ルドルフ・シュタイナー

「精神的な探求における真実の道と偽りの道 (GA243)

トーケイ、ディヴォン、1924年8月11日−22日

佐々木義之 訳

 


第四講

意識の変容による別世界への探求の秘儀

 

 人間の様々の意識レベルに関係する限りにおいての鉱物界の形態、実質、金属性についてお話ししましたが、ある種の金属実質にまで観察を広げる前に、私の立場を完全に明確なものにしておかなければならないでしょう。

 私がお話ししたことから容易に想像されるのは、通常とは異なる意識状態を引き起こす方法として、私がこれらの物質を栄養の形で摂取することを推奨しているのではないか、ということかも知れません。内的な訓練と規律によって精神的な洞察を達成する方法について議論するとき、しばしば耳にするのは次のような言葉です。別の世界の事物や他の意識状態について知るのは大変結構なことだが、推奨されているような訓練を実行するのはあまりに難しすぎ、時間がかかりすぎる。

 多分、このような人々は、その内、訓練を始めるのですが、しばらくすると、生活上の直接的な要求が介入してきます。彼らは自分に染み込んだ習慣を犠牲にしたくありません。次第に情熱を失い、訓練はいつのまにか止んでしまいます。これらの人々が何も達成しないのは驚くにあたりません。彼らは、精神的な訓練をする必要があるというのはあまりにも退屈なことであると考えるのです。

彼らは、例えば、ある種の金属の性質が別の意識レベルに関係している、というようなことを聞くと安心します。死者との精神的な絆を保つためには若干の銅を摂取するだけでよいならば、そうしない手はない、それでより高いレベルの意識を発達させることができるならば、と考えるのです。

 当時は、当然のことながら、秘儀参入者によるつききりの指導の下に行われた、という違いがあったにせよ、古代の秘儀において採用されていた訓練も大体同じようなものだったと聞くと、よけいにその考えが魅力的なものになります。そして、彼らは、このようなことを聞くと、どうしてこれらの古い訓練を復活させないのかと不思議がります。けれども、彼らは、人間の肉体的な組織全体が当時は今とは異なって構成されていた、という事実を見落としています。その当時、そして、カルディア時代に至るまで、彼らは現在の私たちのような知性を欠いていました。考えは今日のように自ずと浮かんできたのではなく、インスピレーションを通して彼のところにやってきました。ちょうど今日の私たちが、自分でバラの赤色を創造したのではなく、バラの印象を外から受け取っているのだということに気づいているように、古代の人々は、思考が外的な対象物を通して伝達されているということ、つまり、思考が彼らに吹き込まれ(イン−スパイアされ)ているということに気づいていました。これについては、彼らの肉体組織が、そして血液の組成さえもが異なって構成されていた、ということの中にもその根拠を見いだすことができます。そのため、人々が精神的な訓練を遂行するのを助けるために、私がお話しした金属を高度に効能化した形で、つまり、今日、私たちがホメオパシーと呼ぶ処方にしたがって服用することが可能だったのです。

 カルディア時代の人間が高度に効能化された銅を処方されたと想像してみましょう。彼はそれを服用する前に−当時、よくやられたことですが−ある特別な精神的訓練を遂行するように指導されました。そのような場合には、高度に効能化された銅を摂取する前、何日間というより、何年にもわたるトレーニングが要求されました。そして、彼は、その肉体的な構成が私たちのものとは異なっていたために、その訓練を通して、彼の血流に乗って循環するこの細かく分散し、高度に効能化された銅が彼の上半身に及ぼす働きを辿ることを学びました。この注意深い訓練の後、銅が処方されたとき、彼は彼の言葉にあたたかさが付け加えられた、という内的な感情を持ったのですが、その理由は、彼自身が彼の喉頭と喉頭から脳に導く神経の中にあたたかさを生じさせていたからです。

 さて、彼は、彼の肉体的な成り立ちが異なっていたために、彼の中で起こっていることに対して、非常な感受性を持って反応することができました。もし、今日、誰かが高度に効能化された銅を同じような条件下で服用するとしても、もちろん効果があるでしょうが、喉頭への作用以上のものは生じないでしょう。

 このように、当時の人間の肉体的な成り立ちは今日の人間のそれとは異なっていた、ということを理解することが重要なのです。そうすれば、古代においては普通に行われ、中世においてもなおしばしば行われたやり方であったとしても、薬剤を服用することによって別の意識状態を生じさせようなどとは誰も思わなくなるでしょう。

 現時点において唯一の有効な方法は、昨日お示しした銅の本性を、その本質的な存在を内的に感じ取り、それによって、磨かれた銅の色や硫酸銅溶液中の銅の振る舞いに対する敏感な反応を発達させることなのです。この反応に集中し、それについて瞑想することによって、この反応が正しく行われていることを確認することができるでしょう。

