ルドルフ・シュタイナー

人智学的共同体形成 (GA257)

第10講

ドルナハ、1923年3月4日

佐々木義之 訳


 今日は、シュテュットガルトで行った2回目の講義について皆さんに報告するつもりですが、その講義で扱われたことがらについて何を述べたかを新たに逐語的に説明するということにはならないはずです。また、シュテュットガルト会議そのものについても何らかのコメントをするつもりです。

 2回目の講義の目的は、特に私たちの協会のような協会の中では決して起こるべきではないにもかかわらず、あまりにも容易に起こるようなある種のことがら、そして、それは精神的な社会観に基づく協会の歴史に通じている人たちにはよく知られたことなのですが、そのようなことがらが何故起こるのかを示すということでした。ご存じのように、その種の協会はいつの時代にも存在しており、それらはいつでもその時代に適合したものでした。以前の時代には、精神的な世界に参入するために必要とされるような種類の意識は今日私たちが必要としている意識とは異なるものでした。一般に、より高次の超感覚的な洞察に基づく何らかの認識形態を確立するために力を結集した人々は、その目的の中に、会員としての友愛の精神を育成することを含めていました。けれども、皆さんはまた、これらの協会の歴史に通じているすべての人たちと同様、友愛というものはあまりにも容易に悲しみに変わるということ、特に精神的な基盤の上に打ち立てられた協会は最大の不調和と、友愛に対する最悪の攻撃の温床になった、ということを知っています。

 さて、もし、人智学が適切に把握されるならば、人智学協会はそのように非友愛的な展開から完全に守られていることになるのですが、決してそれはいつも適切に把握されるわけではありません。もし、友愛に満ちた態度が崩壊することの理由に光を当てるならば、それを十分に理解するための助けとなるでしょう。

 とりあえず、昨日取り上げたことがらを振り返ってみましょう。私は、三つの意識状態、すなわち、通常の目覚めた生活の意識、夢の意識、そして、最後に、夢のない眠りの意識を区別することについて指摘しました。人が見る夢の像は彼がそこに居住する一つの世界として経験されます。彼が夢を見ている間は、その夢を現実的なものであると誤解する、すなわち、彼が目覚めている間に自分を見出すところの物理的な世界の中で生じるできごとと同じように現実的なものであると誤解する可能性が大きいのです。

 けれども、昨日お話ししたように、夢の経験と目覚めの経験の間には途方もない違いがあります。夢を見ている人はその夢の経験の中で孤立しています。そして、私が指摘したのは、別の誰かがその側で眠り、全く別の夢の夢を見ているかも知れない、したがって、異なる世界に住んでいるかも知れない、ということでした。両方とも、側で夢を見ている人に自分の夢の世界でのできごとを伝えることはできません。たとえ、十人が一つの部屋で眠っていたとしても、それぞれの人はその眼前に自分自身の世界だけを有しているのです。このことは、精神科学者としてしばしば驚くべき夢の世界に参入することができる人間にとっては、全く驚くべきことのようには見えません。と申しますのも、夢見る人が住む世界もまた現実だからです。けれども、それが提示する像は純粋に個人的な関心事に基づく要因から導かれます。確かに、夢によってもたらされる経験は物理平面から借りてきた像という衣を着せられています。けれども、しばしば指摘してきたように、これらの像は外的な覆いに過ぎません。現実は―そして、実際に、夢の中には現実があるのでが―像の背後に隠されており、像はそれを単に表面的に表現しているに過ぎないのです。

 夢の意味を発見するという目的で、それを精神的な意味で探求する人は、像ではなく、それを貫くドラマ的な要素を研究します。ある人はひとつの夢の情景を見、別の人は全く異なる別の情景を見るとしても、両方とも登っていたり、深淵の縁に立っていたり、あるいは何らかの危機に直面するとともに、最後には緊張が解けたりするような経験を有しているのかも知れません。本質的なことは、夢のドラマ的な経過なのですが、ただそれには像の要素という衣が着せられているのです。この展開するドラマが過去の地上生にその源泉を有していたり、あるいは未来の受肉を指し示していたりすることはしばしばあります。夢の中に働きかけているのは、人生において―恐らく、いくつもの地上生を貫いて―展開する運命の糸なのです。そこにあるのは人それぞれの核となるものです。彼は彼の自我とアストラル体とともに肉体の外にいるのです。つまり、彼は、ある地上生から別の地上生へと彼が携えていくところの自我とともに、肉体の外にあって、アストラル体の中にいるのですが、それが意味しているのは、私たちが地上に降りてくる前に住み、死後に還っていくところの感覚を越えた世界の中で、私たちを取り巻く経過や存在たちの経験を包含する世界に彼が住んでいる、ということです。

