような部分的な紹介では紹介しきれるものではありません。このパラケルススについては、ユングの「パラケルスス論」(みすず書房)など邦訳でもたくさんの解説書がでていますので、ぜひ何かの機会にその魅力あふれる人物にふれてみていただきたいと思っていますしまたぼくとしても、まとまって見てみたいと思っている人物です。

さて、パラケルススのいうアルケウスを、シュタイナーはエーテル体のようなものとしてとらえています。シュタイナーのいうエーテル体は、地上的なものではなく、宇宙的なものです。私たちの物質的な生体組織は地球の組織の一部であるということができますが、その根底には宇宙的なエーテル的組織があると考え、パラケルススはそれを「アルケウス」と名づけたわけです。しかし、それは個別的な形で暗示するにとどまり、さらにそれを研究することはありませんでした。

 パラケルススのようにアルケウスについて語るなら、私たちがエーテル体について語るようにアルケウスについて語るなら、存在してはいるけれどもその本来の起源については追求されていないものが統一されます。なぜなら、その本来の起源を追求するとなれば、次のような方法をとらざるをえないからです。

 人間は、地上的なものから作用する諸力から本質的に構成されている物質的な生体組織を有する、と言わねばなりません。私たちの物質的な生体組織はいわば地球の組織全体の切り取られた一片です。そして私たちのエーテル体とパラケルススの言うアルケウスは、地球には属さない、すなわち宇宙のあらゆる方向から地上的なものへと作用するものの一片です。

 つまるところパラケルススは、以前はもっぱら人間における宇宙的なものとみなされていてヒポクラテス医学とともに没落したものを、物質的な組織の根底にあるエーテル的組織という彼の見解において統合的に見たわけです。彼は、このアルケウスにおいて本来作用しているものがどのような地上を越えた諸力と関係しているのか、それ以上は研究しませんでした−−なるほど個別的に暗示はしましたが、それ以上は研究しなかったのです。

             

最後に、この「アルケウス」についての理解を深めるために、K.ゴルトアンマー「パラケルスス」(みすず書房)から、それについて書かれているところを引用紹介させていただきます。  

植物にも、生命の精気(Lebensgeist)は与えられており、「表徴者アルケウス」(Archaeus Signator)がすでに植物の外形に、その本性と治癒力との表徴を刻印している(たとえば、アザミは内蔵の刺痛に効くとされている)。「アルケウス」は、世界の大いなる原理の一つなのだ。やはりアルケウスも、宇宙的な生命力であり、原動力なのである。それは、自然における秩序原理、もしくはエンテレヒーと解することができる。アルケウスは、「諸力を秩序だてる者」であり、「配置者」(dispensator)であり、アルケウス直属の「職工」が、水銀・硫黄・塩なのである。アルケウスを配置したのは神であり、それはパン職人やブドウ栽培者と同じ働きをする。その仕事は、アタナール(化学炉)内での錬金術的課程に模することができる。ついには大宇宙全体がアルケウスと同一視されることにもなる。とはいえ、アルケウスが一個の個体原理であることに変わりはない。(P53)

ファン・ヘルモントJohann Baptist van Helmont(1577-1644)に関することが分かりましたので、補足しておきたいと思います。ヴァン・ヘルモントと表記されていたので、見つからなかったのでした。ファン・ヘルモントは化学医学派の首領ともいわれている人で、パラケルススの流れをくむ人物です。 

これも、小川鼎三「医学の歴史」(中公新書)から。 

ブラッセルに生まれて、まずルーヴァンで哲学を学び、ついで法律に転じてその後に医学をおさめた。二十二歳でドクトルとなり、五年間諸地をめぐって後に郷里で開業した。化学実験をたくさんなしたが、神秘的な考え方もしたので、その点もパラツェルズスと似ている。一六二四年異端の疑いをうけてその裁判が二十年も続き、投獄されたこともある。酵素作用の重要性を認めており、またガスという言葉はこの人の創始といわれている。(P80-81)

    


 第1講・第4回

 

スタール医学は、宇宙の作用についてまったく理解していないといえます。パラケルススとファン・ヘルモントにおいては、霊的魂的なものと物質的な生体組織との間のものについて意識的であったのですが、スタール医学においては、意識的−魂的なものが姿を変えて人間の生体組織に働きかけるというような、一種の仮説的な生気論になってしまっているのです。ういう方向性の反動としてでてきたのが、19世紀のヨハネス・ミュラーです。

 さて、当時もともと意味されていたことが、どんどん理解されなくなっていったと言うことができます。とりわけこのことが明白になってくるのは、私たちが17、18世紀と進んで、スタール医学に出会う時です。ここにいたっては、この、宇宙の地球的なのものへの作用についてはもはやまったく理解されていません。スタール医学は純粋に空気中に漂っているあらゆる可能な概念、生命力、生命霊についての概念を利用します。

 パラケルススとファン・ヘルモントは、人間の本来霊的ー魂的なものと物質的な生体組織との間にあるものについて、まだある程度意識的に語っていましたが、一方、スタールとその信奉者たちは、あたかも意識的−魂的なものが別の形をとってのみ人間の身体の構造付与に働きかけるかのように語りました。このことによって彼らはむろん強い反動を呼び起こしました。なぜならこのような方法をとって、一種の仮説的な生気論(Vitalismus)を打ち立てると、結局は純粋に恣意的な提示になってしまうからです。

