109●死後反転する内界と外界(2005.5.14) ルドルフ・シュタイナーは庭を歩きながら、「本当はどの子もここにある すべての樹木と草木の名が言えなければならないのです」、と私たちに言 った。私たちもその頃には、自然科学上の興味を持たせることが大切だと 言っているだけではない、と思えるようになっていた。環境世界の知識は 死後の生活にとって決定的に重要になる。来世での内面世界の知識は、こ の世での環境世界の正確な知識から作られるのだ。 (エルブレヒト・シュトローシャイン『人智学的治療教育の成立』 シュタイナー『治療教育講義』ちくま学芸文庫 所収/ P.276) 死後には、外界が私たちの内面になり、内界が外界になるらしい。 ということは、私たちのまわりに拡がっている世界について どれほどのことを理解できているかということが 私たちの内面そのものになるということである。 シュタイナーが「すべての樹木と草木の名」といっているのは、 なにも図鑑で名前を覚えなさいとかいうことを言っているのではもちろんなく、 外界をちゃんと理解しないと死後空虚になるといっているわけである。 外界というのは樹木や鳥や岩石、鉱物などももちろんそうだけれど、 世の中のさまざまな事象などもそうである。 だからシュタイナー学校では、世の中の仕組みなどのことを 実際の体験を通じて理解するように促す。 社会有機体三分節化というシュタイナーの社会に対する基本的な考え方も、 そのことに関連してとらえていくとより理解しやすいのではないだろうか。 また、今の私たちの内面が死後の外界になるということは、 私たちの内面が空虚だと世界が展開していかないということである。 内面をどれだけ豊かにできるかということが 死後の私たちの「居住」する世界の豊かさに関わってくることになる。 だから、自殺などをしてしまうと困ったことになってしまうのだろう。 今の自分の外界と内界をイメージしてみよう。 まず、自分が世界について理解していることを並べてみる。 その理解が自分の内面になってしまうことを想像してみればいい。 わからないことは、自分の内面では存在しえないわけである。 その理解をパソコンのソフトウェアに置き換えるとして、 はたしてそのソフトウェアがどれだけのことを可能にするかということ。 また、自分の内面を見つめてみよう。 つまり、自分の心のありのままである。 それがそのまま自分の外に拡がっていると想像してみる。 静かな思いは静かな世界に、怒りの世界は怒りが現象化した世界に。 はて、さて。 |