 とはいえ、私たちは眠りの中で私たちの肉体やエーテル体からも引き離されています。夢が像の衣を着るのは、アストラル体が正にエーテル体のところに帰って来るか、あるいは正にそれから離れようとしているとき、つまり、目覚めのときか、あるいは眠りに落ちようとしているときです。とはいえ、私たちが通常の意識状態にあるときにはその存在に全く気づかないとしても、夢はそこにあります。人は眠っている時間中ずっと夢を見ているのです。そのことは彼がその時間には自分自身の関心事だけに関わっている、ということを意味しています。しかし、彼が目覚めるとき、彼は周囲の人々と彼が共有するところの世界へと帰っていきます。そのときには、十人の個人にとって、それぞれが別々の世界に住みながら一つの部屋にいる、ということはもはや不可能になります。人々が物理平面上で共にいるとき、彼らは共通の世界を経験することになるのです。

 昨日、私は、私たちが超感覚的なものについての本物の知識、人間の真の存在についての知識、人智学がそれを入手可能にしようとしているような知識をそこから引き出してこようとしているところのあの世界に参入するためには、意識の遷移、さらなる目覚めが必要である、という事実に対して注意を促しました。

 そして、それが意識の三段階なのです。

 けれども、今、通常は眠っている人によって発達させられるような種類の像の意識が日常の目覚めの意識の中へと、つまり、物理平面上の状況へと持ち込まれる、と仮定してみましょう。そのような場合があるのです。人は、人体器官の不調によって、通常は夢の生活の中だけで思い描くような仕方で物理的な世界を思い描く可能性があります。言い換えれば、彼は彼にとってだけ意味のある像の中に生きるのです。これは異常な心理状態と呼ばれるケースです。そして、それは物理的あるいはエーテル的な器官における何らかの病気によるものです。それに罹った人は、眠りの中でそうするように、外の世界を経験することから自分を閉め出してしまうでしょう。そのとき、彼の病んだ器官は、通常は夢の世界の中でのみ提示されるような像が彼の中に生じてくる原因となります。もちろん、その状態には、通常の魂的な生活が多少妨げられることから真に心的な病気の状態に至るまで、様々な段階があります。

 では、人が夢の状態にある心を通常の地上の生活へと持ち込むとき、何が起こるのでしょうか?その場合、彼の仲間の人間に対する関係は、ちょうど彼がその仲間の側で眠っているときのような関係になるでしょう。彼は、自分の意識が仲間と共有できない何かに没頭しているために、仲間から引き離されているのです。このことは全く彼自身の責任とは言えないようなある特定のエゴイズムを生じさせます。彼が気づいているのは彼自身の魂の中で生じていることであって、他の人の魂の中で生じていることについては何一つ知りません。私たち人間が共通の生活を送ることになるのは、共通の感覚的知覚を有し、そして、それについての共通の考えを形成することによります。けれども、もし、誰かが夢を見ている心の状態を通常の地上生活に投影するならば、彼は孤立し、エゴイストになり、そして、彼の経験について他の人がついていけないようなことを主張しながら仲間の人間の側で生きることになります。このように夢の生活を日常生活に持ち込むことで人間を間違った方向に導くこともある程度のエゴイズムに関する個人的な経験は誰にでもあるはずです。

 けれども、健全な道から逸れる同様の場合があります。それは、人々が、そうですね、人智学的な真実が探求されているようなグループに加わりながら、私が昨日特徴づけたような状況、つまり、一つの魂が別の魂との出会いの中で、より高い状態、恐らくそれは意識の状態ではなく、より高く、より強烈な経験へと目覚めた感情の状態なのですが、そのような状態への目覚めが起こる状況が発展し損ねるような場合です。そのとき、物理的な世界の中ではそれを有することは正しいような程度の自己探求が、精神的な世界を理解することの中に投影されることになります。ちょうど、誰かがその夢の意識を物理的な世界に投影するとき、エゴイストになるように、物理的な世界に適した魂の雰囲気あるいは心の状態をより高次の領域へのアプローチに導入する人は、精神的な世界に対する彼の関係において、ある程度のエゴイストになるのです。

 けれども、これは多くの人に当てはまることです。感動への欲求が、人は肉体、エーテル体、そしてアストラル体を有し、繰り返される地上生を生き、カルマを有する、等々といった事実に対する興味を呼び起こすのです。彼らは物理的な現実についての事実や真実の場合と同様の仕方でそのような情報を手に入れます。実際、そのことは現在の人智学への取り組み方の中で毎日証明されているのが分かります。例えば、通常の種類の科学者が現れて、人智学を通常の手段で証明せよと主張します。これは正に、夢の像によって物理的な世界の中で生じていることがらを証明しようとするようなものです。もし、誰かが「この部屋にこんなにも多くの人が集まって、ここで人智学の講義が行われているのを私が信じるとすれば、それは後でそのことを夢に見たときだけだ」と言うとすれば、何と愚かなことでしょうか。それがいかに馬鹿げたことか考えてみてください!けれども、誰かが人智学的な真実についての話を聞き、もし、通常の科学が、そして、それは物理的な平面にのみ適用されるものですが、それらを証明するならば、私はそれらを信じるだろう、と言うのも同じように馬鹿げたことなのです。ものごとが完全に明確になるためには、それらの中に真剣かつ客観的に入っていくしかないのです。