 しかし、皆さんは次のように反論されるかも知れません。私の本、「より高次の世界の認識」には、この銅に対する反応を発達させるためにはどのような準備段階を踏むべきかについての示唆がなされていないではないか、と。それはそうなのですが、原則的には、私の本の中で、銅について特別に触れられてはいませんが、方向性は与えられています。人はどのようにして結晶や植物等の存在の中に入っていくべきかについての記述があり、その予備的な訓練法が示されています。けれども、もちろん、銅の本性についてどのように瞑想すべきかについての情報は与えられていません。そのためには一冊の本、というよりひとつの図書館が必要になるでしょう。既に方向性が与えられていることから、例えば、自信を起こさせるための訓練、何か特別な主題や対象に集中するときの訓練もまた必要がありませんでした。そのような訓練は、実際、銅の本性についてお話しした内容によって既にカバーされているのです。銅の本性について瞑想するべきであるということを示唆する特別な記述はありません。朝夕に瞑想するという目的のためには、何か単純な主題やテーマが選ばれるべきである、ということが示唆されています。それは銅の本性について瞑想するのと同じなのです。それは単にその金属としての性質を引き合いに出すような瞑想のための主題として与えられているにすぎません。

 「叡智が光の中で放射する」というような何か特別なテーマについての瞑想は、もし、熱心に実行されるならば、内的な生活に決定的な影響を及ぼします。その効果は、誰かが銅の本性をあらゆる角度から探求し、その物理的な側面に集中するとしても同じでしょう。私たちのアプローチは、まず第一に道徳的な立場から、そして、第二に物理的および化学的な立場からなされますが、化学者でもない限り、道徳的な立場から精神世界に参入する方がずっとよいのです。

 ですから、ものごとはその正しい関係性において見る必要があります。と申しますのも、今日の人間が、精神世界への洞察を得るために、古代の方法に無批判に従うのは間違いであるかも知れないからです。外的、物理的なアプローチを、より道徳的、精神的なアプローチに置き換える、というのが現代の正しい道筋です。肉体組織の発達とともに自然に対する人間の関係全体が変化しているのです。今日、血液や体液の組成、そして、肉体的な構成全体が古代カルディア時代とは異なっています。このことを解剖学的な分析によって証明することはできません。解剖学者は死体の解剖にそのほとんどの時間を費やす、というのがその第一の理由です。最近、学会は警告を発し、もっとたくさんの死体を、と騒ぎ立てています。解剖学者は生命の隠された秘密を探求するには、死体が不足していると考えているのです。けれども、この調査を遂行するにあたって、カルディア人の死体を調達するのは容易ではないでしょう! 第二の理由は、その粗雑な技術をもってしては、生命の隠された秘密に対する答えを見いだすことはできない、ということです。それは精神的な方法によって探求されなければなりません。

 私たちの肉体が古代人のそれとは異なって構成されていることから、次の点を明確にしておかなければなりません。今日でも、高度に効能化された物質、例えば、金属の潜在力を調製することが可能ですが、その理由は何なのでしょうか? それは私たちが自然の現実的なあり方に対するより深い洞察を有しているからである、というのがその説明です。もし、私たちが人体の本性を本当に理解しているならば、私たちは、その機能が既にお話しした金属−錫、銅、鉛等々−によって変化させられる、ということを知っています。私は、まず第一に、それらが意識の状態を変化させる、ということを示しました。

 しかしながら、今日、私たちはその変化が、いくらか世俗的な表現ですが、普通の生活においてさえ体の中で生じる、ということに気づいています。例えば、私たちが、昨日指摘したあの銅の働きを放射する体の領域において変化を経験すると仮定してみましょう。そのような変化はすべて消化器官の障害の中に、つまり、新陳代謝系の中に−主として栄養分の代謝、消化や同化に関係する器官の障害の中に投影されます。私たちが病気と呼ぶところの人体組織におけるそのような障害のすべては、異なる意識状態の喚起にも結びついているのです。このことが示唆するものすべてを心に留めておかなければなりません。

 さて、有機的な病気の意義とは何なのでしょうか? 私は昨日、今日の人間にとって、通常の状態である覚醒意識は心臓中心にある、と言いました。別の意識状態はその他の器官に関連していますが、それらは絶えず意識下に留まっています。喉頭から脳までの範囲を含む喉頭の領域は、いつでも、昨日記述した通常の状態に連なる意識状態の中で生きています。消化器官近傍の領域は死者と同じ時間軸を共有しています。人間は絶えずこの意識状態に与っており、生前、個人的に知っていた人の死後の経験を共有するのですが、それらは心臓においてではなく、心臓の「下」で経験されます。ですから、彼はこの経験について何も知りません。それは無意識の中に、意識の敷居下に留まっているのです。人間が死者と精神的な結びつきを持つそのような領域において、例えば消化不良のような何らかの障害が発生するとき、心臓中心より下の意識が変化し、あまりにも活発に作用し始めるのです。

