ルドルフ・シュタイナー

『神秘学概論(GA13)』ノート

6 三重のヴェールに覆われている肉体


2002.2.13

 

         人間は、自我による魂への働きかけによって、開示されている魂の
        中から、隠された魂を現出させることができる。人間は、アストラル
        体にまで自己の働きかけを拡大することができる。そして自我がアス
        トラル体を支配し、みずからをアストラル体の隠された本性とひとつ
        に結びつける。そのようにして自我に支配され、変化させられたアス
        トラル体は、「霊我」と呼ばれる。(…)
         人間はアストラル体の背後に存する、隠された諸力にまで踏み込む
        ことによって、アストラル体を支配するようになるが、同じことが進
        化の過程で、エーテル体についても生じる。しかしエーテル体への働
        きかけは、アストラル体への働きかけよりも、もっと高い集中度を必
        要とする。なぜなら、エーテル体の中に隠されているものは、二つの
        ヴェールに覆われているのに、アストラル体の中に隠されているもの
        は、ひとつのヴェールに覆われているだけなのだからである。(…)
         人間がもっぱら快と苦、喜びと痛みに左右されている限り、自我が
        アストラル体に働きかけているとは言えない。魂の諸特性を変化させ
        るときにのみ、そう言えるのである。そして自我の働きが、さらに性
        格や気質をも変化させようとするとき、その働きは、エーテル体にま
        で及んでいる。どんな人の自我も、それを意識しているかどうかに関
        わりなく、エーテル体を変化させようと働いている。(…)
         この分肢は、霊の第二の本性として、「生命霊」と呼ばれる。(…)
         しかし自我の働きは、アストラル体、エーテル体への作用に尽きる
        のではなく、肉体へもその作用は及んでいる。肉体への自我の影響は、
        たとえばある種の体験の結果、顔が紅潮したり、蒼白になったりする
        ときにも認められる。その場合、自我が肉体の中に変化を惹き起こし
        ている。肉体に変化を生じさせる自我の働きは、肉体の隠された力と、
        肉体の諸経過を惹き起こす隠された力と結びついている。
         こういう言い方を誤解して、この隠された働きを物質的なものと考
        えてはならない。物質的なものとなって肉体に現われるのは、肉体の
        中の開示された部分にすぎない。この開示された部分の背後に、隠さ
        れた力が働いている。その力は、霊的な種類の力である。
         肉体となって現われている物質的なものへの働きかけが、この場合
        問題なのではなく、肉体を生じさせ、そして崩壊させる、眼に見えな
        い諸力への霊的な働きかけが問題なのである。通常の生活においては、
        肉体への自我の働きは、極く曖昧な形でしか意識されることがない。
        明瞭に意識されるのは、超感覚的認識を通してこの働きを意識化する
        時のみである。そしてその時には、人間の中に第三の霊的本性が存在
        していることが明らかになる。それは、肉体の対極にあるものとして、
        「霊人」と呼ばれる。(…)
         肉体の中に人間のもっとも低次の分肢しか見ようとしない人には、
        霊人を誤解してしまうであろう。そして、肉体への働きかけが人間
        本性の最高の分肢を生じさせるとは、とても思えないであろう。け
        れども肉体が、そこに働く霊を三重のヴェールで覆い隠しているか
        らこそ、自我と肉体の隠された霊とをひとつに結びつけることは、
        人間のもっとも高次な作業に属するのである。
        (P76-81)
 
自我がアストラル体に働きかけて霊我が、
エーテル体に働きかけて生命霊が、
そして肉体に働きかけて霊人が生じる、
というときに注意が必要なのは、
「人間存在一人ひとりに於いて、アストラル体は2層である」
といわれているように、
アストラル体、エーテル体、肉体は
「ヴェールに覆われている」ということである。
しかも、そのヴェールは、アストラル体において一重であるが、
エーテル体においては二重であり、
肉体においては三重であるということ。
 
そのヴェールに覆われているということは、
『神秘学概論』の後の章の「宇宙の進化と人間」に詳述されているように、
肉体が土星紀、太陽紀、月紀を経、
エーテル体が太陽紀、月紀を経、
アストラル体が月紀を経ている
ということに関係しているように思われる。
そして、変容はアストラル体、エーテル体、肉体の、
ヴェールに隠されたものにおいて起こる。
 
霊的な事象を素朴に考えすぎる人は、
唯物論はいけないというように、
物質的なものが低次で霊的なものが高次である、
というふうにとらえがちであり、
物質的なものを軽視しそれに対する認識を深めることが
なおざりにされる傾向もあるように思われるが
「現在の人間の4つの構成部分の中では、肉体がもっとも古い部分である。
肉体はまた、最高の完全さに達した構成部分でもある」(P156)とあるように、
肉体に関する認識を深めていくことは、また
「人間のもっとも高次な作業に属する」と思われる。
 
第一ヒエラルキアが物質レベルに、
第二ヒエラルキアがエーテルレベルに、
第三ヒエラルキアがアストラルレベルに働きかけるというのも、
物質レベルがもっとも古い歴史を経ていて、
それゆえに何重ものヴェールに覆われているということなのだろう。
キリストの復活ということに関しても、
まさにその肉体レベルでの変容に関わるものであるように思える。
 
シュタイナーは、その最晩年において、
物質に関わる事象についての講義を急いだような印象があるが、
それがもっとも認識の困難なものだからのように思われる。
いわゆる「心の教え」的な内容に関しては、
人智学でなくてもさまざまな示唆には事欠かないところがあるが、
そうした物質に関わるところまでふくめたかたちで
トータルな認識を提示しようとしたことにおいて、
人智学の独自性とその現代性があるのではないだろうか。
逆にいえば、物質の認識に関わる観点の欠如した人智学は
その存在意味として現代性を持ちにくいように思える。
 
 


 ■シュタイナー研究室に戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る