ルドルフ・シュタイナー

「精神科学と医学」 第一講

1920年 3月21日  ドルナハ

*1998.11.21.改訳


 おそらくほとんどの皆さんが、医療生活の未来に関していろいろと期待しておられるでしょうが、この講座ではそのなかのほんのわずかな部分しか触れることができないのは当然のことかもしれません。と申しますのも、この点については皆さんにもご同意いただけると思いますが、医学の分野における、真の、将来確実な活動は、医学的研究そのものの改革に関わっていると言えるからです。一度の講座で伝えられることだけで、せいぜい何人かの人々にこのような医学的研究の改革に参画しようとする衝動を起こさせるぐらいでは、こういう改革を促進するにはほど遠いのです。とはいえ、今日でも医学の分野で論義されていることは、そのもう一方の極、背景に、医学的活動が解剖学、生理学、及び生理学全般によって準備されるという方法を有していて、こうした準備を通して医師たちの考え方は最初から特定の方向に導かれております。何よりもまず、こうした方向から離れることこそが必要なのです。

 今回の連続講演でお話ししたいことに行き着くために、考察すべきことを以下のような一種のプログラムに分類したいと思います。まず第一に私が皆さんに、今日一般に行われている研究において、真に事実に即した病気の本質そのものを把握することを阻んでいる事柄をいくつか提示したいと思います。続いて私は、医学的活動の真の基盤となり得る人間の認識を、どのような方向に求め得るか、示したいと思います。第三に、人間とその他の世界の関係を認識することによる、合理的な治療の可能性を指摘したいと思います。そしてこの時に、治療というのはそもそも可能であるのか、考えられるのか、という問いに答えたいと思います。さらに四番目に、−−ひょっとするとこれが考察の一番重要な部分かもしれませんが、これは他の三つの観点と組み合わされねばなりません−−参加者の皆さんひとりひとりに、ご自分の希望、すなわち聞いてみたいこと、この講座で話してほしいことを、明日か明後日までに紙片に書き込んでいただきたいのです。どのようなご希望でも結構です。私はプログラムのこの第四の部分によって、これは先ほど申しましたように他の三つの部分にも取り入れられねばなりませんが、皆さんが、聞きたいことが全然聞けなかった、と感じつつこの講習からお帰りにならなくてすむようにしたいのです。ですから、皆さんが質問、希望として書かれたこと全てが消化されるようにこの講座を構成するつもりです。それで明日か、でなければ明後日のこの時間までに、皆さんのご希望を記入していただきたいのです。そうすれば、この講座を実施する枠内である種完璧にするのに一番良いと思われます。

 今日のところは、前置き、方向づけのための考察にとどめておきたいと思います。出発点としたいのは、私は主として、いわば霊学=精神科学的な考察から医師のかたがたに与えることのできる全てを結集するよう努めているということです。私がこれから試みますことが、そういうものであろう医学講座と混同されることは望みませんが、あらゆる点から医師にとって重要と言えることを主として考慮しようと思います。と申しますのも、真の医学あるいは医術というものは、こう言ってよろしければ、やはり、暗示しました意味で考慮に値するあらゆる事柄が、そのような医学あるいは医術の構築のために真に考慮されることによってのみ達成されるからです。

 今日はいくつかの方向づけのための考察から始めるだけにしておきましょう。医師としての皆さんに課題として提示されているものについてお考えになったなら、おそらく皆さんは、「いったい病気とは、病人とはそもそも何なのか?」という疑問に一度ならず遭遇されたことと思います。実際のところ、病気や病人について、あれこれの一見客観的な挿入句で覆われていたとしても、次のような説明以外のものはめったに見いだせません、すなわち、病気のプロセスは、正常な生命プロセスからの逸脱である、人間に作用し、正常な生命プロセスにある人間にはまずもって適合しないある種の事実によって、正常な生命プロセスと生体組織に変化が引き起こされる、そして病気の本質は、肉体部分の、これらの変化に結びついた機能的な侵害にある、といった説明です。けれどもこれは、病気の否定的な規定以外の何物でもないということを認めざるをえないでしょう。病気と関わる時に何らかの助けになるようなことではありません。そして私がここで何にも増して目指したいのは、まさしくこの、病気と関わる時に助けとなり得る実際的なことなのです。この分野で標準になるものに行き着くためにはやはり、時代の流れのなかで成立してきた病気に関する見解に注目するのが良いと思われます。それは、これが現代において病気という現象を把握するのにぜひとも必要だと思うからというよりも、病気についての古くからの見解、この見解はなおも現代のそれにまで通じているのですが、この古い見解を考慮すれば、方向付けがより容易になるからです。

