ルドルフ・シュタイナー

『神秘学概論(GA13)』ノート

19 土星紀 4 :土星紀の進化プロセス2


2002.3.9

 

さて、意志霊と叡智霊に続き、
運動霊(デュナメイス)と形態霊(エクスシアイ)が
次のように働きかける。
 
         意志と生命との共同作用を通して、土星が一定の進化段階に達した後
        に、同じ土星の周囲の別の存在たちが活動を開始する。その存在たちは
        「運動霊」と呼ばれ、キリスト教では「デュナメイス」もしくは「力」
        と呼ばれる。この霊たちは、肉体と生命体をもっていない。そのもっと
        も低次の存在部分は、アストラル体である。土星の諸物体が生命を反映
        する能力を獲得したとき、この反射された生命は、この「運動霊」のア
        ストラル体の諸特性を身につけることができた。その結果、その生命は、
        まるで知覚行為や感情その他の魂の諸力を、土星から天空へ放射してい
        るかのように現われた。土星全体が魂をもった存在として、共感と反感
        を表わしているかのようだった。しかしこのような魂の現われは、決し
        て土星そのものの現われなのではなく、「運動霊」の魂の作用が反射さ
        れたにすぎない。
        (P168)
 
         次いで「形態霊」と呼ばれる別の存在たちの働きが始まる。形態霊の
        もっとも低い部分も、アストラル体である。けれどもそのアストラル体
        は、「運動霊」のアストラル体とは異なる進化段階に立っている。運動
        霊たちは反射された生命に、一般的な感情の表現だけを伝えているが、
        「形態霊」つまりキリスト教の「エクスシアイ」または「能」のアスト
        ラル体は、個々の存在から宇宙空間の中へ感情表現が放出されるように
        作用する。
         「運動霊」は全体としての土星を、ひとつの魂的な生命存在のように
        現出させるが、「形態霊」はこの生命を個々の生命存在に分けるので、
        土星はそのような魂的存在の集合体であるかのように現われる。
        (P168)
 
意志霊と叡智霊の最も低次の部分は、エーテル体だったが、
この運動霊と形態霊の最も低次の部分は
アストラル体だったということに注目する必要がある。
 
ここでも述べられているように、
運動霊はその「魂の作用」を反射させることで、
「反射された生命」が、
「土星全体が魂をもった存在として、
共感と反感を表わしているかのよう」に現象する。
また形態霊は、「反射された生命」が、
「個々の存在から宇宙空間の中へ感情表現が放出されるように作用する」。
 
このように、運動霊と形態霊は、
土星に魂的な要素を付与するために働いているといえる。
 
さて、通常、高次、低次ということでいえば、
たとえば人間の構成要素の肉体、エーテル体、アストラル体、自我でいえば、
肉体が最も低次で、自我が最も高次であるといふうにとらえがちだけれど、
意志霊と叡智霊がエーテル体を最も低次のものとして持ち、
運動霊と形態霊がアストラル体を最も低次のものとして持っていたように、
そういう高次ー低次というとらえかたを絶対化してしまうと、
こうした宇宙進化のダイナミックなプロセスを
とらえそこなってしまうのではないかと思うので注意が必要である。
 
現在、第一ヒエラルキアがむしろ低次のものであるとされる物質的なものに働きかけ、
第三ヒエラルキアが高次のものであるとされるアストラル体に働きかけている、
ということを見てもわかるように、
いわば「最も高きもの」と「最も低きもの」というのは
もっとも互いに働きかけあっているということがいえる。
つまり、低次の要素であるから軽視するというのは、
もっとも認識の欠如をあらわしているということでもある。
「肉体は汚れているから常に高次のもののほうに目をやらなければならない」
というふうに考えるとしたら、そこにはルシファー的な認識の陥穽がある。
 
続いて、土星紀の「人間」である人格霊(アルヒャイ)。
これが、土星紀の「光のドラマ」を演出することになる。
前回にも少しふれたように、
人格霊が現在の人間の段階にあったというのは、
意識の進化段階として「自我」意識を有していたということ。
また、人格霊は、運動霊、形態霊と同様、
その最も低次の部分としてアストラル体をもっています。
そのアストラル体を進化させて自我の働きの萌芽が生まれたわけです。
 
         土星がこのような段階にあったときに、同様にそのもっとも低次の部
        分としてアストラル体をもち、そのアストラル体を進化させて、現在の
        人間の「自我」のような働きを可能にしていた別の存在たちが、土星と
        関係をもつようになる。この存在たちを通して、「自我」が土星の周囲
        から土星に眼を向ける。そして自分の本性を。土星の個別的な生命存在
        に伝達する。そのようにして、現在の人生を生きる人間の人格に似た働
        きが、土星から宇宙空間の中へ放出される。このような働きをする存在
        たちは、「人格霊」、キリスト教では「アルヒャイ」または「原初」と
        呼ばれている。この霊的存在たちは、土星体の諸部分に人格の特質を附
        与するが、しかし土星そのものの上には、人格は存在していない。いわ
        ば人格の鏡像、人格の外被だけが存在しているのである。
        (…)
        「人格霊」は土星紀の「人間」なのである。しかし彼らは、そのもっと
        も低い部分として、肉体ではなく、自我と結びついたアストラル体をも
        っていた。それゆえ、彼らは現在の人間とは異なり、アストラル体の体
        験を、今日の人間のように肉体とエーテル体との中に表現することはで
        きなかった。しかし彼らは、「自我」をもっていただけではなく、その
        自我について意識していた。土星の熱が、「自我」を反射しつつ、彼ら
        に「自我」を意識させていた。彼らは、地球とは異なる状況の中での
        「人間」だったのである。
        (P169-170)
 
         土星進化の過程は、その後、それまでとは異なる諸事実を示すように
        なる。それまではすべての外の生活と外の知覚とを反射していたのに、
        今や一種の内面生活がはじまる。土星世界のそこここに、輝きを増すか
        と思うと、再び暗くなるような、光の生命がはじまる。さまざまの場所
        でちらちらと光がゆらめく。そうかと思うと、別のところでは、稲妻の
        ように輝きが走る。土星の熱形体がきらめき、輝き、そして光線を放ち
        はじめる。
        (P170)
 
このように、意志霊と叡智霊は、土星に生命的な働きを付与し、
運動霊と形態霊は魂的な働きを付与し、
そしてこの人格霊は「自我」的な働きを付与していった。
それらは萌芽的なものではあったけれども、
まず土星進化は、熱状態として現われ、
人格霊の働きで「自我」を反射しながら、
光のドラマとして展開していったのである。
 
 


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