 では、ある種の胃の不調はどのように説明できるのでしょうか? 物理的な観点から見れば、それは単に臨床医の診断のためのラベルに過ぎません。ところで、ここで提示される観点は決して医学による純粋に物理的なアプローチに反対するものではありません。私はその価値を認め、評価しています。私たちは、人智学徒として、オーソドックスな医学を侮ったり、批判したりする道楽家や素人あるいはいかさま師の態度は取りません。私たちは完全にその発見を受け入れます。誰かが胃の不調を訴えるとき、その兆候を医学的に診断することは可能なのですが、その胃の状態の結果として、彼は死後間もない死者の生活に与ることがより可能になっているのです。もちろん、治療が始まる前には、医学的な診断がなされますが、精神的な立場からは、そのような人は彼が地上で知っていた魂たちとの死後の精神的な結びつき保持する必要性を感じている、と言うことができるでしょう。けれども、彼は心臓の下に横たわる意識の中に入っていくことができません。彼は死者との交わりに気づかないのです。

 その種の不調の精神的な側面とはこのようなものです。胃の不調は死者にあまりにも強く引きつけられるために生じるのです。そのような条件下では、人は死者に支配されます。私たちは、昨日示したように、物理世界に比べてずっとはるかに現実的なあの世界からの影響を強く受けているのです。

 私たちの前に天秤があると想像してみましょう。針が振れていても、別の天秤皿に負荷をかけることによってゼロの読みが回復されます。あまりにも強く死者に引きつけられ、それに全く気づかないほどこの心臓下の意識に対する異常な感受性を発達させた人に見られる非平衡状態は、一方の側に負荷をかけられた天秤皿に似ています。平衡は反対側に同等の負荷を加えることによって回復されます。

 このように、もし、心臓下の意識があまりにも活発であるならば、喉頭の領域における意識を減退させなければなりません。心臓は中央に位置しています。それは調整者であり、その上で天秤棒が振れるくさび形なのです。平衡は銅を服用することによって取り戻されます。今日の人間の体は喉頭が銅に反応するような仕方で構成されている、ということを既に指摘しました。

rot:赤色

orange:オレンジ色

zu starkes Bwusstsein:強い意識へ

 新陳代謝系と喉頭システムは天秤の両側のように密接に関連しているのです。片方はもう片方によって調整されることになります。銅が適切に処方されて服用されるならば、患者はいくらか死者の領域から退き、それによって健康を享受する方向に向かうでしょう。そうでなければ、彼はますますその領域に同化します。これが治療の精神的な側面です。

 ですから、今日、私たちはすべての物質が物理的な側面と同時に精神的な側面を有している、ということを知っています。昔の秘儀参入者たちは弟子たちのためにその物理的な側面を利用することができたのですが、それはただ弟子たちが広範な訓練を経た後でのことだったのです。今日ではもはや、同じようなやり方でそれを使用すべきではありません。今日、魂を開発するための領域はその道徳的な属性においてであり、物理的な属性は医師の領域なのです。物質の物理的な側面に精通し、それに関する詳細な研究を行う機会を有している人がその情報を物質の道徳的な側面に関する知識によって補う、というのは重要なことです。このことは、現代における知覚や、精神的な手段の分野における知覚にとって、厳守されるべきことです。人間の有機体は時間の経過に伴って根本的に変化してきました。そして、物質の道徳的な側面に関する知識とその物理的な側面に関する知識との間にかつて存在していた密接な関係が失われたのですが、それは再び取り戻されなければなりません。ここで、この失われた関係についてもう少しお話ししましょう。

 主として物理的な観点を有する医学と精神科学との間の今日の関係は、遠い過去におけるそれらの関係と同じであるはずがありません。いずれにしても、この関係は続いていくに違いないのですが、それは今日では別の形態を取ることになります。私たちが精神的な探求における真の道と偽りの道を区別することができるかどうかは、そのようなことがらを知っているかどうかにかかっているのです。

 知識に対する何世紀にもわたる人間の態度全体を簡単に振り返ってみることは、私が既に議論してきたことに対してさらなる光を投げかけるための助けになるかも知れません。

 人類の進化を振り返ってみますと、知識や探求に対する考え方が非常に異なっていたのが分かります。今日、熱力学、電子工学、そして生物という知識の分野で近年になって成し遂げられた途方もない進歩は、自然、自然史、自然科学、そして、英国においては、自然哲学の名の下に分類されています。今日の学校では、自然はきわめて抽象的な仕方で教えられています。自然は「自然法則」−こういう言い方をされているのですが−の総計と考えられ、子供たちには期待されているのはそれを覚えることです。そして、この勉強の抽象的な性格は生活の中にまで持ち込まれます。