 皆さんがご存知のように、通常、医学の歴史が考察される際、5世紀と6世紀の古代ギリシアにおける医学の成立が指摘され、ヒポクラテス(編集者註 ☆1)(訳註 *1)が指摘されます。そして少なくともその際、ヒポクラテスにおいて見解として現れ、その後いわゆる体液病理学へと続き、根本的には19世紀に入ってもなおある程度重視されていたものによって、あたかも西洋における本質的な医学が展開され始めたかのように感じさせられると言うことができます。しかしながら、このことがすでに、人々の犯す最初の根本的な誤謬であり、これは実際根本においてあとあとまで影響を残し、今日においてなお、病気の本質についてとらわれのない見解に至るのを妨げているのです。この根本的な誤謬をまずは取り除かねばなりません。他ならぬこのヒポクラテスの見解をとらわれなく見る人にとって、ーーこの見解はひょっとするとすでに皆さんお気づきかもしれませんが、ロキタンスキー(☆2)(*2)に至っても、つまり19世紀に入ってもある程度重視されているのですが、このヒポクラテスの見解は単なる始まりではなく、同時に、しかもたいへん重要な程度において、古くからの医学観の終わりなのです。いわばヒポクラテスから始まるものにおいて、私たちは太古の医学観の、最後の濾過された残滓に出会うのです。これら太古の医学観は、今日私たちが探究する方法、つまり解剖学的方法によっては獲得されず、古代から隔世遺伝的に継承されてきた観照法によって獲得されたものなのです。ヒポクラテスの医学の位置づけをまず抽象的に特徴づけようとすると、実際、ヒポクラテス医学をもって、古代から隔世遺伝的に継承されてきた観照法に基づく医学が終わりを遂げた、というのが一番良いでしょう。外的に言って、もっとも外的にしか言われていないのですが、ヒポクラテス派は、人間の生体組織において共に作用している体液の適正でない混合のなかに、あらゆる病気の本質を探究していたと言えるでしょう。彼らが指摘したのは、正常な生体組織において体液はある一定の比率を保っていなければならず、病んだ肉体においては、体液にこの混合比率からのずれが生じるということでした。適正な混合がクラーシス[Krasis]、不適正な混合がディスクラーシス[Diskrasis]と呼ばれました。さて、それから当然、再び適正な混合にもどるように、不適正な混合に働きかけようとする試みがなされました。外界において、あらゆる自然存在を構成しているとみなされた四つの構成要素は、土、水、空気、火ーー火といっても、これは今日私たちがもっぱら熱とよんでいるものなのですがーーです。人間の生体組織においては、ーー動物の生体組織においてもーーこれらの四要素は、黒胆汁、黄胆汁、粘液、血液として特徴づけられていると見なされました。そして、適正に混合された血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から、人間の生体組織は機能しなければならないと考えられたのです。

 さて、今日の人間が、そうできる限り科学的に準備してこのようなことに近づくなら、まずは次のように考えるでしょう、つまり、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁が混ざり合うというのは、これらに特性として内在しているもの、多かれ少なかれ、低次あるいは高次の化学により特性としての配列を確認できるものに従って混ざり合っているのだ、と。実際こういう光に照らして、あたかもヒポクラテス派もこういう方法でのみ血液、粘液その他を見ていたかのように、体液病理学が端を発したと想定されているのです。しかし、そうではありません。そうではなく、ただ一つの要素、今日の観察者にとって本来最もヒポクラテス的だと思われる黒胆汁についてのみ、通常の化学的特性が他のものに作用すると考えられたのです。他の全てのもの、白胆汁や黄胆汁、粘液、血液に関しては、単に化学的反応によって確認できる特性のことが考えられていたわけではなく、人間の生体組織のこの液体的要素の場合ーー常に人間の生体組織に限定し、動物の生体組織についてはさし当たり考慮しませんがーー、これらの液体は、私たち地上的な存在の外部にある諸力の、それぞれの液体に内在する特性を有している、と考えられたのです。つまるところ、水、空気、熱が地球外の宇宙の諸力に依存していると考えられたように、人間の生体組織のこれらの要素も地球の外部からやって来る諸力に浸透されていると考えられたのです。

 このような地球の外部からやって来る諸力への視点は、西洋の科学の発展にともなって全く失われてしまいました。ですから、今日の科学者が、水は単に化学的に検証できるものとして与えられた特性のみではなく、それが人間の生体組織のなかに働きかけることによって、地球外の宇宙に属するものとしての特性も持っているのだと考えるよう要求されるなら、彼らにとって、それは全く奇妙なことと思われるでしょう。つまり、人間の生体組織の中にある液体要素を通じて、古代の人々の見解によれば、この生体組織の中へと、宇宙そのものに由来する諸力の作用がもたらされるのです。この、宇宙そのものに由来する諸力の作用は、次第次第ににかえりみられなくなっていきました。とは言え、15世紀までは、医学的思考はまだ、私たちがヒポクラテスにおいて出会う濾過された見解の、いわば残滓の部分に基づいていました。従って、今日の科学者にとって、そもそも15世紀以前の医学的古文献を理解することは困難なのです。なぜなら、当時それを書いた人々の大多数は、自分の書いたものを彼ら自身秩序立てて理解してなどいなかったと言わねばならないからです。彼らは、人間の生体組織の四つの基本要素について語りましたが、彼らがこれらの基本要素をあれこれの方法で特徴づけた根拠は、本来ヒポクラテスとともに没落してしまった智慧へと遡るものなのです。こうした智慧がのちに及ぼした作用、人間の生体組織を構成する液体の特性についてはなおも語られていました。従って、ガレノス(☆3)(*3)によって成立し、その後15世紀に至るまで影響をおよぼしたものは、基本的に、次第次第に理解不能になっていった古代の遺産の組み合わせなのです。しかしながら、まさしくそこに在るものから認識することのできた人々が常に少数存在していました。つまり彼らは、化学的に確認しうるものや物理的に確認しうるもの、すなわち純粋に地上的なものに汲み尽くされない何物かを指摘できることを知っていたのです。人間の生体組織においては、化学的に合成するのとは別な仕方でその中の液体的な実質を作用させる何物かが指摘されうる、ということを知っていた人々、つまり世に知られた体液病理学と闘った人々の中に、パラケルスス(☆4)(*4)とファン・ヘルモント(☆5)(*5)ーーその他の名前を挙げることもできますがーーがいます。彼らはちょうど15、16世紀から17世紀への変わり目に、言うならば他の人々がもはや明確に表現しなくなったことを、まさしく明確に表現しようと試みることで、医学的思考の中に新たな動向をもたらしたのです。この表現のなかにはしかし、人々がいくらか霊視的であった時にのみ本来追求し得たものが含まれていました。実際のところパラケルススとファン・ヘルモントが霊視的であったことは明らかです。私たちはこうした事柄すべてを明確にしておかねばなりません。さもなければ、今日なお医学用語に定着してはいるけれども、その起源についてはもはや全く知られていないものについて、理解することはできないでしょう。こうして、パラケルススと後に彼の影響を受けた他の人々は、生体組織における作用の基盤としてアルケウス[Archaeus](*6)というものを想定しました。私たちがおおよそ人間のエーテル体について語るように、彼はこのアルケウスを想定したのです。