 このような提示にとりわけ対抗したのは19世紀です。例えば、エルンスト・ヘッケルの師で1858年に亡くなったヨハネス・ミュラーのような偉大な精神のみが、人間の生体組織に関するこういう不明確な言い方に由来するあらゆる害悪を克服してそれを越えて行ったのだと言うことができます。この不明確な言い方というのは、人間の生体組織において作用しているという生命力について、それがどのように作用しているのかはっきりと考えることなしに、もっぱら魂的な力について語るように語ってしまったことなのです。

それに対して、まったく別の流れ、つまり唯物論的な流れが出てきます。18世紀のモルガーニの病理学的解剖学です。モルガーニは、死体解剖によって病気の原因を探ろうとし、生体組織の病んだ結果だけに目を向けました。

 さて、こうしたことすべてが起こっている間に、全く別の流れが現れてきました。私たちは今までいわば、流れ去っていくものをその最後の余波まで追求してきたわけですが、近代とともに、とりわけ19世紀の医学上の概念形成にとって今度は別の仕方で決定的となったものが到来したのです。それは結局、18世紀の、法外に強力な決定的影響を与えた唯一の著作、パドゥアの医師モルガーニの「解剖所見による病気の所在とその原因について」にさかのぼります。モルガーニとともに、根本において医学における唯物主義的な傾向を導いたものが到来したのです。

 こういうことは、共感、反感をまじえずにまったく客観的に特徴づけられねばなりません。と申しますのも、この著作とともに到来したものは、人間の生体組織が病んだ結果に目を向けさせるものだからです。

 決定的なものとなったのは、死体鑑定でした。死体鑑定が決定的なものとなったと言えるのは、実際この時代からなのです。人々は死体から、病名は何であれ、何らかの病気が作用すると、いずれかの器官が何らかの変化をこうむるにちがいないということを知りました。今や、何らかの変化を他ならぬ死体鑑定から研究するということが始まったのです。実際ここではじめて病理学的解剖学が始まります。他方、医学のなかに以前からあったものはすべて、なおも作用し続けている古代の霊視的な要素に依拠していました。  

さて、20世紀において大きな転換が起こります。古代的な遺産が捨て去られ、医学は原子論的−唯物論的になってゆきます。古代の体液病理学の最後の遺産は、1842年に出版されたロキタンスキーの「病理学的解剖学」でした。

 さて興味深いのは、言うなれば、大きな転換がそれから一挙に最終的に起こったことです。実際直接、20世紀を示すことができるのです。興味深いことに、20世紀に大きな転換が成し遂げられ、それによって古くからの遺産としてまだ存在していたものがすべて捨て去られ、さらに現代の医学制度における原子論的−唯物論的な見解が基礎付けられたのです。

 ちょっと努力して、1842年に出版されたロキタンスキーの「病理学的解剖学」を調べてごらんになれば、ロキタンスキーにおいてはまだ、古代の体液病理学の名残り、つまり病気は体液の正常でない相互作用に基づく、という見解の名残りが存在していることがおわかりになるでしょう。このような体液の混合に注目せねばならないとする見解−−これができるのは、体液の地球外的な特性についての見解の遺産を有している時だけなのですが−−この見解はロキタンスキーによって非常に機知に富んだやり方で器官の変化の観察と結びつけて処理されました。

 つまり、ロキタンスキーの書物はもともと常に器官の変化の死体鑑定による観察を根拠としているのですが、これが、このような特殊な器官変化は体液の異常な混合の影響によって生じてきたのだ、という指摘に結びついているのです。ですから、古代の体液病理学の遺産から現れた最後のものは1842年にあったと言いたいのです。

 この古代の体液病理学の没落の中に、例えばハーネマンの試みのような、包括的な病気の表象を考慮に入れるという未来指向的な試みが、いかに投入されたか、これについては後日お話していこうとおもいます。これは単に前置きで取りあげるにはあまりに重要なことですから。まずは同様な試みとの関連において、それから個々の場合において議論されねばなりません。 

 

<註釈>

*小川鼎三「医学の歴史」を主に参考にしました。

■スタール Georg Ernst Stahl,1660-1734

ホフマン、ブールハーヴェとともに、医学界の三巨匠とされた。彼らは体系学者と呼ばれる。物理派と化学派を合わせながらその上に、ライプニッツの唯心論をのせて、生命や病気の解釈に体系をたてるのが得意。

■ヨハネス・ミュラー Johanes Mueler,1801-1858

ドイツ医学の哲学的要素を排し、科学的なものとする。ライン河畔のコブレンツに靴屋の子として生まれた。ボン大学で医学をおさめたが、そのときの解剖学への深い傾倒が、その後実物に即してのみ考える習慣をもつのに大いに役立ったという。ついでベルリンで生理学者のルドルフィに学び、またボンに帰り、1830年正教授になる。3年後にベルリン大学に転じて、解剖学、生理学、病理学を一人で兼ね教えた。生理学では神経系と感覚器に関する研究を多く行い、解剖学ではとくに生殖器の発生などについて業績をあげた。動物学、発生学、比較解剖学、生理学、化学、心理学、病理学など、あらゆる方面で活躍した。病理解剖学では顕微鏡を用いる方向に深く進んだ。その著書「人体生理学全書」は、この世紀の金字塔と言われる。 

