ルドルフ・シュタイナー

ゲーテの自然科学論序説〜並びに、精神科学(人智学)の基礎〜

(GA1)

第8章

芸術から科学へ

佐々木義之訳


 思索家の精神的な発達を描写しようとするときには、その発達の特別な方向性がどのようにして生じてきたのかをその人物の人生に関わる事実から心理学的な意味で説明しなければなりません。ところが、「思索家」としてのゲーテを提示する場合、重要なのは、彼の特別な科学的方向性を正当化しながら説明する、というよりも、「そもそも」この天才が科学者として活動するようになったのは何故なのかを示す必要がある、という点です。ゲーテは同時代人たちの間違った考え、つまり、詩的な創作活動と科学的な探求が一人の人間の中で統合されることはあり得ない、という考えに大いに苦しみました。ここで最も重要なのは、この偉大な詩人に科学を取り上げさせた動機は何か?という問いに答えることです。芸術から科学への移行は単に彼の主観的な傾向、個人的な思いつきから生じたものなのでしょうか?それとも、ゲーテの芸術的な性向が「必然的に」彼を科学へと導いたのでしょうか?
 もし、前者が本当であったとしたら、ゲーテの芸術と科学への同時献身は、単に人間的な努力の二つの側面に対する個人的な熱中から「偶然の」結果として生じてきたことになり、私たちは「たまたま」思索家でもあった詩人を取り扱うことになったはずです。人生の過程が少し異なっていれば、ゲーテは科学に何の興味も持たなかったとしても同じように詩作を取り上げていたことでしょう。その場合、この人物の両方の側面が別々に私たちの興味の対象になったはずです。また、両方の側面が人類の発達に大きな貢献をしたことでしょう。けれども、これら二つの精神的な方向が二人の異なる人物の中に生きていたとしても、それは同様に真実であったことでしょう。「詩人」であるゲーテと「思索家」であるゲーテはお互いに何の関係も持たなかったはずです。
 ところが、第二の仮定が正しいとすれば、ゲーテの芸術的な衝動がそれ自身の内的な必然性から科学的な考え方によって補われることを要求した、ということが考えられ、二つの衝動が二人の人物の間で分割されることなど全く考えられなかったことでしょう。二つの衝動のそれぞれが「単にそれ自身の目的のため」だけではなく、一方の他方への関係という理由によっても私たちの興味の対象になったはずです。そのとき、芸術から科学への「客観的な」移行、つまり、一方の分野に精通することが他方の分野に精通することを要求するような仕方で両方が出会う地点が存在するはずです。もし、そうであるならば、ゲーテは単に個人的な傾向に従っていたのではなく、科学的な活動を通してのみ満足させ得る必要を彼の中に目覚めさせたのは、彼が没頭していた芸術的な衝動だったはずです。
 私たちの時代には、芸術と科学はできるだけ離しておくものだと信じられています。それらは人間の文化的な発展の両極端だと考えられています。科学は最も客観的な世界像を提供する、つまり、鏡のように現実を私たちに示す―言い換えれば、客観的に与えられるものに完全に忠実であり、すべての人為的な主観性を排除する―と思われています。その法則はそれが従うべき客観的な世界によって決定され、科学は何が真実であって何が偽りであるかの判断基準を感覚的に経験される対象の中だけに見出す、と考えられているのです。
 芸術的な創造活動ということになると、すべてが全く違ってくると思われています。その法則は人間精神の自律的で創造的な力から生じる、というのです。科学においては、あらゆる人間的な主観性の介入は現実の歪曲、経験の越権行為であり、他方、芸術は天才の主観性を糧に育つものと考えられています。その創造は人間的な想像力の産物であり、外的世界の鏡像ではありません。科学的な法則の起源は私たちの外、客観的な存在性の中にあり、審美的な法則の源泉は私たちの中、私たちの個別性の中にあるのであって、後者は何らかの認識論的な価値を有しているとは考えられません。つまり、現実の要素など微塵もない幻想を創り出しているだけなのです。
 このようにものごとを見る人がゲーテの詩作とゲーテの科学との間の関係を明確に理解することは決してないでしょう。その結果、彼らは何も理解しません。ゲーテの偉大な歴史的重要性は、彼の芸術が原初の存在の源泉から直接流れ出しているという事実、それに関しては何ら幻想的、主観的なものはなく、むしろ、自然の働きの奥深くにある世界精神に耳を傾けるとき、詩人として理解した法則性の先駆けとしてそれは現われる、という事実の中にあります。芸術は、この段階において、ちょうど科学が別の意味においてそうであるように、世界の秘密を説明するものとなります。
事際、ゲーテはいつでも芸術をこのような仕方で見ていました。彼にとって芸術は世界の原初的な法則性の「ひとつの」顕現であり、科学は「また別の」顕現だったのです。彼にとっては、芸術も科学も「単一の」源泉から湧き出してくるものです。研究者は現実を深く探求し、その原動力を思考の形で定式 化しようとするのに対して、芸術家は同じ原動力を彼らの媒体の中に吹き込もうとします。