 パラケルススのようにアルケウスについて語る(☆6)なら、私たちがエーテル体について語るようにアルケウスについて語るなら、存在してはいるけれどもその本来の起源については追求されていないものが統一されます。なぜなら、その本来の起源を追求するとなれば、次のような方法をとらざるをえないからです。人間は、地上的なものから作用する諸力から本質的に構成されている物質的な生体組織を有する、と言わねばなりません。私たちの物質的な生体組織はいわば地球の組織全体の切り取られた一片です。そして私たちのエーテル体とパラケルススの言うアルケウスは、地球には属さない、すなわち宇宙のあらゆる方向から地上的なものへと作用するものの一片です。つまるところパラケルススは、以前はもっぱら人間における宇宙的なものとみなされていてヒポクラテス医学とともに没落したものを、物質的な組織の根底にあるエーテル的組織という彼の見解において統合的に見たわけです。彼は、このアルケウスにおいて本来作用しているものがどのような地上を越えた諸力と関係しているのか、それ以上は研究しませんでしたーーなるほど個別的に暗示はしましたが、それ以上は研究しなかったのです。

 さて、当時もともと意味されていたことが、どんどん理解されなくなっていったと言うことができます。とりわけこのことが明白になってくるのは、私たちが17、18世紀と進んで、シュタール(☆7)(*7)医学に出会う時です。ここにいたっては、この、宇宙の地球的なのものへの作用についてはもはやまったく理解されていません。スタール医学は純粋に空気中に漂っているあらゆる可能な概念、生命力、生命霊についての概念を利用します。パラケルススとファン・ヘルモントは、人間の本来霊的ー魂的なものと物質的な生体組織との間にあるものについて、まだある程度意識的に語っていましたが、一方、シュタールとその信奉者たちは、あたかも意識的ー魂的なものが別の形をとってのみ人間の身体の構造付与に働きかけるかのように語りました。このことによって彼らはむろん強い反動を呼び起こしました。なぜならこのような方法をとって、一種の仮説的な生気論[Vitalismus]を打ち立てると、結局は純粋に恣意的な提示になってしまうからです。このような提示にとりわけ対抗したのは19世紀です。例えば、エルンスト・ヘッケル(☆8)の師で1858年に亡くなったヨハネス・ミュラー(☆9)(*8)のような偉大な精神のみが、人間の生体組織に関するこういう不明確な言い方に由来するあらゆる害悪を克服してそれを越えて行ったのだと言うことができます。この不明確な言い方というのは、人間の生体組織において作用しているという生命力について、それがどのように作用しているのかはっきりと考えることなしに、もっぱら魂的な力について語るように語ってしまったことなのです。

 さて、こうしたことすべてが起こっている間に、全く別の流れが現れてきました。私たちは今までいわば、流れ去っていくものをその最後の余波まで追求してきたわけですが、近代とともに、とりわけ19世紀の医学上の概念形成にとって今度は別の仕方で決定的となったものが到来したのです。結局それは、18世紀の、法外に強力な決定的影響を与えた唯一の著作、パドゥアの医師モルガーニ(☆10)(*9)の『解剖所見による病気の所在とその原因について』 にさかのぼります。モルガーニとともに、根本において医学における唯物主義的な傾向を導いたものが到来したのです。こういうことは、共感、反感をまじえずにまったく客観的に特徴づけられねばなりません。と申しますのも、この著作とともに到来したものは、人間の生体組織が病んだ結果に目を向けさせるものだからです。決定的なものとなったのは、死体鑑定でした。死体鑑定が決定的なものとなったと言えるのは、実際この時代からなのです。人々は死体から、病名は何であれ、何らかの病気が作用すると、いずれかの器官が何らかの変化をこうむるにちがいないということを知りました。今や、何らかの変化を他ならぬ死体鑑定から研究するということが始まったのです。実際ここではじめて病理学的解剖学が始まります。他方、医学のなかに以前からあったものはすべて、なおも作用し続けている古代の霊視的な要素に依拠していました。 

 さて興味深いのは、言うなれば、大きな転換がそれから一挙に最終的に起こったことです。実際直接、20世紀を示すことができるのです。興味深いことに、20世紀に大きな転換が成し遂げられ、それによって古くからの遺産としてまだ存在していたものがすべて捨て去られ、さらに現代の医学制度における原子論的ー唯物論的な見解が基礎付けられたのです。ちょっと努力して、1842年に出版されたロキタンスキー(☆11)の『病理学的解剖学』を調べてごらんになれば、ロキタンスキーにおいてはまだ、古代の体液病理学の名残り、つまり病気は体液の正常でない相互作用に基づく、という見解の名残りが存在していることがおわかりになるでしょう。このような体液の混合に注目せねばならないとする見解ーーこれができるのは、体液の地球外的な特性についての見解の遺産を有している時だけなのですがーーこの見解はロキタンスキーによって非常に機知に富んだやり方で器官の変化の観察と結びつけて処理されました。つまり、ロキタンスキーの書物はもともと常に器官の変化の死体鑑定による観察を根拠としているのですが、これが、このような特殊な器官変化は体液の異常な混合の影響によって生じてきたのだ、という指摘に結びついているのです。ですから、古代の体液病理学の遺産から現れた最後のものは1842年にあったと言いたいのです。この古代の体液病理学の没落の中に、例えばハーネマン(☆12)(*10)の試みのような、包括的な病気の表象を考慮に入れるという未来指向的な試みが、いかに投入されたか、これについては後日お話していこうとおもいます。これは単に前置きで取りあげるにはあまりに重要なことですから。まずは同様な試みとの関連において、それから個々の場合において議論されねばなりません。