 ちょうど、夢の概念を物理的な状況に投影する人がエゴイストになるように、通常の生活における事物にのみ適合するような観点をより高次の領域で必要とされる概念へと投影する人は、より孤立し、引きこもり、自分だけが正しいと主張するようになるのです。けれども、それこそ人々が行っていることなのです。実際、ほとんどの人たちは人智学のある特定の側面を探求しています。彼らは何らかの人生観によって、そこに見出されるあれこれの要素に共鳴するところの感情へと引き寄せられ、それが真実であることで満足するでしょう。そして、彼らはそれを受け入れますが、それは物理平面上では証明することができないため、人智学にその証明を期待します。

 こうして、通常の物理的な世界に適用可能な意識状態が、より高次の領域へのアプローチへと持ち込まれるのです。そして、その人の友愛的な規範にもかかわらず、ちょうど、物理平面上で夢見る人が最も非友愛的な仕方で彼の隣人に対して振る舞うように、非友愛的な要素が顕著になってきます。たとえ、その隣人が節度をわきまえていたとしても、夢の像の影響下にある夢見る人は、「お前は馬鹿だ、私はお前よりよく知っている」と彼に言うかも知れません。同様に、物理平面上での生活から持ち込んできた主張によって高次の世界についての概念を形成する人は、物事についての異なる観点を有する仲間に、「お前は馬鹿だ」、あるいは、悪いやつだ、というようなことを言うかも知れません。重要なのは、精神的な世界との関連で、全く異なる態度、全く異なる感情を発達させなければならない、それは非友愛的な精神を根絶やしにし、友愛が発達する機会を与えるだろう、ということです。人智学の特質とは、そのことを最大限に生じさせる、というようなものなのですが、党派主義やそれに似た要素−そして、それらは実際には物理的な世界にその起源を有するものなのですが−を排除しつつ、把握する必要があります。

 精神的な基盤の上に打ち立てられたような協会の中で、何故、非友愛的な精神が噴出するのかを知っている人は、より高次の認識を育成するために他の人たちと手を携えるとき、その魂の指向を変容させることに取り組むことによって、そのような危険を回避できる、ということも知っています。

 このことは、「私はそれについての夢を見てから、そのことを信じよう」と言いながら、人智学に対しても同様に振る舞う人たちが、人智学がそれによって提示されるところの言葉に何故あれほど疎遠なのかの理由でもあります。例えば、私の本の中で使われているような、人智学を提示するために用いられる言葉には我慢できない、と言う人たちが何と多いことでしょうか!重要なのは、超感覚的なものについての認識を提示するということでは、議論すべきことがらが異なるだけではなく、異なる仕方で語られなければならない、ということなのです。考慮しなければならないのはこのことです。もし、人智学を理解するということには、ある意識レベルから別の意識レベルへの移行が本当に含まれる、ということを深く確信しているならば、人智学は人生において、本来そうあるべきであるように、実り多いものとなるでしょう。と申しますのも、それは通常とは異なる魂の状態で経験されるべきものであるとはいえ、人がその十全たる魂の発展とその特質のためにそこから得るものは、今度は、物理的な世界が夢の世界に影響するのと同じ意味で、道徳的、宗教的、芸術的、及び認識的な影響を物理的な世界に及ぼすことになるはずだからです。そのために必要なのは、私たちが扱っている現実はどのレベルのものなのか、ということを明確にしておく、ということだけです。

 私たちが夢を見ているとき、他の人たちと話したり、何らかの特別な関係を持ったりする必要はありません。と申しますのも、夢を見ているときの私たちは、実際には、私たちの現時点での自我に働きかけているからです。私たちの表向きの夢の像の背後で私たちが行っているのは、ただ私たちだけに関係することです。私たちがそこで働きかけているのは私たちのカルマなのです。夢がいかなる場面を提示しているとしても、その背後では、人の自我がそのカルマに働きかけているのです。

 私たちは、ここ物理平面上で、物理的に体現した人類にとっての関心事に向けて働きかけます。人類全体の発展に貢献しようとするのであれば、私たちは他の人たちとともに働かなければなりません。精神的な世界では、私たちは私たちと同じような知的存在たちとともに働くのですが、ただ、彼らは物理的な体の中にではなく、精神的な要素、精神的な実質の中に生きています。それは異なる世界、そこから超感覚的な真実を少しずつ集めてくるところの世界であって、私たち一人一人がそれに順応しなければなりません。

