●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会

 <II-1/人間の本質1>


この章では、人間の構成要素に関して基本的な概観がなされていますが、まずシュタイナーは、「世界の真の形姿」についての説明をしています。

この「薔薇十字会の神智学」の一連の講義は、ある程度神秘学を理解していることを前提に語られているようですので、いきなり専門的な用語がでてきて面食らってしまうかもしれませんが、その個々の用語にあまりとらわれないで、この講義が何をいわんとしてるのかについて、その骨子の部分をご理解いただくようにしたほうがいいかと思います。

では、早速、この章で説明されている内容に入ります。唯物論的世界観では、世界はすべて物質のみから構成されているとされますが、シュタイナーは、人間は、<物質界><魂界><霊界>という三つの世界に関わっているというのです。

唯物論的世界観というのは「物質」だけの一元論です。また、通常、デカルト的二元論というのは「心と体」というように分けられます。キリスト教なども基本的に「体」と「魂」の二元論になっていますが、これは最初からそうなのではなくて、ニケアの公会議でそういうふうに「公教」として定められてしまったのでした。この二元論化の故に、西洋は現在のような物質文明への傾斜するための「種」が用意されたということもできるでしょう。 

この「三つの世界」という「三」というのは非常に重要な点で、社会論においても「社会有機体三分節」がその考え方の核になっていますし人体を教育的、医学的にみていくに際しても「三分節」です。物質界を霊化していくという神秘学の役割というのは、「二」から「三」へ、というふうに世界の原理を移行させるということでもあります。ですから、シュタイナーは「三」ということを重視しているということを(テキストとは少し異なりますが)ご記憶いただければと思います。

テキストの中では、

●物質界

●アストラル界(魂界/元素界/イマジネーション界)

●インスピレーション界(低次の神(デーヴァ)界/形態界/色(ルーパ)界/天界)

●イントゥイション界(高次の神界/霊界/没形態神界/理性界)

というように説明されていますが、このなかの「低次の神界(インスピレーション界)」と「高次の神界(イントゥイション界)」が「霊界」にあたります。

ちなみに、そのうちに、修行論関係のなかで、いくつかの高次の認識についてふれることもあるかと思いますが、そのなかにでてくるイマジネーション認識、インスピレーション認識、イントゥイション認識というのはそれぞれアストラル界、低次の神界、高次の神界における認識だということができます。もちろん、この物質界における認識は五感を通じた物質的な認識です。

ちなみに、テキストの31ページには訳者の西川隆範さんの作成した「シュタイナーの宇宙論1−空間」という図がありますが、この図は、テキストの内容と異なっている部分がありますし、ぼくの知る限りにおいて、シュタイナーの説明とは異なっている部分があるようですので、無視するようにしてください。また、43ページの訳注の最後の記述も誤解されかねないのでこれについても無視してください。

さて、<魂界>及び<霊界>に関しては、主に、第三章の「元素界と天界・目覚めと眠りと死」で説明されますので、ここではそれについては第三章以降に譲り、この章の理解のために必要な、「霊・魂・体」という三つの世界などについてご理解いただくために、人間の本質に関して最も基本となるものを詳細に扱った「神智学」という基本書からテキストの補足説明として引用紹介しておこうと思います。 

 体を通して、人間は一時的に自分を事物と結びつけることができる。魂を通して、人間は事物が与える印象を自分の中に保持する。そして霊を通して、事物自身がみずから保持しているものが彼に啓示される。人間をこの三つの側面から考察するとき、はじめて人間の本性の解明が期待できるようになる。なぜならこの三つの側面は人間が三重の異なる仕方で世界と同質の存在であることを示しているからである。

 体としての人間は、感覚に対して外から自己を現わすところの事物と同質である。外界の素材がこの人間の体を構成している。外界の諸力がその中にも働いている。そして人間は、外界の事物を感覚によって観察するのと同じ仕方で魂の存在を考察することはできない。私の体的事象のすべては身体的諸感覚によっても知覚できる。私が好んでいるか、嫌っているかということ、私の喜びと苦しみは、私も他人も身体的感覚によっては知覚できない。魂の世界は体的な見方にとって手の届かぬ領域である。人間の体的存在は万人の眼に明らかである。魂の存在は自分の世界として、人間自身の内部で担われている。しかし霊によって、外界は高次の仕方で人間に示される。外界の秘密が明かされるのは人間の内部においてであるが、しかし人間は霊的存在として自分の外へ出ていき、そして事物に事物自身のことを語らせるのである。彼にとって意味のあることではなく、事物自身にとって意味のあることを。人間は星空を見上げる。魂が受ける感動はその人間のものだ。しかし彼が思想として霊において把握する星々の永遠の諸法則は、彼にではなく、星々自身に属する。

