ルドルフ・シュタイナー

ゲーテの自然科学論序説~並びに、精神科学(人智学)の基礎~

(GA1)

第11章

他の観点と比較したゲーテの思考方法

佐々木義之訳


 過去の思索家の理論やゲーテの知的発達に影響を与えた同時代人たちの理論は彼の観点のための基礎として役立ったのではありません。ゲーテの思考形態や方法、実際、正に彼が世界を眺めるその仕方は、彼の生来の資質によって形成されたのです。それは彼の幼少期からその人生を通して変わることはありませんでした。
 ここで注目に値するのはゲーテの主要な性格の中の二つのものです。ひとつはあらゆる存在の源と深みへの彼の渇きです。結局のところ、それは彼のアイデアに対する信念でした。ゲーテは絶えず何かより高いもの、より良いものの兆候に満たされていました。それを彼の性格の深く宗教的な側面と呼ぶことができるかも知れません。多くの人が必要と考えることがら、つまり、ものごとを彼ら自身のレベルにまで引き下げたり、あらゆる神聖なものをそれらから奪い取ろうとしたりする衝動は彼とは無縁のものでした。「彼が必要としたのは何か別のこと、何か高次のものを感知し、それに向かって努力する、ということでした。」彼はあらゆるものの中に何らかの尊敬できる側面を探し求めました。カール・ユリウス・シュレーアーはゲーテの愛の生活に関連して、魅力的な仕方でこのことを示しました。ゲーテはあらゆる軽薄な、また表面的なことを追い払いました。そして、彼にとって愛はひとつの献身の形となったのです。彼は彼の存在におけるこの基本的な性格を彼自身の言葉で美しく表現しています。

我々の胸の内に波打つ純粋なあこがれ
我々自身を自由に、そして感謝を込めて
何か「より高次のもの、より純粋なもの、知られざるもの」に与えようとするもの
それを我々は献身と呼ぶことにしよう!
                            (愛の三部作「エレジー」)

 ゲーテという存在のこの側面は別の側面と分かちがたく結びついています。彼は決してあのより高い存在に直接接近しようとはせず、自然を通して接近しようとします。「真実は神性に似て、決して直接現われようとはしない。我々はそれをその顕現を通して直観しなければならない」(散文の中の韻)。彼のアイデアへの信頼に加えて言えることは、ゲーテはアイデアが達成されるのは外的な現実を観察することによってであると信じていた、ということです。彼は絶えず自然の働きの中に神的な要素を見いだそうとしました。彼にとってそれ以外のところに神性を求めることは思いもよらないことでした。その少年時代においてさえ、ゲーテは「自然と直接結びついた」(「詩と真実」、第1冊、パート1)偉大な神のための祭壇を打ち立てました。そのような儀式が生じたのは、私たちに到達可能な最高のものは、自然と私たちとの関係を忠実に育むことによって達成される、という彼の信念からでした。ですから、私たちが詳述してきた認識論はゲーテ生来の観察方法だったのです。彼は、すべての事物はアイデアの顕現であり、それは我々の感覚的な経験を精神的な観照にまで上昇させることによってのみ獲得される、という信念をもって現実に向かいました。この信念は子供時代に始まったものですが、彼の一部に、つまり彼の世界観における基本的な前提となっていました。
 いかなる哲学者であってもそのような確信をゲーテに与えることはできなかったでしょう。彼が彼らに求めていたのは何か別のものだったのです。彼の観察方法は彼の存在の深みに根ざしていましたが、彼はそれを定式化するための言葉を必要としていたのです。彼の本性は哲学的な仕方で働き、哲学的な形式で自己を表現しましたが、それは哲学的な前提があってはじめて表現し得るものです。そこで彼は哲学者たちに彼が何者で「あるか」について十分に気づいてもらうように、つまり、彼の中に生きる「活動」に気づいてもらうように配慮しました。彼は彼らが彼自身の存在を説明し、正当化するように気をつけたのです。彼がスピノザを研究し、同時代の哲学者たちと科学について議論したのはそのためでした。
 若き日のゲーテには、彼の内的なあり方を最も力強く表現しているのはスピノザ(1632-1677)とジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)であると思われました。いずれの場合にも、彼は彼らの作品に対する攻撃を通して彼らに出会ったのですが、それにもかかわらず、彼らの教えが彼自身の本性に関連していることに気がついた、というのは特筆すべきことです。これは特にジョルダーノ・ブルーノの教えについて言えることです。彼はベイルの「歴史と批評の辞典」の中でブルーノに出会ったのですが、その中でブルーノは激しく攻撃されていました。それがゲーテに与えた影響は、彼がベイルを読んでいた1770年頃に考えられたファウストの各パートの中にブルーノの文章が言葉として響いているのが見出される、というほどのものでした。
