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シュタイナーの「健康と食事」(イザラ書房)より、アルコール、タバコ、コーヒーについて。
●アルコール●
「アルコールは、まず心の状態全体に作用します。アルコールによって、人間はまず強度の精神錯乱に陥り、普段は思慮分別によって抑えられている情念が噴き出します。(中略)ついで、アルコールは血液を奮闘させ、血液循環が活発になります。そのために、情念が刺激されるのです。たとえば、酒を飲んでいないときには抑えられていた怒りが、酒が入ると爆発します。アルコールは、まず第一に人間の思慮分別、人間の心のいとなみに作用するのです。」
「女性が飲酒すると、人間のなかにある地上的なものが崩壊する。男性が飲酒すると、周囲にあり、人間の内にもある、動的、空気的なものが崩壊する。」
「両親がともの飲酒していると、胎児は両側から崩壊していくわけです。受胎は可能ですが、胎児の正常な発育は望めません。」
「水頭症の子供が生まれたとき、その子は母親が晩餐会で赤ワインを飲んだ夜に受胎したことがわかるはずです。」
「男性が飲酒すると、子供の神経組織のどこかに影響が及び、たとえば肺病になります。」
こうした子供への影響という記述というのは、かなり衝撃的ですね。僕の会社のまわりには、酔った勢いで子供ができてしまって結婚へ、といったケースがみられるようなので(^^;)、(そういえば、武田鉄也の母に捧げるバラード(ちょっと古いけど)の語りにもありましたね、そんなシーン)やはり子供への責任ということを考えてアルコールには気をつけてといいたいですね。
●タバコ●
「ニコチンの作用は、なによりも心臓の活動に現れます。ニコチンによって、心臓の活動は大きく、強いものになります。心臓はポンプではありません。血液が早く流れれば、心臓は早く打ちます。ニコチンは、血液循環に働きかけ、血液循環を活発にします。そのために、心臓の活動が強くなるのです。」
「タバコを吸うと、まず血液循環が刺激されます。血液は、活発に循環するようになります。しかし、ニコチンは呼吸を刺激しはしません。呼吸に変化は生じません。こうして血液循環は。もはや呼吸と調和したものではなくなります。タバコを吸うと、自分とは異なったリズムで血液が循環するようになります。」
僕はタバコというの、どっちかというと、空気が悪くなるから嫌いだけど、インディアンはタバコが好きですよね(^^)。インディアンがタバコを吸うシーンというのはなかなかかっこいい。日本でタバコをかっこよく吸っている人っていませんねえ。大工の頭領さんなんかが、キセルでポンポン、なんてのはよかったんだけど。
●コーヒー●
「コーヒーは、首尾一貫性、論理的関連を支える作用があるのだが、そのとき、人間自身の内的力は弱められ、外から論理を強制されるような方法で作用する。」
僕は、仕事がら、コーヒーガブ飲み派なので、う〜む、というところですね。そういえば、内的力が弱められていき、何か外から重圧がかかってくるという感じはありますね。ここんとこは。風邪でお腹の調子が悪くて断珈琲状態ですけど(^^;)。
●紅茶●
「紅茶は、思考を散らし、明るくし、機知にあふれさせ、活気づけるが、そのそれぞれは軽いものになる。」
紅茶も好きだけど、確かに「軽い」感じにはなりますね。確かに。
この他、肉食と菜食についての他、妙味深い内容があるのですが、参考までに西川隆範さんが「あとがき」で紹介している1904年に秘教学院の開始にあたっての規則を紹介しておきます。
「酒は脳に作用して、霊的な器官を破壊し、修行が不可能になるので、酒類は一切禁じる。肉食は禁じないが、肉食をしないと低次の性質との戦いが容易になるので、肉を食べないほうがよいということに注意するように」。
それから、この他に「糖尿病とユダヤ人」に関する記述に面白いものがありました。
「旧約聖書を読むと、さまざまな食事の規定がなされています。今日でも、『掟にしたがった清浄な』レストランでは、その規則が守られています。(中略)モーセによる食事の規定にしたがった料理がされているのです。旧約聖書の食事の規定を調べてみると、それが砂糖をよく消化できるものであることがわかります。ユダヤ民族の身体は、もともと砂糖をよく消化できないのです。豚肉が禁じられているのは、豚肉が糖分の消化をいちじるしく困難にするからなのです。豚肉が禁じられているのは、糖尿病を防ぐためなのです。旧約聖書を医学的に読めば、非常に興味深いものです。個々の禁止事項、清浄な調理がなにを目的にしたものかを調べれば、非常に興味深いものなのです。たとえば、家畜の頚動脈を切る屠殺法は、その肉から適量の砂糖を摂取できるようにするためのものなのです。」