科学は一般的なものの認識、抽象化された認識と呼ぶことができる一方、芸術は活動に適用された科学と言えるでしょう。つまり、科学は原因であり、芸術はその働きです。ですから、それを実際的な科学と呼ぶこともできるでしょう。ですから、結局のところ、科学は定理であり、芸術は課題なのかも知れません。(散文の中の韻)

 科学がアイデア(定理)として表現するものは、芸術がその媒体をそれで満たすところの法則性と同じものです-つまり、それは芸術の課題となります。「人間の働きの中で最も言及する価値があるのは、自然の働きにおけるのと同様、その意図なのです。」(散文の中の韻)
 ゲーテが外的な世界の中に探し求めたのは、感覚に与えられるものだけではなく、世界がそれを通して生じたところの傾向でした。「この傾向」を科学的に把握し、芸術的に形成すること、それが彼の使命だったのです。自然はそれ自体の働きを形成する中で、「あたかも袋小路に行き着くかのように、その詳細へと」入り込みます。私たちは、ちょうど数学者があれこれの三角形に焦点を当てるだけではなく、あらゆる可能な三角形の根底に横たわる原則にいつも注意するように、自然の傾向が何の障害もなく自己実現していたとしたら生じたであろうことがらに戻って行かなければなりません。本質的な問題は、自然が「何を」創造したかではなく、いかなる原則に従ってそれを創造したかなのです。そのとき、やるべきことは、その原則をそれ自身の内的な傾向に適うように発展させる、ということであって、無数の偶発的なことがらに左右されながら自然の中でそれが生じたようにそれを発展させる、ということではありません。芸術家の使命は「ありきたりのものから高貴なものを、不格好なものから美しいものを発展させる」ということなのです。
 ゲーテとシラーは芸術をその深遠さにおいて包括的に把握しました。美しさとは「秘密の自然法則が顕現したものであり、もし、それが現れなかったとしたら、永久に我々から隠されたままになっていたようなものです。」(散文の中の韻)彼が次のように述べたとき、それは空虚な言葉などではなく、深く内的な確信であった、ということに気づくには、その詩人の「イタリア紀行」を少し覗いてみるだけで十分です。

偉大な芸術作品とは、同時に、「真の自然法則」にしたがって、人間によって生み出された最も崇高な自然の作品です。ここにあるのは、あらゆる気まぐれ、あらゆる空想が抜け落ちた、必然であり、神なのです。」(1787年9月6日)

 彼にとって、自然と芸術が共通の源泉を有していることは明白でした。彼はギリシャ芸術について次のような調子で述べています。「それらは自然そのものと同じ法則、私がその足跡を追っているのと同じ法則にしたがって生じた、という気がしてならない。」そして、シェークスピアについては、「シェークスピアは世界精神と同類だ、彼は世界がそうするように世界を完全に理解しており、両者には隠されたものは何もない。けれども、事が起こる前に、そして、しばしば起こった後でさえ、秘密にしておくのが世界精神のやり方であるとすれば、その詩人にはその秘密を暴露するつもりがある。」と述べています。
 ここでもう一度、思い出していただきたいのは、詩人がカントの「判断力批判」のお陰で過ごした「楽しい時間」についてです。その時間が過ごせたのは、彼がそこで、

