yucca覚え書き

シュタイナーをめぐって 2

1998.7.29-1998.11.6


●クレー、カンディンスキー他

●シェーンベルク、ブルックナーなど

●鉱物幻想:アンチモンー輝安鉱

●ブルーノ・ワルター

●クレーと音楽、など

●ワルターほか

●セラフィタ=セラフィトゥス

●クレーとドイツロマン主義など

●ウオタア・ヒアシンス 花の色は宇宙より

●ホメオパシー、シラカバなど

 


 

クレー、カンディンスキー他


1998.7.29

 

 クレーとカンディンスキーは色彩感をはじめ、芸術に対する考え方に関して深く共感し合う部分が多かったようで、13才年長のカンディンスキーをクレーはとても慕っていたようです。三木多聞さん解説(集英社現代世界美術全集)によれば、カンディンスキーの身近にもっとも長期間いたと思われるクレーは「わたしはかれの弟子になりたかったし、たぶん実際弟子だったのだ。多くの機会にかれの語ったことが、わたしに勇気と啓発を与えてくれたから」と述べているそうです。両者ともに音楽への関心が美術と結びついていることも共通しています。

 1966年生まれのカンディンスキーはシュタイナーと活動時期がかなり一致してますね。30歳くらいになってから本格的に画家をこころざし、大学講師の職を蹴ってロシアからミュンヘンに出てきてまもなくヤウレンスキーと知り合い、新しい芸術運動の指導者としても頭角を現わしはじめた1908年頃から神智学協会に接近し、ミュンヘンをはじめ、ベルリンの建築家館でのシュタイナーの講演にも参加し、著作も熱心に研究して「芸術と芸術家の果たすべき役割についての信念への裏づけ」を得たようです。

 1911年にカンディンスキーが独自の芸術理念をもとに新しいグループBlaue Reiter(青騎士、青い騎手)を結成した(この頃からクレーと親しくなる)のと、神智学協会内部でのごたごた(シュタイナーと協会指導部とのキリスト解釈等をめぐる意見の相違など)がしだいに表面化しはじめた時期が重なり、カンディンスキーはこのころから画家としての活動が多忙となって神智学協会そのものにはあまりかかわらなくなった・・シュタイナーがクリシュナムルティ事件を機に最終的に神智学協会と袂を分かち、人智学運動を開始するのが1913年、そして1914年第一次世界大戦の勃発・・カンディンスキーのブラウエ・ライターの運動も挫折し彼もいったんモスクワに帰りますが、1917年にロシア革命・・

 何だか世界史のおさらいめいてきましたが、こういうことを見るとあらためて、シュタイナーの同時代人たちは両世界大戦をふくむまさに激動の時代を生きて生きていたのだなと思います。

 シュタイナーなどを中心に、人の流れから歴史的なことをみていくとほんとうに興味深いですね。受験勉強で機械的に暗記するのがいやだった「世界史」「日本史」も興味のあるひとを中心にした「エポック読書、勉強」だとほんとうにおもしろいと実感しています。(シュタイナーのように世界史の背後の霊的な意味を洞察する、というところまではなかなかだとしても)

 で、もう少しおさらいにお付き合いしていただきますと・・

 戦後しばらく革命後のソ連で仕事をしたカンディンスキーですが、周囲ではイデオロギーと芸術主張をめぐって対立が絶えず、彼自身もソ連を去ってからまもなく1922年にバウハウスの教授としてワイマールに招かれ、クレー、ファイニンガーも同僚となります。バウハウスでの教育活動と並行して、1924年に、クレー、ファイニンガー、ヤウレンスキーと結成したのがグループ「青の四人」です。ヤウレンスキー、ファイニンガーの絵は見たことがないです。こういう展覧会日本でもやってほしいですね〜。

imai wrote:

>この四人組創設の立て役者である Galka Scheyer という女性の周りには

>チャップリンやマリーネ・ディーデリヒ、グレタ・ガルボといった

>ハリウッドスター達や、若きJohn CageやMarcel Duchamp(あの有名なケージ

>とデュシャンですよね、違いますか)が

>集まっていたそうです。

>(ナチスの政権獲得によりアメリカに亡命しています。)