 詩人は、日誌やノート(Tag- und Jahresheften)の中で、1812年にブルーノに戻ったと私たちに伝えています。そのときの印象はもっとさらに深く、その年に彼が書いた詩の多くにノラ出身の哲学者への同調が鳴り響いていました。しかし、これはゲーテが何か特定のものをブルーノから借りてきた、あるいは、学んだということではなく、むしろ、彼自身の本性の中にいつも生きていたものを定式化する方法を彼の著作の中に見出した、ということです。彼は、ブルーノの言葉を用いるときに最も明確に彼自身を表現できる、ということを見出したのです。ブルーノは普遍的な理性を「宇宙の創造者であり指導者」であると考えていました。彼は理性を、事物(「マテリア」)を「内から外へと」形成する「内的な芸術家」と呼びました。理性は存在するものすべてを生じさせます。理性が愛情を込めてそれに参加しないようなものは何もありません。ブルーノは、「それがどんなに小さく、脆いものであっても、それは精神的な実質の一部を含んでいる」、と述べています。
 このことは、私たちが何らかのことがらを判断するとき、普遍的な理性がどのようにしてそれをそこに置いたのか、そして、それはどのようにして私たちが出会うようなものになったのかを理解できなければ、私たちは正しく判断することができない、というゲーテの観点と一致していました。感覚的な知覚は十分ではありません。それは私たちの感覚が事物の普遍的なアイデアに対する関連をより大きな全体にとってのその意義という意味で説明することに失敗するからです。ですから、私たちは、感覚が伝えるものを理解する上で理想的な基礎となるものを私たちの理性が構築する、というような仕方で観察を行わなければなりません。私たちはゲーテが言うように「精神の目をもって見」なければならないのです。ここでもまた、彼はひとつの定式化をブルーノから借りてきます。

我々は色や音を認識するために異なる感覚器官を用いる、
同様に、芸術の基質や自然の基質を同じ目で見ることもない、
何故なら、一方は感覚的な目で、他方は理性の目で見るのだから。
                            (同上)

このことはスピノザについても当てはまります。彼の教えは、神性は十分に世界の中に入り込んでいる、という考えに基づいています。人間は世界の中に飛び込むことによってのみ神を知ることを望むことができるのです。スピノザ的な観点から見れば、他のいかなる方法も不可能であるように見えますが、それは神が自分自身の存在を諦め、世界の外には見出され得ないからです。むしろ、私たちは彼がいる場所で彼を探さなければなりません。世界についての真の認識は、それがいかなるものであれ、神についての何らかの認識を私たちに提供するものでなければなりません。ですから、すべてのより高次の認識とは神との出会いなのです。私たちはそれを「注視する中での認識」と呼びます。私たちは事物を「神の流出」として知ります。私たちの心が認識する自然の法則は神の存在であって、単に神によって作られたものではありません。私たちが論理的な必然性として見るあらゆるものがそのようになっている理由は、神の存在、あるいは永遠の法則性が本来その中に備わっているからです。
 この観点はゲーテの琴線に触れました。彼は自然がそのあらゆる活動において、神を現していることを確信し、その信念を次のように非常に明確な仕方で表現しました。ゲーテは、当時、スピノザを別の光の下に提示しようとしていたフリードリッヒ・ジャコビに対して、「私は汎神論者(スピノザ)の神への尊敬にますます固執するようになっています」、と書き送っています。ここに存在しているのはスピノザとゲーテの親近性です。ゲーテの存在とスピノザの教えとの間のこの深く内的な調和はゲーテがスピノザに惹かれた表面的な理由-つまり、どちらも究極的な原因によって世界を説明することに我慢できなかったということ-を強調する人たちによって見過ごされてきたものです。実際、ゲーテとスピノザの両方がそれを拒絶したのはもっとずっと根源的な観点の結果でした。
 目的因の理論(目的論)について考えてみましょう。それは何らかのものの存在や特徴を何か別のものにとってのその有用性を定めることで説明しようとします。事物が一定の仕方で構成されているのは何か別のものの特定の特徴による、ということが示されます。それは、世界の創造主がそれら二つの上に存在し、一方が他方の要求に合致するようにそれらを作った、と仮定しますが、もし、創造主がすべての事物の内部に存在しているのであれば、その説明は意味がありません。何故なら、そのとき、ある事物の性質はその「内部の」活動的な原則から生じなければならないからです。私たちがある事物の特質を調べるのは、それがある一定の仕方でそうなっていて、別の仕方でそうなってはいないからです。もし、私たちが、神性は各事物の内部に生きている、と信じていれば、その合法則性を説明するために何らかの外的な原則を探す、などということは思いもよらないことでしょう。ゲーテのスピノザに対する関係は、彼は彼自身の内的な世界を表現するための形式と科学的な言語をその作品の中に見出した、という事実以外の説明を必要としません。
 ゲーテとその同時代人との関係を考察するとき、一般的には、現代哲学の創設者と考えられているイマニュエル・カント(1724-1804)について主として語られるべきでしょう。彼が生きていた時代には、教育のある人物であれば誰であれ彼と折り合いをつけることが求められる、というような雰囲気がありました。この知的な出会いはゲーテにとっても必要でしたが、それは彼にとって無益であることが分かりました。カントの理論とゲーテの思考方法として私たちが語るべきこととの間には深い矛盾があったからです。実際、私たちは、ドイツのすべての思想は並行する二本の線、ひとつはカントの思考方法に浸透され、もうひとつはゲーテの考えに近い線に沿って走っている、と躊躇なく言うことができます。現代の哲学がカントのそれに近づけば近づくほどゲーテからは離れていきます。ですから、ますますゲーテの世界観を理解したり、評価したりすることができなくなってきているのです。