芸術の創造と自然の創造とが同様に扱われており、審美的な判断能力と目的論的な判断能力がお互いに照らし合っているのを見た・・・詩という芸術と自然の比較研究の両方が非常に密接に関連しており、同じ判断能力に左右される、と考えられているのが嬉しかった、

という事実によります。
 ゲーテは、彼の随筆「たったひとつの天才的な言葉による重要な前進」の中で、全く同じ意図をもって、彼の客観的な(参加型の)「詩作」と客観的な(参加型の)「思考」を同列においています。
ですから、芸術と科学はゲーテにとって同じように客観的なものとして現われます。ただ、それらの形態だけが異なっているのです。両方が「ひとつの」存在の表現として、「単一の」発展におけるいくつかの必然的な段階として現われます。芸術あるいは美を人間進化の全体像から「遠く離れた」孤立した位置に追いやるようなあらゆる観点は彼に対してひどく反発します。ですから、彼は言います、

審美的な領域で美についてのアイデアを語るというのはよくないことです。そうすることで、私たちは美を孤立させ、それを別個のものとして考えることができなくなります。(散文の中の韻)
型は、私たちがそれを目に見える形で把握することを許される限りにおいて、「知」という最奥の基盤に、つまり、ものごとの本質的な特質に基づいています。
(「単純な自然の模倣、マンネリズム、型」)

  「ですから、芸術は知ることに基づいています。」科学は、世界がそれにしたがって構成される秩序を思考の中で再創造するという使命を、芸術は、その秩序についてのアイデアを個別の詳細において発展させるという使命をもっています。芸術家は手に入れることができるあらゆる世界の法則性を彼らの作品の中へと取り込みます。ですから、芸術作品は世界のミニチュアとして現われるのです。
ゲーテ的な傾向を持つ芸術が科学によって補われなければならない理由はそこにあります。芸術であっても、それはひとつの知の形態なのです。ゲーテが実際に望んでいたのは科学でも芸術でもありません。「彼が望んでいたのはアイデアだったのです。」彼は、たまたまそれが彼に自らを提示するその仕方によって、それを記述したり、描写したりしました。ゲーテは、世界精神の働きを明らかにするため、それと自らを連合させ、芸術あるいは科学という媒体を通して、必要なことは何でもしました。ゲーテの本性の中に横たわっていたのは、一面的な芸術的努力でもなく、一面的な科学的努力でもなく、むしろ一瞬たりとも休むことのない衝動、「あらゆる種子、あらゆる活動的な力を見よ」(ファウスト384行)という衝動だったのです。
 とはいえ、これによってゲーテが哲学的な詩人になることはありません。何故なら、彼の詩作は、思考という遠回りをして、それらの感覚知覚可能な形成へと導かれるのではなく、むしろ、あらゆる生成の源泉から直接流れ出しているのですが、それはちょうど彼の科学的な探求が詩的な想像力によって浸透されるのではなく、アイデアの直接的な知覚にかかっているのと同じです。ゲーテは哲学的な詩人ではありませんが、哲学的な観察者にとって、彼の基本的な傾向は、それでも哲学的に見えます。
 このように、ゲーテの科学的な仕事に哲学的な価値があるかどうかという問題は全く新しい形態を取ります。私たちがこれらの仕事に関して知っているものから、それらの根底に横たわる基本的な原則を導くかどうか、ということが問題になります。それらの前提からゲーテの科学的な主張が流れ出てくるようにするには、私たちは何を仮定すればよいのでしょうか?私たちの使命は、ゲーテによっては明らかにされないまま残ったものを明らかにする、ということですが、そのことによってのみ彼の観点を包括的なものとすることができるでしょう。