>

>こうした人の流れを見ると、人智学の観点から新しい

>芸術史が書かれるべきとの観を深くします。

 ほんとうにこのあたりのひとの流れはおもしろいですね。そういえば、第一回のブラウエ・ライター展には作曲家のシェーンベルクも出品し、カンディンスキーは彼の絵をとても評価したそうです。雑誌WAVE23号「シェーンベルクのヴィーン」(ぺよとる工房)の土肥美夫「シェーンベルクと絵画」によると、カンディンスキーはシェーンベルクの音楽にも共感し、新作の演奏会を聞いて感動し、その感動を手紙で伝えるとともに、演奏会の印象にもとづいて油彩(「印象3 コンサート」)も描いたそうです。スクリャービンやストラヴィンスキーと神智学(シュタイナー以前の)の関係はわりに知られているようですが、カンディンスキー、シェーンベルク、シュタイナーの関係というのは最近まで知らなかったので、新鮮なおどろきです。シェーンベルクの「ヤコブの梯子」もシュタイナーの神秘劇を参考にしているらしいです。シェーンベルク、マーラー、ツェムリンスキーらをめぐる関係、またクレーやカンディンスキーとデュシャンらのシュルレアリスムやダダとの関係など、この時代の芸術に関して興味は尽きませんが、きりがないのでないのでやめにします。

 最後に、カンディンスキーのなかでもとくに気に入っている「橋」(1931)という作品の解説から、自然についてのカンディンスキーの言葉です・・

「抽象芸術は、自然とはもはやなんの関係もないということがよくいわれます。あなたもそうお考えですか」と質問されたのに対してカンディンスキーは、「いいえ、けっしてそう考えません!抽象絵画は自然の”殻”を捨てますが、その法則を捨てはしません。”大げさな表現”を使わせていただけるなら、宇宙法則とでもいいましょうか。芸術は宇宙法則と結びつき、またそれに従っているばあいにのみ、偉大なものとなり得るのです。この法則をわれわれは無意識に感ずるものなのです。外面的に自然に近づく場合には。ーー自然をただ眺めるだけでなく、体験することができなくてはなりません。お判りだと思いますが、このことは”対象”の使用とは全然無関係なのです。絶対に無関係なのです!・・」と答えている。

(集英社 現代世界美術全集作品解説より)

ちなみに、リングボムの「カンディンスキー」によると、カンディンスキーがシュタイナーの連続講演に触発されて着想した多くの作品のうち、木版画の一点を見せられたシュタイナーは、「この男には何かができるし、何かを知っている。彼は透視能力者かね」と言ったそうです。

 

 

 

シェーンベルク、ブルックナーなど


1998.8.3

 

 シュタイナーや人智学協会と直接関係のあった作曲家、音楽家というのはあまり聞きませんね。だれかご存じでしたら教えて下さい。同時代に活動した音楽家は非常に多いですが・・

 前回触れたシェーンベルクにしてもシュタイナーと直接の関係というのではないようですが、もしシュタイナーの神秘劇の上演を実際に観たのだとしたら、カンディンスキーやマルクの影響だとしても興味深いことです。

 シェーンベルクの「ヤコブの梯子」についてもう少し補足しますと、やはりWAVE23のなかの「シェーンベルクの宗教的思想的遍歴」(石田一志)によれば、1912年頃、シェーンベルクは、スウェーデンボルクの教説をもとにしたバルザックの小説「セラフィータ」に基づいたオラトリオー交響曲を着想し、全体は未完成だったけれども最終的にその最後の部分が「ヤコブの梯子」となったそうです。これにはシェーンベルク自身の手による台本もあり、このテキスト全体を綿密に調査したヴェルナーによると、そこには、聖書、神智学、人智学、バルザックの作中に消化されたスウェーデンボルクの教説、スウェーデンボルク自身の神秘説等の影響が認められ、シュタイナーの四つの神秘劇との密接な関係もあるということです。

 石田一志さん自身によれば

「シェーンベルクは、スウェーデンボルクの人間から神にいたるまでの魂の段階的発展を語る思想を、ある面においては、同じ芸術家としてバルザック風に、他の面においては、同時代人としてシュタイナー風に解釈しているのである。」

 私はこの「ヤコブの梯子」を実際に聴いたことがないので何とも言えませんし、シェーンベルクの12音技法と神秘思想がどのように関連しているかなどということも説明できませんが・・続けて聴くと疲れてくる(^^;)ものが多いシェーンベルクの作品のなかにも結構惹かれるものがあります。

 友人の声楽家が一昨年のリサイタルで歌った初期の作品2などは後期ロマン派的で、伴奏ピアノも、深い深い闇を何かとても繊細な結晶質の細片が散乱していくといったような響きがあったりして好きですし、カンディンスキーが聴いて感動したという作品11の「3つのピアノ曲」などは、リラックスというのではないですが、頭の中がキーンと冴えかえるような気がします。