 さて今度は、ロキタンスキーの『病理学的解剖学』出版後の20年間が、医学の本質の原子論的ー唯物論的考察にとっての本来の基礎をなす期間となったことに注目してみたいと思います。古くからのものは、奇妙なことになおも19世紀前半に形成された表象の中に入りこんでいるのです。ですから、例えば、植物細胞の発見者と言えるシュヴァン(☆13)(*11)はなお、細胞形成の根底には、ある種の形式化されてない液体形成、彼が胚胞とみなした液体形成があるという見解を持っていますが、この液体形成から細胞核が硬化し、細胞原形質が周囲に分化するのを観察するのは興味深いことです。シュヴァンがなお、細分化していく方向に流れる特性を内在させている液体的要素に依拠していること、そしてこの細分化を通して細胞的なものが発生することを観察するのが興味深いのです。さらに興味をひくのは、人間の生体組織は細胞から構成されている、という言葉で総括し得る見解が、その後次第次第に形成されていくのを追求することです。細胞は一種の基本的有機体であり、人間の生体組織は細胞から構成されている、という見解は、実際今日あたりまえになっているものでしょう。

 さて、シュヴァンがなおもその行間に、いやその行間以上に、と申し上げたいのですが、有していたこの見解は、つまるところ古代の医学の本質の最後の名残りなのです。なぜならこの見解は原子論的なものには向けられないからです。この見解は、原子論的に現れてくるもの、細胞質を、きちんと観察すれば決して原子論的には観察できないもの、つまり液体的な何かから生じてくるものとして観察します。この液体的なものが力を内在させていて、この力が自らのうちから原子論的なものを分化していくというのです。19世紀の40年代と50年代のこの20年間に、より普遍的であった古代の見解は終焉に向かい、原子論的な医学的見解が黎明を迎えます。1858年にウィルヒョウ(☆14)(*12)の『細胞病理学』が出版されたのがまさしくその時でした。実際この二つの著作、つまり1842年のロキタンスキーによる『病理学的解剖学』と、1858年のウィルヒョウの『細胞病理学』の間に、近代の医学的思考における大きな飛躍的転回を見出さねばなりません。この細胞病理学により根本的に、人間に現れてくるものはすべて細胞作用の変化から推論されるようになります。公的な見解にしたがって、すべてを細胞の変化に基づいて構築することが理想とみなされます。ある器官組織の細胞の変化を研究し、この細胞の変化から病気を理解しようとすることにこそ理想が見出されるのです。こうした原子論的観察は実際容易なものです。つまるところそれは自明の理とでも言うべきものなのですから。すべてをこのように容易に理解できるように作りあげることができます。こうして、近代科学はあらゆる進歩をとげたとはいえ、この科学はあいもかわらずすべてを容易に理解することを目指し、自然の本質と宇宙の本質はきわめて複雑なものなのだということを考えてもみないのです。

 さてこれは簡単に実験で確かめられるでしょうが、例えばアメーバは水中でその形を変化させ、腕のような突起を伸ばしたり、また縮めたりします。それからアメーバが泳いでいる水を暖めたとします。すると、ある特定の温度になるまでは、突起を伸ばしたり縮めたりするのがだんだん活発になるのがわかります。その後、アメーバは収縮してしまい、もはや周囲の媒体で起こっている変化について行けなくなります。また、この液体のなかに流れを作り出すと、アメーバはその体を球状にし、流れをあまりに強くすると、最後には破裂してしまうのが観察されます。このように個々の細胞が環境の影響によってどのように変化するかを研究し、そこから、いかに細胞の本質の変化により次第に病気の本質が構築されるかという理論を形作ることができるわけです。

 20年間に起こった転換によって到来したもの、これらすべての本質とは何なのでしょうか。この時ひき起こされたものは、今日公認された医学のすべてを貫いているものの中に実際生き続けています。この時ひき起こされたものの中に生きているのはやはり、まさしく唯物論的な時代に形成された、世界を原子論的に理解しようとする傾向に他なりません。

 さて、次のようなことに注意してくださるようお願いいたします。私は、今日医学に携わっている人は必然的に、そもそも病気とはいったいいかなるプロセスなのか、という疑問を提示せざるをえない、ということに皆さんの注意を向けることから出発いたしました。病気は、人間の生体組織のいわゆる正常な状態からいったいどのように区別されるのでしょうか。と申しますのも、このような逸脱に関するポジティブな観念をもってのみ活動もできるというものなのに、公認の科学において通常見出され、与えられる表現は結局ネガティブなものでしかないからです。もっぱらこのような逸脱があると指摘されるだけなのです。それから、この逸脱をいかにして取り除けるかが試されます。けれども人間の本質に関する透徹した見解はそもそもそこにはないのです。人間の本性に関するこういう透徹した見解が欠けているということにおいて、根本的に、私たちの医学的見解全体が病んでいるのです。いったい病気のプロセスとは何なのでしょうか。やはり皆さんは、それは自然のプロセスであると言わざるをえないでしょう。外部で進行していてその結果を追求できる何らかの自然のプロセスと、病気のプロセスとの間に、すぐさま抽象的な区別を立てることはできないのですから。自然のプロセス、皆さんはこれを正常と称し、病気のプロセスを異常と称します。その際、人間の生体組織におけるこの病気のプロセスがなぜ異常なものなのかについては注意しておられません。少なくともこのプロセスがなぜ異常なのか説明できなくては、実際のところ実践に移ることはできないのです。説明できてはじめて、このプロセスをいかにして終結させることができるかを探究していけるのです。そうすることによってはじめて、このような病気のプロセスを取り除くことは、宇宙に存在するもののどの一隅から可能なのかという問題に行き着くことができるからです。つまるところ異常とみなすこと自体が妨げになるのです。いったいなぜ、人間における相当数のプロセスが異常とみなされねばならないのでしょうか。私が指を切ったとしても、それは人間にとって単に相対的に異常であるだけなのです。私が自分の指を切るのではなく、一片の木材を何らかの形に切るとしたら、これは正常なプロセスといえるからです。自分の指を切ると、これを異常なプロセスと呼ぶわけです。おわかりでしょうか、自分の指を切るのとは違うプロセスの方を追求するのに慣れているということによっては、実際何も語られはしないのです。単なる言葉遊びが世に広まっているにすぎません。なぜなら、私が自分の指を切る時に起こっていることは、ある側面からすれば、その経過においては他の何らかの自然のプロセスと全く同様に正常なものと言えるからです。