 かくして人間は三つの世界の市民である。その体を通して彼は身体が知覚するところの世界に属し、その魂を通して、彼自身の世界を構築し、その霊を通して、この両者の及ばぬ世界が彼に啓示される。

  (シュタイナー「神智学」(高橋厳訳/イザラ書房)P33-34) 

この「神智学」というシュタイナーの基本書は、この第2章の「人間の本質」から第五章の「死後の生命・物質界への再受肉」までの内容をトータルに概説したものですし、シュタイナーの著述したもののなかでは比較的読みやすいものだと思いますので機会がありましたら、そのうちに一度は目を通されると、より理解も深まるのではないかと思います。

   

●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会

 <II-2/人間の本質2> 

前回は、「物質界」「魂界」「霊界」としての世界、そして「霊・魂・体」としての人間について、簡単にその概観をご紹介させていただきましたが、ここでは、「霊・魂・体」としての人間の基本的な構成要素について、さらに深く見ていくことにします。

この章では、最終的に人間の九つないし七つの構成要素について説明がなされているのですが、これには今後の人間が進化していくなかで形成されている構成要素をもふくんだ説明ですので、その部分に関しては次のアーティクルに譲り、ここでは、人間ならだれでも有している四つの構成要素に関してご説明します。

その四つの構成要素というのは以下のものです。 

1)肉体

2)エーテル体(生命体)

3)アストラル体

4)自我

では、そのひとつひとつをとりあげていくことにします。 

1)肉体 

人間は、鉱物界といわれる物質の世界と共有している構成要素として「肉体」をもっています。この部分は、植物や動物ももちろん有しています。この鉱物界の要素というのは、単なる物質であって意識がないと思われがちですがそれはこの物質界において意識がないだけであって、高次の世界に上昇するとそれが見いだされるといいます。

高次の世界へ昇っていくと、鉱物はもはや意識を持たないものではありません。もちろん、元素界に歩み行っても鉱物界の自我は見いだされません。鉱物の自我は高次の世界に見いだされるのです。指は意識を持っていません。意識するためには指から自我へと移行しなければなりません。鉱物の意識を見出すには、宇宙存在の最も高次の領域へと上昇していく流れを通して自我へと至る必要があります。(中略)

人間の肉体は鉱物と同じく、その意識を彼方の霊界に有しています。物質的意識を賦与され、高次の霊界に意識を有する肉体を持つことによって、人間は肉体において上方からの働きかけを受けているのです。肉体を形成するものは肉体の中には存在しません。私たちが手を動かすとき、高次の世界に存在する肉体の自我意識が、肉体の物質的過程を引き起こしているのです。(P33) 

ちなみに、鉱物のアストラル体は、低次の神界(インスピレーション界)にあり、そのエーテル体は、アストラル界にあります。

 

2)エーテル体(生命体) 

このエーテル体を、人間は植物、動物と同じく構成要素としてこの物質界において有していますが、鉱物はこれを有していません。つまり、いわゆる「生きている」という要因としての構成要素がこのエーテル体なのです。ですから、植物も、動物も、人間も、このエーテル体が物質体から離れると、死んでしまうことになります。このエーテル体は、習慣、記憶、気質の担い手であって、体的には「腺組織」として表われています。また、このエーテル体には太陽の性格が刻印されています。 

エーテル体はほぼ肉体と同じ形姿のものとして霊眼に映じます。エーテル体は力体です。肉体を消去すると、エーテル体は肉体を構築する力の線に貫かれた力体として残ります。肉体に浸透するエーテル体の中に一つの心臓がなければ、心臓が現にあるような形のものとして形成されることはなかったでしょう。エーテル心臓はある力と流れを有し、肉体の心臓の建築者、形成者なのです。(中略)

エーテル体は肉体に対して大きな相違点を有しています。つまり、男性のエーテル体は女性的であり、女性のエーテル体は男性的なのです。(中略)肉体の場合のように、エーテル体を成り立たせている諸力は、インスピレーション界(形態界、天界)の中に見出されます。エーテル体を成立させている諸力は、肉体を成立させている諸力よりも一段下方に存在しています。植物の自我意識はこのインスピレーション界(低次の神界)にあり、植物界の自我意識が存在するこの天球の階調の世界に、エーテル体を貫き、私たちの中に生きるエーテル体の自我意識があると考える必要があります。

