「高次の諸世界の認識」の章に関連した シュタイナーの著作、講義等を読み直しているところだが、 この際、ここでそれらの関連について 主なものをシュタイナー自身の言葉から、少し整理しておくことにしたい。 「高次の諸世界の認識」の章に関連する主な著作は、 『いかにしてより高次の世界の認識を得るか』であるのは確かだが、 それ以外にも日本語で読むことのできる文献には 『自己認識への道』や『霊界の境域』などがあり、 これらにはまた別の視点が提供されているので、 それらの視点の違いとその関係についても理解しておく必要があり、 それらも併せて読んでおく必要を感じたのである。 ●『自己認識への道』の「まえがき」(1912年8月)より 拙著『神智学』と『神秘学概論』で展開した私の努力・試みは、観察が 霊的なものにまで高まった時に、看取されたままに物事を述べることにあ った。これらの二つの著作の表現方法は描写的であり、その方向は対象そ のものから導き出された法則に従って決定された。本書『自己認識への道』 では、異なる表現方法を採っている。ここでは、ある方法で霊性に至る道 を歩み始めた魂が経験し得る事柄を扱っている。従って、この書物は魂が 経験した事柄の報告と思ってよい。もっとも、このようは方法で得られる 体験は、個々の魂に応じて個人的な形式を採らざるを得ない、ということ を了解しておく必要がある。私は、この事実に忠実であろうと努めてきた。 その結果、本書の記述内容は、まさに述べられているが如く、ある一人の 魂によって確かに体験されたのであると想像することもできる。(それ故、 本書は『自己認識への道』と名付けられたのである。)以上の理由から、 本書は、他の人々の魂がその記述の内容を生き、かつそれぞれの記述に応 じた諸目標に到達するための一助となる目的を持つ。また、拙著、『いか にしてより高次な世界の認識を獲得するか』を敷衍するための一冊でもあ る。 (人智学出版社/P7-8) ●『霊界の境域』の「緒言」(1913年8月)より 本書は感覚界と霊界とを分かつ境界を越える時に霊的認識に映ずる宇宙 と人間の本質を叙述するものである。昨年出版された『自己認識への道』 と同じく、本書は私の他の著作を補ひ、敷衍するものであるとはいへ、他 の著作の知識なしにも本書は独立したものとして読まれ得る。 真に霊学の認識に参入しようと思ふ者は、人生の霊的領域を常に新たな 側面から考察することを学ばねばならない。どのやうな個々の叙述も一面 性をまぬがれることはできない。このことは、感覚界よりも霊界の描写に 際して一層よくあてはまる。それ故、真摯に霊的認識を探究する者は一個 の叙述に満足すべきではない。本書はそのやうな真摯な霊界の認識の探求 のために、暗示的な文体を用ゐて書かれた。かつてある観点から叙述した 霊的事象を、私は常に別の観点からもう一度叙述し直すように試みてゐる。 ちやうど、ある人物や事件の経過を様々な角度から写しとることによつて 全体像が明らかになつてゆくやうに、本書に於いても霊的事象の真の姿を より完全に把握できるやうに、様々な観点からの描写がなされている。 そのやうな描写によつて、他の観点からは記述することのできない認識 を表現することができた。本書はまた、霊的修行の道を歩まうとする者に、 瞑想の素材への手掛かりを提供するものである。魂的生活の探究者は本書 の中に瞑想の根拠を見出すことができるはずである。 (『霊界の境域』書肆風の薔薇/P13-14) ●『霊的認識の階梯』(1905年10月〜1908年5月) 第一章「霊的認識の階梯」より 「境域の守護霊」及び「境域の大守護霊」との出会ひに至るまでの霊的 認識の道は『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』に記された。 本書に於いては、魂が一連の認識の階梯を昇って行く時に、物質界、魂界、 霊界に対してどのやうな関係に立つかを論述しようと思ふ。それ故、本書 に於いて扱はれる内容は「神秘学の認識論」と呼ぶことができる。 (『霊界の境域』書肆風の薔薇/P109-110) |