 さて、次のようなことに行き着くのが課題です。つまり、私たちが病気のプロセスと呼んではいるけれども、根本においては全く正常なプロセスであり、ただ、特定の原因によって引き起こされたにちがいないプロセスと、私たちが通常健康なプロセスとみなしている日常的なプロセス、人間の生体組織におけるこの二つのプロセスの間にどのような差異があるのかということです。この決定的な差異が見出されねばなりません。この差異は、真に人間の本質へと導く観察方法に立ち入ることができなければ、見出すことはできないでしょう。この導入部において私は皆さんにそのための少なくとも最初の基礎を示しておきたいと思います。その後あらためて個別的に詳しくお話していくつもりです。

 ご理解いただけるでしょうが、私はこのたびの回数のかぎられた講演において、主として皆さんが通常書物や講演では見出せないことをお話しております。けれども、その前提としておりますのはまさに通常見出せるものなのです。皆さんにも通常おなじみであるような理論を私が並べ立てることはさして価値があるとも思えません。ですからここで、人間の骨格と、いわゆる高等なサルであるゴリラの骨格を思い浮かべていただいて、見てとれることを単純に比較すれば明らかになることを参照していただきます。両者の骨格を純粋に外的に比較してみると、本質的なこととして、ゴリラの場合にはもっぱら下顎組織全体が特に大きく発達していることに気づかれるでしょう。この下顎組織はいわば頭骨全体の中で負荷としてあり、それでゴリラの頭部をその大きな下顎とともに見ると、この下顎組織は何らかの方法で負荷をかけられており、骨格全体が前に突き出ている、そしてゴリラは、言うなれば、とりわけ下顎で働いているこの負荷に逆らって、幾分苦労して直立している、と感じられます。(図)

 

 手の部分を伴う前膊部の骨格に目を向けると、ゴリラと同じ負荷システムを人間の骨格にも見出すことができます。これらは重力的に作用しますが、ゴリラの場合はすべてがかさばっているのに対し、人間の場合はすべてが精密繊細に分化されています。

人間の場合は量が目立たないのです。下顎組織と、指の組織をともなう前膊組織というまさにこの部分において、人間においては量的なものが目立たず、ゴリラの場合には量的なものが目立つのです。こういう関係に対して観察眼を鋭くした人は、足および下肢の骨格にも同様のものを追求できます。ここにも、ある特定の方向に圧力をかけるいわば負荷的なものがあるのです。これらの力ーーーこれらは下顎組織、腕の組織、脚および足の組織に見出せるのですがーーーをこういう線によって図式的に描いてみたいと思います。(図)

 ゴリラの骨格と人間の骨格を純粋に観察することから差異として現れてくること、すなわち、人間においては下顎は後退していてもはや負荷がかかっておらず、腕および指の骨格は精密に形成されていることに着目していただければ、人間の場合は至る所で上昇しようとする力がこれらの力に対抗している、と言わざるをえないでしょう。人間においては一種の力の平行四辺形から形成されるものを設定しなければならないのです。これはこの上に向かう力から生じるもので、この力をゴリラは外的にのみ習得していて、それはゴリラが直立し、直立しようとする努力のなかに見出せます。こうして次のような線で描かれた平行四辺形が得られます。(図)

 さてきわめて奇妙なことは、今日私たちは通常、高等動物の骨あるいは筋肉を人間のそれと比較することに限定していて、その際、これらの形態の変化には重点を置かないということです。本質的で重要なことは、こういう形態の変化を見るということの中に求められねばなりません。ごらんのように、ゴリラにおいてその形態を形成している力、この力に逆らって作用するような力が存在せねばならないからです。実際こういう力が存在せねばならず、こういう力が働いていなければならないのです。私たちがこういう力を探すとすれば、古代の医学がヒポクラテス的な体系によって濾過された際に捨て去られたものを再び見出すことになるでしょう。さらに、こういう力は地上的自然の力の平行四辺形の中にあって、力の平行四辺形の中で地上的な力と合成され、その結果今や地上的な力を起源とせず、地上を越えた、地球外的な力を起源とする合力が成立することがわかるでしょう。こういう力を私たちは地上的なものの外に求めなければなりません。私たちは人間に直立姿勢をもたらした牽引力を求めなければなりませんが、この牽引力は単に、高等動物にも時おり見られるような直立姿勢をもたらすのみではなく、直立姿勢の中で作用している力が同時に形成力でもあるようなありかたで直立姿勢をもたらすものなのです。サルは直立歩行しますが、量的にそれに逆らって働く力を有しているかどうか、あるいは人間はその骨組織の形成が地上的でない起源を持つ力の方向に作用しているかどうか、これが相違点なのです。人間の骨格の形を正しく見れば、個々の骨を記述して動物の骨と比較することに限定されることはありません。人間の骨格構造におけるダイナミズムを追求すれば、地球の他の領域にこれを見出すことはできない、私たちがここで出会う力は、他の力と合わせて力の平行四辺形を作らねばならないそういう力なのだ、と言うことができるのです。私たちが単に人間の外部にある力に注目しているだけでは発見できない合力が成立しているのです。ですから動物から人間へのこの飛躍を一度きちんと追求してみることが重要となるでしょう。そうすれば単に人間のみならず動物の場合にも、病気の本質の起源を見出すことができるでしょう。私は皆さんにこういう要素を少しずつしか指摘できませんが、さらに進むうちに、これらから非常に多くのことを発見できるでしょう。