 ここでは、ゲーテの観点に関連する範囲で、カント哲学の主要な点について述べることにします。カントによれば、人間の思考の出発点は経験、すなわち心理学的、歴史的な事実等々の形で私たちの内的な感覚がもたらすものを含むところの感覚に現れる世界です。世界は空間中の事物と時間的なプロセスの多様性から成り立っています。ある特定の対象が私に直面したり、あるいは、その特定のプロセスを私が経験したりすることは問題になりません。それは全く別のものであったかも知れないのです。実際、思考の中では、事物やプロセス全体の多様性を除去することさえできます。けれども、私は「空間」と「時間」のない世界を想像することはできません。私にとって空間的でも時間的でもないものは存在しません。たとえ、そのようなものが存在したとしても、私は空間や時間を欠くものを何も思い描くことができないので、それを認識することができません。私には、物自体が空間と時間の中に存在しているかどうかを知ることはできません。私が知っているのは、私が事物に出会うときのその形態とは私にとってどのようなものであるに違いないか、ということだけです。ですから、「空間」と「時間」は「私の」感覚的な知覚条件なのです。私は「そのようなものとして」の事物について何も知りません。私が知っているのは、もし、それらが私にとってそもそも存在しているのであれば、それらがどのようにして私に「現れる」に違いないか、ということだけです。
 これによってカントは新しい問題を導入しました。彼は科学に新しい種類の疑問を持ち込んだのです。以前の哲学者たちは事物の特徴を知りたいと思っていましたが、彼はいかにして事物は我々の認識の対象になるべく現われなければならないかについて知ろうとします。カントにとっての哲学とは世界についての人間の経験が可能となる条件に関する科学なのです。私たちは「物自体」について何も知りません。しかし、単に時空間中における対象の多様性を知覚するだけでは私たちの使命は成就しません。私たちはその多様性の中で統一性を創り出そうとするのですが、それはまた、私たちが直面する感覚的な世界を再構成された形態へと組織することを目的とするような活動の総体である知性の使命でもあります。知性は二つの感覚的知覚を、ひとつは、例えば、原因として、もうひとつは結果として、あるいはまた、ひとつは実質として、そして、もうひとつは性質として確定することによって結びつけます。ここでもまた、哲学的な科学の使命はいかなる条件下で知性は世界の体系を創造することができるかを示すということです。
 ですから、カントの意味での世界とは感覚世界と知性という形で生じる主観的な顕現なのです。私たちが確実に知ることができるのは、物自体が存在する、ということだけです。その顕現は私たちの有機的な組織に依存します。知性によって形成されたこの感覚世界は私たち自身の認識能力にとって意義がある、という以上のことを仮定することは明らかに意味がありません。カントがアイデアの世界の意味について語るとき、それは最も明確になります。彼によれば、アイデアとは単に見晴らしのよい理性であり、私たちの知性が創り出すより低次の要素はそれに従属させることができます。例えば、私たちの知性は心理学的な顕現の間の結びつきを確立し、理性―アイデアへと向かう私たちの能力―はそれらすべてが魂から輝き出ている「かのように」それらの結びつきを把握します。しかし、それは実際の現実そのものにとっては何の意味もありません。つまり、それは私たちの認識能力にとっての単なる方向づけのための手段に過ぎないのです。
 これが、私たちがそれに興味を持つ限りにおいてのカントの理論哲学です。これとゲーテの哲学との対極性は明らかです。私たちは、カントによれば、与えられた現実を決定づけます。つまり、私たちがそれをそのように考えるからこそ、それはそのようであるのです。カントは実際には認識論的な問題をスキップしているのです。彼は「純粋理性批判」の最初のところで彼が正当化していない歩みを二歩進めますが、その結果、彼の哲学的な大建造物全体が被害を蒙ることになります。彼は単純に主観と客観の間を区別しますが、私たちの知性が現実における二つの領域―この場合には、認識する主体と認識される客体ですが―の間でそのような区別を行う、という事実の重要性を検証することなくそうするのです。そして、彼はこれら二つの領域の間の相互関係を「概念的に」定式化しようとします。
 もし、カントがこの中心に位置する認識論的な問題を歪められた観点から眺めていなかったとしたら、主観と客観の間の区別は認識の過程における単なる中間段階であり、それら両方の下にあるのは理性によって知覚可能なひとつの統一体であり、私たちが事物に帰属させる性質は単に主観的なものではない、ということに気づいていたことでしょう。事物は理性によって構成される統一体であり、「物自体」と「我々にとっての物」とを区別するのは知性なのです。ある場合にはその物に帰属され、別の場合には拒絶されるかも知れない、というのは全く容認できることではありません。同じものはあるひとつの観点から見ようが別の観点から見ようがひとつの統合された全体であることに変わりはありません。