 今日、最も熱心な生徒にとってさえ、自然科学がどんなに冷たく、抽象的なものであるかを考えてみて下さい。植物学では、植物や植物の種に関する植物学的な一連の用語を、そして、動物学では、動物や動物の種の名前あるいは分類を記憶することが強要されます。彼はすぐにそれらを忘れ、試験のために何度も何度も最初からやり直さなければなりません。そして、しばしば試験が終わればそれらを完全に忘れてしまうために、再びそれが必要になったときには、参考書で調べます。今日の生徒が植物学や動物学に対して、彼が敬愛する人物に対するのと同じ関係を有している、などと言うならば、それは問題外です。

 自然は、今日、何かぼんやりとしてはっきりしないもの、重力や熱、電気や磁気の法則、つまり、機械法則のカタログになってしまっています。自然科学が扱うのは石や植物の研究です。しかし、それに加えて、自然科学には私たちが明らかに知らない植物や動物、そして人間の有機体の生命や内的な構成が含まれています。要するに、今日の自然科学や自然哲学は、私たちが知っていると主張する多くのもの、そして、私たちが全く知らない多くのものを含んでいるのです。

 さて、それによって自信を持てるようになるとはほとんど言い難いようなものごとの成り行きとはこのようなものです。つまり、あらゆるものが非常にぼんやりとして、混乱しています。そして、思考は非常に皮相的で抽象的になっています。今日、私たちは、私たちが「自然」と呼ぶところのこの抽象化されたものをマスターしようとして果敢に努力していますが、多くの人がこのアプローチにいくらか無関心になっているのも確かです。そして、自然科学として学校で教えられるものに対して積極的に反抗する若者の世代に属していないとすれば、私たちは好意的な中立の立場を取ることになりますが、いつの時代にもそうであったわけではありません。知識に対する態度が数世紀前にはどのようなものであったかをここで簡単に特徴づけてみたいと思います。

 九、十、十一世紀を、そして、十二世紀や十三世紀に至るまで振り返ってみるならば、私たちは、数の上ではかなり少なかったとはいえ、今日でいえば博識者と呼べるような人たち、ベルナルドゥス・シルベストリ、シャルトルのベルナールやアラヌス・アプ・インスリスのような、十一、十二世紀における代表的な学者と判定されるべき人たちが、有名なシャルトルの学院で教えていたのに出会います。当時、これらの人たちはまだ、有名な中世の秘儀参入者、フィオーレのヨアキムやハンビル(ラテン語でアルタビラ)のジョンとして世に知られるあの特筆すべき人物のような秘儀参入者、つまり、存在の秘密に対する奥深い洞察を有していた人たちとの交流を持つことができるほど十分に恵まれていました。

 他にも大勢の人たちの名前を付け加えることができるのですが、これらの人たちの名前に触れたのは、その時代の精神を喚起し、当時支配的であった知識に対する態度を特徴づけるためです。

 そのような人たちの精神的な観点に参入するならば、彼らの自然についての概念が私たちのそれとは完全に異なっていた、ということが分かります。今日の典型的な植物学者、病理学者、あるいは、歴史学者の場合、その表情は彼の病理学的あるいは解剖学的な神秘に対する深い関心ではなく、前の晩のダンスパーティーでの記憶を反映したものになっています。私たちは自然の神秘について、というよりお楽しみについて、より多くのことを習うのです!

 フィオーレのヨアキム、アラヌス・アプ・インスリス、あるいは、ベルナルドゥス・シルベストリの目をのぞき込む、ということは、それとは全く異なることでした。彼らの表情には悲劇が書き込まれていました。彼らは、取り返しのつかない喪失を被った時代に生きている、と感じていました。そして、ますますこの喪失に気づくことで、彼らの心は悲劇的な悲しみで満たされたのです。

 そしてまた、その喪失が彼らの顔に書き込まれていたところのあの古代の秘儀を探求したい、という彼らの望みをその場で目撃していた彼らの指、現代の退廃した世界から見れば「神経質」で敏感な指と見なされるであろうような指を見たとすれば、私たちは、過去に存在していた古代の叡智を生き返らせたいというあこがれに気づかされたことでしょう。

 彼らの弟子のために、あの古代の場面を魔法のように現出させることができる瞬間がありましたが、それは幻想のような像に過ぎませんでした。

 さて、私が皆さんに示そうとしているのは、詩的なファンタジーではなく、事実なのですが、私たちは、今でもすばらしい聖堂が立っているシャルトルの学院において、アラヌス・アプ・インスリスが彼の生徒に向かい、自然について次のように語るのを思い描くことができます。自然とは、それに近づこうとすると離れていく存在である。人は今、別の方向にそのエネルギーを向けるが、かつての聖人たちが有していた自然についての先験的な理解にはもはや与らない。彼らの目には、自然とは精神を付与され、あらゆる場所で−岩が形成され、植物が地球から生えだし、宝石のような星が天に輝くところで−働く壮大な存在だった。あらゆる場所で無限に偉大な存在が働いていた。それは自然の織物を編む女性のすばらしい形態の中に自らを現した。古代人たちはこのことを先験的に経験した。彼らの書き記したものから、我々は今でも、彼らの目には、至る所で、つまり熱、光、色、そして、生命の顕現の中で、織りなし働く自然がいかに現れたかを思い描くことができる。彼らは、女神「ナチュラ」が、直接的な知覚を通してのみその真の本質を知ることができるところの神的−精神的な存在であるということに気づいていたのだ。