 さて今ご説明したことと関連して今度は次のようなことをお話したいと思います。骨組織から筋肉組織に移ると、私たちは筋肉の本質におけるこの重要な差異を見出すわけですが、つまり、通常の化学的作用に留意するなら、静止している筋肉はアルカリ性の反応を示す、ということです。ただし、静止している筋肉の場合、アルカリ反応はその他の場合ほど絶対的に明確には現れないので、アルカリ性に似たと言えるだけなのですが。活動している筋肉の場合もやはりあまり明確でない酸性反応が働いています。さて考えてみてください、当然のことながら、筋肉はまずもって新陳代謝に応じて、人間が摂取したものから構成されています。つまり筋肉はいわば、地上的な物質の中に存在している諸力の成果なのです。けれども人間が活動し始めるとともに、筋肉が単に通常の新陳代謝の支配下にあることによって自らのうちに有しているものが、次第に明確に克服されます。筋肉に変化が現れるのです。この変化はつまるところ、通常の新陳代謝に応じた変化に対して、人間の骨の形成に作用している力と比較する以外にないものです。人間の場合こういう力が外から取り入れたものを越えていくように、またこういう力が地上的に貫かれて、それらと合一して合力を形成するように、筋肉のなかで新陳代謝における作用として現れるものとならんで、地上的な化学の中に化学的に作用するものにも目を向けなければならないのです。ここでは、もはや私たちが地上的なものの中には見出せない何かが、地上的な力学、動力学の中へと作用を及ぼしていると言えるかもしれません。新陳代謝の場合、地上的な化学の中に、地上的でない化学であるもの、地上的な化学の影響下においてのみ出現可能な作用とは別の作用をもたらすものが作用を及ぼしているのです。

 私たちが本来人間の本質にあるものを見出そうとするならば、このような、一面においては形態観察であり、他面においては質の観察であるような観察を出発点とせねばならないでしょう。ここで再び、失われてしまったものへの帰路が、病気の本質を単に形式的に定義することにとどまりたくなければ、ぜひとも必要なものへの帰路が開けてくることでしょう。実際形式的な定義のみでは実践においてあまり多くをてがけられないのです。なぜなら、考えてもみてください、非常に重大な問題が発生するのです。私たちは根本的に、私たちの環境から、地上的な薬物のみを取り入れてきました。その薬で変化をきたした人間の生体組織に働きかけることができるのです。けれども人間においては、地上的でないプロセス、あるいは少なくともそのプロセスを地上的でないプロセスにする力が作用しています。従って次のような問いが出てくるのです、つまり、私たちが病んだ生体組織とその物質的な地球環境との間に相互関係として引き起こすもののなかに、いかにして、病気の状態から健康な状態へと導く相互作用を呼び起こすことができるのか、という問いです。私たちがいかにしてこのような相互関係を引き起こすことができるのか、その結果、この相互関係を通じて実際に、人間の生体組織の中で活動している力に影響を及ぼすことができるのか、ということです。この力は、たとえそのプロセスが食餌療法のための指示などであったとしても、私たちがそこから薬物を選べるようなプロセスが現れているもののなかには現れてこない力なのです。

 最終的に特定の治療へと導かれ得るものが、人間の本質を正しく把握することといかに密接に関わり合っているか、おわかりだと思います。そして私たちをこの問いの解決へと上昇させることができるはずの、まさに最初の要素を、私は人間と動物の差異から全く意識的に取って参りました。勿論、動物だって病気になる、場合によっては植物も病気になるではないかーー最近は鉱物の病気についてすら議論されていますーーだから病気になることについては動物と人間を区別すべきではない、という非難は非常に容易なのではありますが。この非難は後で取り除かれるでしょう。人間の医学において前進する目的で動物の本性を単に調べることからは、長い間には医師たちは得るところが少ないということがわかってくると、この差異が認められるでしょう。人間の治療のために動物実験から達成できることが若干あるのは全く確かなのですがーーなぜそうなのかはいずれ判明するでしょうーー、それはやはり、動物と人間の組織の間には極めて細部にいたるまでどんな根本的な差異があるかについて、徹底して明確に認識されている場合のみなのです。従って問題なのは、医学の発達にとっての動物実験の意味をそれに応じた方法でますます明確にしていくことです。

 さらに引き続き皆さんに注意していただきたいのは、このような地上を越えた力を指摘せねばならない時は、いわゆる客観的法則、客観的自然法則を常に指摘できる時よりもはるかに、人間の人格が要求されることが多いということです。むろん重要となるのは、医学の本質をずっとインテュイション的なもの[Das Intuitive]へと調整すること、何らかの関係で病気であったり、健康であったりする人間の生体組織、個々の生体組織の本質を、形態の現象から推論する才能によって、形態観察のための直観が鍛えられているということが、医学の発展においてまた未来に向けて、よりいっそう大きな役割を果たさねばならないということなのです。

 こういう事柄は、先に申しましたように、一種の前置き、方向付けのための前置きとしてのみ役立てようと思います。と申しますのも、きょうはここで、化学や通常の比較解剖学によっては到達できないもの、精神科学的な事実の観察に移行する時にのみ到達できるものに、医学は再び目を向けなければならないということを示すことが問題だったからです。このことに関して今日人々はまだ多くの錯誤に身を委ねています。

 医学の霊化のために物質的な薬に霊的な薬を置き換えることが重要であるはずだと考える人もいます。けれども、特定の領域で正当なことは、全体としては正しくないのです。なぜなら、とりわけ重要なことは、物質的な薬剤にどのような治療価値を置き得るのかを霊的なやり方で認識すること、すなわち物質的な薬剤の評価に精神科学を適用することだからです。つまりこれが、私が先に挙げた、人間と他の世界との関係を認識することによる治療の可能性を探すこと、という部分の課題となるでしょう。