宗教的戒律の成立した背景には、民族ごとの身体的特徴というのが大きく関与しているのでしょうね。それが、理由が半ば忘れ去られ、宗教的な戒律として普遍化されるようになる。ふむふむ、という説得力のある説明ですね。
シュタイナーの「精神科学と医学」の紹介をはじめましたが、シュタイナーがそれについて語っている講演から、いわば番外編として酒とタバコについてのお話を少し。さらに、ある意味で「いか超」とも関連した部分もでてくるかと思います。
ちなみに、以下の邦訳がありますので、興味のある方はどうぞ。
■シュタイナー「健康と食事」(西川隆範訳/イザラ書房/1992.2.20)
酒とタバコについてその作用や影響の話をすると、「酒を飲むなというのか」とか「タバコを吸うなというのか」といったようなただの反作用が返ってくることがありますけど、そういう単純なことではなく、やはり、ちゃんとそれらの作用を理解することを忘れてはならないと思います。事実から目を背けるのではなく、事実を直視した上で、それぞれが自分の行動を選択していくことが重要なのです。そのことについて、シュタイナーは次のように語っています。
人々は、「酒を飲むのがいいのか。酒を飲まないのがいいのか。菜食にするのがいいのか。肉を食べるのがいいのか」と、訊きます。わたしは一度も、酒を止めるべきだとか、酒を飲めとか、菜食にしろとか、肉を食べるべきだとかいったことはありません。わたしは、「アルコールには、こういう作用がある」と、いうのです。わたしは、たんにアルコールの作用を説明するだけです。酒を飲むか飲まないかは、本人が決断するのです。菜食、肉食に関する質問に対しても、わたしは同様にしています。(中略)
なによりも、人の自由が尊重されねばなりません。人になにかを勧めたり、禁じたりするのではなく、事実を語るのです。アルコールがどのように作用するかを知れば、どうするのが正しいのか、おのずとわかります。事実を語ることが、人が自由に、自分で正しい方向を見出す助けになるのです。(P103-104)
このように、事実を直視した上でそれぞれが方向を自分で決めていくことが重要です。酒やタバコが周囲の人に与える影響にしても、それをちゃんとわかっている人ならば、それなりの節度をもって飲酒、喫煙ができるはずなのですから。
さて、前置きはこのくらいにして、さっそく、まずはアルコールの作用について。
ご存じのように、アルコールが体のなかにしばらく残っていると、二日酔いになります。二日酔いになることからわかるように、アルコールは人体に刃向かう働きをします。二日酔いになるというのはどういうことでしょうか。夜、酔っぱらって、翌朝、二日酔いになります。そして、血液は非常に強く働きます。体の過剰な活動のために、非常に多くの力を必要とするからです。(中略)アルコールによって夜のあいだ内的な身体活動が消耗した人の頭は、翌朝、腸のようになっています。頭のなかに糞尿が溜まっているのです。アルコールによって過剰な活動が要求されると、体はすぐに反乱をおこします。(p85-87)
アルコールが血液に強く働くということはよく言われます。ですから、少量のアルコールの摂取は、血液循環を円滑なものにし、体をあたためてくれるものでもあるのだと思いますけど、二日酔いするほどの飲酒というのは、やはり、アルコールの過剰な作用を受けてそれなりに体は消耗してくるのだということができそうです。
引用にあるように、頭が「腸のようになって」いるというのは面白い指摘ですね。「頭のなかに糞尿が溜まっている」状態だと、思考力が働かないというのは、自分の体験でもよくわかります。なんだか、言い得て妙という感じもします。
もう少し詳しく見てみましょう。
アルコールをいつも飲んでいると、つまり慢性になると、人間のなかでアルコールはアルコールとして作用するようになります。