■エルンスト・ヘッケル Ernst Haeckel,1834-1919

■モルガーニ Giovanni Battista Morgani,1682-1771

フォルリに生まれ、ボローニャで医学をおさめ、19歳のとき、解剖学者ヴァルサルヴァの助手になった。29歳の時パドアの解剖学教授となり、90歳の高齢で没するまでその職にあった。地味な学者だったようで、こつこつと多数の人体解剖を生前の病状と照らし合わせながら行い、それをまとめた大著「解剖所見による病気の所在と原因について」を、やっと1761年80歳のときに出して、一挙に病理解剖学を打ち立てた。

■ハーネマン Christian Friedrich Samuel Hahnemann,1755-1843

ホメオパシーの創始者。ドイツ生まれ、ライプチヒ大学で医学をおさめ、エルランゲンで学位を得た。キニーネの働きを調べて、これがマラリア類似の熱をひきおこするとなして、そこから考えが飛躍していった。そして、ある病気を治すにはその症状と似たものを健康な人におこすような薬を用いる必要があるととなえた。「似たものが似たものを治す」というのがその主張であった。

 


 第1講・第5回

 

1842年に出版されたロキタンスキーの「病理学的解剖学」以後の20年間が、世界を原子論的−唯物論的にとらえる医学の基礎となりました。しかしながら、細胞説を樹立したシュヴァンにおいては、細胞形成の根底に形式化されてない液体形成があり、細胞的なものが発生するには液体的要素に依っているのだとしています。つまり、液体病理学的なところをまだ有しているということなのですが、それが同時に、人間の生体組織は細胞から構成されているというような今日の常識の基礎にもなっているということがいえるのは皮肉なものです。

 さて今度は、ロキタンスキーの「病理学的解剖学」出版後の20年間が、医学の本質の原子論的ー唯物論的考察にとっての本来の基礎をなす期間となったことに注目してみたいと思います。

 古くからのものは、奇妙なことになおも19世紀前半に形成された表象の中に入りこんでいるのです。ですから、例えば、植物細胞の発見者と言えるシュヴァンはなお、細胞形成の根底には、ある種の形式化されてない液体形成、彼が胚胞とみなした液体形成があるという見解を持っていますが、彼のように、この液体形成から細胞核が硬化し、細胞原形質が周囲に分化するのを観察するのは興味深いことです。

 シュヴァンがなお、細分化していく方向に流れる特性を内在させている液体的要素に依拠していること、そしてこの細分化を通して細胞的なものが発生することを観察するのが興味深いのです。さらに興味をひくのは、人間の生体組織は細胞から構成されている、という言葉で総括し得る見解が、その後次第次第に形成されていくのを追求することです。細胞は一種の基本的有機体であり、人間の生体組織は細胞から構成されている、という見解は、実際今日あたりまえになっているものでしょう。 

 さて、シュヴァンがなおもその行間に、いやその行間以上に、と私は言いたいのですが、有していたこの見解は、つまるところ古代の医学の本質の最後の名残りなのです。なぜならこの見解は原子論的なものには向けられないからです。この見解は、原子論的に現れてくるもの、細胞質を、きちんと観察すれば決して原子論的には観察できないもの、つまり液体的な何かから生じてくるものとして観察します。この液体的なものが力を内在させていて、この力が自らのうちから原子論的なものを分化していくというのです。 

1858年に出版されたウィルヒョウの「細胞病理学」によって、より普遍的であった古代の医学の見解は終焉にむかいます。人間に現れてくるものがすべて細胞作用の変化からとらえられるようになり、器官組織の細胞の変化から病気が理解されるようになりました。こうした「原子論的観察」はきわめて分かり易いのですが、その分かり易さこそが、自然や宇宙の本質に覆いをかけてそれを見えなくさせてしまっているのです。

 19世紀の40年代と50年代のこの20年間に、より普遍的であった古代の見解は終焉に向かい、原子論的な医学的見解が黎明を迎えます。1858年にウィルヒョウの「細胞病理学」が出版されたのがまさしくその時でした。実際この二つの著作、つまり1842年のロキタンスキーによる「病理学的解剖学」と、1858年のウィルヒョウの「細胞病理学」の間に、近代の医学的思考における大きな飛躍的転回を見出さねばなりません。この細胞病理学により根本的に、人間に現れてくるものはすべて細胞作用の変化から推論されるようになります。公的な見解にしたがって、すべてを細胞の変化に基づいて構築することが理想とみなされます。ある器官組織の細胞の変化を研究し、この細胞の変化から病気を理解しようとすることにこそ理想が見出されるのです。

 こうした原子論的観察は実際容易なものです。つまるところそれは自明の理とでも言うべきものなのですから。すべてをこのように容易に理解できるように作りあげることができます。こうして、近代科学はあらゆる進歩をとげたとはえ、この科学はあいもかわらずすべてを容易に理解することを目指し、自然の本質と宇宙の本質はきわめて複雑なものなのだということを考えてもみないのです。 

 さてこれは簡単に実験で確かめられるでしょうが、例えばアメーバは水中でその形を変化させ、腕のような突起を伸ばしたり、また縮めたりします。それからアメーバが泳いでいる水を暖めたとします。すると、ある特定の温度になるまでは、突起を伸ばしたり縮めたりするのがだんだん活発になるのがわかります。その後、アメーバは収縮してしまい、もはや周囲の媒体で起こっている変化について行けなくなります。また、この液体のなかに流れを作り出すと、アメーバはその体を球状にし、流れをあまりに強くすると、最後には破裂してしまうのが観察されます。

