ルドルフ・シュタイナー

ゲーテの自然科学論序説〜並びに、精神科学(人智学)の基礎〜

(GA1)

第4章

ゲーテの有機形態論に関する著作の本質と重要性

佐々木義之訳


 ゲーテの形態論に関する著作の重要性は、それらが有機的な自然を探求するための理論的な基礎と方法論を確立したということにあります。それは「第一級の科学的業績」です。私たちがこの事実を正しく評価するためには、とりわけ無機的な現象と有機的な現象の間の途方もない違いが考慮されなければなりません。例えば、2個のビリヤードのボールが衝突するのは無機的な現象です。もし、1個のボールが静止しており、もう1個がある方向からある速度をもってそれに衝突するならば、静止していた方はある方向にある速度をもって動き始めるでしょう。そのような現象については、感覚に直接与えられるものを概念に変容させるだけで「理解する」ことができます。感覚的に知覚可能なものであって私たちが概念的に把握しなかったものが何もない限りにおいて、私たちはそれを行うことができます。私たちは1個のボールが別のボールに近づいて衝突し、その別のボールが動き出すのを見ます。私たちがこの現象を「理解した」と言えるのは、最初のボールの質量、方向、速度と第2のボールの質量から第2のボールの速度と方向を予測できるとき、言い換えれば、この現象が与えられた条件下で「必然的に」起こるのを見るときです。けれども、このことは、私たちの感覚に現れるものは私たちがアイデアとして仮定するところのものの「必然的な結果」として現れなければならない、ということを意味しているに過ぎません。その場合、概念と現象は一致する、と言うことができます。「現象ではない概念はなく、概念の中にない現象もありません。」
 無機的な自然の中で必然的な生起へと導くような条件についてもう少し詳しく考察してみましょう。私たちはここで、無機的な自然における感覚的に知覚可能な生起を決定づける条件は感覚の世界にも属している、という重要な事実に出会います。先ほどの例で言えば、質量、速度、そして方向―実際に「感覚」の領域に属する条件―が考察の対象となります。他のいかなる条件もその現象を規定しません。感覚にとって直接知覚可能な要素のみが「お互いにお互いを」決定づけます。ですから、そのような生起の概念的な理解は、単に目に見える現実から目に見える現実を演繹するに過ぎません。空間的、時間的要素―質量、重量、あるいは、光や熱のような感覚的に知覚可能な力―は、すべて同じ範疇に属する現象を引き起こします。物体は暖められ、それによって膨張しますが、原因と結果、つまり、加熱と膨張の両方が感覚の世界に属しています。
 したがって、私たちはそのような生起を把握するために感覚の世界を超えて行く必要がありません。その世界の「内部で」、ある現象を別の現象から演繹しさえすればよいのです。ですから、私たちがそのような現象を説明し、概念的に理解したいのであれば、感覚によって「知覚され」得る要素だけを含めればよいのです。私たちが理解しようとするものはすべて知覚することができます。そこにあるのは知覚されたもの(外観)と概念との一致です。そのような出来事の中には私たちにとって獏としたままのものは何もありません。こうして、私たちは無機的な世界の本質的な特質を引き出し、それにより、いかにそれを「それ自体を通して」、それを超えて行くことなく、説明することができるかを示しました。人類が初めて考え始めたのはそのようなことがらの特質についてですから、このことに関してはいかなる疑問もありませんでした。もちろん、彼らは概念と知覚対象との一致へと導く上記の判断過程をいつも辿ったわけではありませんが、先に示したような現象自体の本質的な特質を通してそれらを説明することを決してためらいませんでした。(R.シュタイナーによる注:哲学者の中には、私たちは感覚世界の現象をその根源的な要素〔力〕にまで辿ることができるけれども、だからといって、私たちが生命の本質的な性質について説明することができる以上にこれらを説明できるわけではない、と主張する人たちがいます。このことに関して言えば、これらの要素は「単純」である―つまり、それらはそれら自体がより単純な要素からは構成され得ない―ということを強調しておく必要があります。とはいえ、それらの単純さの中で、それらを導き出したり、それらを説明したりすることができない理由は、私たちの認識能力の限界によるものではなく、それらがそれら自体に依存しているという事実によります。つまり、それらはそれらの全くの直接性において私たちの前に提示され、それらはそれら自体で完結し、そして、それらは他のいかなるものからも導き出すことができない、ということです。)
 けれども、「有機的な」領域における現象については、「ゲーテに至るまで」それは真実ではありませんでした。有機体の感覚的に知覚可能な側面―その形、大きさ、色、温度、等々―は、同じ種類の要素によって決定されているようには見えません。例えば、植物の根の大きさ、形、位置、等々が、葉や花の感覚的に知覚可能な特徴を決定していると言うことはできません。もし、そうであるならば、そのような物体は有機体ではなく、機械であるはずです。生きた存在の感覚的に知覚可能な特徴は、無機的な自然とは異なり、その他の感覚的に知覚化能な条件の結果として現れることはない、ということが認められなければなりません。(R.シュタイナーによる注:有機体と機械の差はここにあります。機械において本質的なのは、その部品の相互作用だけです。その相互作用を支配する統合的な原則はその対象自体の中に存在しているのではなく、それを組み立てた人の頭脳の中にある計画として、その外にあります。機械においては、その部品の相互作用を支配する決定的な原則は外的〔そして、抽象的〕なものであるのに対して、有機体においては、それはその対象自体の中で現実的な存在性を帯びているという事実こそが正に有機体と機械との間の相違点である、ということを否定できるのは最も近視眼的な見方によってだけです。ですから、有機体の感覚的に知覚可能な状態は、単にひとつのものが別のものに続いて生じるようにして現れるのではなく、感覚には知覚不能な内的な原則によって支配されているのです。その意味で、この原則は、組み立てる人の頭脳の中にあって心にとってのみ存在している計画以上に感覚にとっては知覚不可能なものです。それは本質的にはそのような計画なのですが、それが有機体の内的な存在の中に入り込んでおり、第三者、すなわち組み立てる人を介して作用するのではなく、直接それに作用するという点で異なっているのです。)実際、知覚に関連した特質が有機体の中に生じるのは「もはや感覚にとっては知覚不能な」何かによってです。それらは感覚的に知覚可能なプロセスの上に浮遊するより高次の統一性の結果として現れます。それは根の形が茎の形を決定づけ、茎の形が葉の形を決定づけ、等々というようなものではありません。そうではなく、これらの形はすべて、それらの上方に存在する何か、感覚によってはその形に近づくことができないような何かによって決定されています。知覚可能な要素はお互いにとっては存在していますが、お互いの結果として存在しているのではありません。それらはお互いによって決定されるのではなく、何か別のものによって決定されています。ここでは、私たちが私たちの感覚をもって知覚するものを他の感覚要素へと還元することはできません。つまり、私たちは感覚の世界には属さない要素を、ものごとについての私たちの概念に含めなければなりません。「私たちは感覚の世界を越えて行かなければならないのです。」現象を理解しようとするならば、私たちが知覚するものだけでは不十分です。私たちは「統合する原則」を概念的に把握しなければなりません。とはいえ、その結果、知覚されたものと概念との間には距離が生じ、もはやそれらは一致しないように見えます。つまり、概念は観察されたものの上に浮遊し、それらがどのように関連しているのかを理解するのが困難になるのです。無機的な自然においては、概念と感覚的な現実はひとつのものですが、ここではそれらは分岐し、実際、ふたつの異なる世界に属しているように見えます。知覚されるもの、自らを感覚に直接提示するものが、それ自身の中に、それ自身の説明あるいはその本質をもはや担っていないように見えるのです。そのものは自己説明的であるようには見えません。しかし、それはその概念が何かそれ以外のものから取られているからなのです。そのものは感覚にとっては存在しているにもかかわらず、感覚的な世界の法則には支配されていないように見えるために、あたかも自然の中の解決できない矛盾に遭遇しているかのようなのです。それはまるで自己説明的な無機的現象と有機的な存在との間に深淵が横たわっているかのように見え、後者においては、自然法則が何者かの侵害を受けて、正当な法則が突然打ち破られているかのように見えます。実際、科学の世界では、「ゲーテによって」このミステリーが解決されるまで、この深淵は当然のことと考えられていました。それまでは、無機的な自然だけがそれ自身を通して説明可能であり、人間の知識に対する能力は有機的な自然の段階で終わると信じられていたのです。
 近代哲学の偉大な改革者「カント」がその古い間違った概念を共有していたばかりではなく、何故、人間の心は有機的な実体を決して説明することができないのかということについての科学的な「理由」を探究しさえしたことを考えると、ゲーテが達成したことがどれほどのことだったのかを理解することができます。実際、カントは、先験的な知性が有機的な存在と無機的な領域の両方において、概念と感覚的な現実との間の関係を把握することができる可能性を確かに認めていたのですが、人間がそのような知性を有する可能性を否定していたのです。カントによると、人間の知性は事物の統一性や概念を把握できるけれども、ただ、それはその各部分の相互作用から生じるものとして、抽象的な論理立てを通して達成されるところの分析的に一般化されたものとして、把握できるだけであり、各部分が明確で具体的な(合成的な)統一性の結果として―先験的な概念の結果として−生じる、というような仕方で把握されるのではありません。ですから、彼は、人間の知性が有機的な性質−そして、その活動は全体から各部分へと放射していると見るべきなのですが−を説明することは不可能である、と考えていたのです。カントは言います。

