ルドルフ・シュタイナー

『神秘学概論(GA13)』ノート

29 月紀4 両極性と統合


2002.10.16

 

         月紀における意識状態は、明らかに異なった、互いに交替し合う二つの
        特徴的な在り方を示している。太陽に関わる時期には、より暗い意識状態
        を示し、自分自身により多くの関わりを持つ時期には、より明るい意識状
        態を示している。第一の意識はより暗いけれども、より一層没我的になる。
        その時期の人間は、外的な宇宙、つまり太陽の中に映しだされた宇宙に没
        頭して生きている。意識状態のこの交替は、現在の人間の眠りと目覚めの
        交替に比較できるが、さらにまた、誕生から死までの地上の生活と、死か
        ら新生までの霊的な生活との交替にも比較できる。
         太陽の時期が次第に終わり、月紀での目覚めの時期が始まる時、その目
        覚めは、現在の人間の毎朝の目覚めと、母親の胎内からの出生との中間の
        ようなものだ、といえる。同様に、太陽の時期が再び近づき、意識が次第
        に暗くなるのは、眠りと死の中間のような体験だといえよう。現在の人間
        におけるような生誕と死は、太古の月紀には、まだ存在していなかった。
        当時の人間は、太陽の生命を生きながら、ひたすらこの生命を享受してい
        た。太陽の時期の人間は、自分固有の生から離れて、むしろ霊的に生き続
        けた。(P211-212)
 
月紀における二つの意識状態の交替が、
現在のような眠りと目覚め、生と死に比較できる
ということに注目してみると、
二つの極の間を振幅するということを通じて
宇宙進化が展開されていくということがわかる。
 
そしてやがてその時期の進化は
太陽と月の分離していた状態から
再び太陽と月が「ひとつの宇宙構成体」となるように、
その二つの極の「中」によって成就されていく。
 
その合体の際に、人間の肉体はエーテル化されるが、
その際に肉体が消えてしまうのではない、
ということがポイントであるように思える。
 
        そもそも物質的なものは、外的に物質として現われるだけなのではない。
        それはエーテル的、アストラル的なものの外的形式としても存在しうる。
        だから外的現象と内的法則性とを区別しなければならないのである。(P218)
 
重要なのは、外的に物質であるかどうか、ではなく、
その「物質法則性」が存在しているかどうかが重要であって、
新たに付け加えられたものは、いわば「内的法則性」として保たれていく。
 
二つの極の交替によって、新たなものが付け加わる可能性が生じ、
再びその二つの極がひとつになるとしても、
その極における「内的法則性」は保たれたままである。
そのことは、たとえば集合的なありかたが個的なあり方になり、
またその個が高次の在り方へと変容していく際に、
個的なあり方からシフトしたとしても、
その個の、いわば「内的法則性」は失われないというのにも似ている。
つまり、この二つの極の合体は「融合」ではなく、
それぞれの「極」の「内的法則性」が保たれたままの「統合」、
統合的変容なのである。
 
この二つの極ということで、
植物の形成運動における「拡張」と「収縮」を思い出したが、
これは「分離」と「融合」ということで説明されたりもするように、
こうした両極性と統合によって、あらゆるものはさまざまなレベルにおいて、
展開していくのではないかというふうなイメージを
シュタイナーの精神科学からはイメージできるように思われる。
「精神科学と医学」においても、たびたびこの「両極性」が示唆されている。
 
シュタイナーのいう宇宙進化プロセスを理解していく際には、
この両極性と統合という視点が重要になると思われるが、
善と悪をとらえる際にもこの視点はおそらく鍵になるのではないだろうか。
 
・・・ここで、出勤時間が近づいたので、
時間切れのようです(^^;)。
両極性というのはかなり面白いテーマなので、
これからもいろんなレベルで見ていきたいと思っています。
 
 


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