 カントの哲学的な大建造物に忍び込んだ間違いは、感覚的に知覚可能な世界の多様性は何か固定されたものであり、科学はその多様性を体系化する点にその特徴を有する、という彼の信念です。この多様性は、もし、私たちがそれを理解するならば、何らかの克服しなければならないような究極的なものではない、ということに彼は決して気づきませんでした。その結果、カントによれば、あらゆる理論は単に理性や知性によって経験の上につけ加えられたものである、ということになります。彼にとって、アイデアとは、表面の多様性を打ち破った理性が所与の世界のより深い基盤として認識するもの、というわけではなく、どちらかというと現象の組織化を容易にする方法論的な原則です。カントによれば、もし、私たちが、事物はアイデアから概念的に導き出すことができる、と信じるならば、私たちは道に迷ってしまう、私たちは私たちのすべての経験があたかもひとつの統一体から生じる「かのように」それらを組織できるだけだ、ということになります。彼によれば、事物がそれ自体で存在するときの基盤に関する概念を持つことは不可能なのです。事物についての私たちの知識は私たちのためだけに存在し、私たち個々人にとってのみ有効なのです。
 この観点から多くのものを得ることはゲーテにはできませんでした。彼の観点によれば、快不快の反応を含む私たち自身という意味での事物の観察が果たす役割はいつでも補助的なものです。彼が科学に期待したのは、事物が私たち自身との関係でどうなっているかを告げる、ということ以上のことだったのです。彼は、彼の随筆「主観と客観の仲介者としての実験」の中で、研究者の使命について記述していますが、彼らは彼ら自身の標準や基準を当てはめるのではなく、観察された事物の領域の内部からそれらを取り出してくるべきなのです。いかにカントの思考方法とゲーテのそれとが異なっているかを示すにはこの一文だけで十分です。カントは、事物についてのあらゆる判断は単に主観と客観の産物であって、主観が客観をどのように見ているかを告げるだけだ、と考えました。一方、ゲーテによれば、主観は無私の態度で客観の中へと入っていき、判断のための基準を事物自体の文脈の中から取り出してきます。ゲーテ自身が、カントの弟子たちについて、「彼らは確かに(私の言うことを)聞くことができたけれども、応じることはできず、何の役にも立たなかった」と述べています。詩人は、カントの「判断力批判」から得るものの方がずっと多い、と感じていたのです。
ゲーテは哲学的にはより報いるところが多い関係をシラーに対して持っていました。見るということについての彼自身の方法に対するゲーテの洞察はシラーを通して一歩前進したのです。よく知られているシラーとの会話に至るまで、ゲーテは世界を眺めるためにある特定の方法を実践していました。彼は植物を観察し、そこから個々の形態を導き出すことができるような元型的な植物を確立しました。彼の心の中で形成された元型的な植物(そして、同じく対応する元型的な動物)は、関連する現象を説明するのに役立ちました。けれども、彼は決して元型的な植物の本質的な特徴とはどのようなものであるかについては考えませんでした。シラーはそれを「アイデア」と呼ぶことで彼の眼を開いたのです。それ以後、彼は彼の理想主義を意識するようになりました。それまで彼は元型的な植物を経験と呼んでいたのですが、それは彼がそれを自分の目で見たと信じていたからです。彼は彼の随筆「植物の変容」のために後に書いた序論の中で、「こうして私は元型的な動物を見出そうと努力したが、それは、結局のところ、動物の『アイデア』を意味していたのだ」と述べています。とはいえ、シラーがゲーテにもたらしたのは彼にとって見知らぬものではない、ということを私たちは心に留めておかなければなりません。むしろシラーがゲーテの認識方法を観察することによって初めて「客観的な理想主義」への道を見出したのです。シラーの貢献は、彼がゲーテの中に認め、称賛した認識方法を記述するための用語にだけありました。
 ゲーテがフィヒテから受け取るべきものはほとんどありませんでした。その領域はゲーテのそれからはあまりにもかけ離れていたために、いかなる現実的な影響も及ぼさなかったのです。フィヒテは最も輝かしい仕方で意識の科学を打ち立てました。彼がそこで辿っていたのは人間の自我が所与の世界を思考の世界へと変容させる活動でした。彼は、所与のものに満足のいく形態を与え、断ち切られた所与のものの間に適切な結びつきを創り出す人間の自我について記述するところでやめておくこともできたのですが、自我の中で生じるあらゆることがらはその活動によって創造される、という間違った信念を持つに至りました。したがって、彼の観点はその内容全体を意識から取り出してくるような一面的な理想主義ということになっています。絶えず客観的なものを求めるゲーテが、フィヒテの哲学の中に、自分を引きつける多くのものを見出すことはあり得ませんでした。ゲーテはその中にある有効なものに対する理解を有していなかったのです。フィヒテがそれを普遍的な科学へと拡張するそのやり方には欠陥がある、と詩人が見ていたことは確かです。
