シュタイナーノート91

全体的な関連を捉えた新しい知識へ


2003.10.16

         私たちの友人であるシュテーゲマン氏が「試行的確認という方式は
        生産活動の堕落である」と言われたのは、じつに正しい指摘でした。
        この堕落は(…)人間の魂の形成の変化とともに、過去数十年および
        未来数十年の間に生じる、宇宙のカーリーユーガ(暗黒時代)の終結
        に関連しています。私たちは自然の内部の大変化を前にしているので
        す。太古の時代から私たちに受け継がれ、また私たちが継承してきた
        自然の状態から与えられてきたさまざまな知識、また私たちが継承し
        てきた治療手段等々は、その意味を失います。このような、さまざま
        な事象の自然における全体的な関連を捉えるために、私たちは改めて
        新しい知識を手に入れなければなりません。人類はさまざまな分野に
        おいて、自然ならびに宇宙の関連の総体からふたたび何かを学びとる
        か、さもなければ自然および人類の生命を枯死させるか、この二つに
        一つを選ぶほかないのです。古き時代において、人間が本当に自然の
        有機的構造の中へ入っていく知識をもつことが不可欠であったのと同
        じように、今日の私たちもまた、自然の有機的構造の中に本当に入っ
        てゆく知識をふたたび必要としているのです。
        (シュタイナー『農業講座』第二講・イザラ書房/P80-81)
 
「試行的確認」というのは、医学では、たとえば
解剖してみなければならない、というようなものだろうか。
それとも、モルモットなどに医薬品を投与してみて
そのデータをもとに新薬を開発するようなものか。
 
そうした「試行的確認」においては、少なくとも
「さまざまな事象の自然における全体的な関連」を
とらえることはむずかしいだろう。
 
なにかの症状がでたらそれにある病名を当て嵌める。
また別の場所での症状に対してはまた別の病名を当て嵌めて、
同じ人間であるにも拘わらず、
その両者の関連という視点さえも希薄だったりする。
ましてや、「全体的な関連」などが見られたりはしない。
 
もちろん、ただの憶測でそうした関連を示唆することは
慎まなければならないだろうが、
だからといって、「全体的な関連」が見られなくていいということにはならない。
同じ『農業講座』の第一講にも磁針のたとえがでてくるが、
磁針が北方を指す原因を磁針の中に求めるようなことが行なわれている。
 
そして、なにかを解決しようとして、
すぐに結果の現われる対症療法的な思考方法が採用されることになる。
磁石が北を指すのを直そうとして、
すぐそばに磁石を置くようなことが行なわれたりする。
もしくは、接着剤で固定して「勝手な方向」を指せないようにする、など。
 
そうした思考方法は、まさに行き詰まってきている。
いかに技術が発達したところで、
その技術は「全体的な関連」のもとにつくられていたりはしない。
なんらかの特定の目的を達成するために、
限られた範囲での効率的な効果があればそれでいいということになる。
 
しかし、そういう方向性が危険だからといって、
過去に逆戻りすることはできないし、
ただ「自然に帰れ」とばかりに、
自然崇拝に終始するわけにもいかない。
 
シュタイナーが示唆しているように、
自然に関する「新しい知識」を獲得する必要があるだろう。
 
        人智学的な観点からここでこういう話をしますのは、古い本能に戻って
        いくためではありません。そうではなくて、現在もはや不確実なものと
        なってしまった本能がしだいしだいに私たちに示すことのできなくなっ
        たものを、よりいっそう深い霊的な洞察から再発見していくためなので
        す。そのために必要なことは、私たちが植物や動物の生、否それにとど
        まらず大地そのものの生の観察を拡大する作業に携わっていくことです。
        すなわちこれを宇宙に向けて広げていくことが必要なのです。
        (シュタイナー『農業講座』第一講・イザラ書房/P41-42)
 
 

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