 私は、これから特殊な治療プロセスについて語るべきことができるだけ基礎のしっかりしたものであるように、また個別の病気において、これもひとつの自然のプロセスにちがいないいわゆる異常なプロセスと、これもまた自然のプロセスに他ならないいわゆる正常なプロセスとの関連についてひとつの見解が得られることを、できるだけ全てが目指すようにしたいと思います。病気のプロセスもやはり自然のプロセスであるということと、そもそもどうやって折り合っていくのかという問い、この根本的な問いが生じてくる時はいつでも−−これはいわばちょっとした付け足しとして触れておきたいことなのですが−−、人はいつもできる限り早くこの問題から逃げ出そうとするのです。例えば、トロクスラー(☆15)はベルンで教鞭をとっていましたが、興味深いことにすでに19世紀の前半に非常に熱心に次のようなことを指摘していました。すなわち、いわば病気の正常さということが探究されねばならないこと、それによって、ある方向へ、つまり私たちの世界と結びついていて、正当でない穴を通ってくるように私たちの世界へすべり込んでくるある種の世界を、結局は認知することに行き着くような方向へと導かれること、そしてそのことによって病気の現象に関して何らかのものに到達しうることを指摘していたのです。考えてもみてくださいーーここではざっと図式的に説明するだけにしておきますがーー、何らかの世界、つまりその世界の法則からすれば全く正当な事柄が、私たちの世界では病気の現象を引き起こすようなそういう世界が背後に存在するとしたら、その世界が私たちの世界に入り込んでくるある種の穴を通じて、別の世界においては全く正当な法則が、私たちのところでは災いを引き起こすことも可能なのです。トロクスラーはこういうことを目指して努力していました。たとえ彼の述べたことが、少なからぬ点において曖昧で不明確であったにせよ、彼が医学において、まさに医学という学問の健全化を目指す道の途上にあったことは注目に値します。

 私はかつて、かのトロクスラーがベルンで教えていた頃、ある友人と、トロクスラーが同僚たちの中でどのように見られていたか、また彼の提案によって何がなされたかを調べてみたことがありました。しかし、大学の歴史について多くの事柄が記されている事典の中でトロクスラーに関して発見できたことはただ、彼は大学で何度も騒動を巻き起こした、ということだけでした。記載されていたのはそのことだけで、彼の学問上の意義については何ら特別なことは発見できなかったのです。

 さて、先に述べましたように、きょうはこういうことだけを指摘しておくつもりでした。皆さんの希望されることを取り入れつつ私の意図するところを述べることができるように、どうか明日か明後日までに皆さん全員が希望を書いて提出してくださるようお願いいたします。そうして初めて、皆さんの希望から、この連続講演に必要な形式を与えることができるのです。それが最も良いやりかただと思います。どうか実り多いものにしてくださるようお願いいたします。

(第一講・終了)

 

 

□編集者註

☆1 ヒポクラテス:Hippokrates 紀元前460-377

☆2 ロキタンスキー:Karl Freiherr von Rokitansky 1804-1878 病理解剖学教授。『病理解剖学教本』3巻、ウィーン、1842-1846

☆3 ガレノス:Claudius Galenus 131ー200頃 ガレノス著作全集20巻、ライプツィヒ、1821-1833

☆4 パラケルスス:Philippus Aureolus Paracelsus Theophratus von Hohenheim1493-1541 著作全集多数、たとえばズートホッフ[Sudhoff]版。

☆5 ファン・ヘルモント:Johann Baptist van Helmont 1577-1644

☆6 パラケルススのようにアルケウスについて語る:『オープス・パラミールム』

☆7 シュタール:Georg Ernst Stahl 1577-1644 アニミズム(物活説)の代表者。

☆8 エルンスト・ヘッケル:Ernst Haeckel 1834-1919

☆9 ヨハネス・ミュラー:Johannes Mueller 1801-1858  ベルリン大学生理学教授。

☆10 モルガーニ:Giovanni Battista Morgani 1682-1771  主著『解剖所見による病気の所在と原因について』ヴェニス、1761、ドイツ語版 アルテンブルク、1771-1776

☆11 ロキタンスキー:☆2参照。

☆12 ハーネマン:Christian Friedrich Samuel Hahnemann 1755-1843 ホメオパシー[Homoeopathie]の創始者。 主著『合理的治療学のオルガノン』ドレスデン、1810

☆13 シュヴァン:Theodor Schwann 1810-1882リエージュおよびレーヴェン大学解剖学ー生理学教授。 主著『動物と植物における構造と成長の一致に関する顕微鏡研究』ベルリン、1839

☆14 ウィルヒョウ:Rudolf Virchow 1821-1902  ヴユルツブルクおよびベルリン大学病理解剖学教授。 「病理解剖学および生理学、治療医学のためのアルヒーフ」をフロリープと共同で設立。『生理学および病理学的組織学に基づく細胞病理学に関する講義』(ベルリン、1859)において細胞病理学を詳述。

☆15 トロクスラー:Ignaz Paul Vital Troxler 1821-1902  著書『人間の本質へのまなざし』アアラウ、1812 『人間の認識の自然科学または形而上学』アアラウ、1828 『哲学に関する講義、人生に関する内容・教育の限界・目的及び応用に関する講義』ベルン、1835

 

□訳註

*1 ヒポクラテス:Hippokrates 紀元前460-377

   ヒポクラテスはBC460年頃エーゲ海の一島コスCosに生まれ、父はヘラクレイデスという医者であった。コスにはアスクレピオスの大きい神殿があり、ギリシャ医学の中心地であった。若いヒポクラテスは初め父からコス派の医術を学び、それからギリシャ国内を巡歴して遠くエジプトの北部まで足をのばし、いたる所で他の流儀をも学び、豊かな経験を身につけた。遊歴する医者Periodeutとして生涯を送ったが、アテネやコスには比較的長く住んだと言う。晩年にはテッサリアに行き、ラリッサにおいて没した。

*2 ロキタンスキー:Karl Freiherr von Rokitansky 1804-1878

*3 ガレノス:Claudius Galenus 131ー200頃

  ガレヌスはヒポクラテスと並んで西洋の古代医学の二大巨匠とされる。古代の医学を集大成し自らも多くの価値ある実験を行い、著作の量も膨大であり医学を系統だてた。彼は実験生理学の創始者ということができ、その学説は十数世紀にわたって欧州やアラビアで金科玉条とされた。