したがって、私たちの知性は、私たちの判断力に関して、奇妙な特質を有している。つまり、知性による認識においては、個別のものは普遍的なものによっては決定されず、したがって、それだけから導くことはできない、という特質を。(「判断力批判」段落77)

 この記述にしたがえば、私たちが有機的な実体を探究するとき、私たちは、総体(それは単に思考することができるだけです)についての考えと時空の中で私たちの感覚に現れるものとの間の必然的な関係を知る可能性を放棄しなければならない、ということになります。カントによれば、私たちはそのような関係が存在することを知ることで満足しなければならず、そのような一般的な思考、あるいはアイデアが「いかにして」そこから一歩踏み出しながら感覚的な現実として現われるのかを知ろうとする私たちの論理的な思考を私たちは満足させることができない、ということになります。私たちは、そのかわり、誰かがあるアイデアにしたがって何らかの合成物―機械のようなものですが−を組み立てるときのように、概念にとっても感覚的な現実にとっても外的な影響によってそのようなものが生じさせられた後、何らの仲介もなく対峙する、と考えざるを得なくなります。こうして、有機的な世界を説明する可能性は否定された―実際にはその不可能性が証明された−ように見えました。
 ゲーテが有機的な科学に没頭し始めた頃の状況とはそのようなものでした。とはいえ、彼は、繰り返しスピノザ哲学を読むという最も適切な準備を行った後、これらの研究に取りかかりました。ゲーテが最初にスピノザを取り上げたのは1774年の春でした。彼は「詩と真実」の中で、この哲学者との最初の出会いについて次のように書いています。「私のとんでもない存在を教育するための方法を求めて、世界中を探し回った後、私はついにこの男の『倫理』に出会った。」
 その同じ年の夏、ゲーテはフリッツ・ジャコビに出会いました。当時、彼(ジャコビ)は(スピノザの教えに関する彼の1785年の手紙が示すように)スピノザを研究していました。ジャコビこそがゲーテをその哲学者の本質へとより深く導いた人物でした。当時、彼らはスピノザについて大いに議論しましたが、それは、ゲーテにとって「まだすべてが発酵し、泡立ちながら、何らかの最初の影響を及ぼし、そして、またその影響を受けていた」からです。
 ほどなく、彼は父の蔵書の中に、ある本を見つけましたが、それはスピノザに対して悪意に満ちた攻撃をしかけ、実際、彼を完全に戯画化するほどにまで歪曲していた著者によるものでした。ゲーテはこの深い思索家を再び真剣に研究することでそれに応えました。彼はスピノザの著作の中に、当時彼が問いかけることができた最も深い科学的な疑問に対する鍵を見出したのです。詩人がフォン・シュタイン夫人とスピノザを読んだのは1784年でしたが、11月4日には、彼女宛てに、「私はラテン語でスピノザを持ち歩いています、ラテン語ではすべてがずっと明確なのです」と書いています。ゲーテはその哲学者が途方もない影響を彼に及ぼしたという事実をいつでもその全く率直に認めていました。1816年、彼はゼルター宛てに、「シェークスピアとスピノザを除けば、亡くなった魂たちの中で、私に(リンネほど)大きな影響を与えた者を知らない」と書いています。ですから、彼は、彼に最も大きな影響を与えた人物はシェークスピアとスピノザの二人であるとみなしていたのです。
 彼がその「イタリア紀行」の中でラバターについて書かざるを得なかった点について考えてみるとき、その影響がいかに彼の形態論的な研究において現われているかを最も明確に見て取ることができます。ラバターは、生きた有機体はそれ自体の本性の中には本来存在しない影響を通して―つまり、普遍的な自然法則の侵害を通して―生じることができだけである、という当時流布していた観点を主張していました。ゲーテは次のように書いています。

最近、私は、チューリッヒの予言者による嘆かわしくも使徒的で僧侶的な御託宣の中に、次のような愚かな言葉を見つけました。「すべての生あるものは、それ自身の外にある何かを生き通している。」それは少なくともこのように聞こえました。さて、これは正にそのような異教の宣教師が書きそうなことであって、どんな守護神も彼がそうするようには彼の裾を引き寄せたりはしないでしょう。(「イタリア紀行」1787年10月5日)

 これはスピノザの精神そのものです。スピノザは三種類の知識を区別します。第一の知識は私たちが一定の言葉を聞いたり読んだりするときに生じます。私たちは言及されていることがらを思い出し、それについての心的な像、私たちがものごとを自分で思い描くとき一般に用いるような像を形成します。第二の種類の知識において、私たちはものごとの特徴に関して十分に形成された私たちの心的な像から一般的な概念を創り出します。第三の種類の知識において、私たちは、神の何らかの属性に関する実際の特質についての十分なイメージからものごとの本質的な特質についての十分な知識へと前進します。さて、スピノザはこの種の知識をscientia intuitiva、あるいは「見ることにおける知識」と呼んでいます。ゲーテが追及したのはこの最高の種類の知識でした。
 スピノザが、ものごとはその本質において何らかの神の属性が認識されるような仕方で知られなければならない、と言ったとき、彼が何を意味していたのかを明確にしておきましょう。スピノザのいう神とは世界の思考内容―駆り立て、すべてを支え、すべてを保持する原則−でした。さて、私たちはこの原則を独立した存在、限りある世界から独立し、自立した存在、限りある存在たちから離れていながらそれらを支配し、活気づける存在である、と仮定することによって思い描くことができます。他方、私たちはこの存在について、限りある世界に入ってきたものとして、もはや現世的なものの上方や傍らにいるのではなく、それらの「内部に」存在しているものとして考えることができます。この観点は決してあの太古の原則を否定しているのではなく、それを完全に認めています。ただ、その原則が世界の中に「注ぎ出されている」と見るのです。
 最初の観点は有限の世界を無限の世界の顕現として見ますが、この無限性はそれ自身の存在の内にとどまり、自分自身からは何も譲渡しません。それは決してそれ自身を越えて行くことはなく、それが顕現する前の状態にとどまります。第二の観点もまた有限の世界を無限の世界の顕現として見ますが、この観点はこの無限の存在がその顕現を通して完全にそれ自身を越えて行った、それ自身の存在と生命をその創造の中に据え、今や、「その創造の中にのみ」存在している、と考えます。さて、明らかに、知識とはものごとの本質を知覚することであり、その本質はそれが限りある存在としてあらゆるものごとの根本的な原則に関与する程度においてのみ存在しているわけですから、知るということは、ものごとの中の無限なるもの(R.シュタイナーによる注:つまり、それらの中にある一定の神の属性)を知覚する、ということを意味しています。
 既に記述してきましたが、実際、ゲーテ以前には、無機的な自然はそれ自体を通して説明することができる―それはそれ自体の説明とそれ自体の本性をそれ自体の内に含んでいる−しかし、それは有機的な自然の場合には当てはまらない、と考えられていました。後者の場合、対象の中に現れる本質的な特質あるいは存在はその対象自体の内部に見出すことはできない、したがって、それはその対象の外側に存在する、と考えられていたのです。言い換えれば、有機的な自然は最初の観点にしたがって、無機的な自然は第二の観点にしたがって説明されました。
 このように、スピノザは、統合された知識の必然性を証明しましたが、この理論的な洞察を様々に分化した有機的な科学の専門分野の中で証明するにはあまりにも哲学者過ぎました。この仕事はゲーテのために残されたのです。スピノザの観点への彼の確固とした支持は、先に引用された文章によってだけではなく、多くの他の文章によっても示すことができます。彼は「詩と真実」の中で、「自然は永遠不変の法則にしたがって働く、それはあまりにも神聖であって、神ご自身でさえその中の何ものをも変えることはできない」(第16冊、第4部)と書いています。1811年に出版されたジャコビによる本(「神的な事物とその顕現について」)を引用しながら、ゲーテは次のように述べています。

非常に愛すべき友人による本が、自然は神を内に秘めている、という命題を発展させているのを見るのは、私にとって非常な喜びであった。私の純粋で深淵な、そして、経験豊富な生来のものの考え方、特に、「自然の中に神を見、神の中に自然を見る」ということを私に教え、それによって私の全存在を基礎づけているこのものの考え方をもってすれば、そのような奇妙で、一面的に限定された主張によって、私が愛し、尊敬してきたこの人間として最も高貴な心から私がいつまでも精神的に遠ざけられている、ということなどあってはいけないことではないのか?(R.シュタイナーによる注:「Tag- und Jahreshefte (1811)」)

 ゲーテはその踏み出そうとしていた一歩が科学の将来に大きな影響を及ぼすことを十分に知っていました。彼は、無機的な自然と有機的な自然の間の境界を破壊することによりスピノザの考えを推し進めることによって、科学の方向性を大きく変えようとしていることに気づいていました。そのことは彼の随筆「先験的な知覚による判断」の中で表明されています。彼は、人間の知性は有機体を説明することができないことを証明しようとしたカントの「判断力批判」の試みに言及した後、次のような反論を述べています。

ここで著者は確かに神的な知性に言及しているように見えます。しかし、もし、私たちが本当に道徳的な領域において―神、善、そして不死への信仰を通して―より高次の領域に上昇し、原初の存在に近づこうとするのであれば、知的な領域においても、私たちは―絶えず創造する自然の考察を通して―私たちをその創造に精神的に参加する価値があるものとすることができるのではないでしょうか?いずれにしても、私は、元型的、典型的なものに向かって最初は無意識に、そして、内的な衝動から休むことなく突き進んできて、それがいかに自然法則にしたがって展開するかを示すことにも成功してきました。ですから、今や、ケーニッヒスベルクの聖人その人がそう呼んだような「理性の冒険」へと大胆に乗り出すことを妨げるものは何もありません。