 これはここで行われた多くの講義の中で強調してきた点ですが、人智学的な認識は、私たちが他の学びの中で取る方法によっては吸収することができません。とりわけ、それは異なる感情によってアプローチしなければなりません。そして、それは、夢の世界という自ら創り出した像の世界から目覚めさせられるとき、色が目に飛び込んで来ることによって経験するような、あるいは、音が耳に注がれることによって経験するような突然の目覚めへと揺り動かされる、というような感情です。

 ちょうど氷の表面のどこが弱い場所なのかを知ることによって、割れ目から落ちるのを回避することができるように、精神的な真実への間違ったアプローチ通して利己主義を発達させるという危険について知っている人は、非友愛的な状態を創り出すのを回避することができます。人は、精神的な真実と関わるときにはいつでも、言葉の最上の意味で、忍耐という呼ばれるところの特質を最大限に発達させなければなりません。人智学的な精神科学を共に追究する人たちの関係は忍耐という言葉で特徴づけられていなければなりません。人間の忍耐という美をこの角度から見たとき、直ちに気づくのは、特に今という時代にそれに向けて自己教育することがいかに本質的なことであるか、ということです。今日、誰も他の人の話しを聞かない、というのは本当に異常なことです。誰かが話を始めると、すぐに他の誰かがそのことについての自分の観点を述べるためにそれを遮り、その結果、意見の衝突が起こる、ということはないでしょうか?誰も人の話を聞かない、誰も自分以外の意見を尊重しない、自分と意見を共有しない人間は間抜けである、というのが現代文明の基本的な特徴なのです。

 けれども、親愛なる友人の皆さん、誰かが自分の意見を述べるとき、それがいかに馬鹿げたものであると思われても、それは人間の意見であり、私たちはそれを受け容れ、聞くことができなければなりません。

 これから何かきわめて逆説的なことをお話ししようと思います。その魂が今日の知的な観点に適合した人は苦もなく賢明であることができます。一人一人が何か賢明なことを知っています。私はそれらが賢明でないと言っているのではありません。実際、それらは大抵は賢明なことです。けれども、それが当てはまるのは、ある一定の点までなのです。その点までは、賢い人は、まだ彼のような意見を持たない人を愚か者であると思います。私たちはこのような態度にいつも出会いますが、それは、日常的な生活の状況下では、正当化され得ることなのです。様々なことがらについて健全な判断力を発達させた人にとって、誰か他の人がそれらについての馬鹿げた観点を述べるのを聞かなければならないのはとんでもない試練だ、と本当に思われるでしょう。そのように感じる人を責めることはとてもできません。

 けれども、それが真実であるのは、ただある一定の点までなのです。人は何かをさらに発展させることによってますます賢明になり得るのですが、超感覚的な洞察は別の特徴を持った賢明さを付与することができます。そのとき、不思議なのは、愚かさへの興味が減退するのではなく、むしろ増加する、ということです。もし、誰かが少しでも叡智を獲得したならば、このような率直な言い方をお許しいただけるならば、その人は人々が何か愚かなことを言うのを聞くことに楽しみさえ覚えるようになるのです。そのような愚かさの中には、平均的な程度の賢明さを有する人々が語ること以上の賢明さが見出されるのですが、それは、それらがしばしば平均的な程度に賢明な人々の平均的な賢明さの下に横たわっているものよりもはるかに偉大な人間性から流れ出ているからです。その世界に対する洞察が深まれば深まるほど、人間の愚かさに対する興味が増加するのですが、それはそれらのことがらが、異なる世界の水準から見て、異なって見えるからです。通常の物理的な世界における賢明な人々には愚かに見えるかも知れない人の愚かさは、ある一定の条件下では、たとえそれらが歪曲され、戯画化された形を取っていたとしても、異なる世界における叡智であるところのものを明らかにしているのかも知れません。ニーチェの言葉を借りれば、世界は本当に「一日のできごとよりも深い」のです。

 人智学協会―言い換えれば、人智学を追求する人たちの組合―が健全な基盤の上に置かれるべきであるならば、私たちの感情世界はそのような認識の上に基礎づけられていなければなりません。そのとき、精神的な世界に対しては物理的な世界に対するのとは異なる関わり方をしなければならない、ということを知っている人は精神的な世界のことがらを正しい仕方で物理的な世界にもたらすことになるでしょう。そのような人は、物理的な世界の中で、夢見る人にではなく、実際的な人になるでしょう。そして、それが本当に決定的に必要なことなのです。人智学徒になることで、物理的な世界にとって無益な人にならない、というのは本当に必要不可欠なことです。このことは何度でも強調されなければなりません。

 以上が、シュテュットガルトでの二回目の講演で私が示そうとしたことですが、それは、協会の個々のメンバーがその生命を正しく育むということについてどのように考える必要があるか、ということに光を当てるためでした。と申しますのも、その生命は認識の問題ではなく、心の問題であり、その事実は知られなければならないからです。