*4 パラケルスス:Philippus Aureolus Paracelsus Theophratus von Hohenheim 1493-1541

  スイスのチューリッヒ近郊アインジーデルンに1493年に生まれる。フェラーラで医学をおさめ、その後欧州各地を遍歴して実地医学を身につけ、自然の観察と実験にもとづく独自の医学を確立する。1527年、市医および大学教授としてバーゼルに招聘されたが、アカデミックな環境、伝統的な生活様式や職業的慣例に順応できず、結局市議会と衝突してバーゼルを去る。その後も各地を遍歴しつつ診療と著述をなし、1541年、ザルツブルグで没した。独特の文体を駆使したその著述は、生理学、病理学、衛生学、内科学、外科学といった医学の全分野から、錬金術、一般博物学にまで及ぶ。 

*5 ファン・ヘルモント:Johann Baptist van Helmont 1577-1644 

  ブリュッセルに生まれて、まずルーヴァンで哲学を学び、ついで法律に転じてその後に医学をおさめた。二十二歳でドクトルとなり、五年間諸地をめぐって後に郷里で開業した。化学実験を多く行なったが、パラケルススと同様自然神秘思想的傾向を強く有している。

  1624年異端の疑いを受けてその裁判が二十年も続き、投獄されたこともある。酵素作用の重要性を認め、またガスという言葉を創始したと言われる。

*6 アルケウス

  K.ゴルトアンマー『パラケルスス』(みすず書房)より;

  植物にも、生命の精気(Lebensgeist)は与えられており、「表徴者アルケウス」(ArchaeusSignator)がすでに植物の外形に、その本性と治癒力との表徴を刻印している(たとえばアザミは内蔵の刺痛に効くとされている)。「アルケウス」は、世界の大いなる原理の一つなのだ。やはりアルケウスも、宇宙的な生命力であり、原動力なのである。それは、自然における秩序原理、もしくはエンテレヒーと解することができる。アルケウスは、「諸力を秩序だてる者」であり、「配置者」(dispensator)であり、アルケウス直属の「職工」が、水銀・硫黄・塩なのである。アルケウスを配置したのは神であり、それはパン職人やブドウ栽培者と同じ働きをする。その仕事は、アタナール(化学炉)内での錬金術的課程に模することができる。ついには大宇宙全体がアルケウスと同一視されることにもなる。とはいえ、アルケウスが一個の個体原理であることに変わりはない。(P53)

*7 シュタール:Georg Ernst Stahl 1660-1734

 ホフマン、ブールハーヴェとともに、医学界の三巨匠とされた。彼らは体系学者と呼ばれる。物理派と化学派を統合し、ライプニッツの思想を加えて、生命や病気の解釈を体系化しようとした。  

*8 ヨハネス・ミュラー:Johannes Mueller 1801-1858

 ライン河畔のコブレンツに靴屋の子として生まれた。ボン大学で医学をおさめるが、そのときの解剖学への深い傾倒が、その後実物に即してのみ考える習慣をもつのに大いに役立ったという。ついでベルリンで生理学者のルドルフィに学び、またボンに帰り、1830年正教授となる。3年後にベルリン大学に転じて、解剖学、生理学、病理学を一人で兼ね教えた。生理学では神経系と感覚器に関する研究を多く行い、解剖学ではとくに生殖器の発生などについて業績をあげた。動物学、発生学、比較解剖学、生理学、化学、心理学、病理学など、あらゆる方面で活躍した。病理解剖学では顕微鏡を用いる方向に深く進んだ。その著書『人体生理学全書』は、この世紀の金字塔と言われる。

*9 モルガーニ:Giovanni Battista Morgani 1682-1771 

 フォルリに生まれ、ボローニャで医学をおさめ、19歳のとき、解剖学者ヴァルサルヴァの助手になった。29歳の時パドアの解剖学教授となり、90歳の高齢で没するまでその職にあった。多数の人体解剖を生前の病状と照らし合わせながら地道に行い、それをまとめた大著「解剖所見による病気の所在と原因について」を、1761年80歳のときに出して、一挙に病理解剖学を打ち立てた。

*10 ハーネマン:Christian Friedrich Samuel Hahnemann 1755-1843 

 ホメオパシー(類似療法。健康な人に投与すると、ある病気の症状と類似した症状を引き起こす薬物を、実際に病気にかかっっているひとにごく少量希釈して投与することによって患者の体内の治癒力を呼び覚ます治療法)の創始者。ドイツのマイセンで生まれ、ライプツィヒ大学で医学を学びウィーンで臨床医の研修をした後、エルランゲンで学位を得る。マラリアの治療薬であるキナ皮を健康な人間が服用すると、マラリアと類似の症状を引き起こすという事実を確認し、それをもとに、ホメオパシーの考え方を発展させた。

*11 シュヴァン:Theodor Schwann 1810-1882

 細胞説を樹立。1839年の「動物と植物の構造と成長における一致について」という論文において、動物も植物と同じく細胞からできていることが初めて述べられる。

*12 ウィルヒョウ Rudolf Virchow 1821-1902

 ポメラニア生まれで、ベルリンの軍医学校に学んだ。病理解剖学をめざしてすすみ、これと臨床医学との提携を生涯の仕事として大きな成果をおさめた。1849年にヴュルツブルグの教授となり、7年後ベルリン大学に転じた。そして1858年に『細胞病理学』を著した。ガレヌスの液体病理学は遠く過去のものとなり、モルガーニは病気の座として器官を考え、ビシャーはそれを組織においた。ウィルヒョウはさらに生活体の単位である細胞にその座を置いたのである。彼は「すべての細胞は細胞より生ず」という生物学の鉄則をつくった人である。

 1863-68年には『病的腫瘍論』を著わす。ウィルヒョウは長い間病理学の法王ともいえる最高の地位にあった。人類学にも造詣が深く、政治的にも活躍して民間政党の率い、ビスマルクと渡りあったといわれる。

 ■参考:『医学の歴史』(小川鼎三 中公新書)

  『ドイツ「素人医師」団』(服部伸 講談社選書メチエ)

  『パラケルスス』(K・ゴルトアンマー/柴田健策・榎木真吉訳 みすず書房)


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