                              (p34-35) 

ちなみに、植物はその物質体とエーテル体をこの物質界に有しており、そのアストラル体は、アストラル界にあります。

男性のエーテル体は女性であり、女性のエーテル体は男性であるということに関しては、諏訪みのるさんへのレス#2736「男性と女性」をご参照ください。アストラル体以上にはいわゆる性別はありませんので、この性別ということに関しては、物質体及びエーテル体においてのみ問題になります。

 

3)アストラル体 

このアストラル体を、人間は動物と同じく構成要素としてこの物質界において有していますが、鉱物、植物はこれを有していません。このアストラル体は、快・不快、喜び・苦しみ・悲しみ、怒り、激情といった感情や感覚の担い手で、欲望などの根っこもここにあります。アストラル体は、体的には「神経組織」に表われています。また、このアストラル体には月の性格が刻印されています。 

人間と動物のアストラル実体はアストラル界(イマジネーション界、薔薇十字ふうにいえば元素界)に存在する諸力によって成り立っており、アストラル体を成立させ、アストラル体に形姿を与えている諸力の真の姿はアストラル界において知ることができるのです。ですから、動物の自我意識はアストラル界にあるのです。人間の場合は個々の魂が問題になりますが、動物の場合には集団の魂が問題になります。この集団の魂はアストラル界に見出されます。動物界に生きている個々の動物ではなく、ライオンや虎という属が集団の魂という一つの共有の自我をアストラル界に持っているのです。物質界において動物として生きているものの本質は、アストラル界まで辿っていったときにのみ理解できます。(P35-36) 

ちなみに、動物はその物質体、エーテル体、このアストラル体をこの物質界に有しており、その自我は、上記の引用のようにアストラル界にあります。この「集団の魂」というのは、通常、「集合魂」と訳されたりします。その集合魂を、動物はアストラル界に有しており、植物は低次の神界に有しており、鉱物は高次の神界に有しているわけです。

 

4)自我 

「私」は「私」についてしか「私」ということができません。そういう意味での自我は、鉱物にも植物にも、また動物にもありません。もちろんここでいう自我というのは、わがまま、エゴという意味ではなく、真の「私、高次の「私」であって、ヤハウェが「ありてあるものである」と呼んだ「私」のことです。 

鉱物の意識が没形態神界に、植物の意識が形態神界に、動物の意識がアストラル界に存在するように、人間の自我意識は人間の第四の構成要素として物質界に存在しています。(P37) 

動物がアストラル界において集合自我を有しているように、この「自我」を人間はこの物質界において「個」として有しています。そういう意味でも、人間は自由と責任を有した存在なのです。

以上、簡単に人間の構成要素である、肉体、エーテル体、アストラル体、自我についてご説明してきましたが、次の<II-3>では、人間がこれから進化の途上において有していくことになる構成要素である<霊我><生命霊><霊人>についてご説明することにします。

また、これらの高次の要素は、人間よりも高次の存在である天使、大天使、権天使、能天使、力天使という存在の基本的構成要素でもあります。テキストにはありませんが、<II-3>では、そこらへんのことに関してもその概略をご説明していきたいと思います。

 

 

●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会

 <II-3/人間の本質3>


 

前節で、人間は、<肉体><エーテル体><アストラル体><自我>という四つの構成要素から成っているというご説明をしましたが、人間はさらに新しい構成要素を形成していきながら、進化していくといいます。つまり、<自我>が、<肉体><エーテル体><アストラル体>に働きかけ、それを変化させることで新しい構成要素を形成するというのです。

<自我>が<アストラル体>に働きかけると<霊我(マナス)>に変容し、<自我>が<エーテル体>に働きかけると<生命霊(ブッディ)>に変容し、<自我>が<肉体>に働きかけると<霊人(アートマ)>に変容します。

この<霊我(マナス)><生命霊(ブッディ)><霊人(アートマ)>についてテキストから簡単にご紹介することにしたいと思います。 

まず、<霊我(マナス)>について。 

人間は自らのアストラル体に働きかけることによって、一歩前進します。アストラル体の本来の性質が内面から支配あれるようになるという形で、この働きかけは行なわれます。(中略)アストラル体の中に本来的に生きるものを自我の支配下におくと、それが霊我です。(P38) 