 もちろん、ある人の人生の状況が、孤独な道を一人で歩むようにさせる、というようなものである可能性はあります。また、そうすることもできるのですが、私たちのシュテュットガルトでの関心事は人智学協会の生命に関わる要求にあり、それらのことがそこでの議論の中で持ち出されなければなりませんでした。もし、協会が存続すべきであるならば、それに参加しようという人たちは、その生命に関わる要求とは何か、ということについて関心を持たなければならないでしょう。

 けれども、そのことは、ますます増大する協会に対する敵意によって引き起こされる問題に対する関心を含んでいなければなりません。シュテュットガルトでは、そのことについても立ち入らなければなりませんでした。私が述べたのは、1919年以来、協会の中で多くの企てが立ち上げられた、そして、そのこと自体は良いことであった。けれども、それらを人智学運動の中に組み込むための―言い換えれば、それらを協会員の間での共通の関心事にするための―正しいやり方を見つけていなかったのだ、ということです。若い人たちのように、新しく協会員になった人たちがそれより前に立ち上げられていたものに関心を持たず、ただ狭い意味での人智学を追求しているからといって責められるべきではありません。けれども、私たちの運動に対するますます増大する敵意に対して本当に責任を負わなければならないのは、これらの新しい企てなのです。確かに、以前にも敵意は存在していましたが、私たちはそれに注意を払う必要がありませんでした。

 さて、このような文脈の中で、私は、人智学協会の中で認識される必要がある私たちの敵対者たちの問題に関して、何らかのことを申し上げなければなりません。親愛なる友人の皆さん、私は皆さんに、協会の発展における三つのフェーズについてお話しするとともに、最後の、あるいは三番目のフェーズにおいては、つまり、1916、7年から現在に至るまで、精神的な世界に対する人智学的な探求の果実の多くは講演の中で皆さんにもたらされた、という事実に対する注意を促しました。そのためには、純粋に精神的な探求という形での仕事が必要とされました。事実を冷静に見る人であれば誰であれ、近年、精神的な世界から少しずつ集められ、講義の中で皆さんの前に提示される素材の量がいかに増大しているかがお分かりのはずです。

 さて、私たちの敵対者たちの中には、何故、自分たちが敵対的な立場を取っているのかを知ることなく、つまり、その理由について明確でないことに安心し、ただ他の者たちと歩調を合わせるだけの多くの者たちがいる、ということは確かです。けれども、彼らの中には、自分たちが何をしているのかをよく知っており、それだけが人間の尊厳のレベルを上昇させ、地上に平和を回復することができるような精神的な世界についての真実を抑制し、踏みにじることに関心がある何人かの指導的な人物がいるのです。その他の敵対者たちは彼らに歩調を合わせているだけですが、指導者たちは人智学的な真実が入手可能になることを望んでいません。彼らの反対は絶対的に意識的なものであり、それを追従者たちの中に誘引しようとする彼らの努力もまた意識的なものです。

 彼らの真の意図は何を達成することなのでしょうか?この関連で、私自身について言及させていただくならば、彼らが試みているのは、私が彼らの攻撃にあまりにも時間を取られるために、実際の人智学的な探求のための時間を見つけられないようにする、ということです。それを追求するためには、ある種の静寂、つまり、敵対者たちのしばしば馬鹿げた攻撃に対して防衛するとしたらしなければならないような種類のことがらとは遠く離れた一種の内的な活動が必要なのです。

 さて、ヴェルベック氏は、シュテュットガルトで行った本当に輝かしい講演の中で、神学者たちだけが書けるような非常に多くの敵対的な本に対して注意を促しました。彼は1ダースかそれ以上の本を数え上げたと思いますが、いずれにしても、それはそれらを読むだけで時間が全部取られるほどの数でした。それらに反駁するとしたらどういうことになるか想像してみてください!いかなる探求にも取りかかれないでしょう。そして、多くの分野の中のひとつだけでそうなのです。少なくとも、他の様々な分野においても、同じくらい多くの本が人々によって書かれています。実際、人智学についての本来の仕事から遠ざけておくことを意図した敵対的な著作が溢れているのです。それは全く意図的になされています。もし、そのバランスを取るのに必要とされるものがあるならば、人智学を育成しながらそれらの本を脇に押しやることは可能です。私はそれらの題名の多くさえ知りません。私が持っている本は通常、積み上げておくだけです。何故なら、真の精神的な探求を遂行しながら、同時に、そのような攻撃に対処することはできないからです。そのとき、私たちの敵対者たちは「彼は私たちには自分で答えていない」と言います。けれども、他の人たちは彼らの主張に対処することができます。そして、1919年以降に立ち上げられた企ては、他の人たちの主導によって開始されたものですから、協会はその分野における責任を引き受けるべきです。敵対者たちとの戦いを引き受けなければならないのです。何故なら、そうでなければ、人智学的な探求を高く掲げ続けることは不可能であることが証明されることになるはずだからです。

