シュタイナーノート 84

ガイスト


2003.4.29

シュタイナーの翻訳を読む際に、最も気になってしまうのが
GeistとGliederung、そしてIchである。
Geistは、「精神」もしくは「霊」と訳され、
Gliederungは「分節」もしくは「層」と訳される。
またIchは通常、「自我」と訳されるが「個我」と訳されたり
文脈によって「私(我)」というふうに訳されることもあったりする。
 
Geistについては、精神と訳したほうがしっくりくるときもあれば、
霊と訳したほうがいいと思われるときもあるので、
どちらかだけに訳語を統一するというのはむずかしい。
 
それに対して、Gliederungはやはり「分節」のほうがその意味からも適切で、
「層」となってしまうと、階層的な意味が加わってしまうところもあり、
社会有機体三分節が社会有機体三層化とかになってしまうと、
社会的階層が前提になっているような変な具合になってしまうように思える。
人間の身体にしても、足が下で、頭が上についているからといって
人間は三つの「層」になっているというのでは理解が損なわれてしまうのだから。
「層」ではなく、比較的理解しやすいのはやはり「分節」だと思われる。
 
また、Ichについては、やはり「自我」、文脈によっては「私(我)」で、
「個我」としてしまうと、たとえばフィヒテなどにおけるIchなどでも
明らかに理解不能になってしまうのもあったりするので、
それは避けたほうが理解のためには適切かもしれないと思っている。
 
さて、ここではGeistの訳語について、
その言葉が使われている歴史的文化的背景としての
ヨーロッパ近代の自然神秘思想におけるGeistの概念を見ることで、
シュタイナーの翻訳を読む際のガイドとしてみたい。
 
引用紹介するのは、「キリスト教神秘主義著作集16/近代の自然神秘思想」の
解説にある「ガイスト」についてである。
シュタイナーには、ノヴァーリス等のドイツロマン派の影響もあって、
近代のドイツの自然神秘思想における「ガイストGeist」について理解しておくことが
たとえばGeistをほとんど精神として訳してしまうことで
たとえばそこに自然学的なものとの関係が捨象されてしまうようなあり方が
避けられるのではないかと思われる。
 