この自我がアストラル体に働きかけるというのをわかりやすくいえば、感情をコントロールするということです。すぐに怒ったり、悲しんだり、というような感情に溺れた状態を自我によって統御していくことが必要だということです。それを仏教的な方法論でいえば、「反省行」ということになります。八正道というのがありますが、これは自我がアストラル体に正しく働きかけていくための方法論の集大成という位置づけも可能だと思います。 

続いて、<生命霊(ブッディ)>について。 

さらに進化すると、人間はアストラル体だけでなく、自我によってエーテル体にも働きかける能力を獲得します。(中略)悪き記憶力を良い記憶力に、短気を柔和に、憂鬱質を沈着さに変化させることは、多くのことを学ぶよりも多大の効果があります。このような変化の中に内面の隠れた力の源泉があるのです。このような変化が、自我が単にアストラル体だけでなく、エーテル体に働きかけられた徴です。               (P38-39) 

さらに、<霊人(アートマ)>について。 

肉体は人間の本質の中で最も凝固した部分であり、肉体を構成している諸力は最も高次の世界から発しています。自我がエーテル体のみならず、肉体をも変化させられるほどに強いものになると、人間は自らの内に、現在においては人間本性の最も高次の要素であるアートマ、本来の霊人を作りだすことになります。肉体を変化させる諸力は最も高次の世界に存在します。呼吸の過程を変化させることによって、肉体も変化しはじめます。アートマアートマという言葉は呼吸を意味しています。呼吸過程の変化によって血液の性質が変わります。血液は肉体に働きかけ、このことを通して、人間は最も高次の世界にまで上昇していきます。              (P39-40) 

ここで、重要な指摘があります。 

今日の進化段階では、意識的に変化させられるのはアストラル体だけです。 (P40) 

現代における肉体行としてのヨーガやそれを応用した行が危険なのは、途中の進化段階をすっとばして、いきなり性格改造をしようとしたり、肉体そのものの改造を試みようとするところにあります。その典型的な例が、最近注目を浴びましたよね^^;。ですから、豊かな感情を育成しながら、しかも、日々、それををコントロールししっかり意識的に生きていくというのが、現代人の最優先課題なのです。

さて、人間を<霊><魂><体>という三分節でとらえると、人間の<体>は、<肉体><エーテル体><アストラル体>の三つであり、<霊>は、上記のような<霊我><生命霊><霊人>の三つです。

では、<魂>はどうなのでしょうか。それが、<感覚魂><悟性魂><意識魂>と呼ばれる三つなのです。 

この三つの魂について、「神智学」(イザラ書房)からご紹介します。 

まず、<感覚魂>について。 

知覚を現実に体験させる働きは、本質的に、生命形成力の作用から区別される。その働きは内的体験をこのような生命形成力の作用の中から取り出してくる。もしこの働きがなかったとすれば、植物に見られるような、単なる生命過程だけしか存在しないだろう。あらゆる側から印象を受けとる人間のことを考えてみよう。その人はそこから印象を受けとるところのあらゆる方向で印象の産みだし手となっている。あらゆる方向で感覚が印象に答えている。この働きの源泉は、感覚魂と呼ばれる。(中略)

感覚魂の働きにおいて、人間は動物と同類である。動物の場合にも、感覚、衝動、本能、情欲の存在が認められる。しかし動物はこれらに直接従っており、これらを独立した、直接的体験を超えた思考内容と結びつけはしない。 (P47-51) 

続いて、<悟性魂>について。 

思考能力をもった、より高次の魂は悟性魂と名づけられる。この魂の別の側面は心情魂もしくは心情とも呼びうるだろう。悟性魂は感覚魂に浸透している。               (P51) 

それから、<意識魂>について。 

魂の中で永遠の存在として輝くものは、(中略)意識魂と名づけられる。低次の魂のいとなみの場合にも、意識について語ることができる。どんな日常的な感覚も意識に属しているし、動物にも意識があるといえる。ここで意識魂と呼ぶのは、人間意識の核心、つまり魂の中の魂のことである。(中略)悟性魂はなお感覚、衝動、激情等の中に巻き込まれている。人は誰でも、はじめは自分の感覚や衝動の中から取り出してきたものを、真実だと思おうとする。しかし感覚等々に含まれた共感、反感の添え味をすべて取り去った真理だけが永続的真理なのである。真理はたとえすべての個人的感情が反抗するときにも、真理である。この真理が生きている魂の部分を意識魂と呼ぶのである。(P54) 