 アラヌス・アプ・インスリスのような人物は、シャルトルの学院において、彼の弟子たちに、そのような概念をまだ提示することができました。とはいえ、秘儀参入者たちは、私たちが、女神「ナチュラ」との結びつきを失ったことから、抽象的で生命のないものと見なす自然を、生命と活力に溢れたものとして見ていたために、この古い概念が徐々に薄れ、死に絶えるのを見る彼らの顔には、悲しみと悲劇が書き込まれていたのです。

 そしてまた、私たちは有名なダンテの師、ブルネットー・ラティーニのような人物についての話を聞きます。彼は旅の途上で、ある不思議なカルマ的事件によって、意識の変化をきたすような発熱に苦しみました。このできごとの重要性は、彼の発達にとって、彼が生まれた町から最後の教皇派が放逐されたときに被った彼の苦しみに比べて、はるかに大きなものでした。彼は、この意識変化のおかげで、まだあの女神「ナチュラ」についての知覚を持つことができ、彼の本「テソレットー」の中で彼女について記述することができたのです。彼は、彼の生まれ故郷フィレンツェに向かう旅の途上で、寂しい森のただ中にある丘に行き着き、その丘の上で、いかに女神「ナチュラ」が彼女の織機に向かって織るのを見たかをイマジネーション的、図式的な記述によって表現しました。彼女は、人間の魂にとって、思考、感情そして意志がいかに重要であるかを、四つの気質と五官機能の本質的な性格を彼に明かしたのです。

 そして、彼の精神と魂の目が開かれました。抑圧された病理的な状態の影響下で、スペインから彼の故郷フィレンツェに向かう旅の途上に得られたこの経験はひとつの精神的な現実でした。この内的な変容の結果として、彼は四大−火、地、水、そして空気の織りなす生命、惑星の流れと動き、そして、体から出て宇宙の中に現れる魂を見ました。彼はこのすべてを女神「ナチュラ」自身による精神的な教えの影響下で経験したのです。

 これらの経験は、当時の人々によって、今日、それよりも改善されているとはほとんど言えないような明晰さと具体性をもって記述されました。彼らは同時に、古代の人々がこの知識を別の方法で経験していたということ、そして、時の経過とともにそれは徐々に失われた、ということを感じていました。これらの秘儀に関する知識を復活させるためには、病理的な状態を起こさせる必要があったのです。そして、彼らは、「ナチュラ」の真のイメージを生き生きとしたものに保ちたい、という押さえがたい衝動を感じていました。

 そして、人間の自然認識に対する態度全体を振り返ってみるとき、私たちは、私たちの自然に対するアプローチが抽象的であるのを、自然が法則の一覧表になっているのを感じます。私たちがこれらの法則をある程度でも全体的に関連づけられたものとして見ることができるとすれば、私たちはそれを誇りに思うかも知れませんが、二、三世紀前を振り返ってみるならば、自然現象の中で−昇りそして沈む太陽の中で、石や植物に伝わる熱、すべての命あるもの、成長し、繁殖するものの中で活発に働くような熱の中で−生き、織りなし、そして働くところの神的な存在と人間との間には生きた関係があった、ということが分かります。女神「ナチュラ」の活動を考慮する科学とはそれほどに異なったものでした。講義を終えてシャルトルの学院から出てくる学徒たち−その大半はシトー修道会員だったのですが−の気分は、今日、講義室から出てくる学生たちの気分とは大分違っていたのです! 彼らの反応は絶対的に生き生きとしたものであり、その内的な存在の表現だったのです。そして、有名なダンテの師、ブルネットー・ラティーニのような人たちが書き記したものの中には、これと同じ生きた現実が映し出されていました。その生き生きとして創造的な時代の精神を容易に想像することができるのは、ダンテの「コメディア」における特徴によってですが、そのすばらしく絵画的な記述は、カルマ的なできごとのおかげで秘儀に参入していた彼の師、ブルネットー・ラティーニによる図式的な記述からインスピレーションを受けたことによります。そして、シャルトルの学院やその他の学院は、当時授けられていた教育の多くを、フィオーレのヨアキムやその他の秘儀参入者たちに負っていたのです。

 「ナチュラ」という言葉は抽象的な意味で使われていたのではありません。それは外的に感覚知覚可能な現象の中で創造的に働いていたにもかかわらず、ヴェールがかけられ、人の目に触れないままに留まっていた何かを示していました。