 彼の絵は(肖像画が多いようですが)、無機的な印象とはほど遠く、インパクトの強い、とても激しいものが多いです。彼の周辺にはいわゆる表現主義のココシュカやゲルストル、エゴン・シーレらがいましたが、絵そのものの印象は、カンディンスキーよりもこちらに近いようです。マーラーと同様ユダヤ人であったシェーンベルクは、この時代とても苦悩が多かったようで(余計なことですが、しかもふたりとも妻と若い画家との恋愛問題でも苦労している・・)そういうことも考えると彼の絵の迫力はよけいすさまじく感じられます。

 少し時代は遡りますが、高橋巌さんの「若きシュタイナーとその時代」によれば、ブラヴァツキーによって神智学協会オーストリア支部の書記長に委任され、若きシュタイナーとも親しかったF・エクシュタインは、古今の神秘学、哲学、自然科学のほか、音楽にも精通していて、ブルックナーの秘書をしたりフーゴー・ヴォルフを同居させたり、彼らの曲の出版を援助したりしていたそうです。

 (ヴォルフの歌曲は、やはり上記の声楽家の友人の影響でよく聴くようになったのですが、シューベルトのリートとはまた別の不思議な魅力があります)

 シュタイナーはのちに音楽に関する講演のなかでピアノは唯物論的な楽器であると言いましたが、そのときブルックナーのピアノ演奏について、彼のようなひとがピアノを弾くとピアノが消え去るのです、と言い、これはブルックナーの演奏はさぞかしピアノの唯物論的特性をも変容させるようなものだったのだろうと想像させる言葉ですが、シュタイナーは実際にブルックナーの演奏を聴いたのかもしれません。

 

 

 

鉱物幻想:アンチモンー輝安鉱


1998.8.4

 

 「精神科学と医学」の19講、暑さぼけに加えて、訳しづらい部分が多く、遅れ気味でしたが、どうにかこうにかできました。シュタイナー自身も言っているように、最後の2講ではとくに、限られた時間内にできるだけたくさんのことを語ろうとしているので内容はぎっしり、説明はいっぱい欠けたジグソーパズルのようで(これはシュタイナーのどの本もそうかもしれませんが)いつもながら疑問点いっぱい、自信なしのままの登録です・・<m(__)m>

 今回、人体内と自然界の物質の照応関係、といったことに関連してアンチモンが出てきます。以前、金属の起源は宇宙、ということで神秘学的には、地上、地中のおもな金属は太陽、月を含めた諸惑星(神秘学では太陽、月も惑星と言います)にそれぞれ対応している、ということをご紹介しましたが、それに人体組織のなかにあるものとの対応ということも加えると、まさにマクロコスモスとミクロコスモス、「天・地・人」の照応、ということになります。それで、アンチモンというのは宇宙的に見れば、水星、金星、月の作用が一緒になったものだそうです。つまり水銀、銅、銀の共同作用ということです。

 「精神科学と医学」の内容にはここでは深入りしませんが、今回、アンチモンについて調べていていろいろとおもしろかったので少し鉱物について書いてみます。

 このアンチモンですが、自然界ではその主要鉱石は輝安鉱。講義のなかでシュタイナーも述べているように、アンチモンは硫黄などと結合して現われることが多く、輝安鉱の成分もアンチモン(7割強)と硫黄(3割弱)がほとんど、あとはごく少量の金、銀、銅、鉄、鉛などということです。

 で、輝安鉱の結晶ですが、はるか昔の小学生時代に二か月に一度くらい「自然科学教室」なるものがあって、たまたま参加した数回のうち、鉱山あとか何かでの鉱物の観察採集、というコースがあり、そのときにたしか石のごろごろした殺風景な褐色の斜面できらきらした銀の結晶を拾い、引率の先生に輝安鉱だと教わった記憶があります。「きあんこう」という響きが、細い針状の結晶が集まって銀色にきらめいている小さな塊に似つかわしい感じで、何だかとてもうれしかったのを覚えています。もちろんそのころはアンチモンとの関係などわかりませんでしたが・・

 最近わかったのですが、実は、ここ愛媛県松山市から車で東に1時間ほど行ったところにある西条市市ノ川というところは、かつて世界的な輝安鉱の産地で、明治時代には日本刀のような輝安鉱の巨晶が産出したこともあるそうです。草思社から出ている「楽しい鉱物学」(掘 秀道)の、写真図版の最初に、この市ノ川鉱山産出の輝安鉱の結晶が出ています。下部は針状、上は長い柱か剣のような結晶が入り組みながら林立していて、シュルレアリスムや未来派の画家が夢想する未来都市のようにも見えます。この本によれば、これほどみごとな結晶は世界でもめずらしく、そのため輝安鉱は日本を代表する鉱物標本と言われ、ロンドンの大英博物館をはじめ、世界の有力博物館では日本産の輝安鉱の結晶を鉱物部門の看板代わりに展示しているとのことです。