以上、<霊><魂><体>それぞれ三つの構成要素があると見れば、人間は可能性として次の9つの構成要素から成るといえます。

1)肉体

2)エーテル体

3)アストラル体

4)感覚魂

5)悟性魂

6)意識魂

7)霊我(変化したアストラル体)

8)生命霊(変化したエーテル体)

9)霊人(変化した肉体) 

しかし、実際は、感覚魂とアストラル体は重なっていますし、意識魂と霊我は重なっていますので、人間の構成要素は次の7つであるということもできます。

1)肉体

2)エーテル体

3)アストラル体/感覚魂

4)悟性魂

5)霊我/意識魂

6)生命霊

7)霊人 

この7つの構成要素は、テキストの部分とは4)のところが異なっていますが、ここでは「神智学」での記述を採用してみました。7つの構成要素としての記述でも9つの構成要素としての記述でもあえて「自我」の部分が入っていません。というのは、「自我」はまさにすべての構成要素の中核にあるからです。そのことを理解しやすくするために、その「自我>について「神智学」より、その位置づけ、意味づけを確認しておきたいと思います。 

人間は自我意識を通して、自分を他の一切から区別された独自の存在であり、「私」であると考える。人間は体と魂の存在として体験するすべてを「私」の中で総括する。体と魂とは私の担い手であり、体と魂の中で「私」は働く。肉体の中心が脳にあるように、魂の中心は「私」にある。(中略)「私」は本当に「人間の隠れた至聖なる部分」に存在しているのである。(中略)

人間は体と魂の諸体験を「私」において総括し、真と善との思考内容を「私」の中へ流入させる。一方から感覚の諸現象が、他方からは霊が、「私」に自己を打ち明ける。体と魂は「私」に奉仕し、「私」に自分を委ねるが、「私」は自分の目的を霊が実現してくれるように霊に自分を委ねる。「私」は体と魂の中に生き、霊は「私」の中に生きる。そして自我の中のこの霊こそが、永遠なのである。それによって自我は自分と結びついているものの本質と意味とを知る。自我は肉体の中に生きている限り鉱物の法則に、エーテル体を通して生殖と成長の法則に、感覚魂、悟性魂によって魂界の法則に従っている。そして霊的存在を自分の中に受け入れることによって霊の法則に従う。鉱物の法則、生命の法則が形成するものは、生成し死滅する。しかし霊は生成と滅亡には係わらない。        (P56-58)

ということで、<自我>を人間の構成要素の中核においた区分では、次のように表現することができます。

1)肉体

2)エーテル体

3)アストラル体

4)自我

5)霊我

6)生命霊

7)霊人

さて、以上、人間の構成要素についてご説明しましたが、概略、ご理解いただけましたでしょうか。その理解をさらに広いものにするために、次回では、「番外編」として、「高次の霊的ヒエラルキー」及び「四大霊」に関して、今回の「構成要素」の観点から少し見てみようと思います。特に、この「四大霊」に関しては、まだほとんど邦訳のない部分ですし、とてもファンタジックなところの多い部分ですので、少しだけご期待くださいね。

 

●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会

<II-4/番外編1●高次存在>


  

この節では、前節までの内容から少し話を展開させてみることにします。しかし残念ながら、この内容に関しては、テキストにはでてきませんので、探してもありません^^;。それから、ここらへんのことはかなりわかりにくいと思いますので、ふ〜ん、そんなもんかぁ、って感じで受け取ってくださってけっこうです。

さて、人間の現在の構成要素は、<肉体><エーテル体><アストラル体><自我>の四つでしたね。そしてこの物質界は、人間の他に、鉱物、植物、動物といった三種類の存在があるといいました。では、人間より高次の存在たちとは、どういう存在なのでしょうか。また、よく童話などででてくる妖精などの存在は、どうなのでしょうか。ここではそれについて、主に構成要素の観点から見ていくことにします。

まず、この節では人間より高次の存在たちについて。

シュタイナーは、高次の霊的存在には、9つのヒエラルキア(階層)があるといいます。これを越えたヒエラルキアについては語っていないようなので分かりません。おそらくこれを越えた存在もあるのだろうとは想定できますが、それについては情報がないので残念ながらご説明できません。

シュタイナーは高次の霊的諸存在を三つのヒエラルキアで説明し、それぞれのヒエラルキアには三つの霊的存在の階層があるといいます。人間に近い方から順に挙げてみることにしましょう。 