 それこそが正に私たちの敵対者たちが望んでいることです。実際、彼らが最も望んでいるのは訴訟のための下地を見つけるということです。彼らがその機会を窺っているというあらゆる兆候があります。と申しますのも、彼らは、そのことが人の注意の方向を変え、真の人智学的な活動を妨げる魂的な雰囲気の変化を要求する、ということを知っているからです。

 そうなのです、親愛なる友人の皆さん、私たちの敵対者たちの大部分は、彼らが何をしているかを本当によく知っており、よく組織されています。けれども、これらの事実は人智学協会の中でも知られていなければなりません。もし、それらに対して正しい注意が向けられれば、行動が伴ってくるでしょう。

 私は皆さんに、協会が当面その活動を続けることができるようにする方向で、シュテュットガルトで何が達成されたかについて報告しました。とはいえ、諸般の事情から、私は協会から手を引かなければならないだろう、と言わなければならない瞬間が本当にあったのです。もちろん、今は、そこから手を引くことができない新しい要素を協会が最近になって引き受けたことで、それができない別の理由が存在しています。けれども、もし、私が、諸般の事情に基づいて、あのシュテュットガルトの会議場におけるある瞬間にその決定を下していたとしたら、私は協会から手を引かざるを得ないだろう、そして、別の方法で人智学が世に知られるようにしなければならないだろう、と言ったとしても、それは完全に正当化されたことでしょう。

 私が言っている瞬間とは、次のようなできごとが起こったときでした。九人委員会は、協会の様々な分野における活動に関する多数の報告についてのスケジュールを決定していました。それにはウォルドルフ学校、自由な精神生活のための組合、Der Kommende Tag、雑誌「人智学」と「Die Drei」、等々についての報告が含まれ、そして、私たちの敵対者や、彼らにどのように対処するかについての議論もありました。

 さて、お話ししたように、私たちの敵対者たちの問題に取り組んでいたヴェルベックは、文学的な角度からそれらをどのように対処したらよいかについて、輝かしい講演を行いました。けれども、そのことについての具体的な詳細については、まだ議論すべきことが残されていました。何が起こったでしょうか?ヴェルベックが報告している正にそのとき、議論の方を続けるということで、それを中断し、報告を省略するという動議が出されたのです。協会内で起こっていたことがらについて何一つ知ることなく、議論を継続するという提案がなされたのです。敵対者たちについての報告がなされている正にそのときに、報告は省略するという動議が出されたのです!そして、それは通りました。

 もっと奇妙なことも起こりました。その前の晩遅く、シュタイン博士は若者たちの運動について報告していました。ラインハス氏がその会合の議長だったのですが、それはとてもうらやましがられるような立場ではありませんでした。と申しますのも、二日前にもお伝えしましたように、彼は議事進行に関する動議で文字通りの爆撃を受けていたからです。そのような動議が出されるやいなやすぐに別の動議が出されるといった具合で、とうとう誰も議論をどうしたらよいか分からなくなっていました。

 さて、代表者会議に出席するために来ていた人々は、その準備に当たっていた人たちほど際限なく座っていることが得意ではありませんでした。シュテュットガルトでは、誰もが座っていることに慣れているのです。そこでは、遅くても午後9時半か10時までには始まって、朝6時まで続く会議があることもしばしばでした。けれども、お話ししたように、代表団はそのような訓練を受けていなかったのです。ですから、シュタイン博士が若者たちの運動、若い人たちが望むことについての報告を始めたときには遅くなっており、何らかの手違いか何かのために、誰も彼がその報告をするかどうかをはっきり知らなかったために、多くの人たちが会場を後にしていました。それでも、彼はその報告を行いました。そして、次の日に人々が戻ってきて、彼らのいない間にそれが行われたことを知ったとき、もう一度彼にそれを行わせるという動議が出されたのです。それは彼がそこにいなかったために効果がありませんでしたが、彼が私たちの敵対者たちについての報告をするために本当にやって来たときには、人々の成り行きは、彼の報告を二度も聞きたくはない、というだけではなく、一度も聞きたくない、という方向に変わっていました。その方向での動議が通ったのです。ですから、彼がその報告を行ったのは後になってからでした。

 とはいえ、その報告は特定の反対意見についての議論の中で頂点を極めるべきはずのものでした。驚いたことに、シュタインは特定のことがらについては何も触れず、その代わり、人智学に対する敵対者たちについての一種の形而上学を展開した結果、状況が本当はどうなっているかを理解することは不可能になっていました。彼の報告は非常に巧妙なものでしたが、実際の敵対者たちについての特定の材料を提供する代わりに、敵対者についての形而上学に終始したのです。その状況は、協会全体が―と申しますのも、代表団はドイツ人智学協会全体を代表していたからですが―敵対者たちについての話を聞きたがっていない、ということを示すためだけに役立ったのです!