 そういえば、あまりぱっとしない県立博物館のほこりをかぶったような陳列室でも、変色しないように黒い布で覆われたケースのなかの輝安鉱の標本だけは妙にりっぱだった記憶もあります。そんなこんなで輝安鉱に親しみを感じるのかもしれません。

 ただ、今は現地に行っても、坑口はコンクリートでふさがれ、結晶どころか塊状の輝安鉱も採集できないそうです。小学生のころ行ったのがここだったのかどうか定かではありませんが、いまでは全国的に鉱物採集などできるところなどほんとうに減ってしまっているので残念です。当時の市ノ川鉱山では、立派な結晶が出ると、仕事のじゃまになるからといって上司が命令して打ち壊させたほどだといいます。シュタイナーによれば、鉱物は霊的にはこなごなに砕かれたほうがよろこびを感ずる、とは言っても、そんなことを考えていたはずはないし、何とももったいない話です・・

 なお、この鉱山の歴史は古く、「続日本紀」(713、和銅6)のなかに、伊豫国が献じた白金様の金属についての記事があり、掘秀道さんによれば、奈良の大仏に使った”錫”の一部はここの輝安鉱のアンチモンではないかということです。

 それにしても日本に輝安鉱の結晶が多い、というのも何か意味があるのかもしれません・・ もともと石ころや結晶が大好きでしたが、その後もきちんと地質学、鉱物学を勉強したわけでもなく、ときどき図鑑を眺めるくらいで、あとは気に入った小石を拾ったり、たまに書店などで化石や鉱物の標本のなかから買えるものを買ったり・・八面体で色とりどりの蛍石や、透明、薔薇色の水晶、紫水晶、碼碯や玉髄、虎目石、薔薇貴石、平行六面体の方解石、立方体の黄鉄鉱など、それほどめずらしいものも、高価なものもありませんが、眺めたりさわったりしては、にまにましています。 

 前にトルマリンの展覧会も紹介されてましたが、精神科学からみた鉱物というのは興味が尽きません。またノヴァーリスをはじめとするドイツロマン派やゲーテ、スウェーデンボルク、宮沢賢治、マンディアルグ、カイヨワ、バラードなど鉱物や結晶をめぐっていろいろつながりをみつけるのも楽しそうです・・

 

  

 

ブルーノ・ワルター


1998.8.6

 

 以前、宇野功芳さんの「名演奏のクラシック」(講談社現代新書)に、ワルターについて「人智学協会員だった彼はモーツァルトのコンサートの前に、楽屋でひとり静かにモーツァルトの霊と交信していた」とか書いてあって、へええ、と思ったのを思い出しました。思えばこれを読んでワルターに興味を持ち、いろいろ彼のCDを買ったりしたのに、すっかり忘れていました。

 さっき本を出して確認すると、ワルターは宇野功芳さんが最も敬愛していた指揮者で、1951年頃、長い闘病生活をしていた宇野さんがファンレターを出したところ、長いはげましの手紙とサイン入りブロマイドを送ってくれて以来1962年のワルターの他界まで文通を続けたそうです。「ルドルフ・シュタイナーの人智学、神智学に傾倒し、人智学協会に入会していたワルターの霊的な温かさは、まことに比類のないものであった。」

 またヴェスリンク「フルトヴェングラー」でもワルターについて、「彼は根っからの人智学者であり、自分をドイツから追い出したナチスにさえ、そこそこの怨みしか抱いていなかった彼は、たとえ恐ろしい地獄が世界中を荒廃させてしまったときでさえ、この世の至福を味わうことができたのである。」

 ソプラノ歌手、ロッテ・レーマンへのワルターの手紙;

「70歳の誕生日が近づいて、君は絶望感しきりとのこと、 それはぜひやめてもらいたいものです。この偉大な体験はけっして苦痛をあたえるものではなく、本来ならば君の自信を深めるはずです。」

 指揮者について詳しいわけではありませんが、どちらかというと、フルトヴェングラーやムラヴィンスキーのようなタイプに惹かれていたし、シュタイナーなど読み始める前、「道徳性」などと言われると逃げ腰になっていた私は、「音楽における道徳的なもの」を強調するワルターは何となく敬遠していたのですが、CDを聴いてみるとほんとうに温かく、まさに心が洗われるような感じがしました。

 ワルターはシェーンベルクと同じくらいの年齢でマーラーと関係が深く、アメリカに亡命した、という点も同じですが、みなそれぞれに個性が強くて興味深いです。

 そういえば、アメリカに亡命したシェーンベルクがジョン・ケージに対位法と楽曲分析を教えたというのもおもしろいとりあわせですが・・

 

 

 

