ルドルフ・シュタイナー

ゲーテの自然科学論序説~並びに、精神科学(人智学)の基礎~

(GA1)

第14章

ゲーテの気象学上のアイデア

佐々木義之訳


 彼の地質学でも見てきたように、ゲーテの実際の業績を気象学への彼の直接的な貢献として見るのは間違っています(R.シュタイナーによる注:彼の「気象学概論」の中の「自己評価」と題された項参照)。彼は彼の気象学的な実験を完成させることは決してありませんでした。私たちにあるのは彼の観点だけです。彼の思考はいつも「プレグナントな(示唆に富んだ)」点を求めており、一連の現象はその光の下で自ら自然にまとまるもののはずでした(「ひとつの天才的な言葉による重要な助け」参照)。様々な現象の秩序だった配列を説明するために外的かつ偶然の要素を当てにするようないかなる説明も彼の心を満足させられなかったでしょう。彼は、何らかの現象に出会ったとき、ひとつの完全な全体を把握できるようにするため、同じ領域に属するあらゆる同様の、そして、関連する事実を求めました。あらゆる規則的なものの内的な必然性―実際、関連する現象の輪全体の内的な必然性―がそれを通して明確になるような原則がその輪の中に存在しているはずでした。この輪の「内部に」現れるものを説明するに際して、その外側に横たわる条件を持ち出すのは彼には不自然なことのように思えたのです。
 これは彼が気象学のために打ち立てた原則の鍵となるものです。

私は、そのような定常的な現象(編集者注:気圧計の規則的な上昇や下降)の原因を惑星、月、あるいは未知の大気の潮流に帰するのは十分ではない、ということにますます気づくようになりました・・・私たちはすべてのそのような影響を拒絶します。地上における気象現象は宇宙的な事象でも惑星的な事象でもありません。私たちはそれらを、私たちの土地にしたがって、純粋に「地球の」現象として説明しなければなりません。(「気象学概論」)

 ゲーテは大気現象をそれらの地上的な原因にまで遡って辿りたいと思っていました。それにはまず、その他のあらゆるものを決定づける基本的な法則性を表現する特別な点を見つける必要がありました。そのような現象を提供したのが気圧計です。ゲーテはそれを元型的な現象と見なし、他のあらゆる事象をそれに結びつけようとしました。彼は気圧計の上昇や下降を追跡することを試み、その中に一定の規則性を観測したと考えました。彼はルードヴィッヒ・シュロンのデータ表を研究することによって、「水銀柱の上昇や下降は、異なる場所においても、『ほとんど平行したコース』を辿り、観測が行われる緯度や経度や高度に影響されない」ということを見出しました。彼はこの上昇と下降を重力の表現と考え、気圧計の変動の中に重力の特質の直接的な表現を見出したと信じていたのです。
 この説明にさらに何かを投影することに意味はありません。ゲーテは仮説を立てることを拒否していました。彼は観察された現象だけを表現したいと考えていたので、現代の自然科学のように実際の原因となる要素を探すことはありませんでした。他の大気現象は「この」特別な現象によって整理されると考えていたのです。
 ゲーテが最も興味を抱いていたのは雲の形成についてです。彼は絶えず変化するそれらの形態の中に一定の本質的な配置を区別し、そのことで、「変動する外観の中に生きるものを持続的な思考の中にしっかりと捉える」方法をルーク・ハワード(1772-1864)の理論の中に見出しました。彼は、ちょうど葉の典型的な形態の変容を説明する方法を植物の「精神的な階梯」の中に見つけたように、雲の形成における変容を理解するための方法をまだ探し続けていたのです。彼が気象学の領域において様々な変容をそれによって結びつけた「精神的な階梯」とは、様々な高度における大気の質的な違いでした。植物と雲のいずれの場合にも、ゲーテはその「精神的な階梯」が実際に実体的なものであると推察するような夢想家では決してありませんでした。彼は、感覚に関する限り、空間中における実際の現実として見ることができるのは個別の雲の形成だけであって、いかなるより高次の説明的な原則も精神の目のためにのみ意図されたものである、という事実に十分に気づいていました。ですから、今日、ゲーテを反駁しようとする試みはしばしばドンキホーテが風車に立ち向かうようなものとなります。人々は、彼が彼自身、彼の原則から排除した現実の形態を彼の原則に帰することによって、彼を打ち負かしたと思っているのです。しかし、彼がその基盤として考えた現実の形態―客観的で具体的なアイデア―は現代の自然科学には見知らぬものに留まります。ですから、この関連で、今日の科学には、ゲーテ自身が未知なるものに見えるに違いありません。