 つまり個々の細胞が環境の影響によってどのように変化するかを研究し、そこから、いかに細胞の本質の変化により次第に病気の本質が構築されるかという理論を形作ることができるわけです。 

19世紀の40年代と50年代のこの20年間に、世界を原子論的−唯物論的に理解しようとする傾向が形成されたとえいます。今日の医学の基礎がそこで形成されたといえるのです。 

 20年間に起こった転換によって到来したもの、これらすべての本質とは何なのでしょうか。この時ひき起こされたものは、今日公認された医学のすべてを貫いているものの中に実際生き続けています。この時ひき起こされたものの中に生きているのはやはり、まさしく唯物論的な時代に形成された、世界を原子論的に理解しようとする傾向に他なりません。

 

<註釈>

*小林鼎三「医学の歴史」(中公新書)を参考にしています。

■シュヴァン Theodor Schwann,1810-1882

細胞説を樹立。シュヴァンは1839年に「動物と植物の構造と成長における一致について」という論文をだしたが、これは動物も植物と同じく細胞からできていることを初めて述べたものである。

■ウィルヒョウ Rudolf Virchow,1821-1902

ポメラニア生まれで、ベルリンの軍医学校に学んだ。病理解剖学をめざしてすすみ、これと臨床医学との提携を生涯の仕事として大きな成果をおさめた。1849年にヴュルツブルグの教授となり、7年後ベルリン大学に転じた。そして1858年に「細胞病理学」を著した。ガレヌスの液体病理学は遠く過去のものとなり、モルガーニは病気の座として器官を考え、ビシャーはそれを組織においた。ウィルヒョウはさらに生活体の単位である細胞にその座を置いたのである。彼は「すべての細胞は細胞より生ず」という生物学の鉄則をつくった人である。1863-68年には彼の「病的腫瘍論」がでた。ウィルヒョウは長い間病理学の法王ともいえる最高の地位にあった。人類学にも造詣が深かったし、政治的にも活躍して民間政党の首領であり、ビスマルクと渡りあったといわれる。

 


 第1講・第6回

 

今日医学に携わる者にとって、病気とはいったいいかなるプロセスかという疑問は必然的な疑問として提示されてしかるべきであるにもかかわらず、病気とは、人間の生体組織のいわゆる正常な状態からネガティブに逸脱している状態であると指摘されるだけなのが現状です。そこには、人間の本質をしっかり認識しようとする姿勢が欠けています。そういう認識が欠けているこそそのものが、現代の医学的見解全体が病んでいるということを示しているのだといえます。

 さて、次のようなことに注意してくださるようお願いいたします。私は、今日医学に携わっている人は必然的に、そもそも病気とはいったいいかなるプロセスなのか、という疑問を提示せざるをえない、ということに皆さんの注意を向けることから出発いたしました。病気は、人間の生体組織のいわゆる正常な状態からいったいどのように区別されるのでしょうか。と申しますのも、このような逸脱に関するポジティブな観念をもってのみ活動もできるというものなのに、公認の科学において通常見出され、与えられる表現は結局ネガティブなものでしかないからです。もっぱらこのような逸脱があると指摘されるだけなのです。それから、この逸脱をいかにして取り除けるかが試されます。けれども人間の本質に関する透徹した見解はそもそもそこにはないのです。人間の本性に関するこういう透徹した見解が欠けているということにおいて、根本的に、私たちの医学的見解全体が病んでいるのです。 

外的な自然のプロセスを正常とみなし、病気のプロセスを異常であるとみなすのは、いったいなぜなのでしょうか。その正常−異常というとらえ方について、それを絶対化することによって、病気のプロセスそのものが見えなくなってしまうということに注目する必要があります。そうした、正常−異常は、ある意味では、言葉遊びに過ぎない部分があるのです。

 いったい病気のプロセスとは何なのでしょうか。やはり皆さんは、それは自然のプロセスであると言わざるをえないでしょう。外部で進行していてその結果を追求できる何らかの自然のプロセスと、病気のプロセスとの間に、すぐさま抽象的な区別を立てることはできないのですから。

 自然のプロセス、皆さんはこれを正常と称し、病気のプロセスを異常と称します。その際、人間の生体組織におけるこの病気のプロセスがなぜ異常なものなのかについては注意しておられません。

 少なくともこのプロセスがなぜ異常なのか説明できなくては、実際のところ実践に移ることはできないのです。説明できてはじめて、このプロセスをいかにして終結させることができるかを探究していけるのです。そうすることによってはじめて、このような病気のプロセスを取り除くことは、宇宙に存在するもののどの一隅から可能なのかという問題に行き着くことができるからです。つまるところ異常とみなすこと自体が妨げになるのです。いったいなぜ、人間における相当数のプロセスが異常とみなされねばならないのでしょうか。私が指を切ったとしても、それは人間にとって単に相対的に異常であるだけなのです。私が自分の指を切るのではなく、一片の木材を何らかの形に切るとしたら、これは正常なプロセスといえるからです。自分の指を切ると、これを異常なプロセスと呼ぶわけです。

 おわかりでしょうか、自分の指を切るのとは違うプロセスの方を追求するのに慣れているということによっては、実際何も語られはしないのです。単なる言葉遊びが世に広まっているにすぎません。なぜなら、私が自分の指を切る時に起こっていることは、ある側面からすれば、その経過においては他の何らかの自然のプロセスと全く同様に正常なものと言えるからです。 