アルコールがアルコールとして作用するというのはどういうことでしょうか。人間が必要とする量のアルコールは人間自身が作ります。人間は少量のアルコールを必要とするので、内蔵のなかで、普通の食べ物からある量のアルコールがつくられるのです。なぜ人間はこの少量のアルコールを必要とするのでしょうか。(中略)アルコールは人体のなかで、人間が必要とする素材が腐るのを防いでいるのです。(中略)
しかし、酒を飲み過ぎるとどうなるでしょうか。そうすると、あまりに多くのものが保存されるのです。排泄されるべきものが、体内に保存されてしまうのです。体内を循環する血液にアルコールが浸透すると、その血液は体内に保存されます。その結果、どういうことになるのでしょうか。その血液が、骨のなかの管を詰まらせるのです。すばやく排出されはしません。あまりに長く、体内にとどまるのです。そのために、骨の空洞のなかで骨髄がわずかしか新しい血液を作らないようになり、虚弱になるのです。(P97-98)
人体は少量のアルコールを必要としているというのは重要ですね。そして、自分でその成分をつくれない、つくる能力の弱い人にサポートする意味でアルコールを摂取する有効性については、アルコールにかぎらず、ほかの事柄についてもよく理解できることです。
けれど、問題はそれが過剰に摂取された場合の危険性です。上記の引用にあるように、アルコールの過剰な摂取によって排出作用が弱まってくると健康を損なう方向に著しく働く可能性があることがわかります。やはり、過剰なまでのアルコールの摂取を習慣化すると、体が虚弱になってしまうということは認識しておく必要があるようです。
さて、上記のことは、半ば常識的なことですけど、興味深い話を少し加えておくことにします。男女でのアルコールの作用の違いについてです。
人間の思慮や心のありかたは、男女でそれほどちがいはありませんが、血液は男性と女性で非常に異なっています。骨の空洞で赤血球と白血球が作られますが、女性にとっては赤血球が重要であり、男性にとっては白血球が重要なのです。(中略)
女性には4週間ごとに生理がありますが、赤血球から排泄されるべきものを排泄しているのです。男性には生理はありません。男性の精子は、赤血球に由来するものではありません。精子は白血球に由来するものです。(中略)
骨のなかで作られた赤血球と白血球は血液のなかに入っていきます。女性が酒を飲むと、特別の影響が赤血球に及びます。赤血球は鉄分を含んでおり、重いものです。
(中略)女性が酒を飲むと、あまりに多くの重みを自分の内に持つことになります。女性が酒を飲むと、胎児があまりに重くなり、器官を正常に発達させることができなくなります。(中略)
男性の場合、アルコールは白血球に影響を与えます。アルコールの影響によって精子は落ちつきがなくなり、崩壊します。(中略)
「女性が飲酒すると、人間のなかにある地上的なものが崩壊する。男性が飲酒すると、周囲にあり、人間の内にもある、動的、空気的なものが崩壊する」と、いうことができます。両親がともに飲酒していると、胎児は両側から崩壊していくわけです。(P91-93)
「女性にとっては赤血球が重要であり、男性にとっては白血球が重要」というのはとても興味深い指摘ですよね。酔った酒の勢いで・・・ということの結果生まれる子供ということがどうしても頭に浮かんでしまいますけど^^;、やはり、子供を持つということを考えられている方にとっては、こうしたことを念頭に置いておくというのは重要なことのように思います。
さて、次のアーティクルでは、タバコがテーマです。
さて、引き続いてタバコについてです(^^)。
まずは、タバコには必ず含まれているニコチンの基本的な作用について見てみましょう。
ニコチンの作用は、なによりも心臓の活動に現れます。ニコチンによって、心臓の活動は大きく、強いものになります。心臓はポンプではありません。血液が速く流れれば、心臓は速く打ちます。ニコチンは血液循環に働きかけ、血液循環を活発にします。そのために、心臓の活動が強くなるのです。(P105)
ニコチンは血液循環を活発にし、心臓の活動を強くする。このことがまず基本的なことです。
ちなみに、心臓はポンプではないというのは、シュタイナーの神秘学的な見地からみた重要なポイントです。これは、現在連載中の「精神科学と医学」のなかにもでてくると思いますので、詳しくはその折りにお話させていただくことにします。