 フィヒテの弟子であった若き日のシェリングとはずっと多くの接点がありました。彼は自我の活動を分析することへと進んだだけでなく、意識が自然を理解するときの意識内部の活動をも探求しました。自然の客観的な現実性―その実際の原理―は、私たちの自然認識を通して、私たちの自我の中で自らを展開する、とシェリングは見ていました。彼にとっての外的な自然とは私たちの自然についての概念が単に固化した形態であるに過ぎませんでした。理想的な自然観として私たちの中に生きているものが、私たちの外に、ただし、時空間の中に隔絶したものとして、再び現われるのです。私たちが私たちの外で自然として出会うものは生きた原理の完結した産物であり、決定づけられて硬化した形態です。この原理は外的な経験を通して達成されるのではなく、まず私たちの魂の中で創造されなければなりません。シェリングは彼の「自然哲学のためのアイデア」の中で次のように述べています。

自然について哲学するとは自然を創造することを意味する・・・単なる生産物としての自然(ナチュラ・ナチュラータ)は、我々が対象としての自然(あらゆる経験主義の関心事)と呼ぶところのものである。生産活動としての自然(ナチュラ・ナチュランス)は、我々が主体としての自然(あらゆる理論の関心事)と呼ぶところのものである・・・経験主義と科学の違いは、経験主義がその対象を存在しているもの、完成したもの、成し遂げられたものとして見るのに対して、科学はそれを成っている状態にあるもの、まだ生じつつあるものとして見る、という事実にある。

 ゲーテがシェリングのこれらの観点について知るようになったのは、ひとつには、哲学者に個人的に会うことによってでしたが、それによって詩人はさらに一歩前進することになりました。今や、彼は、完成された産物から成っている状態にあるものへと、あるいは産み出されつつあるものへと発展するというのが彼の傾向である、ということを理解するようになりました。私たちはこのシェリングとの共鳴を彼の随筆「先験的知覚による判断」の中で聞くことになるのですが、そこで彼が書いているのは、「創造し続ける自然を観察することによって」、彼自身が「自然の生産に精神的に参加する価値があるもの」となるように努めた、ということです。
 ゲーテが元型的な現象の位置づけを明確にするのを哲学的な観点から助けたのは、最終的には、ヘーゲルでした。ヘーゲルは元型的な現象の意味を深く理解し、1821年2月20日付けの彼の手紙の中でそれを次のように特徴づけています。

貴方はシンプルで抽象的なものを上に置き、適切にもそれを元型的な現象と呼びます。そして、いかに具体的な現象がさらなる影響や条件の結果として生じるかを示します。そして、最後に、プロセス全体を組織化することによって、一連のものが単純な条件からより複雑なものへと進み出るとともに、このランクづけと段階的な仕上げの結果として、複雑なものが十分な明晰さをもって現われるようにします。元型的な現象を追求すること、それを他の偶発的な周囲の条件から解き放つこと、私たちが言うところの「抽象性」においてそれを理解すること、それは自然についての偉大で精神的な理解によって達成されたものであり、この分野における認識の真に科学的な側面を表現するものである、と私は確信しています。私たちのために掲げられたこの元型的な現象に対して私たち哲学者が抱く特別な関心についても触れさせていただくならば、私たちはそのような精髄を確かに用いることができる!ということです。私たちには私たちの絶対的なもの―最初は、あまりにも得体が知れず、灰色か全く暗いもの―があります。私たちはそれを光と空気の中にもたらそうと苦闘するのですが、今や芽生えつつあるそれに対するあこがれを完全に日の光の中にもたらすためには、窓を開ける必要があります。もし、私たちがそれらをあまりにも性急に世界の不愉快さの色鮮やかで混乱した仲間に引き入れるならば、私たちの計画は雲散霧消してしまうでしょう。閣下の元型的な現象が重用されるのはここにおいてです。すなわち、この二重の光―その単純さにおいて精神的かつ概念的、その官能性において可視的かつ明白な光―の中で、二つの世界、私たちの難解な世界と明白な存在性の世界が出会うのです。

 こうして、ヘーゲルがゲーテのために明確にしたのは、経験論的な科学者は元型的な現象に至る道をずっと辿っていかなければならない、そして、そこから先へは哲学の道がさらに続いている、という考え方でした。けれども、これによって明らかになるのは、ヘーゲルの哲学における基本的な考え方はゲーテ的な思考形態の結果である、ということです。ゲーテもヘーゲルも、外的な現実へと深く貫き至ることによってそれを超越し、それによって、創造されたものから創造するものへと、つまり、決定づけられるものから決定づけるものへと上昇するということが根本的なことなのだ、と考えます。もちろん、ヘーゲルは、その哲学の中で、すべての事物がそこから進み出てくるような永遠のプロセスを明らかにすることをひたすら望みます。彼は所与のものを彼が絶対的なものとして認識するものから結果として生じてくるものとして理解しようとするのです。
 したがって、ゲーテが哲学者たちやその哲学的な傾向に関する知識を持つようになったことは、彼が彼の中に既に存在していたものを理解する上で助けとなりました。彼自身の観点に関する限り、彼が何か新しいものを得たということではありません。そうではなく、彼が得たのはそれらについて彼が語るための手段、彼が行っていたこと、彼の魂の中で生じていたことを話すための手段だったのです。