ですから、病気のプロセスを異常だというふうにとらえるのではなく、プロセスとしては正常であるけれども、特定の原因によって生じたに違いないプロセスと、通常健康であるとしている日常的なプロセスとの差異を見ていく必要があるのだといえます。

この決定的な差異を見出すことこそが重要課題です。この導入部としての第1章では、その差異を見出すための観察方法についての最初の基礎が示され、次章からそれが個別的に話されていくことになります。

 さて、次のようなことに行き着くのが課題です。つまり、私たちが病気のプロセスと呼んではいるけれども、根本においては全く正常なプロセスであり、ただ、特定の原因によって引き起こされたにちがいないプロセスと、私たちが通常健康なプロセスとみなしている日常的なプロセス、人間の生体組織におけるこの二つのプロセスの間にどのような差異があるのかということです。

 この決定的な差異が見出されねばなりません。この差異は、真に人間の本質へと導く観察方法に立ち入ることができなければ、見出すことはできないでしょう。この導入部において私は皆さんにそのための少なくとも最初の基礎を示しておきたいと思います。その後あらためて個別的に詳しくお話していくつもりです。

 


 第1講・第7回

 

この講演内容は、通常の書物などでは述べられていないものではあるけれども、前提としているのは、その逆に、通常見出せるものであるということができます。

人間の骨格とゴリラの骨格を比較してみると、ゴリラの下顎組織全体が特に大きく発達していて、その下顎組織は頭骨全体のなかで負荷をかけられ、その骨格全体が前に突き出しているということができます。そうしたことを見てみると、人間に比べ、ゴリラは、そうした下顎の負荷に逆らって直立しがたい姿勢になっているということがわかります。

図は、ゴリラの頭骨と人間の頭骨を横から見た形で比較したものです。ゴリラの場合は、下顎全体が前に迫り出しています。

 ご理解いただけるでしょうが、私はこのたびの回数のかぎられた講演において、主として皆さんが通常書物や講演では見出せないことをお話しております。けれども、その前提としておりますのはまさに通常見出せるものなのです。皆さんにも通常おなじみであるような理論を私が並べ立てることはさして価値があるとも思えません。

 ですからここで、人間の骨格と、いわゆる高等なサルであるゴリラの骨格を思い浮かべていただいて、見てとれることを単純に比較すれば明らかになることを参照していただきます。両者の骨格を純粋に外的に比較してみると、本質的なこととして、ゴリラの場合にはもっぱら下顎組織全体が特に大きく発達していることに気づかれるでしょう。

 この下顎組織はいわば頭骨全体の中で負荷としてあり、それでゴリラの頭部をその大きな下顎とともに見ると、この下顎組織は何らかの方法で負荷をかけられており、骨格全体が前に突き出ている、そしてゴリラは、言うなれば、とりわけ下顎で働いているこの負荷に逆らって、幾分苦労して直立している、と感じられます。

         

 

手の部分を伴う前膊部、つまり肩口から手口までの腕のうちの、肘から手口までの腕の部分、の骨格に関しては、人間とゴリラは同じような負荷システムを持っいて、ともに重力的に作用しますが、ゴリラのそれは人間のそれに対してかさばっているということができます。このことは、足および下肢の骨格に関しても見出すことができます。ここにも、ある特定の方向に圧力をかける負荷的なものがあるといえます。ここにも「図」がありますが、これは少し説明しにくいものですが、簡単にご説明しますと、ゴリラの下顎が人間のそれに比べて、下向きのベクトルの働きを受けているというものです。人間の場合は、上向きの力と水平方向の力として働くものが、ゴリラの場合は、上向きの力と水平よりは下向きの力として働いているということです。つまり、ゴリラの場合、顎を突き出して前向きの姿勢で手を下にだらんと垂らし、足もまっすぐではなく、前傾姿勢になっているということです。

 手の部分を伴う前膊部の骨格に目を向けると、ゴリラと同じ負荷システムを人間の骨格にも見出すことができます。これらは重力的に作用しますが、ゴリラの場合はすべてがかさばっているのに対し、人間の場合はすべてが精密繊細に分化されています。

 人間の場合は量が目立たないのです。下顎組織と、指の組織をともなう前膊組織というまさにこの部分において、人間においては量的なものが目立たず、ゴリラの場合には量的なものが目立つのです。

 こういう関係に対して観察眼を鋭くした人は、足および下肢の骨格にも同様のものを追求できます。ここにも、ある特定の方向に圧力をかけるいわば負荷的なものがあるのです。これらの力ーーーこれらは下顎組織、腕の組織、脚および足の組織に見出せるのですがーーーをこういう線によって図式的に描いてみたいと思います。

        

 

ゴリラに比べて、人間の場合、下顎が後退していて、腕や指の骨格が精密に形成されているということは、「上昇しようとする力」を持っているということができます。ゴリラでは、負荷によって下降する力が優勢なのに対して、人間では、「上昇しようとする力」があるということなのです。ここで「一種の力の平行四辺形」ということが言われているのは、下降する力のベクトルに対して、上昇しようとする力のベクトルが合わさって、いわば「合力」として、平行四辺形で描かれる力となるということです。

「図」に関していえば、その下降する力のベクトルと上昇しようとする力のベクトルが合力として平行四辺形を形成しているということが表現されています。

 ゴリラの骨格と人間の骨格を純粋に観察することから差異として現れてくること、すなわち、人間においては下顎は後退していてもはや負荷がかかっておらず、腕および指の骨格は精密に形成されていることに着目していただければ、人間の場合は至る所で上昇しようとする力がこれらの力に対抗している、と言わざるをえないでしょう。