さて、ニコチンは薬にもなるという視点は重要ですし、薬であるということは、毒にもなり、また副作用の危険性もあるということは忘れてはならないことではないかと思います。また、嗜好品として習慣的に摂取するというあり方も忘れてはならない点です。これは、ある意味では、軽い薬物依存に近い状態であるのはもちろんです。珈琲などを毎日がぶ飲みするというのも、似た側面があるのだと思います。
ニコチンを体内に吸収するのには、二つの理由があります。第一に、タバコに対する欲望からです。第二に、薬としてです。どのような毒も薬になります。すべては毒であり薬であるのです。(P106)
では、具体的に見ていくことにします。
タバコを吸うと、まず血液循環が刺激されます。血液は、活発に循環するようになります。しかし、ニコチンは呼吸を刺激しはしません。呼吸に変化は生じません。こうして血液循環は、もはや呼吸と調和したものではなくなります。タバコを吸うと、自分のリズムとは異なったリズムで血液が循環するようになります。(中略)
脈が一度打つごとに、ある一定の量の酸素を血液に結合すべきなのですが、タバコを吸ったことによって、血液は十分な量の酸素を得ることができなくなります。ニコチン中毒の結果、血液は大量の酸素を受け入れようと欲します。血液はあまりに多くの酸素を要求するのです。呼吸はそんなに多くの酸素を与えることができません。そのために、軽い呼吸困難が生じます。(中略)この軽い呼吸困難は、一呼吸毎に不安の感情を生じさせます。(中略)喫煙によって引き起こされる軽い不安は、まったく無意識のものにとどまります。はっきりした不安を持っていて、その不安を抑えることのほうが容易です。不安や恐怖が無意識にとどまると、病気の原因になります。(P106-107)
ここで指摘されているのは、タバコを吸うことによって、血液循環と呼吸課程が異なったリズムをもってしまうということです。ニコチンは血液循環を刺激するだけで、呼吸には刺激を与えないために、軽い呼吸困難とでもいえる状態を引き起こすというのです。そして、そのことで無意識のうちに、不安が引き起こされるというわけです。
さらに、そのことをもっと見ていきましょう。
ヘビースモーカーは、絶えざる無意識の不安にさらされる可能性があります。不安を感じると、心臓がドキドキします。ニコチンによって絶えず毒されている人の心臓はいつも速く打っていることが、おわかりになるでしょう。心臓はあまりに速く打つと腫れます。いつも緊張していると腕の筋肉が盛り上がるようにです。心筋が太ると、ほかの器官が圧迫されます。その結果、たいてい、血液循環が心臓によって妨害されるのです。(中略)
不安は心の活動に影響を与えます。タバコを吸いすぎる人は、思考力が損なわれていきます。不安があって、もはや正常に思考できなくなることによって、思考力は損なわれていきます。考えることに秩序がなくなるのが、ニコチン中毒の症状です。ニコチン中毒はあまりに早く判断します。早すぎる判断が高じて、被害妄想的な思考をするようになります。ニコチンは人間の健康を損なうのです。(P107-109)
ぼくの観察経験でもこのことは理解できるのですけど、タバコに過度に依存している方というのは、タバコが切れてある一定時間以上吸わないでいると、イライラしはじめて思考能力、判断能力が鈍ってくるということです。そして、たまりかねて吸って帰ると柔和な顔になって、ちゃんと話ができる(^^)。
しかし、反対に、ぼくのようにタバコを吸わない人間が、狭い空間内で、タバコの煙に巻かれてしまうと、逆にぼくのほうが思考能力、判断能力が落ちてきて、吐き気さえしてくることがよくあります。おそらくは、血液循環が過度に促進され、一種の呼吸困難の状態が引き起こされるのではないかと思います。
タバコに過度に依存している方というのは、そういうような血液循環に刺激を与えたいわばハイな状態でないと、物事をちゃんと考えられなくなるのだということも推察できます。
しかし、こうしたネガティブな側面ではなく、ニコチンが薬として用いられることについても指摘しておく必要があります。
しかし、どのようなものにも、べつの面を考察しなければなりません。(中略)血液循環が弱いことが原因となっている病気に関しては、医者は喫煙を勧めることができます。