クレーと音楽、など


1998.8.7

 

 シェーンベルクをはじめ、一連の「アヴァンギャルド」的ひとびとは、既成のものを越えていこうとするやみがたい欲求に駆り立てられていて、そのためにはいわゆる「美」や「心地よさ」といったものもあえて犠牲にするというか、見直しを迫る、そういう意識化の機能というのはある程度無視できないものとも思われます。アドルノ流に言えば、「文化産業によってさんざんこねまわされた聴衆の手にはとても負えないような困難」を私たちに強いるものなのでしょう。

 まあ、言うは易しですが、単に古いものを「破壊」して新奇なものを追い求めるでもなく、「既成のもの」に硬化してしまったものの本来の意味を見出し、しかもそれに単に回帰するのではなく新しい形に変容させる、というのが人智学的ないきかたではないか、と思ったりします。

 

imaiさん wrote:

>アンドリュー・ケーガン「パウロ・クレー 絵画と音楽」(音楽の友社)という本より。

>

>  若い頃のクレーは、どの作曲家よりバッハとベートーヴェンを愛好した

>  ようだ。・・・また1906年ころまでに、構築性と表現、荘厳さと遊戯性との

>  モーツアルト的な総合というものが、おそらくクレーの主眼になった。

>  ・・・「完成された」芸術家モーツアルトに対するクレーの宗教的なほどの

>  畏敬の念、「ジュピター」交響曲へのこの上ない尊敬、そして彼の

>  お気に入りのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」への愛は広く知られている。また

>  ヴァイオリニストとしてのクレーの技術が、モーツアルトの演奏を

>  志向していたこと、友人の音楽仲間が彼を全くの「モーツアルト弾き」と

>  言ったことも知られている。145頁

 

>  音楽と絵画の関係には不思議なものがあります。

>  たしかアンドレジイドの小説だったと思いますが、

>  音楽を聴いて絵が浮かんでくるという場面を読んで

>  ああ、音楽をイメージとして味わう人が居るんだとその時

>  はじめて、気がつきました。

>  絵を見て音楽が流れてくる人もいるようです。

>  こうした五感相互の転移能力というのは、どこから来るのでしょうか。

 モーツァルトとクレー、というのはなるほど、という感じがします。天性の自在さからあふれてきて、繊細なあらゆるニュアンスの感情が調和していっておのずから「構築性と表現、荘厳さと遊戯性との総合」にいたる、といったような。ただ、実際にクレーの絵を眺めて、モーツァルトの音楽を感じるか、というとちょっとちがうような・・あえていえばやはり「クレーの音楽」かな?(もちろん、あくまで私の感想ですが・・)でもたしかに芸術創造のプロセスというか、そういったところでの共通点はあるように思います。

 息子のフェリックスの回想記によれば、クレーは、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、といった古典的な音楽家をはじめ、現代音楽にも関心以上のものを持っていて、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、ヴァイル、クシェネク、バルトーク、といった名前はクレーにとってきわめて親しいものだったそうです。

 音楽と絵画の関係、というのを、聞くことと見ること、というように単純に還元することはできないのでしょうけれど、やはり耳を傾けることの大切さを知っていた(と思われる)クレーのようなひとは魅力ですね。真に聞くこと、というのはほんとうにむつかしく、(これはもちろん神秘学的行や実践ということにもつながるわけですが)ある意味で自分の内面でのさまざまなおしゃべりをやめて、すっと静かな湖面のようにならないところがあって、真に耳を傾けることのできた、あるいはそのの重要さを感じ取っていたひとの作品には、やはりとてもこころ動かされるものがあると思います。

 顕現しない光、語られない言葉、対象について知ることのない意識、などとと言われますが、単に感覚的に見ること、聞くこと、知ることを変容させていかなければならないのでしょう。

  

 

 

ワルターほか


1998.8.8

 

 河津さん、いろいろとスリリングなエピソード、ありがとうございました。 

>本当にワルターの演奏は独特の温かさがありますね。(そもそも私がクラシック

>を聴き始めた頃の1枚がワルター指揮のベートーヴェン第4、第5のLPだった

>ので、なおさら印象深い。)

>

>まあ、そんなワルターが指揮するブルックナーが、オーケストラのせいもあるの

>でしょうが、金管などの響きが明るすぎていまいち、というのも面白いです

>が....