<第三ヒエラルキア>

●天使/アンゲロイ/生命の子/薄明の子/個人の守護霊

●大天使/アルヒアンゲロイ/火の霊/民族霊

●権天使/アルヒャイ/人格の霊/時の霊/時代霊 

<第二ヒエラルキア>

●能天使/エクスシアイ/形態の霊

●力天使/デュナメイス/動きの霊

●主天使/キュリオテテス/叡智の霊 

<第一ヒエラルキア>

●座天使/トローネ/意志の霊

●智天使/ケルビーム/調和の霊

●熾天使/セラフィム/愛の霊 

これらの存在を構成要素の観点から見てみると、人間より一つだけ高いヒエラルキーにあるのが<天使/アンゲロイ>で、この存在は、<エーテル体>を最も低次の構成要素として持ち、その他に<アストラル体><自我><霊我>をもっています。人間が進化していくなかで、<霊我><生命霊><霊人>という構成要素を獲得していくというご説明をしましたが、この<天使/アンゲロイ>は、その<霊我>をもっているのです。もちろん、この存在は<肉体>を有してはいません。この<天使/アンゲロイ>は、個人の守護霊として働き、その転生を見守り、進化の手助けをしている存在です。

また、<大天使/アルヒアンゲロイ>になりますと、個人を越えた民族の指導をする<民族霊>としての働きをしています。ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルなどがそうです。それから<権天使/アルヒャイ>は<時代霊>といわれるように時代の流れを導く存在です。

で、ヒエラルキーが上がるごとに、四つの構成要素のランクが上がっていきます。それを以下に整理してみましょう。ちなみに、<霊人+α>というのは、<霊人>よりも高次の構成要素という意味でこれについては、理解の便宜のために想定されるあり方をぼくなりに表現したものです。 

(*これを書いたのは'94の時点であり、このことに関しては、現時点(97/4)では、疑問をもっていることをつけ加えておきたいと思います)

<第三ヒエラルキア>

●天使/アンゲロイ <エーテル体/アストラル体/自我/霊我>

●大天使/アルヒアンゲロイ <アストラル体/自我/霊我/生命霊>

●権天使/アルヒャイ <自我/霊我/生命霊/霊人> 

<第二ヒエラルキア>

●能天使/エクスシアイ <霊我/生命霊/霊人/霊人+1>

●力天使/デュナメイス <生命霊/霊人/霊人+1/霊人+2>

●主天使/キュリオテテス/叡智の霊 <霊人/霊人+1/霊人+2/霊人+3> 

<第一ヒエラルキア>

●座天使/トローネ/意志の霊 <霊人+1/霊人+2/霊人+3/霊人+4>

●智天使/ケルビーム/調和の霊 <霊人+2/霊人+3/霊人+4/霊人+5>

●熾天使/セラフィム/愛の霊 <霊人+3/霊人+4/霊人+5/霊人+6> 

こうした高次存在は、宇宙進化のプロセスを見ていく上でも、また人間の思考・感情・意志やまた霊的、魂的、物質的なものを見ていく上でも、非常に重要です。宇宙進化に関しては、第九章以降で扱いますので、そのときにお話することにして、ここでは、高次存在の三つのヒエラルキアの人間の思考・感情・意志や霊的、魂的、物質的なものへの影響についてルドルフ・シュタイナー「人智学指導原則」(水声社)からご紹介します。 

まずは、人間の思考・感情・意志との関係について。 

66 第三ヒエラルキアの諸存在は、人間の思考のなかで霊の背景として展開する生命のなかで、みずからを開示する。この生命は人間の思考活動のなかに隠れている。第三ヒエラルキアの諸存在が人間の思考活動のなかで固有の存在として作用し続けたなら、認識は自由を獲得することができなかったであろう。宇宙の思考活動が停止するところから、人間の思考活動が始まる。

67 第二ヒエラルキアの諸存在は、人間の感情に宇宙的−魂的事象として隠されている、人間外の個的なもののなかでみずからを開示する。この宇宙的−魂的なものは、人間の感情の背景で創造する。宇宙的−魂的なものは、感情有機体のなかに感情が生きるまえに、人間的−本質的なものを感情有機体へと形成する。

68 第一ヒエラルキアの諸存在は、人間の意志に宇宙的−霊的存在として内在する、人間外の霊的創造のなかで自己を開示する。人間が意志することによって、この宇宙的−霊的なものはみずからを、創造するものとして体験する。この宇宙的−霊的なものは、人間がみずからの意志有機体をとおして自由に意志する存在となるまえに、人間的−本質的なものと人間外の世界との関連を形成する。 