 本質的なことは、無機的な自然の中でのできごとは、つまり、何か感覚的な世界の中だけで生じるものは、同様に感覚的な世界の中だけで生じる過程が原因となって決定される、ということです。原因となる過程が要素m、d、そしてv(運動するビリヤード球の質量、方向、そして速度)、そして、結果となる過程が要素m’、d’、そしてv’から構成されていると想像してみましょう。m、d、そしてvが与えられるときにはいつでもm’、d’、そしてv’はそれらによって決定されるでしょう。原因と結果からなるこのできごと全体を理解するためには、それらの両方を含むひとつの概念によってそれを定式化しなければなりません。けれども、その種の概念はそのできごと自体の中には存在せず、それを決定づけることもありません。それは両方の過程をひとつの共通の表現の中に包含していますが、その原因となることはなく、それを決定づけることもないのです。感覚世界の物体だけがお互いを決定づけます。要素m、d、そしてvもまた外的な感覚にとって知覚可能ですが、この場合、概念は外的なできごとを要約するために働いているだけです。それは何かアイデアや概念としては現実的ではないけれども感覚にとっては現実的なものを「表現して」いるのです。それが表現するこの「何か」とは感覚的な知覚対象です。無機的な自然についての知識は、感覚を通して外的な世界を理解し、概念を通してその相互作用を表現することができる可能性に基づいています。カントは「そのようにして」ものごとを知る可能性を人間が近づくことができる唯一の種類の知識であると見なしていました。カントはこのような考え方を推論的と呼びました。私たちが知ろうとする「もの」は外的な知覚であり、概念あるいはひとつに結びつけるものは単なる手段なのです。
 けれども、カントによれば、私たちが有機的な自然を理解しようするときには、私たちは理想的、概念的な側面を、何か別のものを表現したり、示唆したりすることによって、その意味を借りてくるものとして把握することはできません。むしろ、私たちは「理想的な要素をそれ自体として」把握しなければならないはずです。それは、空間的−時間的な感覚の世界に発するのではなく、それ自身に発するそれ自身の意味を含んでいなければならないはずです。無機的な世界の場合、私たちの心が単に抽象的に思い描くところの統一性はそれ自身を「それ自身から」形成しながら、それ自身の上に構築しなければならないでしょう。それはそれ以外の対象からの影響によってではなく、それ自身の存在にしたがって形作られなければならないでしょう。自己形成し、自己顕現する実体を理解することからは、カントによれば、人間は排除されているのです。
 そのような理解を達成するためには何が必要なのでしょうか?私たちはある種の思考を必要としているのですが、それは外的な感覚知覚から導かれたのではない実質を考えに付与することができるような、つまり、感覚によって外的に知覚されたものを理解するだけではなく、感覚の世界から離れた純粋な考えを把握することもできるような思考です。感覚の世界から抽出されたのではない概念、その内容がそれ自身から、そして、それ自身だけから発展するような概念を「先験的な概念」と呼ぶことができます。そして、そのような概念を理解することを「先験的な知識」と呼ぶことができるでしょう。それから導かれるものは明確です。「生きた有機体は先験的な概念を通してのみ理解できる」です。ゲーテは実際にこのような知の可能性を示しました。
 無機的な世界は、できごとを構成する個々の要素の相互作用、つまり、それらがお互いを決定づけるその仕方によって支配されています。これは有機的な世界には当てはまりません。そこでは有機体を構成する個々のものが別のものを決定づけているのではなく、全体(あるいはアイデア)がそれ自身から、それ自身の存在と調和して、それらを決定づけているのです。この自らを決定づける実体に言及するとき、私たちはそれを、ゲーテの言葉にしたがって、「エンテレキー」と呼ぶことができます。すなわち、エンテレキーとは自らを存在へと呼び込む力です。その結果現れるのが感覚的な存在であり、それらはこのエンテレキー的な原則によって決定づけられているのです。このことから明らかな矛盾が生じるのですが、それは、有機体は自己決定的であり、前提となる原則に従ってそれ自身からその特徴を生じさせるにもかかわらず、感覚的に知覚可能な現実性を有している、という矛盾です。すなわち、有機体はその他の感覚世界の対象とは全く異なる仕方で感覚的に知覚可能な現実性を達成し、その結果、それは不自然な仕方で生じるように見えます。
 有機体は外的には他の物体と同様、感覚世界の影響にさらされている、ということもまた理解できます。屋根から落ちるタイルは無機的な対象にも、生き物にもぶつかる可能性があります。有機体は、栄養やその他のものを取り込むことを通して、外的な世界に関連づけられています。すなわち、外的な世界の物理的な状況の影響を受けるのです。もちろん、このことが生じるのは、有機体が空間的−時間的な感覚世界の対象物である限りにおいてのみです。この外的世界の対象物−エンテレキー的な原則が外に向かって現れたもの−は、有機体の外的な表現ですが、それはそれ自身と完全に一致しているようには見えず、それ自身の本性に厳密に従っているようにも見えません。それはそれ自身と調和しているようにも、それ自身の本性に厳密に従っているようにも決して見えませんが、その理由は、有機体がそれ自身の形成的な法則に従っているだけではなく、外的な世界の条件にも左右されていることによります。つまり、それはそれ自身を決定づけるエンテレキー的な法則に従えばそうなるはずのものであるだけではなく、それが依存している外的な要因の影響によりそうなったものでもあるからです。
 人間理性が関係してくるのはここにおいてです。有機体がそれ自身の原則にのみ対応し、外的な世界の影響を無効にしながら展開するのは「アイデアの領域において」なのです。「いわゆる」有機的なものとは関係のないあらゆる偶発的な影響は完全に抜け落ちます。有機体における純粋に有機的な側面に対応するこのアイデアこそが元型的な有機体であり、ゲーテが言うところの「型」なのです。
 こうして、型というアイデアの際立った有効性が明らかになります。それは単なる「知的な概念」ではなく、すべての有機体における真に有機的な側面であり、それなしでは有機体ではあり得ないような何かなのです。それは「あらゆる」有機体の中に現れるので、いかなる実際かつ個別の有機体よりもより現実的なものです。それはまた、「いかなる個々の特別な有機体よりも」より十全に、そして、より純粋に有機体の本質を現わします。私たちが型についてのアイデアに至る道は、外的な現実から抽出された概念、内的に活性化していない無機的なプロセスに関する概念に至る道とは根本的に異なっています。有機体についてのアイデアはそのエンテレキーとして有機体内部で活発に活動しています。それは、私たちの理性によって理解される形を取ったエンテレキーそのものの本質なのです。アイデアは経験の総体ではありません。それは経験を「生み出す」ものなのです。ゲーテはそのことを次のように表現しました。「概念とは経験の『総体』であり、アイデアとはその『結果』である−概念を理解するためには知性が必要であり、アイデアを把握するためには理性が必要である。」この言葉はゲーテの元型的な有機体(元型的な植物あるいは動物)に帰せられるべき種類の現実性を説明しています。このゲーテ的な方法論は明らかに有機的な世界の本質を理解するための唯一の方法です。
 私たちは、無機的な領域においては、多様性に富むその現象はそれを説明する法則性と同じものではなく、何かその外側にあるものとして、この法則性を単に指し示しているに過ぎないのだ、という本質的な状況に気づかなければなりません。私たちが「知覚する」もの―外的な感覚を通して与えられる私たちの知識における物質的な要素―と「概念」―あるいは、私たちが知覚するものの必然性を認識するための形式的な手段―との関係は、それらがお互いをその対象物として必要としている、というようなものです。その関係は、概念は経験されたできごとという個別のことがらの中に生きているのではなく、それらのことがらの相互関係の中に生きている、というようなものなのです。この相互関係は、多様なものをひとつの統合された全体へと結びつけており、与えられた個別のものに基づいていますが、実際、「全体」(あるいは統一されたもの)としては具現化されません。この関係の中では、「個別のもの」だけが外的な存在性の中に―対象の中に―現れます。統一性あるいは概念が「そのようなものとして」現れるのは、現象の多様性を結びつけることをその使命とする私たちの知性の中においてのみです。つまり、概念は現象の「総体」としてその多様性に関係づけられているのです。ここで私たちが扱っているのはひとつの二面性、私たちが「知覚する」多様な現象と、私たちが「思考する」その統一性という二面性です。
 有機的な自然においては、有機体の多様で個別のものはそのような外的な相互関係を有していません。統一性は知覚されるものの中に現れます。それは多様性と共に存在するようになります。つまり、それらは同じものなのです。現象する総体(有機体)の個々の構成要素の間の関係はひとつの現実となり、もはや私たちの知性の中にだけではなく、対象の中にも具体的に現われます。そして、そこでは、それはそれ自身から多様性を生み出します。概念は、単にその「外側」にある対象物を要約する要素としての役割を演じるだけではなく、完全にその対象物と一体になっています。私たちの知覚対象はもはや私たちがそれを通して思考するところの概念ではありません。私たちは概念そのものをアイデアとして知覚するのです。
 ですから、ゲーテは有機的な自然を把握する能力を「先見的な知覚による判断」と呼びました。説明するもの―私たちの知識の形式的な要素である概念―と説明されるもの―物質的な要素である知覚されたもの―が同じなのです。ですから、私たちがそれを通して有機的なものを理解するアイデアは、私たちがそれを通して無機的なものを説明する概念とは本質的に異なっています。それは単に与えられた多様性をひとつの要約のようにして結びつけるのではなく、それ自身からそれ自身の内容を生じさせるのです。それは与えられたもの(経験)の「結果」であり、具体的な現れなのです。(編者による注:したがって、例えば、時計についての概念はその各部分を通して直接的に自らを表現したりはしません。それはそれらの相互作用と目的を知的に理解することによってのみ把握することができます。そこでは、その統一性あるいは目的はその各部分を通して直接的に現れることはありません。有機体の場合は違います。例えば、動物の各器官の形成やその振る舞いの各側面は、その本質的な性質、あるいはアイデアの直接的な表現です。このアイデアは直接知覚され、賦活され、経験を通して深化されます。その意味で、それは経験の「結果」なのです。)無機的な科学においては、私たちは「法則」(自然法則)について語り、事実を説明するためにそれらを用いますが、有機的な科学においては「型」が用いられるというのはそのためです。「法則」はそれが支配する知覚された多様性と同じものではなく、その上に立つものです。一方、型においては、理想と現実が一体化しており、多様性は全体の中のひとつの点、そして、その点は全体と同じものなのですが、その点から生じてくるものとしてのみ説明することができます。
 ゲーテの探求における重要な側面は無機的な科学と有機的な科学の間のこの関係がよく洞察されていることです。ですから、(今日よく言われるように)、ゲーテの科学が見通していたのは、有機的なものを無機的な自然を決定づけるために用いられるのと同じ原則(機械的、物理的な範疇と法則)に還元することによって、それらを包括するような統合された自然観を目標とするところの一元論である、と言うのは間違いです。私たちはゲーテが一元論的な観点をどのように思い描いていたかを見てきました。有機的なものを説明する彼の方法は彼の無機的な領域に対するアプローチとは根本的に異なるものです。彼は、より高次の原則にかかわることでは、必然的に機械論的な説明が厳密に拒絶されるのを見たいと思っていたのです。(R.シュタイナーによる注:「私たちは重要なことがらが部分の中に集められているのを見ます。建築作品について考えてみれば、いかに多くのことがらが規則的あるいは不規則的な仕方で寄り集まることにより生じるかが分かります。したがって、原子論的な概念は非常に便利なものであり、有機的な生命が含まれる場合にも、それらを適用するのをためらいません。何故なら、正にダイナミックな説明だけが可能な問題を脇に押しやるときにだけ、機械的な説明の仕方が再び時代の趨勢になるのですから。」[散文の中の韻])彼は有機的な現象の原因を無機的なものに求めようとしたキーザーとリンクを批判しています。
 このゲーテについての間違った観点が生じてきたのは、彼が有機的な自然を理解する可能性に関してカントに対して取った立場によるものです。カントが我々の知性は生きた有機体を説明することができないと主張するとき、それは、それらが機械的な法則によって規定され、物理的あるいは機械的な分野に属しているためにそれらを把握することができないのだ、と言っているのではありません。カントによれば、我々の知性が説明できるのは正に物理的−機械的なものだけなのですが、有機体にとって本質的な存在はそのような性質のものでは「ない」という事実こそがそれを不可能にしている理由なのです。もし、それがそのようなものであったならば、知性は、自分が得意とする分野を通して、それを理解することができたでしょう。もちろん、ゲーテは有機的な世界を機械的な観点から説明することによってカントに反論しようとしていたわけではありません。彼の論点は、我々は有機的な世界の本質である創造的な活動におけるより高次の形態を把握する能力に欠けてはいない、ということだったのです。
 今お話したことを考えてみるとき、直ちに分かるのは、無機的な特質と有機的な特質との間には重要な違いがある、ということです。無機的な自然においては、「いかなる」プロセスも別のプロセスの原因となる可能性があり、その別のプロセスもまたさらに別のプロセスの原因となる可能性があることから、一連のできごとは決してそれ自体で完結するようには見えません。すべてが連続する相互作用に向けて開かれており、どの対象となる集団も他の集団の影響から自らを隔離することはできません。無機的なできごとの連鎖には始まりも終わりもないのです。ひとつのできごとと次のできごとの間には偶然の関係があるだけです。石が地面に向けて落ちるとき、その影響はたまたまそれがぶつかるものの種類によります。有機体においては、状況は全く異なっています。そこでは統一性が主要な要因になります。自立したエンテレキーは多数の感覚的に知覚可能な発展型から構成されており、それらの中のあるものは最初に、別のものは最後に来なければなりません。それらの間では、あるものの後に別の何かが続くということは一定の仕方で決まっています。理想的な統一性は一定の空間的な関係性の中で、時間の経過にしたがって、一連の感覚的に知覚可能な器官を生み出します。それはある一定の明確に決められた仕方で自然の他の部分からそれ自身を切り離し、その様々な状態をそれ自身から生み出します。ですから、これらのことがらは理想的な統一性から進み出てくる一連の状態の形成を追っていくことによってのみ把握することができます。言い換えれば、「有機体は、それが成ることにおいてのみ、つまり、その発達においてのみ把握することができます。」無機的な物体は完成され、固定されています。それは内的には非動的であり、外から動かすことができるだけです。有機体は決して同じところに留まりません。それは絶えず内から外へと自らを再構成し、変容し続けます。ですから、ゲーテは次のように述べています。