 人間においては一種の力の平行四辺形から形成されるものを設定しなければならないのです。これはこの上に向かう力から生じるもので、この力をゴリラは外的にのみ習得していて、それはゴリラが直立し、直立しようとする努力のなかに見出せます。こうして次のような線で描かれた平行四辺形が得られます。

            

 

今日では、高等動物の骨や筋肉を比較するということはするものの、こうした形態の変化ということについては、あまり注意を払いません。しかし、まさに本質的なことというのは、そうした形態の変化なのです。ゴリラの場合のような形態の形成する力に逆らって、上昇する力として作用する力があるということに注目しなければならないということです。

 さてきわめて奇妙なことは、今日私たちは通常、高等動物の骨あるいは筋肉を人間のそれと比較することに限定していて、その際、これらの形態の変化には重点を置かないということです。本質的で重要なことは、こういう形態の変化を見るということの中に求められねばなりません。ごらんのように、ゴリラにおいてその形態を形成している力、この力に逆らって作用するような力が存在せねばならないからです。実際こういう力が存在せねばならず、こういう力が働いていなければならないのです。 

こうした種類の力に注目することで、ヒポクラテス的な体系によって切り捨てられてきたものを再び見出すことが可能になります。力の平行四辺形ということに注目するならば、地球外的な力を起源とする力の合力に注目しなければならないのです。人間の直立二足歩行をもたらしたのは、そうした地球外的な力の作用であり、しかもそうした直立姿勢をもたらしただけではなく、その作用する力は同時に形成力でもあるのだといえます。

 私たちがこういう力を探すとすれば、古代の医学がヒポクラテス的な体系によって濾過された際に捨て去られたものを再び見出すことになるでしょう。さらに、こういう力は地上的自然の力の平行四辺形の中にあって、力の平行四辺形の中で地上的な力と合成され、その結果今や地上的な力を起源とせず、地上を越えた、地球外的な力を起源とする合力が成立することがわかるでしょう。こういう力を私たちは地上的なものの外に求めなければなりません。私たちは人間に直立姿勢をもたらした牽引力を求めなければなりませんが、この牽引力は単に、高等動物にも時おり見られるような直立姿勢をもたらすのみではなく、直立姿勢の中で作用している力が同時に形成力でもあるようなありかたで直立姿勢をもたらすものなのです。 

サルの場合も直立歩行しないわけではありませんが、人間の場合は、下降する力に逆らって働く力が強く、地球外的な起源をもつ力の方向を強くもっているというところに、その相違点があるのです。

人間の骨格構造におけるダイナミズムということを見ていくならば、そこには、そうした地球外的な力が働き、そこに、下降する力との間に、合力としての平行四辺形がでてくるということが重要です。

 サルは直立歩行しますが、量的にそれに逆らって働く力を有しているかどうか、あるいは人間はその骨組織の形成が地上的でない起源を持つ力の方向に作用しているかどうか、これが相違点なのです。

 人間の骨格の形を正しく見れば、個々の骨を記述して動物の骨と比較することに限定されることはありません。人間の骨格構造におけるダイナミズムを追求すれば、地球の他の領域にこれを見出すことはできない、私たちがここで出会う力は、他の力と合わせて力の平行四辺形を作らねばならないそういう力なのだ、と言うことができるのです。 

動物から人間へと向かうそうした飛躍を見ていくことで、病気の本質に関する考察が可能になります。この講義が進むうちに、そうしたことが数多く発見されていくことになります。

 私たちが単に人間の外部にある力に注目しているだけでは発見できない合力が成立しているのです。ですから動物から人間へのこの飛躍を一度きちんと追求してみることが重要となるでしょう。そうすれば単に人間のみならず動物の場合にも、病気の本質の起源を見出すことができるでしょう。私は皆さんにこういう要素を少しずつしか指摘できませんが、さらに進むうちに、これらから非常に多くのことを発見できるでしょう。

 


 第1講・第8回

 

骨組織から筋肉組織へと目を転じると、通常の化学的作用という点では、静止している筋肉の場合、アルカリ反応に「似た」反応を示し、それに対して活動している筋肉はわずかに酸性反応を示します。

筋肉は新陳代謝によって人間の摂取したものからできているのですが、それは地上的な物質における諸力の成果だということができます。しかし、それが活動しはじめるとともに、そうした新陳代謝の支配下から脱して別の変化が現れるようになります。

この変化は、人間の骨の形成に作用している力といえるものであって、それが地上的な力との合力を形成しているのだといえます。地上的な化学のなかに、地上的でない化学的作用が働いているのです。

 さて今ご説明したことと関連して今度は次のようなことをお話したいと思います。骨組織から筋肉組織に移ると、私たちは筋肉の本質におけるこの重要な差異を見出すわけですが、つまり、通常の化学的作用に留意するなら、静止している筋肉はアルカリ性の反応を示す、ということです。ただし、静止している筋肉の場合、アルカリ反応はその他の場合ほど絶対的に明確には現れないので、アルカリ性に似たと言えるだけなのですが。活動している筋肉の場合もやはりあまり明確でない酸性反応が働いています。