続いて、霊的、魂的、物質的なものへの作用について。 

69 第三ヒエラルキアは純粋に霊的−魂的なものとしてみずからを開示する。第三ヒエラルキアは、人間が魂的な仕方でまったく内的に体験するもののなかに活動する。ただ、このヒエラルキアが作用するとき、エーテル的なもののなかにも、物質的なもののなかにも、何の過程も生じえないであろう。魂的なもののみが存在しうるであろう。

70 第二ヒエラルキアは、エーテル的なもののなかに働く霊的−魂的なものとしてみずからを開示する。エーテル的なものは、すべて第二ヒエラルキアの啓示である。しかし第二ヒエラルキアは、物質的なもののなかに直接みずからを開示しはしない。第二ヒエラルキアの力はエーテル的諸事象にまでしか達しない。第三ヒエラルキアと第二ヒエラルキアのみが働くとき、ただ魂的なものとエーテル的なものだけが発生するであろう。

71 最強の第一ヒエラルキアは、物質的なもののなかに霊的に作用するものとして、みずからを開示する。第一ヒエラルキアは物質界を宇宙へと形成する。その際、第三ヒエラルキアと第二ヒエラルキアは、第一ヒエラルキアに仕える存在である。 

高次のヒエラルキアにある存在ほど霊的なことだけに関係していて、物質的なものには直接はたらきかけないかのようにイメージされがちなのですが、ここでご説明してありますように、最も高次のヒエラルキアである第一ヒエラルキアは物質的なものに働きかける存在でもあります。むしろ、第二、第三ヒエラルキアは物質的なものに働きかけることができません。

これは後の章で宇宙進化の問題をとりあげる際にもお話しますが、物質という構成要素は、人間の構成要素の中でもっとも古くから形成されてきた要素で、もっとも完成されています。それに対して、もっとも新しくかつ不完全なのが自我なのです。また、前の節でも、物質の自我は非常に高次の世界にあるとご説明したように物質という現われは、自我やアストラル体などのあり方に比べ、むしろ非常に高次の働きかけがなされているわけです。

こうしたことから類推できると思いますが、物質的な現象という意味での森羅万象の形成や自然現象や天変地異などのようなあり方には第一ヒエラルキアが関わっていそうだということがいえます。

このように、思考、感情、意志においても、魂、生命、物質においても、意志や物質というのは最も高次の現われとしてとらえることができます。

 

●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会

 <II-5/番外編2●四大霊>


 

では、引き続いて「四大霊」について。

四大霊という四大とは地水火風で、自然霊(エレメンタル・ガイスト)、またはファンタジックな表現では、妖精と呼ばれている存在です。この四大霊はほとんど物質界に重なって存在しているエーテル界、またはエレメンタル界と呼ばれる世界で活動しています。

古代の人々にとって、こうした自然霊というのは非常に身近な存在でした。実際に見えていたといいますから、自明の存在だったのです。ま、早い話がトトロのような存在なわけですが、現在ではその存在に直接ふれているのは、いわゆるあまり文明化されていない民族などにかぎられるようになりました。トトロなどが子供だけにしか見えないというのもそういうことなのでしょう。文化人類学者などのルポなどでさまざまにとりあげられてはいますが、そうした存在から切り離されているわれわれにはなかなか理解しがたいものになってきているかもしれません。

さて、四大霊について具体的にご説明することにしましょう。四大霊とは次の四つです。 

●火の精/サラマンダー

●風の精/ジルフィー

●水の精/ウンディーネ

●地の精/グノーム 

まず、これらの存在を構成要素という観点から見てみましょう。 

●火の精/サラマンダー <不完全な自我/アストラル体/エーテル体/物質体>

●風の精/ジルフィー <アストラル体/エーテル体/物質体/物質体−1>

●水の精/ウンディーネ <エーテル体/物質体/物質体−1/物質体−2>

●地の精/グノーム <物質体/物質体−1/物質体−2/物質体−3> 

ヒエラルキーが下がるごとに、四つの構成要素のランクが下がっていきます。ちなみに、<物質体−α>というのは、<物質体>よりも低次の構成要素という意味でこれについては、理解の便宜のために想定されるあり方をぼくなりに表現したものです。

では、それぞれの存在について簡単にご説明しましょう。

まず、<火の精/サラマンダー>について。<火の精>は、人間界と動物界の境界に現われます。<火の精>は、人間と動物の間に生まれる感情を養分にしているからです。羊飼と羊、騎手と馬、そんな間に存在しています。この<火の精>は、非常に賢い存在で、自然の知恵も豊かなので羊飼いにそっと知恵を授ける・・・なんていうこともあるのだそうです(^^)。