 結果として、ゲーテの世界観は、哲学のさらなる展開にとって、無数の観点を提供しています。当初、ヘーゲルの弟子たちだけがそれらを把握していました。他の哲学は礼儀正しく距離を置いたままでした。詩人を深く尊敬していたショーペンハウアーだけは彼自身の哲学のいくつかの側面をゲーテの作品の上に基礎づけました。色彩論に対するショーペンハウアーによる賞賛については後の章で述べることにして、ここではショーペンハウアーの考えとゲーテのそれとの間のより一般的な関係に話を絞りたいと思います。彼はある一点に関してゲーテに近づきます。それは、彼が与えられた現象を外的な原因から導き出そうとするいかなる試みをも拒絶し、内的な合法則性の活動、ひとつの顕現から次の顕現へと一歩一歩進めるプロセスだけを認める点においてです。これは物自体の内部に説明の諸要素を見出すというゲーテの原則の名残です。しかし、この類似は見かけ上のものです。ショーペンハウアーは現象の領域の内部に留まるように私たちに求めますが、その理由は、私たちに与えられるすべての現象は実際には心的な表象であり、それらの表象は私たちを私たち自身の意識を超えたところにまで連れていくことはできず、それにとって外的なもの、私たちには手の届かない「物自体」を達成することは不可能だからです。他方、ゲーテは現象に留まろうとしますが、それは彼がそれらを説明する要素を実際に現象自体の中に見出すことを期待しているからです。
 最後に、ゲーテの観点をエドゥアルト・フォン・ハルトマン(1842-1906年)のそれと比較してみましょう。彼の科学的な観点は私たちの時代において最も重要なものとなっています。この著者による「無意識の哲学」は大いなる歴史的重要性を有しています。後の著作では、その最初の本の中で単に概観されていただけのものが洗練され、多くの点で新しい素材がつけ加えられました。この作品は全体として私たちの時代の精神的な特質全体を反映しています。ハルトマンが自らを傑出したものとしているのは、その賞賛すべき心の深さと様々な科学についての彼のすばらしい熟達を通してです。彼は現代の知的成果における最先端の位置にいます。彼の偉大さを十分に認めるために彼に同意する必要はありません。「無意識の哲学」だけしか知らない読者はハルトマンとゲーテの観点がいかに近いかを理解することはできないかも知れません。彼らの接点が見えるようになるのはハルトマンが後に発展させた彼の原理から引き出された彼の「結論」においてのみです。
 ハルトマンの哲学は理想主義です。彼は理想主義者「以上の」ものであろうとしますが、世界についての彼の説明が何か絶対的なものを求めるときには、彼はいつでもアイデアに訴えます。彼はあらゆる事物の根底に横たわる基本的な現実としてのアイデアを最も重要なものとして考えています。無意識についての彼の仮定は、私たちの意識の中にあるアイデアは必ずしもそのすべてが意識的な形態に結びつけられているわけではない、という事実に基づいています。アイデアはそれらが意識されているところにのみ(活動的に)存在しているのではなく、他の形態においても存在します。アイデアは主観的な現象以上のものであり、それら自体として、それら自体で重要です。アイデアは決して主観の中にのみ存在しているのではなく、客観的な世界の原則なのです。ハルトマンが世界の形成原理にアイデアとともに意志を含めたとしても、それでも、あらゆる概念は単に意識の主観的な現われであるとする信念を極限にまでもたらしたショーペンハウアーの単なる追随者として彼を眺める人たちのことを理解するのは困難です。ショーペンハウアーに関して言えば、アイデアが現実的な原則として世界の形成に参加した可能性は問題になりません。彼の観点では、意志「だけ」が世界の基本となっています。
 これは、ハルトマンがその原理をあらゆる科学の領域にまで追求していったのに対して、ショーペンハウアーがその哲学との関連で様々な分野の科学をうまく発展させられなかった理由です。ショーペンハウアーは歴史の豊かさについて、それが意志の顕現であるということを除いて、何も述べていません。他方、ハルトマンはあらゆる歴史的な現象の中心にアイデアを見出し、人間進化におけるより大きなプロセスの中にそれを組み込みます。ショーペンハウアーは個別の存在や現象には興味がありません。何故なら、彼がそれらに関して言うべき唯一重要なこととはそれらが意志の表現であるということだけだからです。ハルトマンはそれぞれ個別のことがらを把握し、いかにアイデアが至るところに見出されるかを示します。ショーペンハウアーの世界観の本質的な特徴は画一性であり、ハルトマンのそれは統一性です。ショーペンハウアーは世界を空虚で画一的な衝動から導かれたものとして眺めます。ハルトマンは世界をアイデアの豊かな内容から導かれたものとして見ます。ショーペンハウアーは抽象的な統一性を仮定する一方、ハルトマンは一つの原則としての具体的なアイデアを仮定しますが、その統一性は、あるいは、むしろその自己調和性は、ひとつの特徴であるに過ぎません。