         ヨーロッパ近代の自然神秘思想における神と人間と自然の関連を理解するには、
        「ガイストGeist」の概念が重要である。
         …
         「ガイスト」は、日本語の「精神」、「聖霊」、「霊」、「かみ」、「気」な
        どにあたる。「ガイスト」とは、力の働き、動き、運動であるが、神とのかかわ
        りでは、神の三性の一つとして「霊」や「聖霊」と呼ばれる、父なる神と子なる
        神から出る運動となる。この場合の「ガイスト」は、三位一体論の「聖霊」に重
        なる。ただ、自然神秘思想においては、神は擬人的にとらえられずに、神がそも
        そも「ガイスト(霊)」であること、「力」であることが強調される。「無」で
        ある神は、「有」として顕現するが、この顕現の運動は、「ガイスト」の運動な
        のである。
         さて、「ガイスト」としての神は、外なる自然において顕れ出る。自然の領域
        における「ガイスト」は、第一には、宇宙の「ガイスト」であり、「スピリトゥ
        ス・ムンディ」すなわち「世界霊魂」と呼ばれる。この宇宙の霊は、宇宙のメカ
        ニズム全体を動かし、とくに「星の精霊(アストラル・ガイスト)」をとおして、
        他の万物に働きかける。自然の領域における「ガイスト」は、第二には、自然の
        個々の存在にそなわる「精霊」であり、この場合、「ガイスターGeister」とい
        う複数形をとることが可能である。自然のすべての存在はガイストとからだの両
        面をそなえているのである。そして自然の「ガイスト」は、第三には、「気」、
        「精気」のように、中国自然哲学の「気」の概念を借りると理解しやすい霊的か
        つ物質的な存在を指す。「ガイスト」は、このように自然神秘思想では、非物質
        的であるだけでなく、物質的でもある。自然の領域における「ガイスト」は、正
        統的神学や哲学の「ガイスト」の用例からは、はみ出してしまうが、自然神秘思
        想を理解するうえでは、きわめて大切な概念である。
         「ガイスト」は、人間においては、「霊」や「精神」となる。パラケルスス以
        来、自然神秘主義思想の伝統では、人間は「ガイスト」と「魂Seele」と「から
        だLeib」からなるとされる。近代一般の「精神Geist」と「身体Koerper」の二
        分法とは異なる、三分法がとられている。からだ的なものと霊的なものにまたが
        る「魂」によって、「ガイスト」は「からだ」につなげられ、「からだ」も「ガ
        イスト」の顕れとして理解される。…「魂」が心理的な領域であるのに対し、
        「ガイスト」は、人間が「神の似姿」たるゆえんのものである。現代日本語の語
        感では、「精神」というと哲学的なひびきがし、「霊」というと宗教的なひびき
        がるるが、本アンソロジーで取り上げたシェリングまでの知的営みにおいて、哲
        学と宗教は密接に結びついている。「ガイスト」も宗教と哲学の両方にまたがる
        ものとして理解しなければならない。
         ところで、死者の霊魂が「ガイスト」、複数で「ガイスター」と呼ばれるのも、
        この問題に関わっている。死者の存在に関する用語は、ドイツ語では「ガイスタ
        ー」と「ゼーレ」のあいだで揺れ動いており、シェリングの対話編でもその揺れ
        が話題の一つとして取り上げられている。シェリングやノヴァーリスなどは、死
        や死後の世界をも、哲学的思索に取り込もうとしている。科学とオカルトの不毛
        な二元的対立をこえて、「精神的なもの」や「霊的なもの」のありかたを、真の
        リアリティに即してとらえようとするのである。
         すでに述べたように、「ガイスト」と「からだ」、「ガイスト」と「物質」は
        相関しており、ひとつ存在の二様の「あり方」として理解される。「ガイスト」
        は、形あるもの、「からだ」として顕れ出るのであり、「からだ」は「ガイスト」
        の「うつわ」であり、「ガイスト」と「からだ」は不即不離の関係にある。「ガ
        イスト」と「からだ」がつながるところに、ガイスト的なものとからだ的なもの
        を結びつける能力である「イマジナチオーン(想像力)や、肉体的なからだに比
        べ、より霊的なからだである霊のからだ(ガイスト・ライプ)」や、「天上のか
        らだ」などが成り立つ。「復活」は、観念的な出来事ではなく、まことの「から
        だ」の蘇りを意味する。エーティンガーは、「Leiblichkeit(からだとなること、
        からだ性)が神のわざの目的(終点)である」と述べ、「ガイスト」と「からだ」
        を一元的に考える自然神秘主義思想の伝統に依拠することによって、同時代の観
        念論と唯物論の分裂を乗り越えようとした。その試みは、シェリング、ヘーゲル、
        ヘルダーリン、ノヴァーリスなどに影響を与えている。
        (キリスト教神秘主義著作集16/近代の自然神秘思想 教文館
         1993年9月15日発行 解説より「ガイスト」)
 
ここで重要なのは、たとえば、
「ガイスト」が、自然神秘思想では、
「非物質的であるだけでなく、物質的でもある」というところである。
そういう意味でも「精神」とだけ訳されてしまうと、
物質的に顕現している「ガイスト」の意味がわかりにくくなってしまうことになる。
 
霊我、生命霊、霊人というのをそれぞれ
精神的自己、生命的精神、精神的人間、のようにしてしまったりするのも
やはり「ガイスト」の概念が意味するものが理解されにくくなるのではないかと思える。
 
人智学と関係の深いキリスト者共同体関連の訳語をみると
やはり「霊」という訳語は比較的自然に使われていたりするので、
「ガイスト」のほとんどを「精神」「精神的」というふうに訳してしまうと
翻訳を読む際に混乱を招いてしまうだけなのではなかと思われるのである。
 
「霊」という言葉に対する拒否反応というのが
ある種の人たちに根強いというのは理解できるが、それを配慮しすぎて?、
まるで言葉狩りのようなあり方をしてしまうのはかなり疑問に思えてしまう。
重要なのは、必ずしも適切な訳語ではないとしても、
その言葉の概念とその背景や文脈をとらえることのできる言葉を選ぶこと
なのではないだろうか。
 
 

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