また、この存在は、植物の授精にも力を貸しているといいます。ちなみに、植物の生長には、四大霊すべてが関わっています。それについて簡単にご説明しますと、<火の精>は花粉にのせて宇宙の熱エーテルを雌しべに運びます。その熱エーテルを使って、<地の精>が地中で植物に活力を与えます。<地の精>が生きている生命エーテルを根に与えるのです。植物は、<地の精>がもっている大地に対する反感、嫌悪感から、地上にその芽を伸ばしていくことになります。さらに、<水の精>の出番になります。<水の精>は、化学エーテルで葉や枝を成長させていきます。そして、<風の精>が光エーテルを使って植物の原型つくっていきます。なかなかファンタジックで面白いでしょう(^^)。

さて、<火の精>の大部分は、アストラル界にいる動物の集合魂が分霊することによって生まれます。死後、動物の魂のなかで、集合魂に戻れなくなってしまうものがあるのですがそれが<火の精>になっていくのだといいます。ちなみに、集合魂はどのようにしてできたのかというと、能天使、力天使、主天使という高次存在が分霊して生まれたのだそうです。

続いて、<風の精/ジルフィー>について。

<風の精>は、太古の昔、天使から分霊して生まれたといいます。<風の精>は、動物界と植物界の境界に現われます。たとえば、蜂と花が接触するような場合です。蜂と花の共生関係というのは<風の精>の働きでできたのです。

<風の精>は、人間の<意志>に似たものを発達させた存在で、風と光の要素のなかに生きています。ツバメが軒先をかすめたり、カモメが海上を渡るときなど、その羽音の空気の流れを妙なる調べとして聞き取り、その空気の振動の、風と光の要素に入り込んでそこを住処とするのです。<風の精>は、鳥達と非常に相性がよくて、鳥達はこの<風の精>に歌い方を教わるのだといいます。

<風の精>は、外界に自分の自我を見つけだします。空に鳥が飛ぶときには自分と出会ったように感じ、鳥がいない空にいるときには自分がいない寂しさを感じます。こうして<風の精>は、宇宙に内在する愛の意志を運んでいるのだそうです。

<風の精>の使命は、植物に光を運ぶことです。愛の思いにのせて光を運ぶのです。

それから、<水の精/ウンディーネ>について。

<水の精>は、大天使から分霊して生まれました。岩と植物が接していて、そこにさらに水があるような場所に現われます。<水の精>は、水の要素の中に生きていますが、水の表面にいることを好みます。植物の生長に手を貸すというのもその大きな仕事です。<水の精>は、いつも夢想しているような存在で、そうした夢想のエーテル的素材がその姿をつくっているといいますが、植物は、水の精が織りなす夢想の中へと枝葉を伸ばしていくのだそうです。

また、<水の精>は、人間の感受性をさらに繊細にし敏感にしたような性質を持っています。人間が赤い薔薇をみてきれいだと感じたり、木立がざわめいているのに心騒がすようなとき、樹液の中に入り込んで、その「赤」を実際に体験したり、木立の枝の中で風のそよぎを感じたりしているといいます。

最後に<地の精/グノーム>について。

<地の精>は、権天使が分霊して生まれました。鉱物、金属とふつうの岩石が接しているところに現われます。たとえば、鉱山の地底などにいるのです。ですから、鉱夫は地の精に会いやすいといえます。<地の精>の高次の構成要素のは物質体もありますから、目に見えるようにも思いますが、物質界以下の力の作用で不可視になっています。

<地の精>はある意味では人間より知能がすぐれていて、非常な直観的理解力をもっているということで、人間の理解力を不完全だとして見下しているといいます。また、<地の精>には自我がありませんから、倫理観などはありません。しかし最高度の機知をもっているので、人間はこの存在によくからかわれるといいます。

また、これはちょっと意外なのですが、<地の精>は、地上的なものを憎んでいます。大地は地の精を常に両生類の姿に変える危険にさらしているからだといいます。ですから、大地に慣れるということを非常に嫌い、超地上的な理念に没頭します。<地の精>は、本来、大宇宙の理念の担い手でもあるからです。

さて、簡単に四大霊についてご説明してきましたが、ま、ここらへんは「番外編」ですから、ファンタジックに想像の翼を自由に羽ばたかせてみてはいかがでしょうか。

 


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