「血液循環が呼吸に対して速すぎると、恐ろしい不安状態になるが、それは意識化されない」と、いいました。反対に、血液循環が弱すぎると、なにかを意志しながら、自分がなにを意志するのかわからないという状態になります。なにかを欲しながらなにを欲しているのかわからないというのは病気の症状です。あちこち歩きまわりながら、自分がなにをしたいのかわからないという人々がそれほどたくさんいるか、考えてみてください。そのような人々は、人生に不満を感じています。(中略)そのようなことは、血液循環が弱いことに由来しているのです。そのような人に対しては、「ニコチンで治療するのがよい」と、いうことができます。(P110)
血液循環の弱い方にとっては、喫煙は薬になるということですね。こうしたニコチンの作用についてちゃんと理解した上で、その功罪について見ていくということを忘れてはならないのだと思います。
事実、現代では、自分がなにをしたいのかわからない人がかなりいます。三、四百年前から、人間は精神的になにかに専念することができなくなっているので、自分がなにをしたいのかわからなくなっているのです。(中略)現代人は、苦労してなにかを理解しようなどとは思わないのです。現代人は、なにも理解したくないのです。なにも理解したくないので、血液が固まってきます。どろどろした血液はゆっくりと循環し、どろどろした血液を循環させるために、なにかが必要になってきます。ニコチンを摂取すると、血液は循環します。しかし、血はさらさらと流れるようになるわけではありません。血は、ますますどろどろしていきます。そして、さまざまな老化現象が現れてきます。(P110-111)
しかし、思考力、判断力を高めるためにニコチンを摂取するということは、やはり、一種のドラッグ的な作用であるということも忘れてはならない点ですね。そして、できれば、思考力、判断力を高めるということを何かの薬物作用で達成するのではなく、魂の訓練によって培っていくのが本来であると。
タバコというとインディアンですけど、インディアンがタバコをすうということは、霊的な意味あいが強いのかもしれません。シュタイナーは、インディアンを古い霊性だととらえていますけど、タバコの力が必要だということは、過去の霊性システムにおいては、思考力を外からの力で引きだす必要があったのではないかとぼくとしては想像していたりします。
以上、「精神科学と医学」の番外編、「酒とタバコ」でした(^^)。
シュタイナーは1923年11月30日の講義で(これは「遺された黒板絵」(筑摩書房)に載ってますけど)医学に関して次のような感動的な言葉を語っています。
宇宙の観点から見ると、
医学はひとつの宇宙詩です。
病的なもの、人を病気にするものは、
他の場合には最高のもの、この上なく美しいものでもあるのです。
このことの中に、宇宙の多くの秘密がひそんでいます。
通常は、病気といういえば即異常な状態であるとしかとらえませんが、そういう見方では、病気の本質というのはまったくとらえることができないのです。「医学はひとつの宇宙詩です」という言葉の中には、すべてを芸術としてとらえようとするシュタイナーの深い洞察が表現されています。
多くの人は、病気は治ればそれでいいというようにとらえますが、そうではなくて、重要なのは、なぜ病気という状態にいまあるのか、またそれを治療するということはどういうことなのか・・・ということこそが重要な観点なんですよね。しかし、そういう観点を捨て去ったところに現代医学があり、薬漬け医療、延命医療の問題性があるのだといえます。そこには、「医学はひとつの宇宙詩です」といえるような可能性は微塵もありません。
医学に限らず、シュタイナーの問いかけは常に問題の本質に分け入っていきます。しかも、それをただ図式的な解答として提出するのではなく、いっしょに考えていき、問題の本質を深くとらえることなしには、そこから何もでてこないような在り方で提出するのです。そういう意味で、非常に分かりにくい表現がされていて、かなり疲れるのですが、内容を深く理解しようとすると、そこからは豊かな泉が湧いているのがわかります。
人間存在をただの地上的存在であるということから通常の医学的見解は出発していますが、シュタイナーの視点は、人間は同時に宇宙的諸力を受けていることから出発します。シュタイナーの人間観では、人間は肉体、エーテル体、アストラル体、自我から構成されていますが、地上的存在に限定するということは、肉体以外の構成要素を無視するということにほかなりません。肉体上にあらわれた作用−反作用図式以外を見ようとしないのが現代医学なのです。