 あるいはまた別の要素も考慮されなければなりません。ここでもまた、詩的な想像ではなく、基本的な現実を記述することになるのですが、皆さんが古参の学生としてアラヌス・アプ・インスリスの講義に出席し、議論に参加していたと仮定してみましょう。学生たちが去った後、皆さんは色々な問題について議論しながらアラヌス・アプ・インスリスと二人だけで歩いています。

 会話がある特別な点、つまり、現象世界の中に自らを現すとはいえ、皆さんからは隠されている女神「ナチュラ」についての話題に及んだとします。そのとき、議論に熱中していたアラヌス・アプ・インスリスは次のように語ったことでしょう。もし、我々が、眠りの生活において、かつて太古人たちが有していた状態に今でも与っていたとすれば、自然の隠された側面と我々との交渉は保持されていたであろう。我々の眠りは忘却へと導くが、古代人たちは正に無意識において、自然の隠された側面と接触していたのだ。もし、我々が、古代人たちの超感覚的な眠りを再び経験することができるならば、我々は女神「ナチュラ」を知ることになるだろう、と。

 そして、もし皆さんが、同じような状況下で、フィオーレのヨアキムと親しく話をしていたとすれば、彼は次のように答えたでしょう。我々の眠りは内容を欠いている。意識が消されているのだ。したがって、すべての被造物の中に、織りなし、働く女神「ナチュラ」を知るのは困難である。古代人たちは彼女の隠された側面と見える側面に気づいていた。彼らは「ナチュラ」という言葉を決して使わなかった。彼らは、我々がぼんやりと感じることができるけれどもその存在を知ることのない存在が女神「ナチュラ」であるとは主張しなかった。彼らは彼女を別の名前−プロセルピナ、あるいはパーセファニー−で呼んだのだ、と。

 このことは当時よく知られていたことでした。私が今お話ししたことは、私たちの抽象的な自然の概念に変化しました。ベルナルドゥス・シルベストリやアラヌス・アプ・インスリス、ハンビルのジョン、そして、とりわけ、ブルネットー・ラティーニのような人たちの魂の中に生きていたところのものは、古代人たちがプロセルピナ、すなわちデミーター−全宇宙−の娘として見ていた女神が変化したものだったのです。プロセルピナ(現代的な用語ではありきたりのものに聞こえますが)とは自然であり、その半分の生のみが上方の世界にあって、人間にその物理的、感覚的な面のみを現しながら、その生の別の半分は、人間が眠りの中で滞在するとはいえ、その眠りが真の現実を欠いているために、今日では、もはやそこで活動することのできない領域の中で過ごされるところの自然なのです。

 私たちの自然に関する知識は、パーセファニーについての古いギリシャ神話の中に生きていたものの残響なのですが、現在の概念は抽象的なものであり、私たちがそれに気づくことはありません。

 悲しみに満ちた表情をした人たちがこのことを知っていたという事実、当時はまだそれを知ることができたという事実は、認識の道が時間の経過とともにいかに変化したかを示すものです。この講義のはじめに申し上げましたが、私たちがこのような事柄の微妙な違いに対する正しい感情と感覚を発達させることができるのは、かつて存在していた知識の本性を時代を遡りながら振り返るときだけなのです。私がこれらの例に言及したのは、古代の知の形態を蘇らせるためではなく、かつての時代に卓越的であったそのような種類の知識に対する注意を喚起するためです。

 もし、私たちが、フィオーレのヨアキムやハンビルのジョンらによって語られるであろうような、「我々が今日、自然と考えているところのもの、あるいは、我々がそれを精神的に理解できないがゆえに、我々の目から隠されているところのもの、それはかつてプロセルピナとして知られていた。」という言葉をしっかりと把握するならば、そして、もし、このプロセルピナの神話(何故なら、それは神話としてだけ生き残っているからですが)を私たちの中で新たなものにするならば、この神話によって引き起こされるイメージはさらに以前の関係についてのイメージを呼び覚ますことになります。それらは、人間が女神「ナチュラ」の抽象的な側面も、悲劇的な側面も知らなかった時代、プロセルピナ−パーセファニー自身をその輝く美と悲劇的な陰鬱において見ていた時代のイメージなのです。

 では、彼女は、はるか昔のその最盛期には、どのような側面において現れたのでしょうか?