 さて考えてみてください、当然のことながら、筋肉はまずもって新陳代謝に応じて、人間が摂取したものから構成されています。つまり筋肉はいわば、地上的な物質の中に存在している諸力の成果なのです。けれども人間が活動し始めるとともに、筋肉が単に通常の新陳代謝の支配下にあることによって自らのうちに有しているものが、次第に明確に克服されます。筋肉に変化が現れるのです。

 この変化はつまるところ、通常の新陳代謝に応じた変化に対して、人間の骨の形成に作用している力と比較する以外にないものです。人間の場合こういう力が外から取り入れたものを越えていくように、またこういう力が地上的に貫かれて、それらと合一して合力を形成するように、筋肉のなかで新陳代謝における作用として現れるものとならんで、地上的な化学の中に化学的に作用するものにも目を向けなければならないのです。

 ここでは、もはや私たちが地上的なものの中には見出せない何かが、地上的な力学、動力学の中へと作用を及ぼしていると言えるかもしれません。新陳代謝の場合、地上的な化学の中に、地上的でない化学であるもの、地上的な化学の影響下においてのみ出現可能な作用とは別の作用をもたらすものが作用を及ぼしているのです。 

人間の本質を見出そうとするならば、形態観察という側面と質的観察という側面の双方を出発点とする必要があります。

私たちは、医学において、地上的な薬物のみをとりいれてきましたが、人間においては、地上的でないプロセスが作用しています。ですから、病んだ生体組織と物質的な地上環境との相互作用において、病気の状態から健康な状態へと導く相互作用をどうやって呼び起こすかという問いに対しては、地上的な薬物だけでは地上的でないプロセスに対して有効なものであるとはいえません。

 私たちが本来人間の本質にあるものを見出そうとするならば、このような、一面においては形態観察であり、他面においては質の観察であるような観察を出発点とせねばならないでしょう。

 ここで再び、失われてしまったものへの帰路が、病気の本質を単に形式的に定義することにとどまりたくなければ、ぜひとも必要なものへの帰路が開けてくることでしょう。

 実際形式的な定義のみでは実践においてあまり多くをてがけられないのです。なぜなら、考えてもみてください、非常に重大な問題が発生するのです。私たちは根本的に、私たちの環境から、地上的な薬物のみを取り入れてきました。その薬で変化をきたした人間の生体組織に働きかけることができるのです。けれども人間においては、地上的でないプロセス、あるいは少なくともそのプロセスを地上的でないプロセスにする力が作用しています。従って次のような問いが出てくるのです。

 つまり、私たちが病んだ生体組織とその物質的な地球環境との間に相互関係として引き起こすもののなかに、いかにして、病気の状態から健康な状態へと導く相互作用を呼び起こすことができるのか、という問いです。私たちがいかにしてこのような相互関係を引き起こすことができるのか、その結果、この相互関係を通じて実際に、人間の生体組織の中で活動している力に影響を及ぼすことができるのか、ということです。

 この力は、たとえそのプロセスが食餌療法のための指示などであったとしても、私たちがそこから薬物を選べるようなプロセスが現れているもののなかには現れてこない力なのです。 

人間と動物の差に注目しなければなりません。人間には、地上的でない力が働いています。ですから、動物も植物も病気になるのだから、動物と人間を区別すべきでないという議論は取り除かれねばならないのです。

動物実験から人間の治療のために何も得られないというのではないものの、人間と動物の違いに目をむけるならば、得るものは少ないと言わざるをえません。その差異を明確に認識しなければなりません。医学の発達にとっての動物実験の意味も、そこで問い直されることになります。

 最終的に特定の治療へと導かれ得るものが、人間の本質を正しく把握することといかに密接に関わり合っているか、おわかりだと思います。そして私たちをこの問いの解決へと上昇させることができるはずの、まさに最初の要素を、私は人間と動物の差異から全く意識的に取って参りました。勿論、動物だって病気になる、場合によっては植物も病気になるではないか−−最近は鉱物の病気についてすら議論されています−−だから病気になることについては動物と人間を区別すべきではない、という非難は非常に容易なのではありますが。この非難は後で取り除かれるでしょう。

 しかし人間の医学において前進する目的で動物の本性を単に調べることからは、長い間には医師たちは得るところが少ないということがわかってくると、この差異が認められるでしょう。人間の治療のために動物実験から達成できることが若干あるのは全く確かなのですが−−なぜそうなのかはいずれ判明するでしょう−−、それはやはり、動物と人間の組織の間には極めて細部にいたるまでどんな根本的な差異があるかについて、徹底して明確に認識されている場合のみなのです。従って問題なのは、医学の発達にとっての動物実験の意味をそれに応じた方法でますます明確にしていくことです。

 


 第1講・第9回

 

地上を越えた力に関することは、人間の人格が重要になります。医学を未来に向けて発展させていくためには、医学の本質に関して直観的な能力を磨いていくことが必要なのです。病気や健康に関する個々の生体組織の本質を観ていくためには、その形態観察から推論できるような直観が求められるということです。

 さらに引き続き皆さんに注意していただきたいのは、このような地上を越えた力を指摘せねばならない時は、いわゆる客観的法則、客観的自然法則を常に指摘できる時よりもはるかに、人間の人格が要求されることが多いということです。

 むろん重要となるのは、医学の本質をずっと直観的なものへと調整すること、何らかの関係で病気であったり、健康であったりする人間の生体組織、個々の生体組織の本質を、形態の現象から推論する才能によって、形態観察のための直観が鍛えられているということが、医学の発展においてまた未来に向けて、よりいっそう大きな役割を果たさねばならないということなのです。 