 そうですね、ワルター指揮のものにはどれも何とも言えず美しい「歌」が響いているようで、有名な曲もいいですが、シューベルトのあまり演奏されないシンフォニーなど、こんなにチャーミングだったのか、とびっくりしました。おしつけがましくもなく、「道徳性」をふりかざすこともなく、文字どおり浄福を感じさせてくれるような演奏だと思います。やはり高潔な人格の現われ、とでもいうものなのでしょうね。ワルターのブルックナーは聞いたことがないのですが、たしかに、ブルックナーというのはもう少しアクがあったり、陰影がはっきりしたほうがおもしろいだろうと思います。 

>個性という点では、ワルターと同時期にマーラーの弟子だったクレンぺラーも強

>烈ですし、シェーンベルクの弟子であるベルクやウェーベルンがマーラーの熱狂

>的なファンで、マーラーの死後の、ワルターによる第九の初演などを楽しみに聴

>きに行っていた、などというエピソードは本当に興味深いものです。

>

 ああ、クレンぺラーもマーラーのお弟子さんでしたか。クレンペラーの「奇人」ぶりは、宇野功芳さんの著書などではじめて知ったのですが、半端じゃないとこがすごいですね。ウィーン楽派のなかでは一番文学的、というか詩的でどこか貴公子ふうのベルクにしても、一番学究的で徹底した「前衛」とされるけれども敬虔なカトリックだったというウェーベルンにしても、いつも何かと戦っているようなシェーンベルクにしても曲はちょっとずつしか聞いていませんが、まあ、どのひとも、ひとりひとりの魂、というか、個性というのはかけがえのないものだな、と思います。たぶん、ワルターは別として実際つきあったら疲れるひとが多いかもしれませんが(^_^;) 

>> そういえば、アメリカに亡命したシェーンベルクが

>> ジョン・ケージに対位法と楽曲分析を教えたというのも

>> おもしろいとりあわせですが・・

>

>本当にそうですね。まあ、後には袂を分かった、というか、全く違う方向に行っ

>てしまいますけど。同時期にヨーロッパでメシアンの弟子だったブーレーズがシ

>ェーンベルクの悪口を書いたり、同じく弟子だったクセナキスやシュトックハウ

>ゼンが、また、ケージと微妙に路線を違えていくところなど、本当にスリリング

>です(音もスリリングですけど)。まあ、彼らがどれだけシュタイナーを知って

>いるのか、関わっていたのかについては、残念ながら不明ですが....

 おお、スリリングな名前の羅列 )^o^(

 メシアンは確かカトリック神秘主義的な傾向があるのですよね。ブルックナーもそうですし、ウェーベルンも晩年そういう傾向だったといいますが、技法上、ブーレーズとウェーベルンが密接に関係している(このへん、アンチョコの受け売り・・)というのはもちろんカトリックとは関係ないでしょうけれども・・シェーンベルクのほうはユダヤ的メシアニズムに接近していく、ということなど考えるとなんだか興味深いです。ケージは、以前河津さんも紹介されてましたが、松岡正剛さんの「遊学の話」の対談にあるように鈴木大拙に影響を受けた話などとてもおもしろかったです。

 20年近く前、ミシェル・ベロフの弾いたメシアンの「みどりごイエスに注ぐ20のまなざし」を聞いて唖然としたのを思い出します・・

 

 

 

セラフィタ=セラフィトゥス


1998.8.30

 

 imaiさんwrote:

 >バルザックの「セラフィータ」読んでみました。

>こんな小説が、1830年代に書かれていたとは。

>私にとっては、驚きでした。

>こうしたすばらしい小説が、実は、私が、知らないだけで

>いっぱいあるのかもしれません。

>こうした小説が日本語訳で出されているというのは

>本当にありがたいことです。

>私が見たのは、世界幻想文学大系 第6巻 セラフィタ 沢崎浩平訳 です。

 私は残念ながらまだ読めてないのです(^^;;)。何年か前に角川文庫のリバイバル・コレクションがあって、ネルヴァルやイェイツなどと一緒に大喜びで買ったのですが、旧仮名遣いで字体も少々読みづらく、ちょっと読んでほったらかし・・訳者はえび原徳夫さんというかたで昭和29年が初版です。沢崎浩平さんは、ロラン・バルトの訳者、研究者だとばかり思いこんでいたのですが(以前バルトにかなり熱中していたものですから;^_^)、セラフィタを訳されていたとはおどろきです。沢崎さん訳で読んでみたくなりました。バルザック自身にもいろいろと興味がわいてきます。 

