ルドルフ・シュタイナー

『神秘学概論(GA13)』ノート

12 今ここをプロセスとしてとらえる


2002.2.25

 

         霊学の分野で正しい判断を下そうとする人が、現代を、その霊的作用
        も含めて、十分深く観察することができるならば、進化の現在の完成段
        階と並んで、ちょうど五十歳の人と並んで一歳の幼児がいるのと同じよ
        うに、過去の進化の諸状態もまた存在し続けていることを、洞察するで
        あろう。現在の地球の出来事の中に、太古の出来事を観て取ることは可
        能である。ただそのためには、それぞれ異なる進化状態の前後関係が、
        相互にはっきりと区別できなければならない。
        (…)
         たしかに地球紀の人間と並んで、土星紀の人間、太陽紀の人間、月紀
        の人間が五十歳の大人のかたわらの三歳児のように、走り回ったりはし
        ていない。しかしひとりの地球人の内部に、以前の人間の諸状態が、超
        感覚的に知覚される。それを認識するためには、われわれの生活状態に
        応じた識別能力をもっていさえすればよい。五十歳の人間と並んで三歳
        の子どもがいるように、生活する目覚めた人間と並んで、死体、眠って
        いる人間、夢を見ている人間が存在する。そして人間存在のこれらの異
        なる現象形式は、かつての異なる進化期の状態をそのまま表現してはい
        なくても、事実に即した眼は、そのような現象形式の中に、進化の諸段
        階を観るのである。
        (P151-152,P156)
 
今ここにいる、ということの重要性は
今ここにいるということが
あらゆるプロセスを内包しているということを意味しているともいえる。
プロセスが要らないというふうにとらえるとするならば、
むしろ今ここにいる、ことさえ否定してしまうことになる。
言葉を換えていえば、自己認識がそこでは欠落してしまっている。
 
今この地球紀において人間をやっているということは、
そこには土星紀、太陽紀、月紀のプロセスが内包されている。
樹木の年輪を見てもわかるように、
その樹木の現在というのは育ってきた季節の積み重ねが
現在の年輪のなかにあらわれているといえる。
そのプロセスから、その樹木の生い立ちを知ることも可能である。
たとえば時期に応じ、年輪の育ち方にも違いがあったりもする。
 
今ここに、私がいる、ということは、
ここまでに至ったプロセスがそこに表現されているということである。
いきなりこの地上に今の状態で現われたわけではなく、
生まれ育ってきたプロセスがそこには内包されていて、
それらの結果今の私がいるのであり、
またこれからもさらにプロセスを積み重ねることによって、
これからの私が存在することになる。
 
従って、今この私ということを自己認識するにあたっては、
子どもの頃の自分などのことをも、
今この私のなかにあるものとしてとらえていく必要がある。
よく、子どもと大人との違い、というか、
大人が子どもを見て過剰に驚くような現象があるが、
その多くは、自分のなかの子どもを見ることができないがゆえに
そうなってしまうことも多いのではないだろうか。
そういう意味で、子どもという存在をとらえようとするときには、
まず自分のなかの子どもであったときのプロセスを
自己認識しようとすることが欠かせないように思う。
 
しかし、その際に、シュタイナーが繰り返し示唆していたような
人間の成長プロセスに関する以下のような内容はとても良いガイドとなる。
 
         誕生から死に至るまでの人生の諸経過は、感覚的、物質的な肉体の変
        化だけでなく、超感覚的な存在部分の変化をも考察しなければ、完全に
        理解することができない。
         この変化は、次のような仕方で見ることができる。肉体の誕生は、母
        親の胎内からの離脱である。胎児が生まれる以前に母体と共有していた
        諸力は、誕生後は、子どもの中で独立した力となって働く。
         しかし、のちになると、誕生時の肉体の出生と似た経過が、超感覚的
        に生じる。すなわち、それまでエーテル体を覆っていたエーテルの覆いと
        が、六歳か七歳の歯の生え替わる時期に離れ落ち、そしてエーテル体が
        「誕生」する。しかしその時の人間は、まだアストラルの覆いに包まれ
        ているが、この覆いもまた、十二歳から十六歳にかけての思春期に離れ
        落ち、そしてアストラル体が「誕生」する。もっと後になると、本来の
        「自我」も誕生する。以上の超感覚的な諸経過は教育のために役立てる
        ことができる。…
         「自我」が誕生した後、人間は社会の中で人間関係を学ぶようになる。
        感覚魂、悟性魂、意識魂という、自我に浸透された魂が、その時の人間
        の生き方を規定する。
         次いでエーテル体が退化し始める。七歳から発展を遂げてきたエーテ
        ル体が再び元へ戻っていく。アストラル体も、これまで誕生時の素質を
        発展させ、「自我」の誕生後は外界を体験しつつ、みずからを充実させ
        てきたが、ある時点からエーテル体を霊的な糧として、エーテル体を食
        い潰していく。人間がさらに年をとると、エーテル体もまた肉体を食い
        潰すようになる。そして老年を迎え、肉体が衰えていく。
         このように、人間の一生は三つの時期に分かれる。肉体とエーテル体
        が発達する時期、アストラル体と「自我」が発達する時期、第三にエー
        テル体と肉体が再び衰えていく時期である。
        (P436-437/「霊学で用いられる諸概念」より)
       
子どもについてだけではなく、
こうした人間の成長プロセスというのは、
自分がこれから死に至るまでのさまざまを
理解していく際にも重要だと思われるし、
自分より高齢のプロセスを迎えている人に対する認識を
得るためにもかなし示唆的ではないだろうか。
 
ところで、こうした人間の成長プロセスなどをとらえるように、
というか、人間の構成要素の生成プロセスそのものとして
惑星進化のことを理解すると、
土星紀、太陽期、月紀、地球紀という進化期が
理解しやすくなるのではないかと思われる。
もちろん、それは人間の成長や構成要素だけではなく、
この地球上にある鉱物や植物、動物などのさまざまを
(四大霊等に至るまで)
理解することでもある。
逆にいえば、そうしたプロセスを内包するものとして、
人間を、そしてこの地球をとらえていかなければ、
何も理解しえないということでもある。
今ここにいるということは、今ここだけということではなく、
宇宙のあらゆるプロセスが今ここに照らし出されている、
ということでもあるのだから。
 


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