 ショーペンハウアーは決して、ハルトマンが行ったようには、歴史哲学、すなわち宗教の科学を創造しませんでした。ハルトマンは「理性はアイデアの形式的、論理的な原則であり、意志と分かちがたく統合されることによって世界の過程を例外なく制御し、決定づけている」と述べています。このことによって、彼は自然や歴史のあらゆる顕現の中に私たちの思考によって(たとえ私たちの感覚によってではないにしても)把握され得る論理的な中心点を求めるようになりました。この前提を受け入れる人たちだけが、アイデアという意味での思考を通して、世界を理解したいという願いを正当化することができるのです。
 ハルトマンの客観的な理想主義は総体的にゲーテの世界観という基盤の上に立っています。ゲーテは「我々が意識するようになるものすべて、話すことができるものすべてが正にアイデアの顕現なのだ」(「散文の中の韻」)と述べています。そして、彼は人々に、アイデアが彼らに見えるようになる程度に応じて、外的な世界が感覚に明らかになるのと同様に、認識に対する彼らの能力を発達させることを要求します。こうして、彼は、単なる意識の顕現としてのアイデアというよりも、それが客観的な世界の原理となるような基盤の上に立っています。世界は私たちの思考の中で稲妻のように点火するものによって客観的に形成されるのです。アイデアに関しては、私たちにとってそれが意識のレベルで何を意味しているかということではなく、それがそれ自体で何であるかということが重要なのです。すなわち、それはそれ自体の存在性によって世界の根底に横たわる原理なのです。こうして思考はそれ自体として存在するものを意識するようになります。アイデアというのは、意識なしには現れることができなかったとはいえ、意識の中へのその現われというよりも、私たちのそれについての意識がそれに対して何ら貢献することのないその本来の特徴という意味において、それはそれ自体として存在しているというのがその主な特徴である、というような仕方で理解されるべきものです。ですから、ハルトマンによれば、私たちはアイデアを―その意識の中への現われは別にして―世界の根底に横たわる活動的な無意識として見なければならない、ということになります。ハルトマンの本質的な貢献は、アイデアはあらゆる無意識的なものの中に求められなければならない、という点にあります。
 とはいえ、意識的なものを無意識的なものから区別するだけでは不十分です。この区別は「私の意識」にとってだけ意味があります。私たちはアイデアをその客観性と十全性において追及しなければなりません。アイデアが有効「である」ということだけではなく、その有効な主体の性質とは「どのような」ものであるかをも知っていなければなりません。もし、ハルトマンが、アイデアは無意識的なものである、と断言することで満足していたとしたら、そして、この無意識―それはアイデアのひとつの特徴であるに過ぎません―の意味で世界を説明するとしたら、そのとき、彼は抽象的な形式に基づいて世界を説明する多くの理論にひとつの統一的な理論をつけ加えたに過ぎなかったでしょう。実際、彼の最初の主要な著作はこのことを完全には免れていません。しかし、ハルトマンの考えは非常に集中的かつ深遠なものであったので、アイデアを無意識的なものとして定義するだけでは不十分であるということを理解しないままにはしてはおきませんでした。私たちはむしろ私たちが無意識的なものとして認識するものの中にさらに深く入っていかなければなりません。つまり、私たちはその特徴を超えて、その具体的な内容を決定し、そして、そこからその個別の顕現を導き出さなければならないのです。ハルトマンはこのような仕方で(「無意識の哲学」の頃にはまだそうであったような)抽象的な一元論者から具体的な一元論者へと進化しました。ゲーテが元型的な現象、型、そして、「厳密な意味でのアイデア」という三つの形態で取り組むのは「具体的な」アイデアなのです。
 私たちがゲーテの世界観でハルトマンの哲学の中にも見出すような側面とは、私たちがアイデアの世界の客観的な特性を意識するようになると、その気づきに応じて、それに没頭するようになる、ということです。客観的なアイデアを追求するようにハルトマンを動機づけたのは彼の無意識の哲学でした。アイデアの本質はその意識性に基づいているのではない、ということに気づくや否や、彼は、アイデアとは一つの客観的な現実としてそれ自身で存在するような何かである、ということもまた認めざるを得なかったでしょう。彼がゲーテと異なっているのはアイデアに加えて意志を世界の形成原理として眺める点です。けれども、この意志のモチーフはハルトマンの哲学における真に実り多い側面とは関係がありません。彼の意志に関する仮定は、アイデアはそれ自身の上に安らいでおり、活動的になるためには意志によって促されなければならない、という彼の考えから生じています。ハルトマンによれば、意志だけでは決して創造的にはなり得ないのですが、それはそれが存在へと突き進む空虚で盲目的な原動力だからです。意志が「何か」を存在へともたらすことができるためには、それに先立って、アイデアが役割を果たさなければなりません。何故なら、それだけがその「内容」を提供することができるからです。