>一部を引用しておきます。スエデンボルクの解説ともいうべき

>第3章セラフィタ=セラフィトスのところからです。

> 

>  地上界の、眼に見え、重さを量り得る物と、霊界の、

>  眼に見えず、重さを量り得ない物との「相応」を知ることは

>  悟性の中に天界をを持つことです。様々な創造の対象は

>  すべて神から発したものですから、あのイザヤの偉大な

>  言葉、「地は衣なり」(イザヤ書第5章第6節)が示すように

>  必ず隠れた意味を持っています。どんなに小さな物質でも

>  それと天界とを結んでいる神秘的な絆こそ、スウェーデンボリ

>  が「天界の秘儀」と呼んでいるものです。96頁

>

>  行為は天上において生まれ、そこから世界に、そして段階

>  を経て、地上の無限小のものにまで移っていく。地上の

>  結果は天上の原因に結びついているから、すべては相応

>  し、意味するのである。97頁

>

>出口王仁三郎の「霊界物語」も基本的に類似の考え方によって

>書かれていましたよね。

重さを量り得る物と重さを量り得ない物との「相応」・・。天界と結ばれている神秘的な絆はどんなに小さな物質にも見出される・・。すべては相応し、意味する・・。これぞ神秘学ですね。それに、セラフィタ=セラフィトゥスといったいわば神秘的両性具有(ヘルマフロディト)のイメージにもたいへん心惹かれるものがあります。単に差異をなくして、同一化するのではなく、いたずらに差異を強調し、増殖させるのでもなく、錬金術的変容、高次のものへの変容への予感、といったような・・

 

>次はセラフィタの言葉です。

>

>  「信ずるとは感ずることです。神を信ずるためには

>  神を感じなければなりません。この感覚は急には

>  身につきません。ちょうど偉大なひとたちが、軍人とか

>  芸術家とか学者たちが、物事を知り、作りだし、行動する

>  人たちが、皆、持っていて、人々を感心させる

>  あの驚くべき力が急には身につかないのと同じです。」159−60頁 

>

>「信じるとは感ずること」というのは、なるほどと思わされます。

 魂の力とは、まさにそういうことなのでしょうね。シュタイナーに沿っていえば、精神科学とは、「信ずる=感ずる」力を失ってしまった多くの現代人にとって、「知る」ことを否定せずに知ることを越えていく道、新たなかたちで「信ずる=感ずる」力を甦らせてくれるもの、ということにもなるのでしょうが、引用して下さった箇所を読むと、精神科学、神秘学を魂に浸透させることの大切さを繰り返し強調していたシュタイナーの言葉があらためて思い起こされます。

 そして、セラフィタ=セラフィトゥスと、キリスト衝動のつながり、といったことも連想したりしています・・ 

 

 

 

クレーとドイツロマン主義など


1998.9.1

 

 パルコ美術新書の「パウル・クレー」(ギーディオン=ヴェルカー著 宮下誠訳)をめくっていたら、「理論家、教育者としてのパウル・クレー」という章にクレーの授業とも関連していろいろと興味深いことがありましたので少し・・

 クレーの「芸術は見えるものを」再現するのではなく、見えるようにすることだ」という理念は、イマジネーション認識に通じるものだと思いますが、クレーはまさに、「宇宙的なものと人間的なものをある神秘的な観点で結びつけ、そこに生まれる観念連合をその作品に作用させようと試みた」といいます。クレーは「運動」を重視し、形式主義に抵抗して、「生のダイナミックな発展過程から生まれる生き生きとした造形感覚、すなわち創生(Genesis)」を対置した・・。芸術を自然と生との関連で捉え、それをすべての学生それぞれの心に刻みつけようとしたそうです。

 クレーの授業風景が眼に見えるような部分がありました。

彼の学生の一人が報告するように、一見静寂の裡に授業は進行した。黒板に向かい、両手で同時に自分の思考を図示し、その基本的な思考、造形の筋道を輪郭づけたりするときにクレーが放射する、自己の世界に深く沈潜する独行者という雰囲気は、若き聴衆たちにクレーは地下の世界からやって来たのではないかという強烈な印象を与えた。

 クレーのいう自然と芸術との関係は、明らかにドイツロマン主義の芸術理念、ひいてはシュタイナーの芸術観と通底しているようです。以下、ギーディオン=ヴェルカーによりますと、

ここ(「自然研究への道」)においてクレーは、自然を最大限の技術で読みかえていくことが芸術家の出発点であることに変わりはないが、自然があらゆる芸術上の営為に前提して「必要不可欠なもの」だと強調する。しかし、ここでいう自然は眼に見える現象を指すだけでなく、造形するものにとってはそれを越えた内的で秘密に満ちた生の啓示をも含み込んでいる。ロマン主義の自然哲学がクレーの描く世界形象から姿を変えて復活する。彼はかつて自身の立場を「パトスなき冷静なロマン主義」と規定している。

