ルドルフ・シュタイナー

『神秘学概論(GA13)』ノート

44 魂の力を育てること


2003.9.15

 

「対象認識」から「対象のない認識」へというように、
物質的な外界から自由になれるだけの魂の力を育てることに関して。
 
瞑想と睡眠の比較がなされている。
瞑想は一種の睡眠であるということもできるのだが、
日常的な意識に比べて、高次の覚醒状態を示しているのである。
その高次の覚醒状態をにおいては、
日常的な魂の力よりもより強い魂の力が必要とされる。
そのためにたとえば象徴像を用いた修行がなされる。
 
そうした高次の覚醒状態が睡眠と異なっているのは、
魂は睡眠と同じく身体から離れるにもかかわらず、
睡眠時のように意識を失ってしまうのではなく、
「これまで体験したことのなかった世界を体験する」。
 
睡眠時における体験が意識化できないのは、
そうした日常的意識のレベルでの魂は、身体を通じて、
というかそれに反射させるかたちで意識を働かせているので、
睡眠時のように身体を離れてしまうと、
その映し出すスクリーンがなくなってしまうがゆえに
意識を保つことができなくなってしまうわけである。
 
        日常の覚醒状態での魂は、みずからの力を十分に発揮しないで、身体の
        助けを借りて意識を働かせているので、みずからを体験するのではなく、
        ーー鏡の像のようにーー身体もしくは身体の諸経過が映し出す像の中に、
        自分自身を見ているにすぎない。
        (P331)
 
前回述べた行は、物質的な外界から自由になることで
身体の助けを借りないでも「みずからの真に独自な内的本性を体験」できるように
魂の力を育てていくためのものであるということができる。
 
しかしもちろんその行によってつくりだされる象徴像は
まだ「霊界の現実」と結びついているということはできない。
 
        それは感覚的知覚並びに知性を働かせる脳組織から人間の魂を分離させ
        るためにのみ役立っている。
 
このことを理解しておかないと、
そこでつくりだされる象徴像を霊的現実だという思い込んでしまい
それにとらわれてしまうことになる。
重要なのは次のようにいうことができることなのである。
 
        感覚的な知覚や通常の知的な思考が働かないときでも、私の意識は失われ
        ずにいる。私は身体から離れて、それまで私であった存在のかたわらにい      
        る自分を感じることができる。
        (P331)
 
魂が身体から離れた状態でも意識を失わないでいられるように
魂の力を育てていくということは
「これまで組織化されていなかった魂的、霊的な本性の中から
魂的、霊的な諸器官を作り上げる」ということなのだが、
まずはじめにそこで知覚されるものは「みずから作り上げたものの働き」であり
それは「自己知覚」であるということを意識しておく必要がある。
 
        形象は、新しい世界の中で、生きているように現われるが、しかし魂は、
        その形象が修行によって強化された自分自身の反映にすぎないことを、
        よく認識していなければならない。そしてこのことを正当に判断するだ
        けではなく、いつでもこの形象を再び意識から遠ざけ、消し去ることが
        できるように、意志を育成しなければならない。
        魂は形象の内部で、完全に自由に、完全な自意識をもって働くことがで
        きなければならない。このことは、この時点での正しい霊的修行のひと
        つである。
        (P332)
 
象徴像、形象そのものが重要なのではなく、
新たに獲得され育成された魂の働きそのものが重要なのである。
 


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