 とはいえ、意志はどのようにして扱うべきものなのでしょうか?私たちがそれを把握しようとする瞬間、それは私たちから逃げ出してしまいます。何故なら、空虚で意味のない衝動を捕まえることは不可能だからです。ですから、私たちが世界の原則として把握することができる唯一のものとはアイデアである、ということになります。「把握できるのは内容と意味に満たされたものだけ」であって、意味を持たないものではありません。「意志」の概念が把握されるためには、アイデア的に意味があるものとして現われなければなりません。つまり、それはアイデアとともに、アイデアを通して、現われることができるだけであって、単独で現われることはないのです。存在するものは何であれ「内容」を有していなければなりません。つまり、すべての存在は満たされたものでなければならず、空虚であることはできません。このことはゲーテがアイデアを「活動的」で効果的なもの、さらなる推進力を必要としないものと考えた理由です。意味に満ちた何らかのものが意味を持たないものからその顕現に向けた推進力を受け取ることはあり得ません。ですから、アイデアとは、ゲーテの意味では、「エンテレキー」―つまり、活動的な存在―として理解すべきものです。そして、私たちはまずそれをその活動的な形態から抽出するとともに、意志として再導入しなければなりません。純粋な意志という考えは経験主義的な科学にとっても意味がありません。ハルトマンは具体的な現象を取り扱うときにはそれを用いません。
 ハルトマンとゲーテとの近縁性はその倫理においてより一層明確です。エドゥアルト・ハルトマンは、あらゆる幸福への努力―あらゆるエゴイズムの追求―は倫理的に無価値である、何故なら、それらは満足へと導き得ないから、と考えます。エゴイズムから行為することは、ハルトマンによれば、幻想から行為するということです。私たちは世界によって私たちに割り当てられた仕事を把握し、無私の態度でそのためにだけ働くようにしなければなりません。私たち自身のために何かを得ようとするのではなく、私たち自身をそのために捧げる、というのが私たちの目的であるべきなのです。これはまたゲーテの倫理における根本的な特徴でもあります。ハルトマンは彼の道徳的な理論、つまり、「愛」を表現する言葉を抑制すべきではありませんでした。(R.シュタイナーによる注:私たちはハルトマンがその倫理の中で愛の概念を考えなかったと言っているのではありません。彼はそれを現象学的、形而上学的な観点から取り扱いました。しかし、彼は倫理における究極的な目的として愛を考えているのではありません。自己犠牲的で愛に満ちた世界プロセスへの献身は、それ自体が目的であるものとしてではなく、単に存在の問題から解放されるための手段、私たちから失われた恵みに満ちた平和の状態を再び獲得するための手段としてハルトマンの前に現れます。)
 私たちが個人的な要求をせず、私たちの行為が客観的な使命によってのみ動機づけられ、私たちが行為そのものの中にそれを行うことの動機を見出すとき、私たちの行為は道徳的なものとなります。けれども、そのとき、「私たちは愛から行動しているのです。」自己中心的なもの、単に個人的なあらゆるものは消え去ります。ハルトマンはアイデアをその無意識的な形態において一面的な仕方で把握しましたが、それでも彼は具体的な理想主義への道を見出しました。彼はまた悲観主義の倫理から出発しましたが、それでもこの歪められた観点は彼を愛の道徳へと導きました。これが彼の健全で力強い心にとって特徴的なことです。
 けれども、ハルトマンの悲観主義は、私たちの行為の無益さについて不満を言いたがる人たち、単に彼ら自身が受け身であることの言い訳のためにそうする人たちによって喧伝されているようなものとは異なっています。ハルトマンは不満の中に沈潜することなく、純粋な道徳性に対するそのような見せかけを超越します。彼は幸福を追求することの実りのなさを明らかにすることによってその無益さを示します。そして、私たちの行為自体の重要性を指し示します。そもそも彼が悲観論者であること自体が彼の間違いであり、それは彼の思考における以前の段階の名残でもある、ということかも知れません。しかし、彼は、現実の世界において不満足が支配していることの経験論的な証明の上に悲観論を基礎づけることは不可能である、ということを彼が立っている場所から理解すべきです。私たちの中の最も高次のものがそれ自身の幸福を創造すること以外のことを望むはずはなく、それを外からの贈り物として受け取りたいとも思っていません。私たちの中の最も高次のものはそれ自身の活動の中で幸福を追求します。ハルトマンの悲観論は彼自身によるより高次の考察という光の中で解消されます。「世界が私たちを不満足なままにしておくからこそ、私たちは私たち自身で、私たち自身の活動を通して、最も美しい幸福を創造するのです。」
 ハルトマンの哲学は異なる出発点から同じ場所に至ることができるということのさらなる証明を提供します。彼の仮定はゲーテのそれとは異なっていたのですが、私たちはそれらを洗練させていく中で、あらゆるところでゲーテの一連の思考の流れに出会います。私たちがここでこのような描写を行ったのはゲーテの世界観の深く内的な完全性を示すためです。それは世界存在の中に非常に深く根づいているので、精力的な思考が認識の源泉へと貫き至るところではどこでもその主要な特徴に再び出会う、ということは確かです。ゲーテにおいてはすべてがあまりにも独創的で、単に彼の時代に流行した観点ということでは全くなかったために、彼の反対者たちですら彼のように考えざるを得なかったのです。世界の永遠の謎は個人を通して顕現しますが、近代においては、それはゲーテを通して最も意義深く語りました。実際、「ある人の観点の意義を今日推量することができるのは、ゲーテの世界観に対するそれらの関係によってである」と言うことができます。