理性はその活動領域を成っているところのものの中に見出し、知性はそれを完成されたものの中に見出します。理性は「何のために?」とわざわざ聞いたりはしません。知性は「どこから?」と問うことがありません。理性は発達しているものの中に喜びを見出し、知性はすべてをしっかりと把握することによってそれを利用しようとします・・・理性は生きているものだけを規定します。地理学の関心事である既に成っている世界は死んだ世界です。(詩と散文)

 有機体は自然の中で主に二つの形態を取って私たちの前に現れます。ひとつは植物、もうひとつは動物ですが、それぞれ異なる仕方で現れます。植物は、「現実の」内的生活が欠如している点で、動物とは異なっています。動物においては、この内的生活は感覚や意図的な動き等々として現われます。植物はそのような魂的な原則を有していません。それはその外的な「形態」の発達を越えて行きません。植物においては、エンテレキー的な原則がその形成的な活動をいわばある一点から展開するとき、それぞれの器官は共通の形成的な原則にしたがって形づくられる、という事実を通して現れます。エンテレキーは個々の器官を形成する力として現われます。すべての器官はひとつの形成する型にしたがって形成されます。「ひとつの」基本的な型が変容したものとして現われるのです。つまり、それらはその器官の様々な発達段階における繰り返しなのです。植物を植物としているところのある「特別な形成力」がすべての器官の中で同じ仕方で働いているのですが、その意味で、あらゆる器官は他のすべての器官と、そしてその植物全体と「同じもの」なのです。ゲーテはこのことを次のように表現しています。

私は私たちが通常、葉と呼ぶところの植物の器官は、あらゆる形成の中に自らを隠し、そして、現す、真のプロテウスを隠し持っている、ということに気づきました。後ろにも前にも、植物はひたすら葉であり、未来の種子と不可分に結びついているために、一方を他方抜きで考えられないほどです。(イタリア紀行、1787年5月17日、1787年7月の報告に含まれる)

 このように、植物は、ちょうど複雑なものがあまり複雑ではないものから成り立っているように、いわば多くの個別の植物から成り立っているように見えます。植物の発達過程は段階を経て進行し、その器官を形成します。各器官はすべての他の器官と形成的な原則において同一ですが、外観において異なっています。植物の内的な統一性は外に向かって広がっています。つまり、それは様々な形態において自らを表現するとともに自らを失うことにより、(動物がそうするようには)それ自身の具体的な存在性と一定の独立性を達成するということがありません。そして、それは、生命の中心点として、その器官の多様性に出会い、それらを外界との仲介者として利用します。
 私たちは今、それらの内的な原則の意味で、そうでなければ同一であったはずの植物器官の外的な差異は何によって生じさせられるのか?と問わなければなりません。どうして、「単一の」形成的な原則によって導かれる形成的な法則が、ある場合には葉を生じさせ、別の場合には萼を生じさせるのでしょうか?植物は完全に外的な領域に存在していますから、この差異は外的、空間的な要因に基づいているに違いありません。ゲーテは拡張と収縮の交替こそがそのような要素であると考えていました。植物のエンテレキー的な原則が一点から外に向かって働きながら外的な存在性へと入っていくとき、それは空間的な実体として現れます。形成的な力は空間中で活動し、一定の空間的な形をもった器官を創り出します。さて、これらの力は、収縮期においては、一点に向かって集中し、拡張期においては、展開しつつ、いわばお互いに離れようとして分散します。植物の一生を通して、三つの拡張期と三つの収縮期が交代します。この拡張と収縮の交代こそが、植物の本質的には同一の形成的な力が分化する原因となっているのです。
最初、植物のポテンシャルのすべては―一点へと収縮し―種子の中で眠っています(a)。次に、それは葉の形成という形で出現し、展開し、そして「拡張」します(c)。形成的な力はお互いにますます反発し合うようになりますが、その結果、下部の葉はコンパクトで原初的なものとして現れ(cc’)、上部では肋骨状でぎざぎざになります。そして、密集していたものすべてが分かれ始めます(葉d、e)。以前は連続した間隔によって分離していた(zz’)ものすべてが−萼の形成とともに(f)−茎上の一点へと引き寄せられることによって現れます(w)。これが第2の収縮です。花の花冠では新たな展開あるいは「拡張」が生じます。萼片(f)に比べると花弁(g)はより洗練され、より繊細になっていますが、これは一点へと向かう収縮が弱まることによります。つまり、それは形成的な力の拡張がより強くなることにより生じることができるようになったものです。次の収縮は雄しべ(h)と雌しべ(i)という生殖器官の内部で生じます。そして、新たな拡張は果実(k)の形成の中で始まります。果実から現れる種子(a’)の中では、植物の存在全体が再び一点へと濃縮されます。(R.シュタイナーによる注:果実は雌しべ下部[子房、l]の成長を通して発達します。つまり、それは雌しべの後半の段階ですから、ただ別個のものとして描くことができるだけです。果実の形成は植物における最終的な拡張なのです。その生命は今や、その環境から自らを閉ざす器官―果実と種子―の中で分化したものとなります。果実において、すべては兆候となりました。つまり、それは外見的な兆候に過ぎず、自らを生命から引き離し、死せる産物となったのです。植物におけるすべての本質的な内的生命衝動は種子の中へと濃縮され、そこから新しい植物が生じることになります。種子はほぼ完全なアイデアです。その外見は最小限のものへと還元されています。)