 もちろん、そのことは完全に理解することができます。けれども、それらのことがらについて知っているということは、協会がいかなる生命状態を必要としているかについて洞察するためには正に決定的なことなのです。そういうわけですから、それらについて知ることができる絶好の機会を拒否する人は協会のために真剣に働くことはできないでしょう。人智学をどのようにして世界の前に提示するかは、とりわけ協会のメンバーが日々増大する敵意にどのように関わるかにかかっているのです。

 ですから、それは、私が、会議の成り行きによって、もし、メンバーたちが「人間性が人間性に出会わなければならない」などという決まり文句のスローガンを繰り返すことのみに終始するのであれば、私は参加し続けることができないだろう、と言わなければならないような結果に本当になったかも知れないような瞬間だったのです。シュテュットガルトでは、そのような決まり文句の言い直しが十分すぎるほどなされました―それらは議論されたのではなく、単に意訳されたのです。しかし、もちろん、想像の中だけではなく、現実の中にも存在しているようなものから手を引くことはできません−人智学協会から手を引くことはできないのです!ですから、これらのことがらもまた、土曜日に皆さんにお話ししたような―つまり、一方で、古い協会がその全体としての現実性において存続し、他方で、緩やかな連合体が設立され、最終的には、繰り返し述べたような意味で、つまり、二つの対極的な要素を関連づける何らかの橋渡し的なグループによって共同体を構築するという−解決策を見出すことを優先して、見逃されなければなりませんでした。

 と申しますのも、人智学は何か永遠に続くようなものである、ということに関して私たちは完全に明確でなければならないからです。ですから、一人一人の個人はそれを全く一人だけで学ぶことができます。人智学協会には全く興味を持つことなくそれを行うあらゆる権利を有しているのです。著作という手段によって、あるいは、人智学について聞くことに興味を持つ人たちに対して講義を行うことだけで人智学を広めるということ―そして、1918年までは、実際、ものごとはそのようでありました―は全く可能なことだったでしょう。1918年までは、協会は正にそのような協会があるべき姿を取っていたのです。何故なら、それは人智学そのものに影響を及ぼすことなく、いつでも存在することをやめることができたはずだからです。本当に人智学に興味をもってさえいれば、非協会員であっても、協会を通すことによって接することができたはずのあらゆることがらに全く同じように接することができました。協会は、協会員が活発に協働し、人間の魂が仲間の人間の魂によって目覚めさせられるための機会を提供していただけだったのです。けれども、協会の内部で進行していた活動があれこれの個人の発案によってプロジェクトへと発展した結果、今、私たちはそれによって拘束されています。それらは存在しており、勝手に解消することはできないのです。古い協会はその繁栄に向けて模索を続けなければなりません。古い委員会の官僚的で分類主義的なやり方、そして、ありきたりの方向づけがどんなに気に入らなくても、それが始めたものは面倒を見続けなければなりません。他の人は誰もそれに取って代われません。人智学一般に興味を持っているだけの人に、様々なプロジェクトに対して何らかの責任を引き受けるように頼むことができる、と考えるのは非常に間違っています。それらと一体となり、裏表まで知り尽くすようになっていなければならないのです。

 ですから、古い協会は存在し続けなければなりません。それは絶対的に現実的な存在なのです。けれども、単にそのようなものとしての人智学を望んでいるだけの人たちも、それに接する十分な権利を有しています。彼らを満足させるために、私たちは昨日お話しした緩やかな連合体を設立しましたが、それもまた、私が名前を上げた人たちから成る信任評議会を有することになるでしょう。ですから、今は、二つの信任評議会があり、それらが今度は共通の関心事を扱うより小さい委員会を選出することによって協会が一つの実体として留まることになるでしょう。緩やかな連合体が協会から発展してきたものに対する興味を引き受けるということは、それを再構築するという動議から生まれてきたものですが、それは若者たちの運動の中の最も若いメンバーたち、つまり学生たちによって直ちに実行されました。ですから、それは今や設立され、完全に合法的に機能することになるでしょう。実際、このことは、人智学運動と協会にとって最も差し迫った、決定的に重要なことがらのひとつでした。

 ウォルドルフ学校の上級クラスの生徒たちから特に興味深い動議が出されました。それは私宛てに送られてきていたので、私はそれを声に出して読み上げました。これらのウォルドルフ学校の上級クラスの生徒たちが出してきた動議とは、およそ次のようなものでした。彼らは言います、「私たちはウォルドルフ学校の基本的な規範の中で敷かれたラインに沿って成長してきました。来年、私たちは大学進学のための試験を受けることになっています。何らかの困難によってそれができないということもあるでしょう。けれども、いずれにしても、ウォルドルフ学校の正当な規律に従って教育を受けてきた私たちは通常の大学教育の中でどうなるのでしょうか?」と。これらの学生たちは大学についてのすばらしい記述を続け、その結論として、それまでウォルドルフ学校の生徒であった人たちがその勉強を続けられるような大学を設立すべきである、という動議を出したのです。これは本当に洞察に満ちた正しい動議でした。その動議は学術分野の若者たちの運動の代表団によって直ちに採択されました。そのような組織を立ち上げるために必要な資金を集めるために、彼らは基金を募集することさえしたのですが、その額は確か2500万マルクほどにもなったと思います。それは、現在のインフレ状況下では、大変な金額であるとは言えませんが、それでもかなりの額だったのです。もちろん、今日では、2500万マルクで大学を設立することはできませんが、もし、そのような目的のために10億マルクかそれ以上の寄付をしてくれるアメリカ人が見つかれば、始めることはできるでしょう。もちろん、そうでもしなければ、始めることはできません。そして、どのくらい必要かをすぐに計算することはできませんが、恐らく1億マルクでも十分ではないでしょう。