 その最盛期とは、プラトン哲学の時代でも、ソクラテスの対話の時代でもなく、もっとずっと昔、知識が、ギリシャ文化の最盛期におけるよりも、はるかに、はるかに生き生きとしていた時代でした。

 既に現在の立場から議論し、この連続講義の中でさらに詳細に議論する予定のことがらを正しい観点から眺めることができるように、人間進化の過程の中で知識がまとってきた様々の形態に向き合ってみることにしましょう。

 私たちの説明は簡単で不完全なものにならざるを得ませんが、ギリシャの哲学者、ヘラクレイトス、彼が自分でそう呼んだところの「暗く、陰鬱な」−何故なら、後になって、彼が秘儀に参入することによって得ていたところのものすべての上に魂的な闇が降りてきたからなのですが−ヘラクレイトスが参入していた秘儀の本性に向き合ってみることにしましょう。秘儀の発達におけるあの時代、ギリシャ人たちがイマジネーション的な視界を獲得し、彼らの神話を創造するために秘儀に頼っていた時代を、そして、ヘラクレイトスがそれに参入していたところのエフェソスの秘儀を目の前に思い描いてみましょう。

 エフェソスには太古の時代からの知識がまだ残存していたのですが、それはホメロスの時代にまで、そして、衰弱した形態においてとはいえ、ヘラクレイトスが秘儀に参入した時代にまでも生き残っていました。これらの太古の秘儀はまだ生き生きと活動していたのです。その東側が、いたるところで自然の豊かな恵みを象徴する女神「ダイアナ」すなわち豊穣の女神の彫像によって飾られていたあの神殿には、きわめて力強い精神的な雰囲気が存在していました。弟子が秘儀に参入し、エフェソスの神殿における儀式から力強い秘儀の衝動を受け取った直後に会話が持たれるとき、存在の重大な秘密、奥深い精神的な秘密が言葉によって弟子に授けられました。そして、これらの深遠な会話は儀式の参加者が神殿を立ち去った後も続きました。自然が瞑想へと誘うたそがれどき、彼らは、神殿の参道を通り、エフェソスの神殿から扇状に広がる道がはるか遠方で徐々に暗い緑の木々の中に消えていく森へと歩いていたことでしょう。いくらか不十分ですが、この種の会話がどのようなものであったかを皆さんに示してみたいと思います。

 当時の秘儀に部分的にでも参入した人にとって、弟子が男女どちらの性であれ、会話を持つということはあり得ることでした。その後、直ちに取り上げられることになるとはいえ、当時、両性の間における権利の平等は今日よりもずっと生きた現実であった、ということを認めなければなりません。ですから、エフェソスでは、男性と女性の弟子について語ることができるのです。そして、これらの会話の中には、パーセファニーの神話における精神的な側面についての生き生きとした興味がありました。では、そのような会話はどのようにして持たれたのでしょうか? まず第一に、教師が、秘儀参入者である牧師がいました。彼は形態の世界における偶然性、その世界に存在するものの間の相互作用について語る力を精神的な衝動から受け取っていました。彼が秘儀参入者として有している知識から話すときには、およそ次のようなことを彼の弟子に語ったことでしょう−今は黄昏時、精神的な世界を明らかにする眠りが、まもなく我々を捉えるだろう。お前の人間としての形態をその全体性において見なさい。我々の足下には植物が、我々の周りには黄昏時の伸びゆく影が、神殿の森にはぼんやりとした緑の光があり、空には一番星が輝き始めている。上なる天と下なる地にある生命の多様極まりない偉大さと荘厳さを見なさい。次に、お前自身を見て思い出すのだ。お前の中には全宇宙が生き、活動しているということを、すべての有機的な働きや、お前の内的な生命の変化と偶然が、一日のどの瞬間においても、豊富な事実や、お前という存在の無限の変化を目撃しているということを。お前という小宇宙は、お前が眼で見、知性で理解する大宇宙よりも、空間的に限定されているとはいえ、その神秘と不思議さにおいて、より豊かであることを知りなさい。そして、この世界をお前の中に感じ、認識することを学ぶのだ。お前は、地球から星々に続く大きな世界を、お前の小宇宙的な世界から眺めているのだということに気づきなさい。そして、眠りがお前を捉えるとき、お前はもはやお前自身の体、お前自身の世界の囚人ではなく、今お前が目の前にしているあの世界、地球や星々を包み込む世界の住人になるのだ。お前の魂と精神は肉体を去り、お前は星々の輝きと地球の放射に与ることになるだろう。お前は風に乗り、星の輝きとともに思考しているだろう。お前は今や、精神の世界に住み、お前の小宇宙的な自分を振り返っているのだ、と。

 太古の時代には、教師はその弟子に向かってこのように話すことが可能だったのです。何故なら、外的な世界の知覚は今のように鋭く規定されてはおらず、眠りの生活はまだ完全な空虚ではなかったからです。それはまだ経験に満ちていました。この眠りの状態に言及して、教師が次のように言うときには、現実について語っていたのです。お前は今、プロセルピナ、パーセフォニー、あるいはコウラとともにある。コウラは星々の中に、太陽の輝きの中に、月明かりや成長する植物の中に住んでいる。あらゆる場所で、パーセフォニーの活動を見ることができる。何故なら、彼女は宇宙の衣を織ったのだから。そして、そのすべての背後にはデミーター、彼女の母親がいる。パーセフォニーは彼女のために、お前が外的な世界として見るところのこの衣を織ったのだ、と。教師は「自然」という言葉を使わず、パーセフォニーあるいはコウラについて好んで語りました。