                 

 芽あるいは種子が展開あるいは実現したものが植物全体です。それらが十分に展開し、植物を形成するためには、正しい外的な影響だけが必要です。芽と種子の違いは、種子はその基盤として地面を必要としているのに対して、芽は一般に植物上での植物の形成に相当している、ということに過ぎません。種子はより高次の性質を有する個別の植物、いわば、植物形成における循環全体を表現しています。新芽によって、植物はその生命の新しいフェーズを開始します。つまり、それはそれ自身を再生し、その力を濃縮しながら新たなものとするのです。したがって、芽の形成は植生のプロセスを中断することになります。生命を現出するための条件が欠けているときには、植物の生命は芽の中へと引き下がり、再び正しい条件が現れたとき、また発芽させることができます。植生の成長が冬の間に中断するのはこの理由によります。ゲーテはこのことについて次のように述べています。

極寒によって植生の成長が中断されない場合、それがいかに継続するかを観察することは非常に興味深いことです。ここ(イタリア)には芽というものがないので、芽とは何かを理解し始めています。(イタリア紀行、1786年12月2日)

 このように、私たちの気候条件では芽の中に隠されているものがそこでは露骨に現れているのです。実際、その中には植物の真の生命が隠されており、ただそれが展開するための条件だけが欠けているのです。
 交代する拡張と収縮というゲーテの概念は特別に強力な反対に出会うことになります。とはいえ、それらの攻撃のすべては誤解−つまり、これらの概念に対する物理的な原因が見出されない限り、そして、植物の内的な法則がいかにその拡張と収縮の原因となっているかを示すことができない限り、それらは有効ではあり得ないという信念−から出たものでした。しかし、それは馬の先に馬車をつなぐようなものです。拡張と収縮の原因としては何も仮定することができません。他のすべてはそれらから続いており、それら自身が段階を追って展開する変容の原因となっているのです。
 そのような誤解は、私たちが概念をそれ自身の先見的な形態において理解することに失敗し、それは外的なできごとの結果に違いないと主張するときには、いつでも生じます。私たちは拡張と収縮を原因ではなく、結果としてのみ考えますが、ゲーテはそれらを植物の中の無機的なプロセスの結果として生じるというよりは、むしろ、植物のエンテレキー的な原則が自身を形成する方法であると見なしていました。ですから、彼はそれらを感覚的に知覚可能なプロセスの総計から演繹されるのではなく、内的、統合的な原則そのものから生じてくるものとして見ざるを得なかったのです。
 植物の生命はその新陳代謝によって維持されています。栄養を地面から吸収する根に近い器官と、他の器官を通過してきた栄養を受け取る器官とでは、それらの新陳代謝に基本的な違いがあります。地面に近い器官はその無機的な環境に直接依存しているように見えますが、他の器官はそれに先立つ有機体の部分に依存しています。ですから、連続した各器官はそれに先立つ器官によっていわば特別に準備された栄養を受け取ることになります。自然は、後から来るものが前に来たものの結果として現れるように、種子から果実へと、段階を追って発達します。ゲーテは「精神的な階梯に沿った発達」として、この段階的な発達に言及しています。私たちが示してきた以上のものは、彼の次のような言葉の中には見当たりません。

上部の節はそれに先立つ節から生じ、それによって仲介される樹液を受け取るので、茎のより高いところにある節はその樹液をより洗練され、よりろ過された状態で受け取るに違いありません。そして、それは以前の葉の発達からの利益を享受し、その形態を洗練させ、さらに洗練された樹液をその葉や芽に送り込みます。

 私たちがこれらのことすべてを理解し始めるのは、それらをゲーテのアイデアという光の下で見るときです。そこで提示されるアイデアは、何らかの個別の植物において現れるような要素、その本来の形態においてではなく、外的な条件に適応した形で現れるような要素ではなく、元型的な植物の特質の中に、元型そのものにのみ対応するような仕方で横たわっているような要素です。
 当然のことながら、動物の生においては、何か別のものが介入してきます。動物の生命は、外的な特徴の中に自らを失うのではなく、むしろ、自らを分離し、その身体性をもって自らに仕え、その身体的な現れを単に道具としてのみ用います。それは、もはや単に内部から有機体を形成する能力として現れるのではなく、むしろ、有機体のそばにあるものとして、有機体の内部でそれを支配する力として活動しながら、自らを表現します。動物はひとつの自己完結した世界として、あるいは、植物よりもはるかに高次の意味で、小宇宙として現れます。それはそのひとつひとつの器官によって仕えられるひとつの中心を有しているのです。

それぞれの口は上手に餌をくわえ、弱く歯のない顎であれ、恐ろしい歯を持つ強力な顎であれ、身体の必要に適ったものとなっています。いずれにしても、あるひとつの器官は他のすべての器官に供するのに完全に適したものとなっています。それぞれの足もまた、長いものであれ、短いものであれ、大いなるスキルをもって、その生き物の衝動と必要に仕えるために動きます。(「動物の変容」より)

 植物の各器官は植物全体を包含していますが、生命の原則は、明確な中心点としては、どこにもありません。各器官の存在理由はそれらがすべて同一の法則にしたがって形成されているという事実の中にあります。動物においては、各器官は明確な中心点からやってくるように、つまり、その中心点がそれ自身の性質にしたがってすべての器官を形成しているように見えます。こうして、動物の形態はその外的な存在性の基礎を与えるものとなるのですが、それは内部から決定されます。したがって、それらの同じ内的な形成原則によって、動物がどのように生きるかが方向づけられることになります。一方、動物の内的な生活は自由であり、それ自身の内部に限定されません。つまり、それはある一定の限度内で外的な影響に適応することができます。それは外的、機械的な影響によってではなく、型の内的な性質によって決定づけられます。言い換えれば、適応は有機体が外的世界の単なる産物として現れるようになる原因にまではならず、その形成は一定の限度内に制限されています。

いかなる神もこれらの限度を超えることができない。何故なら、それらは自然によって尊重されているのだから。そのような限度を通してでなければ、決して完全なるものが達成されることはなかったのだ。(「動物の変容」より)

