ルドルフ・シュタイナー

『神秘学概論(GA13)』ノート

27 月紀2:アストラル体


2002.4.8

 

土星紀には、意志霊の働きで肉体の萌芽が、
太陽紀には、叡智の霊の働きでエーテル体の萌芽が生まれたように、
この月紀においては運動霊の働きでアストラル体の萌芽が生まれ、
はじめて魂の特性を獲得するまでに至る。
いわば、この時期の人間は「動物的な人間」と呼ぶことができる。
太陽紀においては、植物的な人間、
土星紀においては鉱物的な人間と呼ぶことができるであろうように。
 
運動霊が人間にアストラル体を流し込んだのは月紀の第三周期であるが、
このことによって、人間は快ー不快を感じることができるまでに留まる。
第四周期において、さらに形態霊が働きかけることで、
そのアストラル体の働きに、願望や欲望が現われ、
そして第五周期において、人格霊が働きかけることで、
そのアストラル体に独立性、自己性が加わるようになる。
しかしそれはまだ自己意識にまではいたらない段階である。
 
        「運動霊」によってアストラル体を流し込まれた人間存在は、はじめて魂の
        特性を獲得する。生命体を獲得した人間存在の働きは、太陽進化期にはまだ
        植物的でしかなかったが、その働きが、今や感覚体験を持つようになり、快、
        不快がこの体験の中で感じられるようになる。
         とはいえ、「形態霊」が働きかけるようになるまでは、この内なる快、不
        快も交互に強まったり、弱まったりするだけに留まっている。「形態霊」の
        働きと共に、この交互に現われる快、不快の感情に変化が生じ、人間存在の
        中に、はじめて、願望や欲望が現われはじめる。人間は、一度快を与えてく
        れたものをさらに求めようとし、反感を感じたものは避けようとする。けれ
        ども、「形態霊」は、自己の本性を人間存在に委ねようとはせず、その本性
        の働きを人間存在の内部へただ流入、流出させるだけなので、その欲望には、
        内面性と独立性がまだ欠けている。欲望は、「形態霊」に導かれて、本能的
        な性格をもって現われている。
        (P194-195)
 
        「人格霊」は、人間のアストラル体に…働きかけ、その結果、人間のアスト
        ラル体は、人格としての特徴をもつようになる。今やアストラル体は、快と
        不快を内的に体験するだけにとどまらず、その快苦と自分自身との関係をも
        体験する。
         アストラル体は、まだ完全な自我意識をもって、「私がここにいる」と言
        えるようになるまでには至らないが、しかし自分が周囲にいる他の本性たち
        によって担われ、保護されているのを感じるようになる。だからアストラル
        体は、他の本性たちの方にいわば眼差しを向け、「このような環境こそが私
        の存在を保証してくれているのだ」と自分に言いきかせることができる。
        (P204)
 
まず快・不快が生まれ、さらに願望・欲望が生まれ、
そしてそれに自己性が付け加わっていく、というプロセスは
アストラル体というか魂の特性を理解するために興味深い。
子どもの成長においても、おそらくこのプロセスを観察することができるし、
自分自身を観察することも可能である。
 
赤ん坊はまず快ー不快に生きている。
それが次第に、願望・欲望を明確にしていきながら、
周囲との関係のなかで、自分という存在を確認していく。
最初は、自分と自分でないものの境界ははっきりしないが、
次第に自分でないものがあるということがわかるようになり、
自分でないものがはっきりするに応じて、
自分という存在の個別性を認識するようになる。
鏡に自分を映してどのように反応するかも
成長によって異なってくるのがわかる。
最初は自分が鏡に映っていることはわからないだろうが、
次第にそれが自分であることがわかるようになる。
 
今は地球紀の人間なので、自分のアストラル体・魂の働きの段階を
ある程度、自己意識によってとらえることができる。
アストラル体の基本特性はやはり、快ー不快であり、
それを基本原理にしながら、願望と欲望が働いている(^.^)。
だから、「一度快を与えてくれたものをさらに求めようとし、
反感を感じたものは避けようとする」。
 
地球紀の人間といっても、おそらくアストラル体の発達は人それぞれで、
そうした月紀的なアストラル体をもっぱらとする人もいれば、
反感を感じてそれを避けるとはかぎらない人もいる。
反感を感じはするが、そこに意味を見出してあえて避けないこともできる。
それはマゾヒスティックな働きであることもあるが(^^;)、
もちろんそれだけではなくて、そこに思考を育てていくこともできる。
思考はまさに反感でもあるのだから。
そして自己意識の可能性へと向かうことができる。
 
思考によって冷たさを感じることがあるのはその反感によるが、
もちろん思考を否定することは月紀への逆戻りでもあるし、
思考を生きたものとすることもできる。
そうしたある意味での矛盾によって進化していく、というのが
人間存在であるということもできる。
自由というのもそうした矛盾故のものであるが、
その自由によって人間は人間である可能性を開花させることができる。
 
 


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