 そして、教師と弟子との会話は続きます。もし、誰かがお前よりも長く起きているとすれば、お前が眠っている間、彼は植物、山々、雲や星、つまり、パーセフォニーの外的な顕現を、ちょうど今のお前と同じように知覚するだろう。幻覚は我々の見方の中にある。パーセフォニーが幻覚なのではない。山や植物、雲、そし星々における彼女の創造的な活動が幻覚なのではない。お前がそれらを見るその仕方が幻覚なのだ。そして今、眠るときが来た。生命の神秘の器官であるお前の眼を通って、コウラ−パーセフォニーがお前の中に入ってくるだろう。

 これらのことは生き生きと経験されていたために、そのように生き生きと描写されたのです。そのため、睡眠中の人は、眠っている間にもその光景を感じ取っていたばかりではなく、聴覚や感覚が消されている中で、パーセフォニーが彼の目を通って、彼の魂と精神が退いた彼の肉体とエーテル体の中に沈み込んでくるのに気づいていたのです。

 起きている間、私たちは上方の世界に生き、眠っている間は、下方の世界に生きます。眠っている人の目を通って、パーセフォニーがその人の肉体とエーテル体の中に入ってきました。彼女は、プルート、眠りの支配者とともに肉体とエーテル体の中に滞在したのです。弟子は眠っている間に、パーセフォニーとプルートの活動を経験しました。彼は、彼が受け取っていた教えによって、コウラが目という通路を通って入ってくるのを知覚するようになったのです。このことは彼にとって生きた現実になりました。そして今や、彼は眠っている間のプルートとパーセフォニーの行いを経験します。そして、弟子がこれを経験している間、彼の教師は形態の世界に関係する相応の経験を持ちました。

 そして、教師と弟子が再び出会うとき、各々が自分自身の特別な洞察を有していました。そして、彼らが植物や木々について議論するとき、教師はいかにしてそれらの形態が生じるかを記述するでしょう。何故なら、それらは眠りの中で彼に明らかにされていたからです。彼は葉や茎の配置について、自然界のすべてについて、そして、上方から地上に下って働く形成的な力について詳細に議論するでしょう。そして、弟子は、恐らく異なる洞察を経験していたかも知れませんが、彼の教師がクロロフィルや浸透圧の神秘について語ることを追っていくことができたでしょう。こうして、会話はお互いを補強し合います。つまり、これらの秘密は、この女神、パーセフォニーの生き生きとした描写の中で、下方世界において、眠っている間に明かされる彼女の別の側面において、人間の魂に明らかにされるとともに、その中に入っていったのです。

 このようにして、あのはるかな時代には、弟子は教師から、教師は弟子から学びました。その教えは、一方では、精神と魂について、他方では、魂と精神についてのものでした。この共通のものとなった経験を相互に交換することにより、彼らは知識の最も高度な飛躍に触れました。彼らがこの最も深い洞察を分かち合い、そして、その荘厳な並木が遠方で徐々に視界から消え去る暗い緑の森の上に、東の空に輝く夜明けの星が光の矢を投げかけるとき、彼らの心は喜びに満たされました。彼らは、今の私たちが自然の領域と呼ぶ領域に、短い時間とはいえ、滞在していたのです。そして、彼らは、これらのことがらについて彼らの間で話し合ったときには、確かに、パーセフォニーと会話していたのだ、ということを知っていました。そして、彼らはまた、後にパーセフォニーの神話に組み入れられたすべてのものが、実際に、人間の自然に関する知識の隠れた源泉なのだ、ということを知っていました。

 これらのパーセフォニーについての生き生きとした知識に染められていたエフェソスの秘儀に関連した会話がいかに心を強く捕らえるものであったかは、ただ不完全にしか示すことができません。けれども、時が経つにしたがって、この知識は私たちが今日、自然として知っているような抽象物へとトーンダウンしていき、フィオーレのヨアキムのような人物はこの悲劇的な喪失を嘆いたのです。

 人間や宇宙の精神的な本性についての理解に導く道程を理解することができるのは、人間の手が届く範囲にある別々の意識状態に注意を払い、特徴づけるだけではなく、これらの状態が人間進化の過程でいかに変化してきたかを示し、エフェソスの神殿における秘儀に参入していた人々の会話に情報を与えていた知識がいかに私たちの知識とは異なったものであったかを、そして、フィオーレのヨアキムやアラヌス・アプ・インスリスのような人物と交わされた会話がいかに異なった性質のものであったかを、また、私たちが精神的な訓練を通して、今日再び達成しようとして苦闘する知識、外的なものから内的なものへ、上方から下方へ、そしてまた、内的なものから外的なものへ、下方から上方へと導く知識の形態がいかに異なったものであったかを知るときだけです

(第四講・了)


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