 もし、すべての動物が元型的な動物原則にのみ一致していたとしたら、すべて同じ動物となっていたことでしょう。ところが、動物の有機体は各々が一定程度発達する能力を有するいくつかの器官体系へと分化していますが、そのことが異なる進化への基礎を与えているのです。理想的には、それらはすべて同じように重要とはいえ、ある器官体系が卓越し、有機体の形成力の蓄積全体を自らに引きつけるとともに、他の器官から引き離すということがあり得るのです。そのような動物はその器官体系に向けてとりわけ発達したものとして現れる一方、別の動物は別の仕方で発達することになるでしょう。それによって、元型的な有機体が現象世界に入っていくとき、様々な種や属として分化する可能性が生じるのです。
 この分化の実際の(事実上の)原因はまだ述べられていません。外的な要素がその役割を果たすようになるのはここにおいてです。それは有機体がその外的な環境にしたがって自らを形成する「適応」であり、卓越した条件に最もうまく適応した生き物だけが生き残るのを許す「生存競争」です。けれども、適応と生存競争は、もし、その形成原則が内的な統一性を維持しつつ多様な形態を取ることがなかったとしたら、有機体に対していかなる影響も及ぼさなかったことでしょう。私たちはこの原則が、ひとつの無機的な実体によって別の実体が影響を受けるのと同じ仕方で外的な形成力の影響を受けると想像すべきではありません。確かに外的な条件は元型がある特別な形態を取るという事実に対して責任がありますが、その形態自体は内的な原則から導かれるのであって、それらの外的な条件からではありません。形態について説明するとき、私たちはいつも外的な条件を考慮しなければなりません。しかし、形態自体が「それらの」結果として生じると考えるべきではありません。ゲーテは、ちょうどある器官の形態を外的な目的という観点から説明する目的論的な原則を拒否したように、有機的な形態が環境の影響から単に因果律によって導かれるという考え方にも反対したはずです。
 動物の器官体系はその外的な構造(例えば、その骨格)により深く関連していますが、私たちはその中に―例えば、頭骨の骨格形成の中に―植物において観察される法則が再び現れるのを見出します。純粋に外的な形態の中に内的な法則性を見るゲーテの才能がここでは特に明白なものとなります。
 植物と動物の間には明確な境界はないのではないかという疑念には確かな理由がある、という最近の科学により発見された事実からすれば、ゲーテの観点に基づく植物と動物の間のこの違いは不適切なもののように見えるかも知れません。ゲーテもまたそのような境界を打ち立てるのは不可能であると気づいていましたが、それによって植物と動物を明確に規定するのを妨げられるということはありませんでした。それは彼の世界観全体と関係していました。ゲーテは、現象世界においては、定常的で固定されたものは一切なく、すべてが絶え間なく変動し、動いていると考えていました。けれども、私たちが概念において把握するものの「本質」は、変動する形態からではなく、それがそこにおいて観察され得るようなある種の「中間的な段階」から導かれることができます。ゲーテの世界観は、当然のことながら、一定の定義づけを行いますが、それにもかかわらず、私たちが特別な遷移状態にある形態を経験するとき、その定義が堅固に保持されることはありません。実際、ゲーテが自然の生命の柔軟性を見たのは正にそこにおいてだったのです。
 ここで記述されたアイデアによって、ゲーテは有機的な科学の理論的な基礎を据えました。彼は有機体の本質的な特質を見出しましたが、もし、私たちが元型(それ自身からそれ自身を形成する原則、エンテレキー)を何か別のもので説明することができると考えるならば、この事実を容易に見逃してしまうことになります。とはいえ、そのような仮定は正当なものではありません。何故なら、元型は、先験的に理解されるならば、自己説明的なものだからです。それ自身にしたがってそれ自身を形成するこのエンテレキー的な原則を理解した人であれば誰であれ、これが生命の神秘に対する解答であることを理解するでしょう。他のいかなる解答も不可能です。何故なら、それがものごとの本質だからです。もし、ダーウィン主義が原初の有機体を仮定するように強いられるならば、ゲーテはその原初の有機体の本質的な特質を見出したのだと言うことができます。(R.シュタイナーによる注:現代科学においては、原初の有機体という言葉は、通常、原始的な細胞[原始細胞]、有機的な進化における最も低次の段階にある単純な実体のことを指しています。ゲーテの意味での「原初の、あるいは元型的な有機体」という言葉はそのことを指しているのではなく、本質的なもの[存在]、あるいは「原始細胞」を有機体にするところの形成的、エンテレキー的な原則のことを指しています。この原則は、最も単純な有機体にも、最も完成された有機体にも現れますが、これらは異なった発達段階にあります。それは動物の中の動物性であり、生きた存在を有機体にするところのものです。ダーウィンは初めからそれを仮定しています。それはそこにあり、導入されているのですが、そのとき彼は、それは環境の影響に対してあれこれの仕方で反応する、と言います。ダーウィンにとって、それは不定項Xだったのですが、ゲーテはその不定項Xを説明しようとしたのです。)
 種や属の単なる分類を打破して、有機体の真の本性に沿った有機的な科学の再生を始めたのはゲーテでした。ゲーテ以前の分類学者たちが外的に存在する異なる種の数だけの(彼らはそれらの間を取り持つものを何ひとつ見つけることができませんでした)概念、あるいはアイデアを必要としていたのに対して、ゲーテは、すべての有機体はアイデアにおいて同一であり、外見的な違いがあるだけだと宣言したのです。そして、何故そうなのかを説明します。こうして、有機体の科学体系のための基礎が打ち立てられ、後はそれを洗練させるだけとなりました。どのような意味で、存在するすべての有機体はアイデアの顕現に過ぎないのか、そして、それらはどのようにして個別のケースにおいてそれを現すのか、ということが示されるはずでした。
 この偉大な科学上の業績は、より深い教育を受けた科学者たちによって、広く認められることになりました。ダルトン弟(エドワルド・ジョセフ)は、1827年7月6日、ゲーテに宛てて次のように書いています。

そのすばらしい見通しと、新しい観点を通して、植物学が完全なる変容を遂げたというだけではなく、骨相学の分野においてもまた、自然科学は多くの第一級の貢献を閣下に負っています。もし、その閣下にお褒めの言葉をいただけるような努力を、私が同封させていただいたページの中に見ていただけるならば、これ以上の喜びはありません。

 ネース・フォン・エーゼンベックは1820年6月24日に、

あなたの随筆「植物の変容を説明する試み」の中で、植物は自らについて私たちに初めて語りかけました。そして、まだ若かったころの私もまた、そのような美しい擬人化の虜になってしまったのです。

 そして、最後にフォイクトは1831年6月6日に次のように書いています。

私は生き生きとした興味と謙虚な感謝をもって、変容についてのあなたの小作品を受け取りました。私はこの理論への当初からの参加者として加えられていることを感謝します。動物の変容(古くから知られている昆虫の変容ではなく、脊柱から来る変容)が植物の変容に比べてより公平に扱われているのは奇妙なことです。盗作や乱用とは別に、そのような静かな認識は、動物の変容というものは「あまりリスクを含んでいない」と信じることから来るのかも知れません。と申しますのも、骨格系においては、個々の骨はいつでも同じであるのに対して、植物系においては、変容によって用語全体に、したがって、「種の同一性」に革命が起こる恐れがあるからです。これは弱い者にとっては脅威です。何故なら、彼らはそのようなことがどのような結果をもたらすかを分かっていないのですから。

ここにはゲーテのアイデアに対する完全な理解が見られます。そこにある気づきとは、個別(の有機体)を見るためには新しい観点が必要であり、そのような観点だけが個別のものを探究する新しい科学的な体系のための基礎を与えることができる、ということです。自己形成する「元型」は、それが現れるとき、無限に多様な形態を取ることができます。種や属は実際に時空の中に生きているので、そのような形態は私たちの感覚による知覚対象となります。私たちの心が統一性の中にある有機体の世界全体を理解するのは、一般的なアイデア―元型―を理解した程度に応じてです。私たちが個別の現象形態の中で何らかの形を取る元型を「見る」とき、それらは理解可能なものとなるのです。それらは段階や変容の過程を追って現れますが、元型はその中で自らを表現します。ゲーテの洞察に基づく新しい体系的な科学の使命は、本質的には、これらの様々な段階を指し示す、ということです。
 動物界と植物界の両方において、上昇する進化過程が卓越しています。つまり、有機体はその発達の度合いにしたがって分化しています。何故それが可能になっているのでしょうか?私たちは有機体の理想的な形態あるいは元型を、それが空間的、時間的な要素から成り立っているという事実によって特徴づけることができます。その結果、それは「感覚的/超感覚的」な形態としてゲーテの前に現われました。それはアイデアとして(先験的に)知覚することができる空間的−時間的な形態を含んでいます。それが現象世界に現れるとき、実際に感覚的に知覚可能な形態(今やそれは先験的に知覚されることはありません)は理想的な形態に完全に対応していることも、していないこともあるでしょう。つまり、元型は十全なる発達を遂げていることも、遂げていないこともあります。ある種の有機体が低次の状態にあるのは、彼らの現象形態が有機的な元型に十分に対応していないからです。ある特定の存在の外見と有機的な元型が一致していればいるほど、その存在はより完全なのです。それは上昇する進化の連続した過程にとっての客観的な根拠となります。何かを系統的に提示しようとするならば、この関連を各々の有機体の形態の中に探究することが必要です。しかし、元型、すなわち主要な、あるいは元型的な有機体を確立しようとするときには、そのことを考慮することはできません。つまり、最も完成された元型の表現を代表する形態を見つけなければならないのです。ゲーテの元型的な植物はそのような形態を表しています。
 ゲーテは、その元型を確立するに際して、「隠花植物」の世界を無視したとして批判されてきました。私たちは既に、彼もまたそのような植物を研究していたので、それが十分に考慮された決定であったに違いない、ということを述べてきました。「隠花植物」というのは実際、元型的な植物がきわめて一方的な仕方でのみ現われているような植物なのです。それらは一方的で感覚的に知覚可能な仕方でのみその植物のアイデアを現わしており、達成されたアイデアにしたがって評価することができるかも知れませんが、そのアイデア自体が実際に成就するのは「顕花植物」においてのみなのです。
 しかし、ここで重要なのは、ゲーテが基本的な考えを洗練させることは決してなかった、ということです。彼は個別の領域にあまり深く入っては行かなかったのです。ですから、彼の作品はすべて断片的なものに留まりました。彼の「イタリア紀行(1786年9月27日)」の中の記述は、彼もまたこの領域を解明する意図を持っていたということ、そして、彼のアイデアをもってすれば、今日に至るまでただ思いつきによってのみ為されている種や属を真に決定することが可能になっていたであろう、ということを示しています。彼は、彼のアイデアと個別の世界、つまり特定の形態という現実の世界との間の関係を協調的な仕方で提示することによって、この意図を最後まで追求する、ということはありませんでした。そのことを彼は彼の断片的な著作の欠陥であると見なしていましたが、それについては、F.J.ソーレー宛てのドゥ・カンドーレに関する彼の書簡(1828年6月28日)の中で次のように述べています。