 クレーはまたゲーテの「原植物」についても深い関心を持っていたようです。 

>   「死は少しもいとわしいことではない。私はずっと以前に

>   死と折り合いをつけてしまった。今の人生と将来の人生と

>   どちらが大切かを人は一体知っているのだろうか。もし

>   私がこの上、二、三のいい仕事を作り上げたならば、

>   私は喜んで死んでいきたい。」

>

>この言葉は、発病する以前の言葉ということです。

>1935年発病

>しかし、1939年には年間総制作点数としては最高の

>1253点を記録したということです。壮絶な感じがします。

>1940年6月29日死去、享年60才。

 こうしてみると、あらためて、狭義の人智学協会員であったかどうかに関わりなく、まさに「人智学を生きた」ひと、という印象が深まります。

 

 

 

ウオタア・ヒアシンス 花の色は宇宙より


1998.9.6

 

 ヴェランダで育てているホテイアオイの花が咲き始めました。子どものころから大好きな水草です。英名ウォーターヒアシンス、夢のように透き通った薄紫の花が小さな円錐型の塔のように5、6個重なり、上の花弁の中心に鮮やかな黄色の斑が一点、花のエレガントさと葉の途中に膨らんだ浮き袋をつけたユーモラスな姿に不思議なバランスがあります。

 毎年この時期になると、近くのため池に群生しているホテイアオイがみごとに満開になり、一面淡い紫色、一緒に生えている蒲(がま)がアクセントになって、なかなか魅力的な風景です。ヴェランダで簡単に育つ、と知って去年、KAZEと一緒にヤブ蚊に喰われつつ;^_^)一株取って来たものがどんどん増え、今年も先月から咲き始めました。

 おもしろいことに、花が咲く前になるとまず水中の根が(プランターの底に土を入れ、上に水をはっています)鮮やかな紫に色づくのです。

 シュタイナーの「農業講座」によれば、植物の葉の緑色は、他の惑星の働きを受けていない太陽それ自身の宇宙的力の作用によるもので、赤い花には火星、白と黄色の花には木星、青い花には土星の働きが(太陽の力に加えて)関与しているといいます。本来宇宙的な要素は根のなかにあり、花のなかにあるのはほとんど地球的な要素であって、ただ花の色の非常に微細な濃淡のなかにのみ、宇宙的な要素が含まれているというのです。つまり、根と花の色は、それに含まれる宇宙的要素、惑星的要素によって深い関わりがあるということになります。

 ホテイアオイのうす紫には実際どの惑星が関係するのか、正確にはよくわかりませんが、このような発見はささやかな悦びです。日常何と言うことなしに眺めている自然現象もひとつひとつこういった精神科学的な説明と結びつけると魂の深いところに栄養が与えられるようです。

 あまりシュタイナー的とは言えないかもしれませんが、愛読していた北原白秋にも詩集「思ひ出」のなかにウォーターヒアシンスというのがあります・・

 

ウオタア・ヒアシンス

 

月しろか、いな、さにあらじ。

薄ら日か、いな、さにあらじ。

あはれ、その、仄(ほの)のにほひの

などもさはいまも身にしむ。

 

さなり、そは、薄き香のゆめ。

ほのかなる暮の汀(みぎは)を、

われはまた君が背に寝て、

なにうたひ、なにかかたりし。

 

そも知らね、なべてをさなく

忘られし日にはあれども、

われは知る、二人溺れて

ふと見し、ウオタア・ヒアシンスの花。

 

  

 

ホメオパシー、シラカバなど


1998.11.6

 

 『精神科学と医学』に出てくる治療法も基本的にホメオパシー的というか、人体内にプロセスと自然界のプロセスの親和性に着目し、「希釈して」とか「ポテンシャル化して」用いる薬剤が多いですね。シュタイナーは『精神科学と医学』の最後の方でホメオパシーのホリスティックな見方を評価しながらも、ホメオパシー医学的な文献は個々の薬剤の効能の羅列にとどまっていていわば「ラツィオ」が欠けているといった意味のことを言っていて、医学の変革のためにはまず人間観、宇宙観の変革、つまり精神科学、人智学の根本的な観点が理解されて広まることが望ましいのでしょうが、なかなかむづかしいかもしれませんね。でも日本でもせめてホメオパシーにはもう少し注目されてもいいのではないかという気がします。

 さて、『精神科学と医学』15講では人間の脱塩プロセス(塩形成をその反対のものに変化させようとする傾向)が数学等の「純粋思考」や自我に関わっていること、人間は脱塩プロセスによって鉱物化を克服しないと地球を超えた宇宙的なものと調和できない、塩形成に対抗するには単なる植物薬ではだめで石英など鉱物的なものを用いなくてはならない、と言われてますが、通常の植物形成プロセスに参加していないシラカバはこの脱塩プロセスを促進する、とか。やはりシラカバは不思議な力を持つ樹ですね(^^)。  


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