この第一講では、通常の化学や比較解剖学では得られないような精神科学的事実の観察によって到達できるものに目を向けることが目的です。けれど、現状の物質的な薬に霊的な薬を置き換えることが重要なのではなくて、物質的な薬による治療の可能性を霊的に認識し、精神科学的な在り方による治療の可能性を広げていくということなのです。

 こういう事柄は、先に申しましたように、一種の前置き、方向付けのための前置きとしてのみ役立てようと思います。と申しますのも、きょうはここで、化学や通常の比較解剖学によっては到達できないもの、精神科学的な事実の観察に移行する時にのみ到達できるものに、医学は再び目を向けなければならないということを示すことが問題だったからです。このことに関して今日人々はまだ多くの錯誤に身を委ねています。

 医学の霊化のために物質的な薬に霊的な薬を置き換えることが重要であるはずだと考える人もいます。けれども、特定の領域で正当なことは、全体としては正しくないのです。なぜなら、とりわけ重要なことは、物質的な薬剤にどのような治療価値を置き得るのかを霊的なやり方で認識すること、すなわち物質的な薬剤の評価に精神科学を適用することだからです。つまりこれが、私が先に挙げた、人間と他の世界との関係を認識することによる治療の可能性を探すこと、という部分の課題となるでしょう。

ここで重要なのは、個々の病気に関して、しっかりした治療プロセスを基礎づけるために、どちらも自然のプロセスである、正常なプロセスと異常なプロセスとの関連について明確な見解を得るということです。 

 私は、これから特殊な治療プロセスについて語るべきことができるだけ基礎のしっかりしたものであるように、また個別の病気において、これもひとつの自然のプロセスにちがいないいわゆる異常なプロセスと、これもまた自然のプロセスに他ならないいわゆる正常なプロセスとの関連についてひとつの見解が得られることを、できるだけ全てが目指すようにしたいと思います。

 病気のプロセスもやはり自然のプロセスであるということと、そもそもどうやって折り合っていくのかとう問い、この根本的な問いが生じてくる時はいつでも−−これはいわばちょっとした付け足しとして触れておきたいことなのですが−−、人はいつもできる限り早くこの問題から逃げ出そうとするのです。 

19世紀の前半、トロクスラーは、病気の正常さということを指摘していました。つまり、別の世界では正当な法則が、私たちの世界では病気を引き起こすかもしれないということ、その別の世界を認知しなければならない方向へと向かわねばならないことです。彼は、不明確にせよ、その点において、医学という学問の健全化を目指そうとしたのです。

 例えば、トロクスラーはベルンで教鞭をとっていましたが、興味深いことにすでに19世紀の前半に非常に熱心に次のようなことを指摘していました。すなわち、いわば病気の正常さということが探究されねばならないこと、それによって、ある方向へ、つまり私たちの世界と結びついていて、正当でない穴を通ってくるように私たちの世界へすべり込んでくるある種の世界を、結局は認知することに行き着くような方向へと導かれること、そしてそのことによって病気の現象に関して何らかのものに到達しうることを指摘していたのです。考えてもみてください−−ここではざっと図式的に説明するだけにしておきますが−−、何らかの世界、つまりその世界の法則からすれば全く正当な事柄が、私たちの世界では病気の現象を引き起こすようなそういう世界が背後に存在するとしたら、その世界が私たちの世界に入り込んでくるある種の穴を通じて、別の世界においては全く正当な法則が、私たちのところでは災いを引き起こすことも可能なのです。

 トロクスラーはこういうことを目指して努力していました。たとえ彼の述べたことが、少なからぬ点において曖昧で不明確であったにせよ、彼が医学において、まさに医学という学問の健全化を目指す道の途上にあったことは注目に値します。

しかしながら、トロクスラーのそうした学問的意義はまったく注目されませんでした。事典にさえ、そのことが記載されていないのです。

 私はかつて、かのトロクスラーがベルンで教えていた頃、ある友人と、トロクスラーが同僚たちの中でどのように見られていたか、また彼の提案によって何がなされたかを調べてみたことがありました。しかし、大学の歴史について多くの事柄が記されている事典の中でトロクスラーに関して発見できたことはただ、彼は大学で何度も騒動を巻き起こした、ということだけでした。記載されていたのはそのことだけで、彼の学問上の意義については何ら特別なことは発見できなかったのです。 

シュタイナーは、この第一講の最後に、あらためて、今回の講義を受けている医学者に対して、具体的な質問事項、希望を提出するように言っているのですが、それは、この講義をより具体的で実りの多いものにしたいという願いであり、医学に精神科学的認識をより具体的な形で注ぎ込もうとする熱意だといえます。

 さて、先に述べましたように、きょうはこういうことだけを指摘しておくつべることができるように、どうか明日か明後日までに皆さん全員が希望を書いて提出してくださるようお願いいたします。そうして初めて、皆さんの希望から、この連続講演に必要な形式を与えることができるのです。それが最も良いやりかただと思います。どうか実り多いものにしてくださるようお願いいたします。

  (第1講・終了)

 

<註釈(原注より)>

 ・トロクスラー Iganz Paul Troxler,1780-1866

著作「人間の本質へのまなざし」アアラウ、1812

    「人間の認識の自然科学または形而上学」アアラウ、1828

    「哲学に関する講義、人生に関する内容・教育の限界・

     目的及び応用に関する講義」ベルン、1835


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