彼がその意図をどのように見ていたのかが私にもますます明確になってきました。私はその意図を持ち続けており、「それは私の変容についての随筆の中で明確に表現されています。しかし、私がずっと知っているような経験的な植物学とそれとの間の関係は十分に解明されているとは言えません。」

 これはまたゲーテの観点が非常に誤解されてきた理由であるように見えます。それらが誤解されてきたのは、そもそも「それらが理解されなかった」からです。
 ゲーテのアイデアはまた、ダーウィンやヘッケルの発見、つまり、個体の発達(個体発生)はその全体的な進化(系統発生)の繰り返しである、という発見に対して概念的な説明を与えます。いずれにしても、ヘッケルがここで提示しているのは、説明されていない事実、つまり、各個体は個別の有機的形態として古生物学によって記述されるすべての発達段階を簡略化した仕方で通過するという事実以上のものではないと考えるべきです。ヘッケルとその追随者たちはそれを遺伝の法則に帰着させました。しかし、その法則自体がその事実の「簡略化された表現」に過ぎません。その説明とは、様々な古生物学的な形態であれ、いかなる現生生物であれ、すべて引き続く時代の中で、可能性としてその中に横たわる形成的な力を展開するたったひとつの元型が現れたものである、ということです。より高次の個体というのは、実際、それがその内的な本性にしたがって自由に発達することを許すような好ましい周囲の影響によって、より完成されたものとなっています。他方、もし、ある個体が様々な影響によってより低次の段階に留まるように強いられるならば、その内的な力の一部分だけが現れます。そして、そのようにしてひとつの全体として現われるものは、より発達した有機体の一部だけを含んでいることでしょう。こうして、より高次の段階へと発展する有機体はより低次の有機体から成っているように見え、同じ理屈から、より低次の有機体は、その発展において、より高次の有機体の部分として現われるのです。私たちは、より高次の動物の発達の中に、すべてのより低次の動物の発達を認めることができるのです(ヘッケルによる生物発生の法則)。
 物理学者たちは単に事実を述べたり記述したりすることでは満足せず、それらを支配する「法則」−現象についてのアイデア−を探究します。同様に、生きた存在の本質へと貫き至ろうとする人たちは、単に近縁性、遺伝、生存競争といったような事実を引用するだけでは満足せず、それらの背後に横たわるアイデアを知りたいと思うでしょう。それこそゲーテが求めていたものです。彼の元型に関する考えの有機的な科学者に対する関係は、ケプラーの3法則が物理学者に対して有している関係と同じです。そのような法則がなければ、私たちは世界を単なる事実の迷宮として経験することでしょう。
 これはしばしば誤解されてきたことですが、ゲーテの変容についてのアイデアは私たちの知性の中で抽象的に生じる単なる「イメージ」に過ぎない―彼は、葉が花という器官に変容するという概念が意味を持つのは、これらの器官(例えば、雄しべ)がかつて実際に葉であった場合だけである、ということに気づいていなかったのだ―と主張する人たちがいます。けれども、これはゲーテの観点を逆転させています。あるひとつの器官を原則的に主要なものとして、そこから他の器官を逐語的に導き出しているのです。ゲーテは決してそのようなことを意図していたわけではありません。彼にとって、時間的に最初に生じる器官は、アイデアあるいは原則という意味では、決して主要なものではありませんでした。雄しべが葉と関連しているのは、それらがかつて実際の葉であったからではありません。そうではなく、それらがかつて葉であったというのは、それらの内的な本性を通して、つまり、原則としてそれらが関連しているからです。感覚的に知覚可能な変容はそれらがアイデア上で関連している結果であって、その反対ではありません。
 植物の水平方向の器官はすべて同一であるということがここで経験的に確立されました。しかし、何故、それらは同一であると考えられるのでしょうか?シュライデンによると、それはそれらが「すべて」水平な突起物として茎の上で発達しながら外側へと押しやられるために、水平な細胞形成が茎の近くで継続する一方、最初に現れた先端部分では新しい細胞が形成されないことによります。この純粋に外的な関連が同一性という考えの基礎になっているのです。ゲーテによると、そうではなく、水平な器官が同一であるのはそれらの理想的、本質的な特質によるものです。だからこそ、それらは外的な形成においても同一のものとして「現われる」のです。彼によれば、感覚の前に現れる関係性は内的、理想的な結びつきの結果です。ゲーテの観点と唯物的な観点とでは質問の立て方が異なっています。それらは矛盾しているのではなく、相補的な関係にあります。ゲーテのアイデアは唯物的な観点のための基礎を与えます。
 ゲーテのアイデアは後の発見の詩的な予言以上のもの、独立した、理論的な発見なのですが、その価値はまだ認められ始めたばかりです。科学はこれからもずっと、支えとなる栄養をその発見から引き出し続けることでしょう。ゲーテが用いた個々の経験的事実は、より正確で詳細な探究に取って代わられ、あるいはある程度反証されるかも知れません。しかし、彼が確立したアイデアはいつでも有機的な科学を基礎づけるものとして留まり続けるでしょう。何故なら、それらは個々の経験的事実から独立したものだからです。ちょうど新しく発見された惑星が恒星の軌道をケプラーの法則に従って周回しなければならないように、有機的な自然におけるプロセスはすべてゲーテのアイデアに従わなければならないでしょう。星の世界のできごとはケプラーやコペルニクス以前にも長く知られてきましたが、これらの人たちによって初めてその法則が発見されました。有機的な自然はゲーテ以前にも長く観察されてきましたが、彼がその法則を発見したのです。「ゲーテは有機的な世界におけるケプラーであり、コペルニクスなのです。」
 ゲーテの理論の特徴は次のような仕方でも説明できます。通常の経験的で純粋に事実を集める機械論の他に、基本的に機械論的な原則の内的な特質から先験的な法則を導き出す合理的な機械論があります。経験的な機械論の合理的な機械論に対する関係は、ダーウィン、ヘッケル、その他による理論のゲーテの合理的な有機的科学に対する関係に似ています。当初、ゲーテは彼の理論のこの側面に明確に気づいていたわけではありません。しかし、後になって、彼はそのことを非常に強調しています。ですから、彼はH. W. F. バッケンローダー宛に次のように書きました。「引き続きあなたの興味を引くものを何でも私に教えて下さい。私の観察にどこかで結びつくはずですから。」(1832年1月21日)これは、有機的な科学の基本原則は彼により発見されていたので、他のあらゆるものはそこから演繹できるはずだ、ということを意味しています。
 けれども、以前には、このすべてが彼の心の中で無意識のうちに働いており、彼はそのようにして事実にアプローチしていました。それが意識的になったのは、彼がシラーと科学について初めて会話をしたことによってです(これについては後で記述するつもりです)。シラーは直ちにゲーテの元型植物の理想的な特質に気づき、外的な現実は決してそれと完全に一致することはないだろうと主張しました。これによって、ゲーテは彼が「元型」と呼んでいたものと経験的な現実との間の関係について考えるようになりました。彼は今や、アイデアと外的な現実、思考と経験の間の関係とは何か?というすべての人間の探求におけるもっとも重要な問題のひとつに直面することになったのです。個別の経験的な対象物は彼の元型に完全には一致せず、それと同じものは自然の中には存在しない、ということが彼にはますますはっきりとしてきました。したがって、元型という概念は、たとえそれが感覚的な世界との「出会いを通して」獲得されるとしても、感覚的な世界そのもの「から」やって来ることはありません。その結果、元型が生じることができるのはそれ自身からだけということになります。元型的な存在というアイデアは内的な必然性によってそれ自身からその内容を発展させ、そして、その内容は現象世界の中に別の形態−知覚表象−として現われるのです。
 この関連で、ゲーテが、経験主義の科学者たちとの出会いにおいてさえ、いかに「経験の正当性」を是認し、アイデアと対象を厳密に区別したかを見るのは興味深いことです。1796年、ゾンメルリンクは彼に1冊の本を送りましたが、その中で彼が試みていたのは魂の座を見つけるということでした。ゾンメルリンクへの手紙(1796年8月28日)にもあるように、ゲーテはその観点の中にあまりにも多くの形而上学を織り込んでいたことに気づきました。彼は、「経験の対象物」についてのアイデアがその対象物自体の本質的な特性に基づくのではなく、もし、それを越えて行くとすれば、そのようなアイデアが正当化されることはない、ということを述べています。彼は、経験の対象となるものを扱うときのアイデアとは現象の必然的な相互関係を理解するための器官であって、そのような器官がなければ、現象は時間と空間の中でランダムに生じるものとして盲目的に知覚されるだけであろう、と主張したのです。アイデアはその対象物に何も新しいものをつけ加えませんが、それから導き出されるのは、対象物はその実際の本質において理想的な特質を持っている、ということです。実際、すべての経験的な現実はふたつの側面を持っていなければなりません−ひとつは、それを通してそれが個別のものとしての特質を有することになるような側面、もうひとつは、それを通してそれが理想的、普遍的な特質を有することになるような側面です。
 ゲーテと同時代の哲学者やその著作との交わりはゲーテにこの問題に関する数多くの観点をもたらしました。彼はシラーの「世界魂について」や(最初の)「自然科学体系概論」(ゲーテの年譜1798-1799年参照)や、ヘンリック・シュテッフェンの「哲学的自然科学の基礎」から刺激を受けました。彼はまた多くの問題についてヘーゲルと議論しました。これらすべてのことがらによって、彼は再びカントの著作についての研究へと導きかれ、シラーに促される前に、それを行うことになりました。1817年には(彼の年譜参照)、カントを研究していた年月がいかに自然と自然現象についての彼のアイデアに影響を及ぼしたかについて論評がなされています。これらの考察は次のような随筆に結びつきました。ゲーテはそれらの中で科学における最も中心的な諸課題に取り組みました。

