太陽紀の進化の過程で、人間存在にエーテル体もしくは生命体が組み 込まれる。それによって、人間存在は、より高次の意識度を獲得するに いたる。しかしこのことが生じうる以前に、すでに述べたような仕方で、 土星紀の諸状態がもう一度繰り返されねばならない。 この繰り返しには、きわめてはっきりとした意味がある。すでに述べ たように、休息期が終わり、次いで、「宇宙の眠り」の中から、かつて の土星が新しい宇宙体である太陽となって現われてくるからこそ、進化 の状況に変化が生じるのである。 土星紀において働いてきた霊的存在たちもまた、新しい状態を獲得す る。しかし人間萌芽は、はじめ、新たに形成された太陽の上でも、土星 紀に形成されたときのままで現われる。人間萌芽は先ず、土星紀に通過 した進化段階を、太陽紀の状況に適したものにしなければならない。そ れゆえ太陽紀は土星紀の諸状態を繰り返すところから始まる。しかしそ の繰り返しは、太陽紀の変化した生活状況に適応しながら行なわれる。 (P180-181) 土星紀では、肉体、太陽紀ではエーテル体、月紀ではアストラル体、 地球紀では自我が人間に組み込まれ、 進化期を経ていくにつれてそれらは育っていくのだが、 それぞれの進化期の間には「休息期」があって、 「休息期」が終わると、それ以前の進化期が繰り返された上で、 新たな進化期での展開が生じてくる。 その繰り返しというのは、 人間が転生してくるときにも似ている。 人間は生まれてくるとき、当然のことながら、 最初から一足飛びに大人として生まれてくることはないし、 以前の生の続きをそのまま再開するというのでもない。 おぎゃーと生まれた人間は、それなりのプロセスを辿りながら成長していく。 教育に関する示唆でもよく知られているように、 人間は生まれるときまでは母胎に包まれていて、 生まれる時点で肉体が解き放たれ、 その後、7歳頃にエーテル体の覆いから、 14歳頃にアストラル体の覆いから解き放たれる。 肉体の誕生を第一の誕生とすれば、エーテル的な誕生を第二の誕生、 アストラル的な誕生を第三の誕生ということもできる。 人間はこうしたプロセスを生まれるたびごとに行ないながら成長していく。 そのように、太陽紀も、土星紀の諸状態を繰り返すことからはじまり、 月紀も、土星紀、太陽紀の諸状態を繰り返すことからはじまり、 地球紀も、土星紀、太陽紀、月紀の諸状態を繰り返すことからはじまった。 この繰り返しというのは、最初こうした宇宙進化のプロセスを知ったとき、 ひどくまどろっこしく感じられたのだけれど、 やはり、この繰り返しというのは非常に重要なことだということが 次第にわかるようになってきた。 人間の成長プロセスと惑星進化の成長プロセスとは 非常に興味深い関係があることが、 「シュタイナー教育の基本要素」(西川隆範訳/イザラ書房)の 第三章「受胎・誕生・成長」に示唆されている。 死から再受肉までの人生は、『土星』『太陽』『月』におけるかつての 人生から決定的な影響を受けている。『土星』『太陽』『月』における 人生が死から再受肉までの人生に反映し、さらに誕生から死までの人生 に反映するのである。誕生から死までの人生は、死から再受肉までの人 生の鏡像であり、死から再受肉までに生起することは、古い『土星』、 古い『太陽』、古い『月』で生じたことがらの影響を受けている。 (P48) 少し詳しく見てみると、次のようになる。 受胎に際して生じる現実の経過に関係するものすべてが問題になりま す。その経過は地球に属します。しかし、誕生前のことがらは、太陽と 地球の共同に属します。 (…) 胎児期に、ある現実の経過の反映が演じられ、現実の経過が誕生前に 演じられます。それは、古い「月」で生じた経過を繰り返すものです。 誕生の時点から、幼年期が終わって人間は意識的に「わたし」といえる ようになる時期までには、古い「太陽」進化の繰り返しが反映されます。 学校に通う年齢に反映されるのは、地球の古い「土星」経過の繰り返し です。 教育が終了して、社会に出るときには、どのような経過が反映される のでしょうか。「土星」時代前の経過が反映されるのです。可視の世界 に属さない経過、外的に目に見える星々のなかに相関物のない経過が反 映されるのです。教育が終了するまでにわたしたちが体験することの相 関物は、まだ目に見えるということができます。目に見える星々が、ま だ関係をもっています。私たちが学生時代後さらに体験し、わたしたち の内に形成されていくものは、まったく不可視の世界に属しています。 教育を負えると、私たちは可視の世界から解放されるのです。 (P62-63) このように、人間の成長プロセスには、惑星進化のプロセスが 深く関係しているといえるのだけれど、 重要なのは、この「可視の世界から解放され」た後のこと。 このことが人間の「自由」と深く関係しているのである。 精神科学が与えるものを受け取るということは、感覚世界の操り人形 であることをやめて、人間になることを意味します。自由を獲得し、生 涯にわたって自由のなかで活動するということを意味します。自由とい うのは、感覚世界に由来しない概念からのみ理解することができるので す。わたしたちは感覚世界から有するものによっては、自由になること ができないのです。『自由の哲学』で、倫理学の基礎を道徳的ファンタ ジーと呼んだとき、わたしはそのことに注目していたのです。 (P63-64) |