 けれども、そのような可能性が本当に存在していたとして、学位の授与や試験といったことに関して公的に認められる見通しが立っていたとしても、私たちは本当に困ったことに、恐ろしく困ったことになっていたでしょう。そのような組織のスタッフをどうするかが問題なのです。ウォルドルフ学校の教員たちか、私たちの研究機関のメンバーたちでやれるでしょうか?確かにそれは可能でしょう。しかし、そうなるとウォルドルフ学校も研究機関もなくなってしまうでしょう。近年における人智学協会の発展の仕方は、そうでなければそれに加わっていたはずの人々を閉め出しがちなものであったのです。ウォルドルフ学校に新しいクラスを加えることになったとき、必要な教師を協会員の中から見つけだすのは、信じがたいほど困難なものとなっています。私たちが誇ることができるあらゆるすばらしい会議やその他の業績にもかかわらず、協会の方向性は、人智学は十分満足の行くものではあるけれども、協会員になりたいとは思わない、と人々に感じさせるようなものだったのです。

 私たちは、協会にその本来の機能を回復させるという仕事に向けて働かなければならない、というところに来ています。と申しますのも、世の中には、人智学をその心と魂における最も重要な内容とするように運命づけられた多くの人々がいるからです。とはいえ、協会はそれを可能にするための働きに参加しなければなりません。私たちがこの問題に直面するとき、直ちに明らかになるのは、私たちは私たちの路線を変えなければならない、そして、人類が人智学を知る機会を与えられるように、人智学に世間の注意を向けさせることを始めなければならない、ということです。

 私たちの敵対者たちは人智学の戯画を投影しています。そして、彼らはその仕事に真剣に取り組んでいます。彼らの著作には人智学の連続講演から取ってきた公認されていない素材が含まれています。今日では、連続講義録を貸し出す図書館やその他のものがあります。これらのことに関する古い考え方はもはや状況に適合していません。お金を出せば連続講義録を貸し出す古本屋もありますから、それらを読みたいと思う人は誰でもそうすることができるのです。私たちが連続講義録のようなものを秘密にしておけると考えるならば、私たちは現代の社会生活に無知であることをさらけ出すことになります。今日、そのようなことはもはや不可能なのです。私たちの時代は、精神に関わることがらにおいてさえ、民主的なものとなっているのです。人智学は知られるようにならなければならない、ということに私たちは気づくべきです。

 これが緩やかな連合体の部分を動機づける衝動です。そこに集う人たちは、まず人智学が広く知られるようになることにとりわけ関心を寄せています。私は、このことによって、協会員たちが協会の内部に留めておくべきであると考えるはずの多くのことがらがそこから世間に流出することになる新たな出口が開かれるだろう、ということをよく知っています。けれども、私たちは時代が必要としているものに適合しなければなりません。そして、人智学徒はそれが要求しているものに対する感覚を磨かなければなりません。これが、昨日、お示ししたように、人智学は人々の生活の内容となることができるような何かとして見られなければならない、ということの理由なのです。

 ですから、親愛なる友人の皆さん、私たちは、報告されたような、協会の内部における二つの流れを緩やかに結びつける絆を立ち上げることを試みたのです。私は、もし、この努力が正しく理解され、正しく取り扱われたならば、私たちは新しい基盤の上でしばらくはやっていくことができるだろう、ということを望んでいます。私はそれが長く続くかも知れないなどという幻想は抱いていませんが、その場合には、何らかのその他の調整が試みられなければならないでしょう。けれども、このドイツ人智学協会総会に出席するためにシュテュットガルトに行ったときに私が言ったのは、人智学はドイツで始まり、世界はその事実を知って受け入れているのですから、まずドイツ人智学協会の中に何らかの種類の秩序を創り出すことが必要である、けれども、それは他のグループの中にも秩序を創り出すための最初の一歩に過ぎない、ということでした。私は、他の言語を話すあらゆる地域における諸協会もまた、協会を確固としたものにするために、あるいは同じような、あるいは別の方法で参加する責任を感じている、そして、人智学が世界全体にとってふさわしいものとなることができるように、協会の活動を形成するために可能な限りの努力がなされている、ということを思い描いています。