「幸運な出会い」
「先験的な知覚による判断」
「再考とあきらめ」
「形成的な衝動」
「正当な企て」
「設定された目的」
「序文の内容」
「私の植物学研究史」
「植物の変容についての随筆の起源」

 これらすべての随筆は先に触れた考え方、つまり、すべての対象には二つの側面−外見(現象形態)という直接的な側面とその「本質」(存在)を含む第二の側面−があるという考え方を表現しています。こうして、ゲーテは自然についての唯一の満足すべき観点に至ったのですが、そのことによって真に客観的な方法のための基礎が据えられたのです。アイデアを対象そのものとは異質なもの―単に主観的なもの―と見なす理論は、そもそもアイデアを用いる限り、自らを真に客観的なものであると主張することはできません。一方、ゲーテは、予め対象の内部に存在していないものは何もつけ加えない、と主張することができます。
 ゲーテはまた、彼のアイデアが関係する科学分野における詳細で実際的な側面も追及しました。彼は1795年に、ローダーの靭帯に関する講義に出席しました。彼はこの時代を通してずっと解剖学と生理学を視野に入れていました。このことは彼が当時、骨相学の講義を執筆していたことから余計に意義深いものとなりました。彼は1796年に、暗闇と色つきガラスの下で植物を育てる実験を行いました。その後、彼は昆虫の変容についても研究しています。
 ゲーテはまた、文献学者F. A. ヴォルフから刺激を受ける中で、植物の変容について、ゲーテのアイデアに似たアイデアを公表していたヴォルフ(彼の同名人)に注目するように促されました。それによってゲーテは1807年を通して、ヴォルフのより詳細な研究へと導かれました。とはいえ、彼がその後に見出したのは、ヴォルフはその鋭敏さにもかかわらず、本質的な問題については明確ではなかった、ということです。彼はまだ元型を感覚には知覚不能な実体、純粋に内的な必然性からその内容を発達させる実体としては考えてはいなかったのです。彼はまだ植物を個別の詳細からなる外的で機械的な複合体と見なしていました。
 このように、彼は、多くの科学者である友人たちとの交わりによって、あるいは多くの気の合う仲間たちから認められたり、熱心に見習われたりする幸せから、1807年には、それまで差し控えていた科学的な業績の断片を出版することを考えるようになっていました。彼はより大部の科学的著作を執筆するという考えを徐々に放棄していたのです。とはいえ、その年の彼は個別の随筆を出版する時間を持つことができませんでした。彼の色彩論への興味によって、形態論はしばらくの間、再び背景へと押しやられることになりました。彼の随筆の最初の小冊子はその後10年に渡って出版されることはありませんでした。しかし、1824年までには、合計2巻―4冊からなる第1巻と、2冊からなる第2巻―が出版されました。彼自身の観点に関する随筆に加えて、形態学上の重要な文学的出版や他の学者たちの論文について議論したものが見出されますが、それらの発表はいつでも何らかの仕方で自然についてのゲーテの説明を補足するものとなっています。
 ゲーテはその後、二度にわたって自然科学をより集中的に取り上げることに挑戦しました。いずれの場合にも、ゲーテ自身の仕事に密接に関連した重要な科学的出版が含まれています。最初の挑戦は植物学者カール・フリードリッヒ・フィリップ・フォン・マルシウス(1794-1868年)による植物における螺旋への傾向に関する仕事に触発されたものであり、二番目はフランス科学アカデミーにおける科学上の論争に触発されたものでした。
 マルシウスは植物の発達における形態を螺旋と垂直という二つの傾向の組み合わせであると見ていました。垂直への傾向はそれを根から茎に至る線に沿った成長へと導き、螺旋への傾向は 広がっていく葉や花やその他の器官によって表現されます。ゲーテがこの考えの中に見たのは、変容に関する彼の随筆によって1790年に確立していた彼自身のアイデアを単に空間的な側面(垂直や螺旋)を強調する方向で綿密化したものに過ぎませんでした。ここでゲーテの「植生における螺旋への傾向について」に関する私たちのコメントに言及しておきましょう。そうすれば、ゲーテはこの随筆の中で、彼の以前のアイデアに関しては、何も本質的に新しいものを提示していない、ということが明確になります。私たちが特にこのことを強調するのは、ゲーテの随筆の中に彼の以前の明確な観点から「神秘主義の深淵」への退化を見る、と言う人たちがいるためです。
 最晩年になって、ゲーテはさらに二つの随筆(1830-1832)を仕上げました。それらはフランスの科学者ジョルジュ・バロン・フォン・キュビエとエチエンヌ・ジョフロワ・サンチレールとの間の論争についてでした。これらの随筆もやはり際立った簡潔さをもって集積されたゲーテの自然観についての原則を含んでいます。
 キュビエは古い学派に属する経験論者でした。彼が追及していたのは各々の動物種のための適切な個別概念でした。彼は、彼の有機的な自然に関する体系という壮大な概念の構築物の中に、自然に見られる様々な動物種と同じだけ多くの型を含めなければならない、と信じていました。とはいえ、これらの型はいかなる仲介もなく並立していました。彼が見落としていたのは、知識を求める人たちは、個別のものがその直接的な現象形態においてそのまま私たちの前に現れたとしても、それに満足することはない、という事実です。そうではなく、私たちは、感覚世界の中で、ある対象を知ろうとする意図をもってそれにアプローチするわけですから、私たちは私たちの知識に対する能力の欠如のために個別のものでは満足できないのだ、と考えるべきではありません。むしろ、その対象自体が私たちにとっての不満足の理由を含んでいるはずなのです。その個別のものの特性はその中で、つまりその個別性の中で言い尽くされるわけではありません。すなわち、私たちは、その理解に向けての努力において、何か個別のものにではなく、何か一般的なものに向けて駆り立てられるのです。この一般的なアイデアこそが個別のものとして存在するものすべての真の存在―その本質―であり、その個別性はその存在性の一側面に過ぎません。そのもうひとつの側面が一般的なもの、あるいは元型です。
 このことは、一般的なものの形態としての個別のものに言及するとき、理解しておくべきことがらです。一般的なアイデアは個別的なものの真の存在あるいは本質ですから、それを個別のものから演繹あるいは抽出することはできません。一般的なものはその本質を個別のものから借りてくることができないので、自分自身で提供しなければなりません。ですから、一般的な型の特質とは、その本質と形態が一致しているということです。したがって、それは、個別のものとは独立して、全体としてのみ理解することができます。科学は、それぞれ個別のものが、その特質を堅く守ることによって、いかに一般的なアイデアに関連しているかを示す、という使命を持っています。こうして、「特別な種類の存在」が認識の領域に参入してきますが、私たちは、その領域において、それらの相互決定と相互依存を再構成します。そうでなければ関連のない仕方でのみ―つまり、空間と時間の中で孤立した実体として―知覚されるはずの事物が、今や、その「必然的、合法則的な」相互関連性において理解されることになります。キュビエは、ジョフロワ・サンチレールが主張したこの観点をきっぱりと否定しました。実際、ゲーテが興味を引かれたのは彼らの論争におけるこの側面だったのです。この問題は、偏見なくそれらにアプローチする場合とは非常に異なった光の下で事実を提示する最近の観点によってしばしば歪められてきました。ジョフロワ・サンチレールの主張は彼自身の探求だけではなく、ゲーテを含む数多くの同様な心を持ったドイツの科学者たちの仕事にも基づいていました。ゲーテはこのことに大いに興味を持ち、ジョフロワ・サンチレールの中に同志を見出したことを深く喜びました。1830年8月2日に、彼はエッカーマンに次のように述べています。

今や、ジョフロワ・サンチレールはそのフランスにおけるすべての重要な学生や同調者たちとともに明確に私たちの側に立っています。このことは私にとって信じがたいほどの価値を持っています。そして、私の人生を捧げ、非常に特別な意味で私自身のものでもある主張の最終的な勝利を本当に喜んでいるのです。

 ドイツにおいては、ゲーテの探求に対する好意的な反応は主として哲学者たちからであって、科学者たちからはそれほどでもなかったのに対して、フランスでは科学者たちから好意的な反応があった、というのは確かに特筆すべき現象です。オーガスタン・ピラーム・ドゥ・カンドールはゲーテの変容理論に最高の注意を払っており、彼の植物学へのアプローチはゲーテ自身のアプローチに近いものでした。ゲーテの随筆「変容」(1790年版)はジンジャン・ラサラによって既にフランス語に訳されていました。そのような状況下では、ゲーテの植物学に関する著作がフランス語に訳されたとしても(それが彼の協力の下で行われたならばですが)、それは不毛な大地に落ちることはまずないだろうと思われました。その翻訳は1831年に、ゲーテの絶えざる協力の下、フリードリッヒ・ジャコブ・ソレによって為されました。そのフランス語訳はオリジナルのドイツ語を見開きとして出版されました。それはあの1790年の最初の「試み」とともに、ゲーテの植物学研究の歴史、彼の理論が彼の同時代人たちに及ぼした影響、そして、ドゥ・カンドーレに対する何らかの影響を含んでいました。